読書の秋
2009-10-02 | 文芸
【弾けたサンショ】
読書の秋だ。それに合わせたように、昨日と今朝のラジオ深夜便 こころの時代は、紀田順一郎氏(神奈川近代文学館・館長)の話、《わたしの読書遍歴「江戸川乱歩との出会い」(1)、(2)》だった。評論家であるくらいしか知らなかった氏の話に、立派な人柄を感じた。
終戦時10歳、その後の周囲に書籍の不足していた時代に、読書の遍歴ノートにる教師の指導の人間形成に与える意義等々、大切なものを思った。そして、あふれる豊かさのなかで読書離れの進んでいる今、子どもに接する大人社会の姿勢を思った。
若者は本を読まないようだ。余暇には、テレビ、ビデオ、CD、ゲーム、また携帯でのメールに忙しく、ますます本は読まれなくなっているに違いない。読書によって得られるものは大きく、読書の習慣が欲しい。時代の変化にもその意義は薄れるものではない。若者の読書離れを憂えている。
とは言いながら、私自身も最近は本を読まなくなった。読むと言えば、感動とはほど遠い、趣味のコンピュータか科学関連雑誌のたぐい。
若き日に浩然之気を養うべく読書にいそしんだことや読書からの感動が自分を大きくしてくれたと考えると、あれからどれだけ成長したのだろうかと、精神的に次元の低い現在を反省したくなる。
かつてよく読んだ作家、好きな作家を思い付くままにあげてみた。
石川啄木、北杜夫、島崎藤村、斎藤茂吉、宮沢賢治、太宰治、寺田寅彦、司馬遼太郎、中野孝次、良寛、田淵行男、藤沢周平・・
これからの燈火親しむ候、テレビ、ラジオのない静かな夜長に、努めて本を読み、久しく忘れていた涙を流すほどの感動を求めたいと思っている。
読書の秋だ。それに合わせたように、昨日と今朝のラジオ深夜便 こころの時代は、紀田順一郎氏(神奈川近代文学館・館長)の話、《わたしの読書遍歴「江戸川乱歩との出会い」(1)、(2)》だった。評論家であるくらいしか知らなかった氏の話に、立派な人柄を感じた。
終戦時10歳、その後の周囲に書籍の不足していた時代に、読書の遍歴ノートにる教師の指導の人間形成に与える意義等々、大切なものを思った。そして、あふれる豊かさのなかで読書離れの進んでいる今、子どもに接する大人社会の姿勢を思った。
若者は本を読まないようだ。余暇には、テレビ、ビデオ、CD、ゲーム、また携帯でのメールに忙しく、ますます本は読まれなくなっているに違いない。読書によって得られるものは大きく、読書の習慣が欲しい。時代の変化にもその意義は薄れるものではない。若者の読書離れを憂えている。
とは言いながら、私自身も最近は本を読まなくなった。読むと言えば、感動とはほど遠い、趣味のコンピュータか科学関連雑誌のたぐい。
若き日に浩然之気を養うべく読書にいそしんだことや読書からの感動が自分を大きくしてくれたと考えると、あれからどれだけ成長したのだろうかと、精神的に次元の低い現在を反省したくなる。
かつてよく読んだ作家、好きな作家を思い付くままにあげてみた。
石川啄木、北杜夫、島崎藤村、斎藤茂吉、宮沢賢治、太宰治、寺田寅彦、司馬遼太郎、中野孝次、良寛、田淵行男、藤沢周平・・
これからの燈火親しむ候、テレビ、ラジオのない静かな夜長に、努めて本を読み、久しく忘れていた涙を流すほどの感動を求めたいと思っている。
