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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

感動は 人として生きる豊かさ   

2006-05-06 | 教育を考える
 教職にあったとき、さわやかな新学期には達治の詩「甃のうへ」を板書しノートさせるのが常だった。教室から校庭を眺め、花びらが舞い散る情景に我が青春を語ってきた。そして生徒たちに何を感じるかを問い、甲斐ある高校生活を願うのが常であった。
 最先端のロボットが涙を流す時代は来ないと信ずるが、人が美しいものに触れ心を動かされない不思議を思う。世の中が時間的、精神的なゆとりを与えないからであろうか、周囲に関心を抱き感動する心が足りないと思う。
 雨上がりの蒼い山並が田植えの水面に映る美しさや風に揺れる小さな自然に、さらには文字の連なりからなる一編の詩からも心動かされる。生きゆく時間の中でのあらゆる感動は人として生きる豊かさに違いない。
 躾だけでなく情操を育てたい。それらに気づかない高学歴志向の中身を憂う。
 情緒、情操は小さい頃の家庭で育つものと思う。それらを反省する「心の教育」が大切である。

甃のうへ

あわれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ


福島県内にも欲しい先人記念館   

2006-04-25 | 教育を考える
 先年の秋、山形県鶴岡市の鶴ヶ岡城址で大寶館を見学した。大寶館は猪苗代の天鏡閣を思わせる大正初期の擬洋風建築で、現在は郷土人物資料館として無料で公開されている。明治から昭和にかけて各方面でその道を究めた、鶴岡ゆかりの先人を一堂に集め、その足跡を顕彰、紹介していた。また、いつかは岩手県の盛岡先人記念館を見学し、そこでも郷土の文化人に触れ心から感動した覚えがある。こうした施設が福島県にもあればと思った。
 地産地消というの言葉が使われるが、教育も同じと思う。野口英世を知らない人はいないだろうが、会津の山川健次郎、松江豊寿はどうだろうか。郷土の先人の業績、生き様を、特に子供たちに教えることは、彼らの豊かな人生を送る糧となるに違いない。
 鶴岡が生んだ先人の偉業に触れながら、福島県内にも、個々の記念館、美術館でなく、こういう観点から多くの先人を顕彰し学ぶ施設が欲しいと思った。

http://maskweb.jp/b_taihoukan_1_1.html
http://www2.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/senjin/senjin/

右脳を働かせたい 

2006-04-07 | 教育を考える
 
 「脳と創造性」を読みながら、脳梁で連結される左脳と右脳のバランスのとれた働きを考えた。理屈でものを考える、言葉を聞くなどは左脳の働きで、音楽を聞いたりイメージで空想するのは右脳の働きと言う。
 いつも創造性が強調されるが、それは、現在の学校教育が左脳偏重人間を育てているという反省でもあると思う。
 時折、窓際から風に揺れる木々の緑をぼんやりと眺め、訪れる小鳥のさえずりを聞く。これは自分なりの右脳の強化訓練だ。鼓膜、網膜を通したこれらのイメージ信号が右脳に潜在するという創造的パワーを引き出すかも知れないと思った。
 ひらめきや大局を見渡す右脳を養うため、せいぜい空想にふけり、芸術を鑑賞し、季節を楽しみ、感性に響く情報を取り入れようと思っている。そして、しばらく左脳人間を休みたいと考えている。

感性、情操豊かな若者を!

2006-03-07 | 教育を考える
 夜のうちに積もった春の雪が青空に映え、降り注ぐ日の光がまぶしかった。しばらく雪雲に見えなかった秀峰磐梯が凛々しく聳え、あまりにも美しかった。
 いつも美しいものに触れ感動する感性を思っている。感性は価値あるものに気づく直感的な能力だが、外界への細やかな観察の積み重ねにより深い認識を持つことができる。学校教育のみならず青少年にはそうした場面が是非必要だ。教育が心豊かな人間らしい生き方を求めるならば、恵まれた郷土の自然の中で豊かな感性を養わなければならない。
 やわらかな日差し、雲の流れ、夕焼けの微妙な色相の変化、鳥のさえずり、木々のそよぎ等々、心動かされる刺激はいつも身近にあるが、若者のこうした生活体験は実に乏しいと思う。
 偽りの豊かさを享受し続ける一部の若者の乾いた心にふれる度に、あらためて知識だけでない、ゆったりした時の流れの中での豊かな感性、情操の大切さを思わざるを得ない。

