澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

猪瀬直樹 「公」なきエゴイスト

2013年12月01日 12時05分54秒 | 政治
 猪瀬直樹・東京都知事がついにその”馬脚”を表した。
 徳州会からの五千万円受領が明るみになってから、最初に臨んだ記者会見は、目はうつろ、しどろもどろの連続だった。生中継でノーカットの映像を見ると、この人の「攻めに強く守りには滅法弱い」性格が浮かび上がってくる。



 このとき連想したのが、福島原発事故当時、目もうつろ、恐怖に怯えた様子の菅直人首相(当時)の姿だった。



 猪瀬直樹(1946.11~)と菅直人(1946.10~)、同い年のこの二人には「全共闘活動家」という共通項がある。猪瀬直樹は松本にある信州大学人文学部全共闘の委員長、菅直人は東工大全共闘の活動家で、ともに既成の組織には属さず、文筆家と弁理士という「一匹狼」の道を歩んだ。
 「週刊新潮」最新号によれば、猪瀬直樹は「医学部を落ちて信州大学に行った」とかで、友人も少なかった。全共闘委員長に担がれたのは、人望があったからではなく、弁が立ったからだという。本人は短躯と猪八戒に似た容貌という身体的コンプレックスが強く、5cmのシークレットブーツを履き、上瞼を整形したうえ、眉墨を入れていたという。

 菅直人は、「市民政治家」を自称して、市川房枝に取り入り、バルカン政治家の本領を発揮して、首相の座まで登り詰めた。

 この二人に共通するのは、①「我欲」だけのエゴイスト、②権威や組織に対するコンプレックスと怨念、③ドメスティックな視野狭窄といったところだろうか。

 ①については、今回の五千万円受領事件や菅直人の北朝鮮系在日外国人からの献金問題が象徴的。②は、官僚組織に対する憎悪であり、言い換えれば東京大学に対するコンプレックスとも解される。③については、彼らが高校生になった1960年、そのときの世界地図を開けば、アフリカのほとんどは西洋列強の植民地と書かれていたはずだ。日本はようやく「敗戦国」のくびきから逃れ、経済的繁栄の道を歩む直前だった。こんな時代に育ったのだから、国際的視野など持ちうるはずもなかった。菅が首相になって、国際舞台に登場したときのあのオドオドとした表情は、まさに全共闘世代を象徴していた。

 孔子の子孫だと自称する中国人・孔健は、「現在の中共指導部は、紅衛兵上がり。日本人政治家は敵わない」と何かの雑誌に書いている。実のところ、日本の全共闘活動家が模倣したのは、この中国の紅衛兵だった。「造反有理」(無法行為にも道理がある)という紅衛兵のスローガンは、例えば東工大全共闘が教授達をつるし上げるときに使った言葉だったのだ。だが、全共闘のつるし上げは、小競り合い程度の暴力だった。一方、紅衛兵は中国全土で「革命のため」と称して自国民・同胞を何百万人も虐殺したのだから、確かに日本の全共闘上がりが敵う相手ではないのかも知れない。

 学園紛争で東大入試が中止になったりする中で、「よくて課長、先の見えた人生」と言われた全共闘世代だが、今や高齢者に属する世代になって、残り輝くのは猪瀬や菅のような人物だけになってしまった。それはそうだろう、世に異議申し立てばかりして、協調性も欠如して 我欲だけ、致命的なのは「公」の精神が全くない…こういう世代なのだから。