身体を壊して高校を退職して丸2年が経つ。今、自分なりに年間テーマを設け試行錯誤を繰り返した当時の日々を思い、もう活用することのない資料の山を整理しながら一抹の寂しさを感じている。
かつて教職にあった時に書いた文章「創造的教育活動」を読み返した。
時まさに、幾多の受験体制の弊害を反省から生まれた「ゆとり教育」の始まりの頃で、教職に就いた頃からのキーワードだった「創造性」についてまとめたものだった。
私の教職時代の大テーマは「創造性の涵養」。退職数年前の大きな関心事は「ゆとり教育」で、その理念の実践こそが私の大テーマに沿うものと考えていた。
その後、「学力低下はゆとり教育の結果だ」との誤った学力の認識から始まり、昨年設置された教育再生会議でも「ゆとり教育の見直し」が答申された。実に残念なことだ。
本当の学力とは何なのだろうか。決して知識量ではない。疑問を抱き、主体的にその課題を解決する創造性こそが生きる力につながるはずだ。子どもたちに、受験体制の偽物の勉強ではなく、本当の学力を身に付けさせたいと願っていた。
人として豊かに生き行く大切な心、情操、感性などを養うには、家庭や社会と学校が共通の認識に立って行う「ゆとり教育」だと、今も信じている。
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「創造的教育活動」
「脳と創造性の謎」(*)を読みながら、左脳と右脳のバランスのとれた働きを考えた。理屈でものを考える、言葉を聞くなどは左脳の、音楽を聞いたりイメージで空想するのは右脳の働きと言う。昨今創造性が強調されるが、それはこれまでの学校教育が左脳偏重人間を育てているという反省でもある。
時折、窓際から風に揺れる木々の緑をぼんやりと眺め、訪れる小鳥のさえずりを聞く。これは自分なりの右脳の強化訓練だが、鼓膜や網膜を通したこれらのイメージ信号が右脳に潜在するという創造的パワーを引き出すかも知れないと思っている。そしてひらめきや大局を見渡す右脳を養うためせいぜい空想にふけり、芸術を鑑賞し、季節を楽しむなど、感性に響く情報を取り入れようと左脳人間を休むよう心がけている。
思い返せば30年前、会社勤めを辞め郷里の工業高校の教員になった当時、私は学術的研究を継続しながらの工業技術教育を、と一石二鳥の夢を描いていた。それは教育者であり研究者でありたいと考えたからであったが、当然ながら本分である人間教育に追われる日々に夢はうち砕かれて行った。でも初任の頃企業人の体験から抱いた工業教育現場での課題の一つに「創造性はどうすれば涵養できるか」があった。以来、それは私の工業教育実践のキーワードとなり、いつも時代的危惧を抱きながら細々とふさわしい教材の開発を心がけてきた。
ここでは最近の本校学校改革にあたり実践した創造性涵養教材についてふれてみたい。
時正に新しい時代の学校改革が叫ばれ、本校でも傍観は許されず、ドラッガーの言う”座して待つでなく、自らの変革を!”と特色あるユニークな新しい高校をめざした。本校では今年度から一括募集、2年次からのコース制がスタートしたが、改革の基本理念を具現する科目として、1学年共通履修の「産業社会と人間」を新設した。ここで、従来の工業教育に欠けていた内容を中心に、”自然・技術・人間”をメインテーマに、知識・技術、創造性、豊かな感性のバランスのとれた、生涯にわたって学び続けることのできる工業技術者の育成をめざした。そしてテキストでありノートであり、レポートでもある学習ノートを編集したが、その中で「創造科学」(①創造性について ②問題解決プロセス ③プロブレム・ソルバー ④望ましい工業技術者 ⑤問題解決の方法 ⑥個人課題研究)を教材化した。学習方法はほとんど体験的課題解決学習により生徒の主体的活動を重視した。
過去の工業の教育課程改訂のあとを見ると、「目標」等に、・主体的・実践的な態度・創造的能力・環境に配慮などの追記が、「科目」は・総合実習・課題研究・総合的学習の時間などの変遷があった。最近、全国工業高等学校長協会の稲葉理事長は「工業教育のおける創造性の育成」の中で、創造性育成が魅力ある工業高校を作るための必要条件であり、科目「創造工学」の導入を提案している。また経団連は提言「グローバル化時代人材育成について」の中で当面の課題として創造性の涵養をあげている。
創造的な思考能力や態度はふさわしい教材の工夫・開発と学習方法により育つはずと考える。今回は「問題解決の方法」の中で、BS法、KJ法を演習教材として実践した。それは疑問を抱き、問題を提起し分析する、そして効果的な解決を図るプロセスに創造的思考、参画意欲、グループワーク等々の創造性涵養の可能性を期待してとしてのことである。
これからはこころ豊かに生きてゆくために必要な感性や倫理観などの文化をより重視すべきと考える。そしてあらゆるものに主体的に取り組み、常に自己を啓発する姿勢、創造性を身につけた工業技術者でなければならない。そのためには教師自らが創造性を発揮しなければならず、今後一層広い視野からの創造的教育活動が求められると思う。(【工業教育 vol.37】)
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(*) 「脳と創造性の謎」 品川嘉也著 大和書房
