澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

モンゴル語専攻という選択肢

2016年01月04日 14時01分07秒 | 社会

 一昨年、ある大学でモンゴル近現代史の授業を聴講して以来、いろいろモンゴル関係の本を読んだり、映像を探し出してみたりしてきた。昨年5月22日、「プライムニュース」(BSフジ)にモンゴル大統領が出演したとき、視聴者メールを送ったら、大統領が私の質問に回答してくださったという幸運もあって、モンゴルをにわかに身近に感じるようになった。

 私たちの世代は、東京と大阪の外国語大学にモンゴル語学科があることを知っていても、受験しようと考えた人は少なかったと思う。F教授の自己紹介には次のようなことが書かれている。

「いまではモンゴルはだれでも自由にいける普通のくにですが、わたしがモンゴル語を勉強しはじめた1970年には、モンゴルと日本のあいだに国交さえなく、日本をおとずれるモンゴル人は1年におそらく10人もいなかったとおもいます。このような非実用的な言語を専攻する学科が、東京と大阪のふたつの国立の外国語大学におかれていたのは、もちろん日本の1945年以前のいわゆる「満蒙政策」と関係があるわけですが、いまからかんがえると、ずいぶん不思議な気がします。」

 1972年に日本とモンゴル(当時、モンゴル人民共和国)との国交が回復されても、1990年、モンゴルの社会主義体制が崩壊するまで、両国間には制限された交流しかなかった。そもそも、モンゴル語を母国語とするモンゴル人は、モンゴル国外モンゴル)に200万人、中国の内モンゴル自治区に400万人、ロシアのブリアート共和国に20万人、計600万人程度しかいないのだから、モンゴル語の有用性が疑問視された時期が続いたとしても不思議ではなかっただろう。

 F教授が言う「非実用的な言語」=モンゴル語=を廃止せず、戦後ずっと二大学に設置し続けた政府の文教政策は、無駄でも、的外れでもなかった。戦前戦後を通じても、モンゴル語を専攻した学生は、三千人ほどに過ぎない。だがその中から、司馬遼太郎田中克彦(言語学者)など、数多くの著名人、大学者が生まれている。日本の「モンゴル学」は、今も昔も世界の最高水準にある。日本人は漢文を読めるし、英語もできる。それにモンゴル語とロシア語が加われば、欧米の研究者はなかなか太刀打ちできない。つまりモンゴル学において、日本人には優位性があるということだろう。

 また、China中心主義(シノセントリズム=中華思想)に毒された歴史観を見直す意味でも、モンゴルの存在は重要だ。岡田英弘(モンゴル史)が指摘するように、「世界史はモンゴル帝国から始まった」(下記に添付した映像を参照)のだから。
 
 私などは、時すでに遅しなのだが、若い人たちのなかから、ぜひモンゴル語やモンゴル史を学ぶ人が出てきてほしい。人が手を付けない分野こそ、将来性があると思うのだが。