澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾一周鉄道旅行 (8) 雑感(続)

2013年12月28日 20時21分48秒 | 台湾
《台湾と日本語》 

 台湾の街には日本語が溢れている。「日本帝国主義が日本語を強要したからだ」という教条を信じている人に「それじゃあなぜ、そんな押しつけられた日本語が今でも街中にあるの?」と問えば、応えに窮するだろう。若い世代にたくさん「哈日族」がいるという説明もつかない。

 その疑問を解くカギを岡田英弘氏の著作に見つけた。岡田氏によれば、いま中国で使われている社会科学、自然科学用語の七割は日本製漢語だという。いち早く欧米の文物を採り入れた明治日本は、大量の欧米語を漢字に置き換えた。よく言われる冗談だが、人民、共和国、社会主義、共産主義等々がすべて日本人が作った単語だから、中国はそんなに日本が嫌いなら日本製の単語を使わなければいいのに…と。

 台湾における日本語の普及は、当初、漢文を媒体としていたという、興味深い本がある。「日本統治と植民地漢文」がそれだ。

日本統治と植民地漢文―台湾における漢文の境界と想像
陳 培豊
三元社
 

 これを読むと、「日本帝国主義が日本語を強要した」というステレオタイプの批判は、全く的はずれだとよく分かる。近代化すなわち西欧化への過程を自国の言語で対応できたかどうかが、西欧列強の植民地になるか、独立を守るかの、分かれ道でもあったのだ。日本以外のアジア・アフリカ諸国では、自国語だけで大学教育まで行える国は、極めて稀。多くの国の高等教育は宗主国の言語(英語、仏語など)で行われるのが常識なのだ。
 いち早く近代化に対応した言語となった日本語を採り入れることが、台湾にとって手っ取り早い選択肢となった。その際、日本人と台湾人が理解し合える道具として、漢文が使われたことをこの本は教えてくれる。言うまでもなく漢文は、口語文、会話文ではなく、紙に書かれた文語文で、明治期の日本人の多くはこれを理解していた。台湾の近代化は、まず漢文、そして日本語を通してよりスムースに行われたというのも、あながちこじつけとは言えない。

《日本時代の建造物》

 台湾旅行のパンフレットを見ると、故宮博物院、中正紀念堂、忠烈祠などが紹介されるのが常。だが、これらは日本の敗戦後、蒋介石政権が台湾に持ち込んだ「中華碑」(チャイナ・ブランド)に過ぎない。本当の台湾を知るには、総統府(旧台湾総督府)、台湾博物館(旧総督府博物館)、台湾大学病院(旧台北帝國大学病院)などを見るべきだろう。
 例えば、このように…。

  左から、台湾大学病院、台湾総統府、台中市役所、旧三井商船ビル(基隆)、松園別館(花蓮)、聖母観音像(台糖高雄工場)

  日本時代の建物の多くが今なお使用されているか、あるいは文化財として保存されている台湾。そこには日本統治時代を非難する文言など全く見られない。大連で満鉄特急「あじあ号」が野ざらしにされ、満鉄本社の建物には「日本帝国主義の罪状」が延々と書かれていた中国とは、際だって対照的だ。

 日本統治時代については、ディカバリー・チャンネル制作の次の映像も参考になる。




台湾一周鉄道旅行 (7) 雑感

2013年12月28日 09時49分49秒 | 台湾
 台湾一周鉄道旅行でちょっと思いついたことを記すと…

東台湾について

 台北→花蓮→台東→高雄を走る台鐵線に乗るのが、この度の旅行の目的だった。旅行ガイドブックには断片的に日本統治時代の記述が見られるが、詳しく東台湾(太平洋岸の台湾)を紹介した本、情報は極めて少ない。
 台湾島は、険しい中央山脈で台湾海峡側の西台湾と太平洋岸の東台湾が遮られているので、西と東では景観が全く異なっている。西台湾は大陸から移住した諸民族の土地、東台湾は原住民の土地と言える。清朝が「化外の土地」と記したのは、この東台湾に他ならない。それを開発したのが、日本人だったことは記憶に留められるべきだ。そのことについては、次の本に詳しく書かれている。台湾に生まれた日本人「湾生」の著者が記した記録で、これほど詳しく書かれた本は他にはない。

知られざる東台湾―湾生が綴るもう一つの台湾史
山口 政治
展転社


《「親日的な台湾」の本当の意味

 尖閣問題、安倍首相の靖国神社参拝問題があっても、大半の台湾人の親日感情は変わらない。今回の旅行でも、花蓮では戦前日本軍将校用の施設だった「松園別館」がきれいに保存され、多くの参観者が来ていた。高雄郊外の「台湾糖業博物館」では、新渡戸稲造の胸像が飾られていて「台湾砂糖の父」と記されていた。ここには日本統治時代を非難する文言など何一つない。これらが意味することはただひとつ。日本統治時代は、台湾社会を近代化させた重要な時代だったという事実だ。台湾人は、そのことをきちんと評価していてくれる。
 中韓両国による「反日」の罵詈雑言に辟易としている諸氏は、ぜひ、台湾に行って、この事実を確かめて欲しい。




だが、時代は変わっていく

 いくら「親日的」な台湾でも、時代は移りすぎていく。台湾の民主化を果たした李登輝も今や90歳を過ぎた。日本統治時代を知る台湾人も数少なくなった。酒井充子監督の映画「台湾アイデンティティーは、消えゆく台湾の日本語世代を愛惜を持って見つめている。台湾に今なお濃密な親日感情が残るのは、まさにこの世代が家族に「日本時代はよかった」と伝えてきたからに他ならない。



 だが、時の流れは怒濤のようだ。これ以上、両岸関係が緊密化すれば、台湾は中国に飲み込まれてしまうのではないかと危惧される。李登輝研究で有名な井尻秀憲・東外大教授によれば「あと10年で中共独裁体制が崩れたとき、台湾は中華連邦の一省に組み込まれるかも知れない」という。そうなれば、日本統治時代の記憶と親日感情はあとかたもなく消え去るのかも知れない。