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澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ブット元首相の死

2007年12月28日 00時47分35秒 | Weblog

ブット元首相が凶弾に倒れた。
長い亡命の後、祖国に帰って政治活動を再開したばかりだったが、テロリストによる攻撃が危惧されていた。
パキスタンはイスラム国家。イスラム社会で女性が首相まで登り詰めた例は、ブット氏だけである。彼女の経歴を紹介すると、次のとおり。

 ブット氏は1953年6月21日、アリ・ブット初代首相の長女としてカラチで生まれた。69~77年に米ハーバード大と英オックスフォード大に留学。77年の軍部のクーデターで自宅に軟禁され、その後、英国へ亡命。86年に帰国し反政府運動を展開した。88年11月、ハク大統領の死亡に伴う民政復帰選挙でブット氏率いるパキスタン人民党が勝利。同年12月に35歳でイスラム教国家初の首相に就任した。

 90年8月、当時のカーン大統領に首相を解任された。93年に一時首相に復帰したが、96年に再び解任された。99年には汚職などで禁固刑の判決を受けたが、服役を拒否して出国。今年10月18日、8年半ぶりに帰国していた。

テロの背景についてはまだ分からないようだが、ブット氏が生命をかけて民衆の中に入っていく最後の姿は印象的だった。
イスラム国家の後進性、野蛮さなどをあげつらう気持ちにはとてもなれない。現地には、日本で念仏のように唱えられている「平和」や「人権」という言葉を超えた壮絶な何かがあるのだろうから。