われわれ日本人にとっては、旧・台湾総督府(総統府)、台北帝国大学医学部病院(台湾大学病院)をはじめとする日本時代の建築物を訪ねることで、身近に歴史を感じることができる。














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NHK教育TVで「日本と朝鮮半島2000年」というシリーズ番組が続いている。「プロジェクトJapan」という企画のひとつだそうで、あの「アジアの”一等国”」もこの企画のひとつだった。周知のとおり、「アジアの”一等国”」は日本の台湾統治を採り上げたが、その偏向ぶりが問題となり、視聴者による訴訟問題にまで発展している。
「日本と朝鮮半島2000年」については、教育TVで放送されているためか、その内容が話題になることは少ないようだ。だが、私が見たところでは、「アジアの”一等国”」と同様な偏向、歪んだ歴史観が見え隠れする。
前々回の放送では、いつものおどろおどろしいタイトルバックに「東アジア国際戦争」という文字が踊り、メインタイトルである「豊臣秀吉の朝鮮侵略」が現れる。「アジアの”一等国”」においても、NHKは、学界の通説にはなっていない「日台戦争」という言葉を使用して、日本の台湾統治の非道さを強調した。この「日本と朝鮮の2000年」でも、「東アジア国際戦争」という造語を使用しているのだが、どう考えても異様ではないか?
まず、豊臣秀吉の時代は、近代国民国家間の戦争ではないにもかかわらず、あたかも「太平洋戦争」「朝鮮戦争」と同様の戦争であるかのように、戦争の概念を拡散させ、ごまかしている。この造語の後に「豊臣秀吉の朝鮮侵略」というメイン・タイトルが来るのだから、何も知らない視聴者に「日本は朝鮮に悪いことばかりしてきた」「これからは仲良くしなければいけないんだ」と思わせる意図が透けて見える。
「豊臣秀吉の朝鮮侵略」は、かつて「朝鮮出兵」と呼ばれていた史実だが、いつから「朝鮮侵略」となったのだろうか? 教科書裁判をもじって言えば、「朝鮮出兵」が不適当なら「朝鮮進駐」「朝鮮進出」では何故だめなのだろうか。
NHKの論法に従えば、「元寇」は「中国の日本侵略」と言うべきではないのか?
この番組に出演していた大桃美代子が、自分のブログにこの番組のことを書いている。
http://yaplog.jp/o-momo/archive/1246
彼女によれば、歴史にはいろいろな見方があるので、いろいろ知り考えていきたい…こういうような当たり障りの無いことを書いている。だがそもそも、「東アジア国際戦争」「豊臣秀吉の朝鮮侵略」という用語自体が、歴史学の常識から見て不公平な表現であり、自虐史観に呪縛されたものなのだ。
近隣諸国の現在の歴史観に擦り寄り、「仲良くすれば平和が続く」と説教する番組。これがNHKの「日本と朝鮮の2000年」ではないのか? もし、現在の中共(中国共産党)政権に代わって、中国に民主的政権が誕生し、現在の「反日史観」「反日教育」を引っ込めたら、NHKはどうこれに対応するのか。これは、決して架空の話ではない。台湾では、およそ20年前、李登輝氏の民主政権が誕生して、それまでの中国国民党中心の歴史教育が改められ、「認識台湾」という教科書を使って、台湾の歴史を教え始めた。その結果、日本統治時代が決して暗黒の時代などではなく、近代化の礎となった時代であることが、台湾人の若者に伝わった。これが台湾では老若男女を問わず「親日的」であると言われる理由のひとつなのだ。要するに、歴史認識は相手国の事情によっても変わり、世代の移り変わりによっても変化するのである。
数週間前のNHK「金曜バラエティ」では、中孝介が「海角七号」で歌った「野バラ」(シューベルト作曲)を歌ったが、NHKのアナウンサーは、台湾映画「海角七号」の話題には全く触れなかった。「台湾は中国の一部である」という放送内規があり、中国の気に障る情報は一切流さないと決めているとしか、私には思えなかった。
こんなNHKが、仰々しく歴史観を説く番組など作るべきではないのだ。視聴者に誤った歴史観を植え付ける作業を進めているNHK職員とは、いったいどんな連中なのだろうか。聞くところではNHKには政治がらみの職員採用が多く、その一部は在日朝鮮人枠だという。道理で、姜尚中が本職を放り出して、NHKで美術館のアルバイトをするのかよく分かった。
