goo blog サービス終了のお知らせ 

澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「戦争の悲しみ」(バオ・ニン著)を読む

2011年06月22日 17時09分16秒 | 

 6月11日「朝日新聞」に次のような記事が載った。

                                (「朝日新聞」 2011年6月11日)

 このベトナム人作家バオ・ニンは、1991年、ベトナム戦争を北ベトナム人兵士の側から描いた「戦争の悲しみ」(The Sorrow of War)で話題を呼んだ。1990年代、「ドイモイ」(刷新)政策によって文学・芸術の自由がかなり認められるようになってからのベトナム文学の代表的作品だ。
 先日、私もこの本を手にとって、ようやく読み通した。中国では、文化大革命後、「傷痕文学」というのが流行った。読む以前は、それに似たものかもしれないと想像していたが、予想はいい意味で裏切られた。
 
 (「戦争の悲しみ」メルクマール社 1997年)

 共産党一党独裁下での「雪解け」現象期に書かれたこの「戦争の悲しみ」だが、「党」の指導を超えて、戦争を描いたため、本国では発禁になった。
 ハノイ市民、人民軍兵士、女性、農民など、否応なく「民族の戦争」に巻き込まれた人々の姿が次々と描かれる。バオ・ニンが描くそれらの人々は、「党」が描くことを勧めるような模範的英雄ではなく、生々しい人間くささを放っている。性愛の描写でさえ、はっきりと出てくるので、「党」保守派から見れば、「聖戦」を汚されたような小説だったろう。

 竹内実氏(中国文学者)がエッセイの中で印象的な言葉を記している。「アジアにおける人間の生命の価値は、甚だしく軽い」と。
 ベトナム人にとって、あの戦争は「惨勝」だった。今でも重くのしかかるベトナム戦争の記憶をベトナムの側から描いた初めての本格的作品だ。 


伊豆見元・静岡県立大学教授は学歴詐称をしているのか?

2011年05月16日 12時38分47秒 | 

 最近、重村智計氏(早大教授・朝鮮政治)の著作を2冊読み返して、気になることがあった。

 「外交敗北~日朝首脳会談と日米同盟の真実」(講談社 2006年7月)においては、次のような記述が見られる。朝鮮問題の評論家について著者は、「その場限りのいいかげんな解説や発言」をする人物としてA教授を挙げている。

「(著者は)A教授がソウルの民間研究所に籍を置きながら、語学学校に通っていたことを知っている。ソウル特派員時代に、お世話をしたこともあった。残念ながら、延世大学の大学院には籍を置けなかった。延世大学の教授達によると、博士課程に在籍することもかなわなかったという。」(同書140ページ)

 これは、おそらく伊豆見元・静岡県立大学教授を指すのだろうと思われたが、まあ両センセイは仲が悪いんだなあとしか思わなかった。ところが、重村著「金正日の正体」(講談社現代新書 2008年8月)では、このことがよりはっきりと書かれている。

「NHKにしばしば出演するS大教授は、経歴詐称を疑われている。”延世大学大学院博士課程修了”の経歴を、長年にわたり新聞や雑誌で使っていた。私の友人の延世大学教授が”調べたら、大学院の学籍簿にまったく名前がない。在籍を、記憶している教員もいない。経歴詐称ではないか”と、聞いてきた。」(同書226ページ)

 これでこの教授とは、伊豆見元氏を指すのだということが明らかになった。朝鮮政治の専門家は数えるほどしかいない、言い換えれば朝鮮政治を専攻してもなかなかポストは得られないから、よほどの動機がない人はその道に進まないのだ。
 静岡県立大学の公式データで伊豆見氏の学歴は次のように表記されている。

学歴
1974年 中央大学法学部政治学科卒業
1977年 上智大学大学院外国語学研究科国際関係論専攻博士課程前期修了
学位
国際学修士(上智大学・1977年


 この「国際学修士」の論文は、朝鮮戦争を取り扱ったもので、以前の上智大学HPには氏名及び論文タイトルが明示されていたので、事実である。上智大学には今も昔も、朝鮮半島の研究者は皆無だが、このとき論文指導をしたのは朝日新聞出身の前田寿という人ではなかったか。静岡県立大学へ届けられた最終学歴は、上智大学大学院修士課程となっているので、少なくとも現時点で職務上の虚偽記載は見られない。
 だが、重村氏が問題とするのは、それ以降の経歴、学歴である。Wikipedeiaを引用すると次のようになる。

   1969年3月 - 東京都立広尾高等学校卒業
   
1973年4月 - 東京外国語大学外国語学部 教務補佐員(-1979年3月)
   
1974年3月 - 中央大学法学部卒業
   
1977年3月 - 上智大学大学院 国際関係論専攻博士課程前期(修士)修了
   
1979年4月 - 財団法人平和・安全保障研究所研究員(-1986年5月)
   
1981年2月 - 韓国延世大学校韓国語学堂修了
   
1982年2月 - 韓国延世大学校政治学大学院研究課程修了
   
1986年6月 - 財団法人平和・安全保障研究所 主任研究員(-1987年3月)
   
1987年4月 - 静岡県立大学国際関係学部 助教授(-1995年3月)
   
1991年9月 - ハーバード大学国際問題センター 客員研究員(-1992年8月)
   
1992年9月 - 英国ニューカッスル大学東アジア研究センター 客員研究員
   
1995年 2月 - 米国平和研究所 客員研究員
        4月 - 静岡県立大学国際関係学部 教授(-現在)

 こう見ると確かに、伊豆見という人はしたたかに学歴アップを図ってきた人物だということが分かる。だがもし、重村氏が指摘する部分、つまり1982年2月 - 韓国延世大学校政治学大学院研究課程修了が虚偽記載であると疑われているのなら伊豆見氏はこれに対して反論すべきだろう。何なら、名誉毀損で訴えるべきではないか?

