澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

東大入試中止から50年

2019年02月04日 18時51分45秒 | 社会

 東大入試が中止になった1969年から、ちょうど50年。

 昨年、東京医科大学の「不正入試」が騒がれたが、結局、「男女差別」の問題にすり替えられ、問題の核心である開業医の子弟の裏口入学問題は不問にされた。私立医大の裏口入学・コネ入学は、ありふれた事実であるにもかかわらず、政治家やマスメディアは決してそこに触れることはなかった。
 今年の東京医大の入試は、前年、「男女差別」「年齢差別」によって不合格となった受験生44名を繰り上げ合格させ、75名定員の残り31名を合格者定員とするらしい。こんな大学でも世間の風向きを結構気にするということか。

 大学入試に「公平性」が担保されていなければ、社会秩序の安定は望めない。その意味で、1969年の東大入試中止は、日本教育史上の重大事件であり、その原因や経緯が検証されて然るべきなのだが、一過性の事件として忘れさられてしまった感が強い。

 先日、まさに1969年に大学入試を経験した知人に、当時の様子を直接聞くことができた。

 まず、入試中止になったのは東京大学だけでなく、東京教育大学(現・筑波大学 当時は東京都内にキャンパスがあった)も中止になったということ。つまり、首都圏においては、国立大学一期校であるこの二校が入試中止になったということで、受験生は選択の幅が極端に狭められてしまった。また、二期校であった東京外国語大学は受験会場の混乱を理由に各科目(外国語、国語、日本史または世界史、数学ⅠB)の試験時間はわずか30分、内申書を重視するという「変則入試」を強行した。

 当時の入試は、国立大学一期校の入試日が3月3日から、二期校は3月23日からと決められていた。私立大学入試は二月に行われていたが、進学校の受験生にとっては、早慶などの私大は滑り止めに過ぎなかった。国立大学の中でも序列があり、二期校は一期校を落ちた人が行く学校と認識されていた。

 東京教育大学(一期校)と東京外国語大学(二期校)が志望だった知人は、まさにダブルパンチを食らった感じだったという。そのため、私立の併願(滑り止め)は慶応とともに、上智をダブル滑り止めに加えたという。結局、私立は二校とも合格したものの、低位校である上智の入学手続き日が早かったため、両方ともカネを払う訳にもいかず、上智に行く羽目になったという。知人は「学歴というのは、人生のいろいろな節目の時にじわじわ効いてくるもので、上位校に行っていれば、もう少しマシな人生を送れたかもしれない」と述懐している。
 東大、東京教育大の入試中止によって、まるで玉突きのようにはじかれた1969年の受験生。彼らももう、70歳前後になる。東京医大不正入試で騒ぐのなら、50年前は、とてつもない「不公正」がまかり通ったことになるのだが、もはや覚えている人さえ少なくなったらしい。

 下記の映像は、当時のニュース映像。貴重なものだと思うのだが、アクセス数はたったの三ケタ。こんな時代もあったのだと、このブログでつぶやいておく。

[昭和44年1月] 中日ニュース No.784 1「東大入試ついに中止! -機動隊で封鎖解除-」



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