澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

昭和天皇の戦争責任と「日本のいちばん長い日」

2015年08月08日 08時21分43秒 | 音楽・映画

 季節柄、「戦争回顧番組」のオンパレード。いつのまにか、お盆を迎えるころの風物詩となってしまった。

 戦後70年となる今年、「安保法制」騒ぎや「70年談話」問題が相まって、いつもとは違う雰囲気が漂う。
 いみじくも、映画「日本のいちばん長い日」がきょう公開される。同名の映画は1967年にも制作されていて、そのリメイク版とされるが、昭和天皇がどのように描かれているかが注目されるところだ。映画のCMを見ると、「今の平和は、このご聖断から始まった」というキャッチコピーが流され、凛々しく聡明そうな昭和天皇(本木雅弘)の姿が登場する。「一億玉砕」を主張する「軍部」と昭和天皇を「対置」することによって、「戦争を終わらせるために戦った男たち」を描くのだと言う。これには、昭和天皇の戦争責任を曖昧にする意図を感じる向きも多いだろう。

 最近、「昭和天皇、蒋介石支持を促す」というニュースが伝えられた。1971年、国連で中国代表権が討議され、蒋介石の中華民国(台湾)は国連から追放されかねない危機を迎えた。そのとき昭和天皇は、佐藤栄作首相に対して「蒋介石を支持するように」と指示したという。戦後、しかも1970年代に至って、天皇がこのような政治的発言を繰り返してきた事実は、決して看過できない。

 昭和天皇が本木雅弘が演じるような凛々しい人物ではなく、戦後になっても陰で政治に口出しをしたという事実を知るならば、「ご聖断」への疑問も数々生じるだろう。ここに、1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」の映像がある。(下掲)昭和天皇は広島への原爆投下などについて、概ね次のように話されたという。

原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」   
 戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

 広島への原爆投下は「やむを得ないこと」とし、戦争責任は「言葉のアヤ、文学方面」だという、この感覚。さらに、日本国憲法下の象徴天皇でありながら、「命の恩人」である蒋介石を助けようとした政治的発言。これらをジグソー・パズルのようにつなぎ合わせれば、昭和天皇の人間性が否応なく浮かび上がってきて、天皇の戦争責任が問われなかったこと自体がおかしい
、という結論が導き出されても何ら不思議はない。

 石原慎太郎や田原総一朗さえも「戦後、天皇は退位されるべきだった」と発言しているそうだ。元首相・木戸幸一の「木戸日記」には「東京裁判終了後、天皇は自発的に退位されるだろう」という記述があるという。

 戦争体験者が激減した現在、この映画のように、当時の状況とはかけ離れた解釈で歴史ドラマやドキュメンタリーを制作しても、クレームがくることはなくなった。だから、現在の 「戦争回顧」番組は、マスメディアのやりたい放題。右からでも左からでも、勝手に「史実」を解釈できる状況になってしまった。「平和」「人権」「民主主義」など、現在の概念で過去の歴史を裁くような記事、番組は要注意だろう、少なくとも、安易に感動したり、同調したりするのは、止めた方がよさそうだ。

 




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1 コメント

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Unknown (譲二)
2015-08-20 13:02:24
過去の歴史のことを、とやかく言うのは、「なにを今更」で、リアリティーに乏しい。

外交や戦争も「勝負の世界」であり、「あそこで・こーしたら」の「たら論理」は、使うと、常識が疑われる禁句と思われます。

当時の事・事情・状況は、今からは、図り知る事は不可能でしょうから、今の論理で、どうの、こうの、言うのは、筋違いで勘違いでしょう。

何れにせよ、過去は、今に生きる我々の基盤・基礎部分ですから、これを崩すという事は、現・自己、自身への影響は免れないと思いますが、、、
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