澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

フジコ・ヘミングの死

2024年05月03日 09時59分25秒 | 音楽・映画

 フジコ・ヘミングの訃報が伝えられた。ピアノとリコーダーを弾く家人は、かねてから「あの人、ピアノが下手」と彼女のことを言っている。私も「ブックオフ」で買ったライブ録音のCDを聴いてみて、その演奏に疑念を抱いた。

 つまるところ、フジコ・ヘミングが有名になったのは、ピアノの技能の確かさなどではなく、NHK・TVで放送された「奇蹟のカンパネラ」という「感動物語」に依るものだろう。あの「現代のベートーベン」佐村河内守を喧伝したのもNHKだったから、フジコの「物語」もさらにいっそう胡散臭さを感じさせてしまう。
 私は、この二人の番組をリアルタイムで見たが、特に佐村河内に関しては違和感を感じた。というのは、佐村河内は広島県の工業高校卒で正式にクラシック音楽を学んだことはない。武満徹も学歴は高校卒だったが、その才能は高校生の時から周囲に知られていた。しかし、佐村河内にそのような才能があったとは伝えられていない。加えて、佐村河内は「障害者」だったから、多重のハンディを背負って、交響曲のスコア(楽譜)など書けるのだろうかと即座に疑問に思った。フジコの番組にも、過度の思い入れと美化が感じられた。「逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきました」というNHKが出した訃報(下記参照)は、問わず語りにNHKが「紡ぎ」だした「感動物語」の最終章になっているではないか。

 フジコ・ヘミングは、結局、TVが作り上げた虚像のスターだった。これからも、次のフジコが作られていくのだろう。鵜呑みにしないように、くれぐれも気をつけなくちゃ、と思う。

 

ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去「奇蹟のカンパネラ」

さまざまな困難に遭いながらも挑戦を続ける姿が反響を呼び、ファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例の大ヒットとなった、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが先月21日亡くなりました。92歳でした。

フジコ・ヘミングさんはスウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれ、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始めました。

早くから才能を見せ、17歳でピアニストとしてデビュー、東京芸術大学を卒業後は28歳でドイツに留学し、ヨーロッパを拠点に活動しました。

しかし、自身のキャリアをかけた重要な演奏会の直前にかぜをこじらせ、一時、耳が全く聞こえなくなるなど、ピアニストとして不遇の時代を過ごしました。

フジコさんの波乱に富んだ人生と再起にかける日々を追った25年前(1999年)のNHKのドキュメンタリーが大きな反響を呼び、同じ年に出したファーストアルバム『奇蹟のカンパネラ』は200万枚以上を売り上げ、クラシック界では異例の大ヒット。60代の遅咲きのピアニストとして「フジコブーム」が起きました。

フジコさんは、リストとショパンの演奏で高く評価され、世界の著名なオーケストラと共演するなど各地でコンサートを開き、90歳を過ぎても精力的に演奏活動を続けていました。

逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきました。



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