今日は、天皇陛下の76歳のお誕生日。
産経新聞ニュースによると、天皇誕生日の一般参賀に過去最高の人手があったそうだ。
23日行われた天皇誕生日一般参賀には、午前中だけで平成で過去最高となる2万3928人が訪れた。 宮内庁によると、平成に入ってからの天皇誕生日の最高参賀者数は、昨年の2万2655人だった。午後からは宮殿で、鳩山由紀夫首相を含む国会議員らが出席する宴会の儀が開かれる。
小沢一郎・民主党幹事長が、習近平・中国国家副主席の来日に当たって、”1ヶ月ルール”を無視して天皇陛下の接見を要求したことが問題になっている。小沢は張り付きの記者対して「君は憲法を読んだことがあるか?天皇の国事行為は、内閣の助言によって行われる。内閣が決めるのだから問題はない」「(宮内庁長官の意見に対して)何とかという役人は、辞めてから発言しろ」と放言した。
最近、我が国の右翼、左翼はどうなっているのかよく分からないが、昔だったら、この小沢発言には右翼陣営が激怒したはずだ。まるで、「平和憲法」を宗教とする旧・日本社会党(現・社民党)のような発言だったからだ。小沢がこれだけ無神経に天皇制や官僚制度に対して暴言を吐くのを聞いて、民主党とはいったい何なのだろうかと思った人も多いはずだ。
台湾独立運動を主宰する林建良氏(医師・日本在住)は、日本が明治維新に成功し、欧米列強の植民地化を免れたのは、天皇制という日本人の”核”があったからだと指摘する。台湾には、台湾を”国”とならしめる”核”がなかったから、独立できなかったのだと…。
小沢の天皇観は、意外にも社民党並みの薄っぺらなものだった。議会で多数をとれば、すべての権力はこちらのものだという浅薄な発想は、天皇の歴史的位置づけ、権威というものに思い至ることはないのだろうか。
三島由紀夫が「私利私欲が渦巻く東京の中に、皇居が静寂の空間としてあることに意義がある」旨語ったことがある。
かつて天皇制には懐疑的だった私だが、小沢一郎の妄言を聞いて、目が覚める思いがする。”世襲議員”ばかりの麻生太郎自民党には愛想が尽きたので、自民党にも全く期待しないが、民主党がこれほどまでに自分たちの国を甘く軽く見ているとは思わなかった。ポピュリズムここに極まれり…という印象だ。
テレビ朝日系列「報道ステーション」で奇妙な映像を見た。114年前の朝鮮王朝・閔妃(ビンピ)を殺害した当事者の子孫が、韓国に謝罪に行くというドキュメントだ。
(台湾映画「一八九五 乙未」)
たまたま、台湾で同じ年に起きた抗日闘争を描いたのが、上記の台湾映画「一八九五 乙未」だ。このDVDは未見だが、日本人の立場にも理解を示し、極めて客観的に史実を描いていると評価されている。
一方、閔妃殺害に関しては、犯人の子孫であるという八七歳の老人医師が、和解を求めて韓国へ謝罪の旅に出る。しかしながら、閔妃の子孫とされる韓国人は、日本人の老医師に土下座して謝罪を求める。周囲には、謝罪に来た日本人が土下座する映像を撮ろうとする韓国のマスコミ陣が取り囲む。
これはいったい何なのか? 「南京大虐殺」が問題になったときも同じような光景を見た記憶がある。その昔、サヨクの日本人は中国にでかけ、「日本帝国主義」の犯罪を糾弾し、中国人民との連帯をうたった。当時の中国側は、加害者は「日本帝国主義」であり、「日本人民」はその被害者だという理解だった。
ところが、今や「南京大虐殺」は、残虐な日本人の戦争犯罪だということになっている。「民族の犯罪」という訳だ。
歴史認識というものは、先方の都合でかくもころりと変わる代物なのだ。
もちろん、日本が企てたという暗殺の陰謀は、決して肯定できるものではない。老医師の気持ちも分からぬではない。
だが何故、総選挙間近のこの時期、こういうタイミングで、このニュースが流されるのか。テレビ朝日の本音がどこにあるのか考える必要があるだろう。はっきり言えば、外国人参政権を認めようとする民主党をバックアップするためではないか。日本はこんなに悪いことをしたのだから、参政権くらいあげてもいいじゃないか…というキャンペーンなのか?
