《台湾と日本語》
台湾の街には日本語が溢れている。「日本帝国主義が日本語を強要したからだ」という教条を信じている人に「それじゃあなぜ、そんな押しつけられた日本語が今でも街中にあるの?」と問えば、応えに窮するだろう。若い世代にたくさん「哈日族」がいるという説明もつかない。
その疑問を解くカギを岡田英弘氏の著作に見つけた。岡田氏によれば、いま中国で使われている社会科学、自然科学用語の七割は日本製漢語だという。いち早く欧米の文物を採り入れた明治日本は、大量の欧米語を漢字に置き換えた。よく言われる冗談だが、人民、共和国、社会主義、共産主義等々がすべて日本人が作った単語だから、中国はそんなに日本が嫌いなら日本製の単語を使わなければいいのに…と。
台湾における日本語の普及は、当初、漢文を媒体としていたという、興味深い本がある。「日本統治と植民地漢文」がそれだ。
これを読むと、「日本帝国主義が日本語を強要した」というステレオタイプの批判は、全く的はずれだとよく分かる。近代化すなわち西欧化への過程を自国の言語で対応できたかどうかが、西欧列強の植民地になるか、独立を守るかの、分かれ道でもあったのだ。日本以外のアジア・アフリカ諸国では、自国語だけで大学教育まで行える国は、極めて稀。多くの国の高等教育は宗主国の言語(英語、仏語など)で行われるのが常識なのだ。
いち早く近代化に対応した言語となった日本語を採り入れることが、台湾にとって手っ取り早い選択肢となった。その際、日本人と台湾人が理解し合える道具として、漢文が使われたことをこの本は教えてくれる。言うまでもなく漢文は、口語文、会話文ではなく、紙に書かれた文語文で、明治期の日本人の多くはこれを理解していた。台湾の近代化は、まず漢文、そして日本語を通してよりスムースに行われたというのも、あながちこじつけとは言えない。
《日本時代の建造物》
台湾旅行のパンフレットを見ると、故宮博物院、中正紀念堂、忠烈祠などが紹介されるのが常。だが、これらは日本の敗戦後、蒋介石政権が台湾に持ち込んだ「中華碑」(チャイナ・ブランド)に過ぎない。本当の台湾を知るには、総統府(旧台湾総督府)、台湾博物館(旧総督府博物館)、台湾大学病院(旧台北帝國大学病院)などを見るべきだろう。
例えば、このように…。
左から、台湾大学病院、台湾総統府、台中市役所、旧三井商船ビル(基隆)、松園別館(花蓮)、聖母観音像(台糖高雄工場)
日本時代の建物の多くが今なお使用されているか、あるいは文化財として保存されている台湾。そこには日本統治時代を非難する文言など全く見られない。大連で満鉄特急「あじあ号」が野ざらしにされ、満鉄本社の建物には「日本帝国主義の罪状」が延々と書かれていた中国とは、際だって対照的だ。
日本統治時代については、ディカバリー・チャンネル制作の次の映像も参考になる。
台湾の街には日本語が溢れている。「日本帝国主義が日本語を強要したからだ」という教条を信じている人に「それじゃあなぜ、そんな押しつけられた日本語が今でも街中にあるの?」と問えば、応えに窮するだろう。若い世代にたくさん「哈日族」がいるという説明もつかない。
その疑問を解くカギを岡田英弘氏の著作に見つけた。岡田氏によれば、いま中国で使われている社会科学、自然科学用語の七割は日本製漢語だという。いち早く欧米の文物を採り入れた明治日本は、大量の欧米語を漢字に置き換えた。よく言われる冗談だが、人民、共和国、社会主義、共産主義等々がすべて日本人が作った単語だから、中国はそんなに日本が嫌いなら日本製の単語を使わなければいいのに…と。
台湾における日本語の普及は、当初、漢文を媒体としていたという、興味深い本がある。「日本統治と植民地漢文」がそれだ。
日本統治と植民地漢文―台湾における漢文の境界と想像 | |
陳 培豊 | |
三元社 |
これを読むと、「日本帝国主義が日本語を強要した」というステレオタイプの批判は、全く的はずれだとよく分かる。近代化すなわち西欧化への過程を自国の言語で対応できたかどうかが、西欧列強の植民地になるか、独立を守るかの、分かれ道でもあったのだ。日本以外のアジア・アフリカ諸国では、自国語だけで大学教育まで行える国は、極めて稀。多くの国の高等教育は宗主国の言語(英語、仏語など)で行われるのが常識なのだ。
いち早く近代化に対応した言語となった日本語を採り入れることが、台湾にとって手っ取り早い選択肢となった。その際、日本人と台湾人が理解し合える道具として、漢文が使われたことをこの本は教えてくれる。言うまでもなく漢文は、口語文、会話文ではなく、紙に書かれた文語文で、明治期の日本人の多くはこれを理解していた。台湾の近代化は、まず漢文、そして日本語を通してよりスムースに行われたというのも、あながちこじつけとは言えない。
《日本時代の建造物》
台湾旅行のパンフレットを見ると、故宮博物院、中正紀念堂、忠烈祠などが紹介されるのが常。だが、これらは日本の敗戦後、蒋介石政権が台湾に持ち込んだ「中華碑」(チャイナ・ブランド)に過ぎない。本当の台湾を知るには、総統府(旧台湾総督府)、台湾博物館(旧総督府博物館)、台湾大学病院(旧台北帝國大学病院)などを見るべきだろう。
例えば、このように…。
左から、台湾大学病院、台湾総統府、台中市役所、旧三井商船ビル(基隆)、松園別館(花蓮)、聖母観音像(台糖高雄工場)
日本時代の建物の多くが今なお使用されているか、あるいは文化財として保存されている台湾。そこには日本統治時代を非難する文言など全く見られない。大連で満鉄特急「あじあ号」が野ざらしにされ、満鉄本社の建物には「日本帝国主義の罪状」が延々と書かれていた中国とは、際だって対照的だ。
日本統治時代については、ディカバリー・チャンネル制作の次の映像も参考になる。