言葉の力は、感じる力から

2006-02-26 | 教育を考える

 約10年ぶりに改訂される、次の学習指導要領の基本的な考えがまとまった。
これまでの[ゆとりの中で生きる力を育む教育]は転換され、今度は、確かな学力のための「言葉の力」を柱に据えるという。
 言語力、表現力はものの見方、考え方を身につけるための基本的な力であり、当然重要だ。しかし、いくら読解、記述能力があっても、受け止める心、感じる心がなければ意味がないのではないだろうか。あるラジオ番組の標語に、「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」とある。その通りだと思う。記録に残し人に伝える前に、まず、感じる力、考える力がなければならないと思う。
これまでの「ゆとり教育」は一体、何だったのだろうか。十分な検証が無いままに、学力低下をもたらす元凶として葬り去られようとしている。
 教育は心豊かに生き行く力を養うものだ。本当の生きる力は、知識ばかりではなく、それ以上に大切な感性、創造性などに関わるものであり、IQよりもEQ(*)が重視されなければならない。たとえば、五感で感ずるイメージで物事を思考する右脳を啓発する教育がもっと重視されなければならない。人として豊かに生きて行く大切な心、情操、感性などとのバランスの取れた、豊かな人間性の育成こそが目標で、それは「ゆとり教育」から生まれると、今も信じている。

(*)EQ(心の知能指数(Emotional Intelligence)ダニエル・ゴーマン 講談社)
(*)拙ブログ2006.1.27 『EQを重視する「ゆとり教育」を』


ならぬ事はならぬものです

2006-02-08 | 教育を考える
  
 先日、国会予算委員会のテレビ中継で質問者が会津藩の什の掟を挙げていた。
最近の、耐震偽造事件、ライブドア事件、天下り官僚の談合事件などに共通するものは、恥を知らない行為である。金儲け主義のホテルの弱いものいじめはも情けなくなる。
 これら卑怯な振る舞いを例に、今の教育に什の掟「ならぬものはならぬ」の大切さを確認していた。
 本棚から「日新館童子訓」を取り出し、什の教えを確認してみた。会津藩5代藩主の松平容頌(かたのぶ)がつくった幼少年期の修身書である。
 これは人として生きる基本、時代が変わろうと変わらない不易の教えであろう。

 ふと、自分の名誉のため、死を選んだ郡長正を思った。
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郡長正
《 明治のはじめ豊津小笠原藩(福岡県)に留学。ある日郷愁を覚えた長正は
  母の手紙に食べ物が口に合わないと書いた。後に母より届いた戒めの手紙
  を落としてしまい、拾った小笠原藩士の子弟に大衆の面前でののしられた。
  長正は会津武士の屈辱をはらそうと藩対抗剣道大会で完勝、その後切腹し
  て果てた。時に16歳の若さだった。 》【www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/jinbutsu/knagamasa.html】参
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 今朝、犬の散歩中に、他人様の犬の落とし物まで拾った。ゴミステーションに散乱する生ゴミを素手でかたずけた。些細なことかも知れないが、私は小さなゴミも捨てない。人に迷惑をかけないことは社会生活の基本だ。でも、人の本性は悪なのかと疑いたくなる。されば、悪を理性で正すのが教育なのだろうか。恥ずかしいという気持ちが欠落しているのだと思う。

  会津藩幼年者 什の掟
      一、 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
      二、 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
      三、 虚言を言ふ事はなりませぬ。
      四、 卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。
      五、 弱い者をいじめてはなりませぬ。
      六、 戸外で物を食べてはなりませぬ。
      七、 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
     ◎ ならぬ事はならぬものです。

教育を語る時、不易流行が言われる。教育改革も知育偏重でなく、まず、他人を思いやる気持ち、豊かな人間性をめざすものでなければならないと思う。

教育は難しい

2006-02-05 | 教育を考える
 教育は難しい。自分も子ども3人を試行錯誤で、夢中で育ててきた。それぞれに、オンリーワンの個性的な1個の人格に育ったと思う。カントは「人間は教育によって初めて人間になる」と言ったという。いつも教育は、本当に難しい。

 昨今の青少年による事件報道を見るとき、過剰な物質文明社会が子供たちに軽薄、安逸な日々を余儀なくしているような気がしてならない。この不安を取り除くには子供たちに真に豊かなグローバルな社会環境を取り戻さなければならないと考える。科学技術の世紀に残された「環境」と「人間」という時代的課題の解決は、やはり子供たちの教育に求めなければならない。
学力論争とも関わるが、活字中心の書斎科学よりも、野外で身近な本物の自然にふれる体験的学習環境こそが大切である。自然に親しみ、学び、守ると言ったプロセスから人として当たり前の自然観や人生観が育まれるはずだからだ。
 炎天下の畑のニラの花に吸密する、あの敏速なヒメアカタテハの翅の模様があまりにも美しかった。目的のクヌギ林では、ゴマダラチョウやキマダラヒカゲが樹液に群がり、時にはオオムラサキが悠然と飛び交っていた。半世紀も前の虫採りに明け暮れた日々が今でも鮮明によみがえってくる。