一方的な懺悔など、日本人同士でもなかなか理解されないのに、文化が異なる韓国人に果たして通じるのだろうか。これが素朴な疑問だ。
【番組の概要】
1895年に起きた閔妃(日本での呼称:びんぴ)殺害事件の全ぼうや、実行犯たちの子孫が110年ぶりに韓国を訪れ謝罪する場面を盛り込んだ特集が、24日夜10時からのテレビ朝日のニュース番組で放送される。 日本の地上波テレビ局のニュース番組のうち、最も高い視聴率(20%)を誇るテレビ朝日の『報道ステーション』は24日、明成皇后殺害事件に関する14分間の特集を放送する。今回の特集は、韓国を代表するドキュメンタリー演出家であり、韓中日3国放送プロデューサー・フォーラムの常任組織委員長を務めるチョン・スウン監督が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基にしている。テレビ朝日の関係者は「日本人があまりよく知らない歴史的事実という観点から、特集番組を放送することを決めた」と説明している。 明成皇后殺害事件は、日本ではほとんど知られていない「恥ずべき歴史」だ。チョン監督のドキュメンタリーは、朝鮮駐在の日本公使だった三浦梧楼が、48人の刺客を動員し、景福宮に乱入して明成皇后を暗殺したという歴史的事実のみならず、実行犯の一人である国友重章の孫に当たる河野龍巳さん(88)、家入嘉吉の孫の嫁に当たる家入恵子さん(76)などが初めて韓国を訪れ謝罪したことにも触れている。 テレビ朝日のニュース番組は05年以降、毎年韓国を訪れ、しょく罪を続ける子孫たちの姿を取材している。
「産経新聞」に平川祐弘氏が「歴史の真実を見分ける”眼識”」という一文を寄せている。
私がYouTubeに載せた「米国から見た日本の台湾統治」(http://www.youtube.com/watch?v=YG9HvrgwmaM)には、さまざまなコメントが書き込まれているが、その中には「日本の台湾統治は正しかった」「台湾は植民地などではなかった」等々、単純化された、極端な意見が数多く見られる。
私は「知られざる台湾」という約5時間のTV番組の中から、日本を肯定的に描き出している部分(約7分間)を取り出してYouTubeにUPした。だが実は、当該番組の中には日本に対して批判的な内容もある。たとえば「金瓜石」の特集では、シンガポールで捕虜になった英国人兵士を、日本軍が金瓜石の鉱山で酷使・虐待したというエピソードが長々と語られ、とても「親日的」とは言い難い番組づくりとなっている。
私がそれを意図的に取り出せば、「反日的な番組映像」と批判されるのだろうか?という疑問も生じる。
私は、NHK「アジアの”一等国”」があまりにひどい番組であったと感じたので、それに対抗する意味で、あの映像をUPした。そこには「NHKへの反論」という主観的な意図がある。その主観に基づいて、映像を取捨選択したというわけだ。
要するに、歴史認識などというものは、かくも主観的であるということ。「正しい歴史」など存在するはずがないということだ。
平川氏の論文は、そのことをはっきりと教えてくれる。NHKが意図的にぶちこわそうとした、「親日的な台湾」というイメージもまた、普遍的な認識などではないことも…・。
【正論】比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 2009.7.27 02:53 このニュースのトピックス:正論
■歴史の真実を見分ける「眼識」
≪孫子の教えで相手知る≫
