嶽南亭主人 ディベート心得帳

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【ディベート甲子園2010】 安楽死論題について思う(その2)~消極的に考える

2010-03-31 05:25:33 | ディベート
前回からの続きである。ここから読み始めると、何のことやらよくわからないと思われるので、是非、前回投稿をご一読の上、以下にお進み頂きたい。

【問い[再掲]】「こういう人」に対して「こうする」ことは、良いことか?

いよいよ、医療問題の文脈から検討を始めることとしよう。

●【ケース4】「意識がなく、回復の見込みもなく、延命措置を中止すると死んでしまうことがわかっている人」の「延命措置を止める」

結果的に不起訴となった射水中央病院の事案が想起されるが、自発的呼吸のない人から人工呼吸器を取り去るというような上記の措置は、正当化しうるのか? それはなぜか。

ここで、「流石に、本人や家族の同意がないのは、いかがなものか」という懸念も聞こえてくる。

では、次のケースでは、本人の明示の同意を条件として付加してみよう。


●【ケース5】「意識がなく、回復の見込みもなく、延命措置を拒否する本人の明示の意思表示が予め確保されており、延命措置を中止すると死んでしまうことがわかっている人」の「延命措置を止める」


無駄な延命治療を拒否するリビングウィルが予め与えられているような上記の場合、これは許容しうるのか。また、それは何故か。

さらに、その発展形として、次のような場合を、どうお考えになるだろうか。


●【ケース6】「意識もあり、回復の見込みもあるのに、おそらく宗教上の理由から<輸血>を拒否する本人の明示の意思表示が予め確保されているおり、かつ<輸血>をしないと死んでしまうことがわかっている人」に対して、「延命措置としての<輸血>の実施を断念する」。


意識もある。回復の見込みも当然ある。しかし輸血をしなければ死んでしまう人、その当の本人が輸血を拒否した場合に、輸血を断念するというということは、正当化できるのか。それはなぜか。

あるいは、もしこのケースが正当化しうるのであるならば、本人が同意するならば、少なくとも延命措置の中断は、倫理的に問題がない・・・・というような結論を、一般的なものして認める、ということになりそうだが、本当にそれでいいのか?

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次回は、延命治療の中止からさらに進めて、「間接的な」ケースについて、考えてみたい。