かつて教職にあった時に書いた文章「創造的教育活動」を読み返した。
時まさに、幾多の受験体制の弊害を反省から生まれた「ゆとり教育」の始まりの頃で、教職に就いた頃からのキーワードだった「創造性」についてまとめたものだった。
私の教職時代の大テーマは「創造性の涵養」。退職数年前の大きな関心事は「ゆとり教育」で、その理念の実践こそが私の大テーマに沿うものと考えていた。
その後、「学力低下はゆとり教育の結果だ」との誤った学力の認識から始まり、昨年設置された教育再生会議でも「ゆとり教育の見直し」が答申された。実に残念なことだ。
本当の学力とは何なのだろうか。決して知識量ではない。疑問を抱き、主体的にその課題を解決する創造性こそが生きる力につながるはずだ。子どもたちに、受験体制の偽物の勉強ではなく、本当の学力を身に付けさせたいと願っていた。
人として豊かに生き行く大切な心、情操、感性などを養うには、家庭や社会と学校が共通の認識に立って行う「ゆとり教育」だと、今も信じている。
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「創造的教育活動」
「脳と創造性の謎」(*)を読みながら、左脳と右脳のバランスのとれた働きを考えた。理屈でものを考える、言葉を聞くなどは左脳の、音楽を聞いたりイメージで空想するのは右脳の働きと言う。昨今創造性が強調されるが、それはこれまでの学校教育が左脳偏重人間を育てているという反省でもある。
時折、窓際から風に揺れる木々の緑をぼんやりと眺め、訪れる小鳥のさえずりを聞く。これは自分なりの右脳の強化訓練だが、鼓膜や網膜を通したこれらのイメージ信号が右脳に潜在するという創造的パワーを引き出すかも知れないと思っている。そしてひらめきや大局を見渡す右脳を養うためせいぜい空想にふけり、芸術を鑑賞し、季節を楽しむなど、感性に響く情報を取り入れようと左脳人間を休むよう心がけている。
思い返せば30年前、会社勤めを辞め郷里の工業高校の教員になった当時、私は学術的研究を継続しながらの工業技術教育を、と一石二鳥の夢を描いていた。それは教育者であり研究者でありたいと考えたからであったが、当然ながら本分である人間教育に追われる日々に夢はうち砕かれて行った。でも初任の頃企業人の体験から抱いた工業教育現場での課題の一つに「創造性はどうすれば涵養できるか」があった。以来、それは私の工業教育実践のキーワードとなり、いつも時代的危惧を抱きながら細々とふさわしい教材の開発を心がけてきた。
ここでは最近の本校学校改革にあたり実践した創造性涵養教材についてふれてみたい。
時正に新しい時代の学校改革が叫ばれ、本校でも傍観は許されず、ドラッガーの言う”座して待つでなく、自らの変革を!”と特色あるユニークな新しい高校をめざした。本校では今年度から一括募集、2年次からのコース制がスタートしたが、改革の基本理念を具現する科目として、1学年共通履修の「産業社会と人間」を新設した。ここで、従来の工業教育に欠けていた内容を中心に、”自然・技術・人間”をメインテーマに、知識・技術、創造性、豊かな感性のバランスのとれた、生涯にわたって学び続けることのできる工業技術者の育成をめざした。そしてテキストでありノートであり、レポートでもある学習ノートを編集したが、その中で「創造科学」(①創造性について ②問題解決プロセス ③プロブレム・ソルバー ④望ましい工業技術者 ⑤問題解決の方法 ⑥個人課題研究)を教材化した。学習方法はほとんど体験的課題解決学習により生徒の主体的活動を重視した。
過去の工業の教育課程改訂のあとを見ると、「目標」等に、・主体的・実践的な態度・創造的能力・環境に配慮などの追記が、「科目」は・総合実習・課題研究・総合的学習の時間などの変遷があった。最近、全国工業高等学校長協会の稲葉理事長は「工業教育のおける創造性の育成」の中で、創造性育成が魅力ある工業高校を作るための必要条件であり、科目「創造工学」の導入を提案している。また経団連は提言「グローバル化時代人材育成について」の中で当面の課題として創造性の涵養をあげている。
創造的な思考能力や態度はふさわしい教材の工夫・開発と学習方法により育つはずと考える。今回は「問題解決の方法」の中で、BS法、KJ法を演習教材として実践した。それは疑問を抱き、問題を提起し分析する、そして効果的な解決を図るプロセスに創造的思考、参画意欲、グループワーク等々の創造性涵養の可能性を期待してとしてのことである。
これからはこころ豊かに生きてゆくために必要な感性や倫理観などの文化をより重視すべきと考える。そしてあらゆるものに主体的に取り組み、常に自己を啓発する姿勢、創造性を身につけた工業技術者でなければならない。そのためには教師自らが創造性を発揮しなければならず、今後一層広い視野からの創造的教育活動が求められると思う。(【工業教育 vol.37】)
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(*) 「脳と創造性の謎」 品川嘉也著 大和書房
ときどき、他人に発信するでなく、何時かの我が独り言として書いてみたいと思います。