私は華人の学生は留学生や大陸だけでなくシンガポールや台湾でも教えた。日本とシナといおうか我国と漢民族の関係も様々な視角から眺めると、日本の大新聞の社説で正解と目されているのとは違った歴史も見えてくる。私は共通1次試験の正解程度の歴史解釈は信用しない比較研究者だ。複数の言葉を習い、複眼で眺めようとしてきた。日本至上主義も取らないがさりとて研究対象国にのめりこむチャイナ・スクールのような中国一辺倒も取らない。孫子が教えるように相手を知り己を知ることが大切だ。
そう考える私は1985年、台湾へ出かけた。まだ貧しくて大学生協のチョコレートの不味(まず)さに驚いた。台北で日本語を教えていた大学は当時は僅(わず)か四つで台湾人創設の私立だった。蒋介石軍は日本が創(つく)った国立学校を掌握した。旧宗主国の影響を排除したい。国立には日本語系はない。実は私も表向きは東方語名義で教えた。共通1次の成績で学生は私大入学も割当てられる。教室へ出て初めて東方語が日本語と知った者もいた。
≪文明開化と植民地化≫
しかし1988年李登輝が総統となるや雰囲気が一変した。それまで御法度(ごはっと)だった政治の話も自由となり映画『悲情城市』が公開された。1947年2月28日の大陸渡来の中国軍による台湾エリートの虐殺が取り上げられたのである。日本警察に取って代わった国民党支配を台湾人は「犬去って豚来たる」といった。国民党は台湾支配の最初の500日間に50年間の日本統治よりも多い台湾人を処刑した。そんなであってみれば台湾人が日本帝国支配の方がまだましと感じたとしても不思議はない。新聞も変わる。本省人の『自由時報』の投書欄が賑(にぎ)わう。逮捕の怖れがなくなれば人間次々と話し出す。日本の先人の努力が台湾でどのように評価されているか私にも聞えてくる。
私は職業柄日本語教育の歴史に関心がある。日本が台湾で教え始めたのは日清戦争直後、台北士林近くの芝山巌に伊澤修二が学堂を開いた。治安が悪い。1896年教員六名全員が惨殺された。土匪の仕業だろうが、国民党政府は1958年その仕業を義民の義挙とし芝山巌事件碑を建てた。そればかりか六氏の墓を壊し学務官僚遭難碑を倒した。私が見に行った時はベンチの下にその伊藤博文筆の碑が転がっていた。植民地支配を悪と断罪する側に立てば当然の報いを受けたということになるのだろうか。だが土地の人の日本人教師に対する気持は違う。士林小学校の卒業生が遭難百年に際し倒された墓も碑もきちんと建て直してくれた。2000年私は芝山巌に登りその様変わりを目撃し、感動した。
国民党独裁の頃でも戦前の日本を知る台湾人学者の間では河合栄治郎や矢内原忠雄の評判は良かった。矢内原『帝国主義下の台湾』は植民地支配弾劾の書物ではない。事実に密着した明晰(めいせき)な分析で、台湾人教授が大学でこの台湾論を教科書に授業していた。第二次大戦まで西洋では植民地化はキリスト教化・文明開化とほぼ同義と見られていた。日本も台湾植民地化を文明開化の事業として構想した。ただし宗教を広めて死後の命を救う代わりに衛生を広めて人の命を救おうとした。後藤新平のその植民地経営は今も台湾人に高く評価されている。大陸と異なり、台湾の地下鉄や新幹線のトイレが清潔なのも日本の遺産といえないこともない。ただ私は日本が衛生を重んじたのは、皆意識しないが、日本人の広義の宗教心の現れで、清らかさを尊ぶ神道の心が衛生を尊ぶ思想の背後にあるからだと考える。
≪西洋支配は肯定する偏り≫
