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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

なつかしい善龍寺界隈

2009-03-30 | 街中散歩
            なつかしい善龍寺山門


 かつて、若松に戻ったころ門田北青木に1年半住んだことがある。借りていた家は善龍寺のすぐ脇にあり、いつも山門までの道で子どもたちと過ごすことが多かった。
買い物の帰りに善龍寺界隈を歩いた。実に30年ぶりだ 昔リンゴ畑が広がっていた付近には、いま御山へ抜ける小田橋通りができ、大型のホームセンター、スーパー、電気量販店が軒を並べている。かつての面影はない。一歩大通りを脇に入ると、小さく残ったリンゴ畑に30年前と同じのどかな春が感じられた。

 懐かしい善龍寺の山門からお城を望むと、過ぎ去りし日々が今更のように蘇った。
境内にある「なよ竹の碑」に立った。戊辰の役に殉じた233名の名前が刻まれている。その碑の前には、花を付けるアセビに囲まれ、会津藩家老・西郷頼母の妻千重子の辞世の碑が建っている。
 「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け
 切ない戊辰戦争の悲劇を語る歌だ。
 
 この寺には西郷頼母一家の墓がある。今回、初めて頼母夫妻の墓参りをさせてもらった。 墓の脇の解説文には
「 ・・・生前から保科家歴代の墓所に用意されていたが、祖先の墓石のいずれよりも小さくその人柄が偲ばれる・・・」とあった。

 西郷頼母は藩主・松平容保の京都守護職就任をやめるよう強く進言し、又、戊辰戦争では和議恭順を主張した人物でもある。
 慶応4年(1868年)8月23日西軍が若松城下についに侵入、西郷頼母は城中にあったが、城外の家老屋敷に残された頼母の母律子、妻千重子など家族9人と一族12人は戦いの足手まといとならないよう邸内で自刃して果てた。
 
 今度青木山へ登ってみようと思っている。。