仕事で特許庁に出向いた。
入るときは霞ヶ関ビル側の裏口から入ったので、まったく気づかなかったのだ。
外堀通りに面した玄関からまさに出ようとするとき、胸像が目に留まった。
どれどれ見てやろう。いったい誰かいな。
あっ、と声が出た。
高橋是清翁の胸像であった。
なんたる迂闊。高橋翁の像なら、あってしかるべきじゃないか、ここには。
日露戦争の戦費調達で欧州を東奔西走する日銀時代や、大蔵大臣として、軍部を敵にまわし、文字通り命を懸けて(それが故に、226事件で落命する。残念無念)、国の予算の膨張を阻止したのは、だいぶ後のこと。ペルーでの銀山開発に失敗、破産(!)して日本に帰ってくる、さらに前。
初代の商標登録所長(1884年)にして、初代の専売特許所長(1885年)。
前島密が近代日本の郵便制度の父ならば、高橋翁は、
日本の特許制度の父
なのであった。
立ち止まって、一礼の後、外堀通りに出た。ああ、良い気分だ。
入るときは霞ヶ関ビル側の裏口から入ったので、まったく気づかなかったのだ。
外堀通りに面した玄関からまさに出ようとするとき、胸像が目に留まった。
どれどれ見てやろう。いったい誰かいな。
あっ、と声が出た。
高橋是清翁の胸像であった。
なんたる迂闊。高橋翁の像なら、あってしかるべきじゃないか、ここには。
日露戦争の戦費調達で欧州を東奔西走する日銀時代や、大蔵大臣として、軍部を敵にまわし、文字通り命を懸けて(それが故に、226事件で落命する。残念無念)、国の予算の膨張を阻止したのは、だいぶ後のこと。ペルーでの銀山開発に失敗、破産(!)して日本に帰ってくる、さらに前。
初代の商標登録所長(1884年)にして、初代の専売特許所長(1885年)。
前島密が近代日本の郵便制度の父ならば、高橋翁は、
日本の特許制度の父
なのであった。
立ち止まって、一礼の後、外堀通りに出た。ああ、良い気分だ。