教育、生活、経済面で善政を布(し)いたとしても、植民地化は植民者という一級市民と被植民者という二級市民を生み出すがゆえに悪である。しかしそうと認めない国もある。チベット支配を続ける中国は王道楽土を建設中と言い張る。サッチャー英国首相は1988年「西洋人が世界の多くの土地を植民地化したのはすばらしい勇気と才覚の物語でした」と肯定した。コータッツィ元駐日大使も「白人の責務」という発想を支持した。世間には西洋の植民地支配は肯定するが日本のそれは非難する者がいる。偏した見方だ。ライシャワーは歴史教科書『東アジア-近代の変革』で台湾統治を否定的に記述した。そんな歴史教育を受けた世代の米国人は現地で「台湾人は日本が大好きだぜ」と驚く。
問題は日本が台湾統治に成功したことだ。実はそれが朝鮮における失敗となった。化外(けがい)の地の台湾と違って、朝鮮は一つの文明の国である。その朝鮮全体を奪うことは朝鮮民族の誇りをも奪うことになったからである。歴史の真実はそんな相違を見分ける眼識(がんしき)にある。日本植民地支配は悪という「始めに結論ありき」のイデオロギー的史観に合うよう材料を恣意(しい)的に並べただけのNHKテレビ番組は安直な制作で史実を歪(ゆが)めた。受信料を払うに値しない。
(ひらかわ すけひろ)
youtubeで興味深い映像を見つけた。
5年前、靖国神社で行われた追悼式典の映像で、金美齢氏が何故、靖国神社に参拝するのかを語っている。
http://www.youtube.com/watch?v=ALfu0RWGG84&feature=related (youtube映像)
終戦時、11歳だった金氏は、そのときまで「日本人」であり、日本の勝利を疑わない「軍国少女」だった。台湾にいた「兵隊さん」は、いつも金少女にやさしくしてくれ、台湾人を守ってくれた。「靖国で会おう」と言い残し、国のために散っていった彼らを、そのとおり靖国に奉るのは当然のことであり、それにとやかく言う日本人は「恥知らず」である。これに反対する外国人には「not your business!」(あなたの知ったことか!)と言えばいい、と喝破する。
私個人としては、学徒出陣を経験した親族が戦後二度と靖国神社に行かなかったことや、恩師である相沢久先生の著作(「現代国家における宗教と政治」)に親しんだ経験から、靖国問題については、いろいろな想いが交差する。だが、それらはこの金氏の発言の前にはかすんでしまうかのようだ。
会場からは、英語で靖国反対を叫ぶ声が起きるが、これに対して金氏は「Americans, get out of Japan and Yasukuni!」と言い返す。
この当時、金氏は民進党・陳水扁総統の政策顧問だった。その後、陳水扁総統は選挙に敗れ、不正蓄財の疑いで投獄されて現在に至っている。陳水扁氏を破った馬英九総統(中国国民党)は、中台関係をさらに強化しようとしており、徴兵制度の廃止を掲げている。まさに台湾の政治的自立さえ危ない状況になっているのだ。
「台湾独立派」のリーダーとみなされていた金氏は、李登輝氏が登場する以前の台湾には入国さえできなかった。ようやく、李登輝総統になってから、長年の思いを祖国の人々に伝えられるようになったのだ。その意味で、金氏の靖国への思いは、普通の日本人よりも何倍、何十倍と重いに違いない。
台湾人が民主選挙で馬英九を選択したとき、金美齢氏は「不満の春にも花は咲く」※という一文を「産経新聞」に寄せた。議会制民主主義の選挙によって馬英九氏が選ばれた以上、これまでの努力は水泡に帰したかも知れないが、それはそれで仕方がない…と記されていた。
※ http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/d1188229980ca7c03f0d89162da34b95
あれから1年、民主化された台湾はどこに漂流していくのか?
