鳥取環境市民会議

鳥取の『雨』をテーマに‘まちづくり’と‘環境問題’に取り組みます!

神話の地の小字名 

2010-03-01 22:38:50 | 講演会のまとめ
昨日の地名の会には、27名もの方が集まられました。近年「鳥取の地名を愛する会」は参加者が減って、先細りの状況にありましたから、皆さんが地名のことに関心を持っていらしゃることが分かって、主催者としても大きな励みとなりました。地名は地域の歴史を物語る貴重な遺産です。当会は、気候地名の続きとまちづくりの一つとして、この会に協力しています。

さて、<神話の地>としたのですが、調べてみて本当に調査対象の(賀露・湖山・布勢・三津・伏野・小沢見・内海・内海中)が、神話と深く関わりがあることが分かってきました。
以下は、角川地名辞典を参照にしながら考察しました。

【賀露】賀露・加路・賀呂・軽とも書いた。千代川河口部に位置し、古代からの文化地帯だった。軽とは、軽部のいた所と言われ、諸国の軽部を統率した因幡一ノ宮にゆかりの深い武内宿禰(たけうちのすくね)の子孫であったと考えられる。とあります。

【伏野】「稲羽因幡の素兎」神話に由来するもので、野原で伏して泣いていた白兎が大国主命に救われた地であることにちなむと伝えられている。また、当地には、伏野長者伝説が伝わる。湖山長者伝説の方がよく知られているかもしれません。小字としては、長者石・すくも山などがあります。

【湖山】小山とも書いた。湖山池の東北岸、千代川河口より少し上流の左岸に位置する。
湖山池は、日本一の池として知られているますが、なぜ湖としなかったかが地名の語源から見えてきます。湖山には現在、鳥取大学があるのですが、ちょうどこのあたりが小高くなっていて、これを<小山>と言ったようです。地区には小字として小山のつく地名がいくつかあるので、昔は小山だったのでしょう。しかし、池は結構大きいのです。小山池ではいかにも小さい、狭い感じがします。また、地域としてもあまり良い印象がないというので、広々とした湖という字を充てたらしいのです。で、湖山湖ではおかしいので、湖山池になったのではないでしょうか?

【小沢見】日本海に面した谷あいに位置する。東と西は低山丘陵に囲まれ、北は小湾状をなし、西は潟湖の名残を残す湿地帯。地名は奧沢見に対して、地域内に水尻池があることにちなむという。地内には、杖突という小字があり、意味ありげな小字だなと思っていたのですが、弘法大師が巡錫の際、この峠で水を求めたところ、主が数町離れた所から冷たい水を汲んで差し出したため、峠付近が水の乏しいことを知った大師が、主への礼に杖を突き立て、清水を湧かせ、茶店や旅人の難儀を救ったという故事にちなむとあります。そういえば、この地域は、清水のつく小字がいくつかあります。

【三津】古くは「見津」と書いた。湖山池の西岸に位置する。かつて、湖山池が直接海とつながり、その湾入であった頃、当地が「水津」であったことにちなむ。とあります。湖山池周辺には、他にも溝口などの地名もあり、かつて盛んに船が航行していたらしいです。

【内海】「稲羽の素兎」の神話にちなんだ気多前・淤岐島・高尾山・身干山・恋坂・水門などの山名・地名がある。恋坂で白兎は生剥にされ、水門(みなと)で塩水に洗ったという。身干山は、白兎神社のすぐ裏にある山ですが、ここからは砂を取った時に発見された多くの遺跡が出てきています。それにしても<恋坂>というのは知りませんでした。もしかしたら、白兎は美しい女性だったかもしれませんね。

【御熊】地内にある式内社阿太賀都健御熊神社にちなむ。出雲の国譲りの神話には、健御熊命は、この社付近の崎から一夜で隠岐島に架橋しようとして、多くの石柱を切り出したが天邪鬼が邪魔して夜明けの鶏鳴を真似たため、夜明と思って放棄した。そのため、この社地付近の山地から、白兎の海中までその石柱が散乱して現在に残り、社地の石段はすべてその名残であるという。御熊神社は柱大明神とも称された。石を切り出す鉄を鍛えた鍛冶屋谷・石の切屑を捨てた石屑谷・細工谷などの地名が残る。

【布勢】布施とも書く。天神山頂に山名勝豊の築城という古城址がある。山王山には日吉神社があり、子供の神様としてかつては大変賑わった。この地にも「水入」という地名があり、かつて船運が盛んであったことが伺われます。全国的に布施という地は、船運で栄えた所らしく、ここ布勢も日本海から琵琶湖と繋がっていたらしいことが分かってきています。神社の日吉(ひえ)神社は、比叡山の麓にある神社と縁があると言われています。

と、ながながと書きましたが、調べれば調べるほど奥深い地名の世界へのめり込んでしまいそうです。続きは、もっと勉強してからにします。






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