澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

国策通信社「同盟」の興亡~通信記者と戦争(鳥居英晴著)

2019年06月08日 19時40分26秒 | 

 『国策通信社「同盟」の興亡~通信記者と戦争』(鳥居英晴著 花伝社 2014年)を手にした。



 出版社による本書紹介は次のように書かれている。 

・1945年、終戦の年に解散した同盟通信社(通称「同盟」)は、戦時中、国策によって設立され、 政府助成金によって維持された国策通信社で、現在の共同通信および時事通信のルーツとなった巨大通信社です。 同盟は自らを「日本の眼であり、耳であり、その口である」と称した「思想戦の中枢機関」であり、 日本政府のプロパガンダ機関として、アジア全域を拠点としてニュースを発信し続けました。 ・同盟の存在抜きに戦前のメディアを語ることはできないと言われながら、これまで、同盟を含めた通信社に関する研究は乏しく、 同盟の正史とされてきた『通信社史』は、同盟出身者によって書かれた客観性に欠けるものでした。 共同通信出身の著者は、在野でありながら「メディア研究の過疎地帯」とされてきた同盟の研究と歴史的位置づけに挑み、 5年の歳月を費やして本書を書き上げました。 ・800頁を超える大変な労作は、著者の情熱と尽きることのない探究心の結晶です。 ここでしか読めない事実の数々が子細に記録された本書の内容は、メディア史のみならず日本近現代史の史料として 一級の価値を有しています。また、個性豊かな記者たちの群像、日本の戦時情報戦略を扱った壮大な歴史ドラマは、 知的好奇心を刺激してやみません。研究者やメディア関係者はもちろんのこと、歴史ファンの読書人にも自信をもって おすすめできる渾身の一冊に仕上がっています。(出版社(花伝社)からのコメント)

 著者・鳥居英晴氏については、鮮やかな記憶がある。半世紀ほど前、東京都立川市で開催されていた「多摩中国語講習会」で私は彼と出会った。当時、鳥居氏は慶応義塾大学の4年生で、就職は共同通信に決まっていて、中国語とベトナム語を学んでいると話していた。色白の物静かな人で、記者よりも学者の方が相応しいという印象だった。

 この中国語講習会は、新左翼系の労働団体の人が始めたものらしかった。講師は、世田谷日中学院の清田始呂先生で、ずいぶんと熱心に教えていただいた記憶がある。ただ、教材が毛沢東の「老三篇」だったりしたので、政治力?ばかりを培うだけで、会話力、読解力は二の次だった。今どきの大学生が中国語のことを「チャイ語」と言うことになろうとは、当時想像だにできなかった。「慕情」の著者でもあるハン・スーインが書いた「2001年の中国」という本を「なるほど」と鵜呑みにしていた私であったから、今日の中華帝国の再興は、悪夢、いや悪い冗談としか思えない。

 この講習会で思い出すのは、日本電子に勤めていた簑島さん。彼は蝶の収集家で、台湾に蝶を採集するために、中国語を習いに来たと話していた。これこそが、正しい外国語学習の姿。政治性の強い講習会だったので、三里塚闘争に参加していたMさん、後に日産労組をバックに都下の市長選に出馬したOさんなど、政治運動家と目される人たちもいた。

 著者・鳥居英晴氏は、53歳で共同通信を退社したという。今はどのような生活をされているのか。ホラ吹きの青山繁晴とは対極の人だろうから、地味な分野で実証的な仕事を続けられているのではないか、と思う。

 あまりの大著なので、感想を記すほどに読んでいない…。昔話が先になってしまった。嗚呼…。

 



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