今日は、1947年、台湾に逃れてきた中国国民党・蒋介石政権によって引き起こされた台湾人の大量惨殺事件「二 二八事件」の記念日。
中国寄りと批判されている馬英九総統(中国国民党)に対しては、追悼式典で激しい罵倒が浴びせられたと伝えられている。
台湾総統、罵声の中で追悼 2・28事件式典で 2月28日(土) 18時44分 【高雄(台湾南部)28日共同】
蒋介石の国民党政権が台湾全土で台湾人の抵抗運動を弾圧した「2・28事件」から62年目の28日、同党の馬英九総統は高雄で野党系団体主催の追悼式典に出席し、「あのような悲劇が二度と起こらないよう願う」と述べた。式典には馬政権の対中政策などに不満を持つ野党や台湾独立派が出席。「馬英九やめろ」などと罵声が飛び、総統の声はかき消され会場は一時騒然となった
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台湾二二八の真実―消えた父を探して 阮 美妹 まどか出版 このアイテムの詳細を見る |
今日からネパールが「王国」から「共和国」に移行するという。
【カトマンズ=永田和男】ネパール制憲議会は28日招集され、冒頭、新たな政体を連邦共和制と宣言して、正式に240年続いた王制に終止符を打つ。
王室に近い筋によると、ギャネンドラ国王(60)は宣言採択後、国民向けの声明を発表して所感を明らかにする。国王は宣言採択で一市民となり、ネパール国内に住むことを認められるものの、国有資産である王宮からの立ち退きを求められる。これまで王制廃止決定の場合の身の振り方について自身の考えを明らかにしておらず、ただちに王宮明け渡しに応じるか、憶測を呼んでいる。
一方、首都カトマンズでは、制憲議会会場となる国際会議場などで26日起きた爆弾騒ぎに続いて、27日も共和制を祝うコンサートの会場で爆弾が破裂する事件があり、少なくとも1人が負傷した。王制廃止に反対する勢力の関与が疑われており、市内では警官1万人以上が動員されて厳戒態勢を敷いている。
かつて東欧の最貧国といわれたアルバニアは、社会主義の崩壊に伴い、王政復古を試みたことがある。遙か昔に亡命していた王家の末裔をアルバニア国王に迎え入れて、混乱の極にある国内の求心力を高めようとしたのだ。
アルバニアを支配したエンベル・ホッジャという独裁者は、ミニ・スターリンと言うべき人物であった。相次ぐ粛正で敵対者を葬り、何十年も鎖国に近い国内体制を維持した結果、アルバニアは世界の最貧国の一つとなっていた。国土に鉄道はなく、首都チラナに続く交通網は、未舗装の道路に不定期なおんぼろバスというありさまだった。病院に薬はなく、国民には何の娯楽もなかった。「ヨーロッパの社会主義の灯台」と自ら豪語したアルバニア労働党(=共産党)だが、その首都チラナでは、夏の夜、車も通らない街路に人々が出て”散歩”するのが唯一の娯楽だったという。
何故こんなことを書くのかというと、ネパールが「共和国」になったからといって、何かが進歩したと思うのは誤りだということ。上述のアルバニアは、「社会主義革命」で「王政」を倒し、自称「ヨーロッパの社会主義の灯台」にまでなった、大層ご立派な国家だった。だが、社会主義崩壊後は、一気に王政復古まで戻ろうとしたのだ。社会主義→資本主義→王政という「歴史の逆発展段階」を一気にを歩もうとしたわけだ。
われわれは無意識のうちに「歴史は進歩する」という概念を植え付けられている。マルクス主義理論では、王政→ブルジョア共和制→社会主義へと歴史は”発展”するのだが、これはもはや時代遅れのイデオロギーとなった。社会主義の幻想は潰えたとしても、王政は歴史的に”遅れた”体制だという認識は、依然として一般的ではないか。だが、アルバニアの例を見ても分かるように、経済の発展も言論の自由も何もない自称「社会主義」国家では、王政よりもはるかに残虐な粛正、人権無視が横行していたのだ。
要するにネパールの「共和制」を手放しで喜んではならないということだ。井沢元彦氏の例にならえば、「共和制」という「言霊」を信じてはならないのだ。