澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾一周鉄道旅行 (4) 高雄・台湾糖業博物館

2013年12月26日 14時32分09秒 | 台湾
 12月14日(土)、台湾の友人Cご夫妻が、高雄郊外にある「台湾糖業博物館」(橋頭糖廠)ほかを案内してくださった。
 Cさんは私たちのためにわざわざ次のようなスケジュール表を作成!



 「台北ナビ」にはこの「湾糖業博物館」が詳しく解説されている。日本統治時代から台湾の主要産業となった製糖業の歴史を展示する博物館で、台湾精糖高雄工場の建物そのものが保存されているうえ、数々の展示物から製糖業が台湾近代化に果たした重要な役割を知ることができる。
 
 MRT、台鐵の「橋頭駅」を出ると、目の前に広大な製糖工場の敷地が拡がる。もちろん、現在は稼働していないのだが、往時の偉容が偲ばれる。

 台糖高雄工場の門の前で

 工場内から台鐵線へとつながる引き込み線の跡

 工場事務所として使われていた展示館とその内部

 ここに写っている胸像は、誰だか分かりますか? 「台北ナビ」を見ても、この人のことには全く触れられていないけれども、何とこの人は旧五千円札の肖像となっていた新渡戸稲造だった。ここで新渡戸稲造が「台湾精糖業の父」として紹介されていることを初めて知った。
 新渡戸稲造の胸像と彼の業績の説明

 何故、「台北ナビ」がこの新渡戸稲造のことを掲載しないのか? つまるところ、日本と台湾の強い歴史的絆について触れると、「中国はひとつ」「台湾は中国の一部」と主張する中国筋から嫌がらせを受け、商売上不都合が生じるということではないか。NHKが台湾(中華民國)のニュースを決して放送せず(中国中央テレビ、上海TVそして香港ABCのニュースは毎日流している)、台北の天気予報さえ採り上げないのも、この中国筋を恐れているからに他ならない。
 農学者である新渡戸稲造が、台湾の製糖業の父だという事実を何故伝えないのか?これも、「戦前の日本は悪かった」という偏向教育、自虐史観の所産ではなかろうか。

 新渡戸稲造に関する説明を見ればただちに了解することだが、台湾の博物館や歴史資料館では、事実は事実として認め、客観的に歴史を見つめようとする公平な視点が貫かれている。日本統治時代は、中共(中国共産党)が宣伝するような「暗黒の時代」では決してなく、どの社会でも経なければならなかった「近代化」に大いに寄与した時代でもあったのだ。


 台湾人であるCさんは、新渡戸稲造が旧五
千円札の肖像に描かれていたことはご存じなく、そのことを知って驚いていた。

 工場長であった鈴木藤三郎が建立した聖観音像とその説明書き 聖観音像には新しい花束と学業祈願のお札が添えられていた

 この糖業博物館には、戦争の記憶も残っている。台湾は1895ー1945年まで日本国だったのだから、太平洋戦争当時、台湾の製糖工場は米軍機の格好の爆撃目標となった。以前、NHKが「鶴瓶の家族で乾杯」の台湾編を台南で撮ったとき、台南の老人が「私は製糖工場に勤めていたんだよ。戦争で爆撃され工場も焼けた」と言っているのに、番組では誰が何のために、製糖工場を爆撃したのか、何も説明を加えなかった。台湾が五十年間「日本」に属していたこと、製糖業は台湾近代化のための基盤産業であったことなど、何一つ触れないのだから、若い視聴者は老人の言葉の意味が分かるはずもない。その老人がカメラを通して伝えたかったのは、日本への親近感と「台湾精糖に勤めていた」という誇りではなかったか。

 台湾精糖社宅と防空壕の跡 

 工場を見たあと、ご主人が有名な池上弁当とスープを買ってきてくださった。それを工場内の小学校の炎樹の下のテーブルでいただいた。
 パック旅行ではもちろん、単なる個人旅行では決して味わえない、素敵な体験をした。多謝!Cさんご夫妻。

 製糖工場敷地内の小学校の校庭で池上弁当のランチ