人間このすばらしいもの  

2006-02-04 | 教育を考える
 大雪の朝、娘の勤務する「つるが保育園」を訪ねた。
娘から講演会の案内を受け、娘の職場の様子も見たい気持ちがあり、
妻と楽しみに出かけた。
 日頃の子どもたちの生活の様子を垣間見ることができた。どの部屋もにぎやかで、明るく、活発な雰囲気の保育参観が行われていた。
 以下は講演の要旨である。
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 演題 「人間このすばらしいもの -私の出逢った子どもたち- 」
 講師 水戸 昇 教育相談所長  喜多方市字1丁目4560-4 
                     tel(0241)22-0715
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【 内容概要 】
○世界に一つだけの花 全員で合唱で講演が始まる。
   No.1にならなくてもいい  もともと特別なonly one
   地球上に63億人それぞれの生き方、咲き方がある。
○みんなができる楽しい子育ては、楽しい家庭から。
 育児は育自  共に成長
○幼児期は人間性の土台づくり、そして思春期への影響が大。
○乳幼児期の子育てで大切なこと
   よく遊ぶ子ども  よく食べる子ども  よく寝る子ども
○みんなが持っている可能性
 これまで出逢った、可能性に挑戦した生徒たちの生き様を紹介。
  ○親は、長い目で子どもの才能が育つのを見守る良き理解者であれ。
エジソン、向井千秋、大江健三郎を例に
  ○みんなが持っている可能性について(多くの本を紹介)
  紹介図書 「不良品」      宇梶剛士著  ソフトバンク
       「運命の顔」     藤井輝明著  草思社
       「蛇にピアス」 金原ひとみ著
       「アンジュール(ある犬の物語)」ガブリエ・バンサン著 BL出版
       「いのちのまつり」  草場一壽文   サンマーク出版
       「入れ墨牧師のどん底からの出発法」 鈴木啓之著 講談社
       「小学校中退 大学卒業」 花柳幻舟著  明石書店
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・講演は、歌あり、音楽あり、体操ありで、終始講師のパワーに圧倒された。
 沢山の資料をもとに、机上でない、自らの教職体験に基づき築き上げられた
 教育論を聞くことができた。あらためて、幼児期が本当に重要な時期である
 ことを認識させられた。私自身、毎日接する2人の孫(3歳半、1歳)に、
 素直に、明るく育って欲しいと願わずにはいられない。

センター試験終わる。

2006-01-27 | 教育を考える
センター試験が終わった。この時期いろいろ考えさせられる。定員があれば選抜試験は仕方ないのかと思いつつ、当然のごとく受け入れられている受験体制を批判したい。


『根本的な入試改革を』

大学入試センター試験が終わり、本格的な受験シーズンを迎えた。少子化により、来年は志願者と入学定員が等しくなり、数字的には「大学全入」の時代を迎えるといわれている。しかしながら、知識の詰め込み学習や高学歴志向の受験体制は変わらず、いつまで続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。 何のために学ぶのだろう。決して受験のための学習であってはならず、生涯にわたって常に学ぶ習慣こそが大切で、そうした正しい学習観の形成が教育ではないかと思う。本当に学びたいことを学べ、楽しくゆとりある豊かな学校生活でなければならないのに、これまで受験システムは、子供達の健全な成長、豊かな生き方、夢を奪ってきたと思う。 自然を愛し、その美しさに感動できる心、他人を思いやるやさしさ、人として生きる心は受験勉強からは育たない。そのためにも受験体制、さらには入試の抜本的な改革こそが教育改革の中核でなければならないと思う。


『EQを重視する「ゆとり教育」を』

 大学入試センター試験が終わった。高学歴志向の受験体制がいつまでも続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。  数年前、ダニエルゴールマンの著した「EQ 心の知能指数」がベストセラーとなった。EQとは、自分の感情を上手にコントロールする能力であり、総合的な社会的知性と言われている。知識の詰め込み教育や受験体制の評価対象はIQであったが、これからはEQをもっと大切にすべきと思う。。 「ゆとり教育」が学力を低下さると危惧されているが、真の学力は、受験で問われる知識量ではない。それは、自ら考え、主体的にあらゆる課題を解決する力、創造性であり、豊かな情操や感性、そして人として生きゆく大切な心と考えるべきである。 学校や社会で、真の学力EQを重視し育成する、知育偏重のIQでない、ゆとりある教育活動が必要と思っている。