 TVで伊豆見氏を見る限りでは、単位や学生の勉学姿勢に厳しそうなセンセイのように思われる。傲岸不遜という印象だ。私の経験では、そういう人に限って、何かコンプレックスを持った人が多かった。学歴がないというコンプレックスも含めて。

 朝鮮政治の専門家など、小此木政夫氏を筆頭に数えるほどしかいないのだから、その「業界」内でこういう批判があるのなら、はっきりと黒白をつけるべきだと思うのだが、いかがだろう? 伊豆見センセイ!

 

金正日の正体 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

 

 

 


「東アジア近現代通史」を読む

2011年01月21日 09時11分10秒 | 

 「岩波講座 東アジア近現代通史 第2巻 日露戦争と日韓併合」「同 第3巻 世界戦争と改造」を読む。「読む」と言っても、論文集なので、興味があるテーマだけをつまみ食い。
 いま授業を聴講しているS教授(国際関係史)が執筆している関係で、この本が参考図書として紹介された。
 私たちは、その昔、各種の「岩波講座」をありがたがって読んだ世代だが、「日本歴史」「世界歴史」を今なお読む人がいるかどうかは疑わしい。というのは、1989年のソ連崩壊、すなわち「社会主義」神話の崩壊以前に書かれた岩波書店の歴史本は、ある種の進歩史観、社会主義イデオロギーに対するシンパシーが横溢していて、今読めば違和感を感じる内容が多いはずだ。

 この「東アジア近現代通史」(2010年)の編集委員を見ると、トップに和田春樹(東大名誉教授・ロシア史)の名前が書かれている。この人は、北朝鮮の政治体制を終始一貫擁護してきたことで知られている。元「赤旗」平壌特派員で、その後北朝鮮の独裁体制を批判し続けている萩原遼氏は、和田春樹が「東大教授」の権威を笠に、氏の著作に対して不当な中傷を繰り返したことを暴露している。岩波書店は、今なお和田春樹をこの講座本の責任者としているのだから、北朝鮮や中国に対しては一貫して甘く、日本に対しては厳しい「批判精神」を持っていることがうかがわれる。

 とは言いながらざっと目次を見る限りでは、昔読んだようなイデオロギー的主張満載の論文は見られない。「日露戦争と日韓併合」という和田春樹の論文を除いては…。
 
 最も興味深かったのは「チベットをめぐる国際関係と近代化の混迷」(平野聡 第三巻)だ。平野氏のこの論文は、2004年のサントリー学芸賞を受賞した「清帝国とチベット問題」(名古屋大学出版会)※のエッセンスだが、改めて指摘された問題の大きさを感じさせる。

※ http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0053.html

 清朝の最大版図はモンゴル、チベット、ウイグルに及んだが、その統治は西欧近代が作り出した「国民国家」とは全く異質な原理に基づいていた。それは、冊封制度、朝貢関係などと言われる、緩やかな統治形態だった。これを「前近代」の秩序だとすると、「…前近代の秩序が、十九世紀半ば以後の列強の角遂、そして近代的な諸観念の荒波にさらされたときに一体どのように変質したのか、といういうことになろう。この過程を通じて、満洲人を頂点とする多文化国家の版図は、最大多数を占める漢人を中心とする”中華民族”の”統一多民族国家””神聖なる領域”と読み替えられて今日に至っている」と平野氏は指摘する。
 「中国はひとつ」であり、それは「中華人民共和国」だという「信仰」が、実はわずかこの100年ほどの歴史の中で作られたフィクションであることがよく分かる。

 この平野氏の論文は、日本人が陥った自虐史観、中国人が居丈高に振りかざす「中華思想」、この両方に効く解毒剤だ。
 

日露戦争と韓国併合――19世紀末-1900年代 (岩波講座 東アジア近現代通史 第2巻)
クリエーター情報なし
岩波書店

漢文と中国語

2011年01月16日 18時04分31秒 | 

 「漢文法基礎 本当にわかる漢文入門」(加地伸行著 講談社学術文庫)を入手。
 この本は、かつて「Z会」で受験参考書として出ていたのだが、「名著」の誉れ高く、最近、講談社学術文庫に組み入れられた。当初、二畳庵主人というペンネームで書かれたこの本の著者は、実は中国哲学の研究者として名高い加地伸行氏である。

 漢文というと、今や時代遅れだと思う人がいると思うが、実はそうではない。中国近代史のS教授によると、東アジア世界の古典はすべて漢文で書かれているので、ベトナムから中国大陸、朝鮮半島、日本に至るまで、その歴史を知るためには、漢文の知識は不可欠だという。それは、ヨーロッパの古典語であるラテン語と双璧をなすという。例えば、ロシア文学を学ぶとして、その古典文学を突き詰めていくと、結局、ラテン語の知識がないと源流に到達できないと言う。同様の意味でベトナム史でも日本史でも、漢文の知識は欠かせないと言うわけだ。
 
 だが、日中国交回復(1972年)前後から、「中国語は外国語である」「漢文は中国語ではない」という政治的な意味を込めた主張が見られるようになった。例えば、倉石武四郎が編纂した「岩波中国語辞典」は、ローマ字配列で単語を並べ、「外国語」として中国語を学ぶことを強調した辞書だった。「漢和辞典」引きの中国語辞典と一線を画したとして、「高く」評価された辞書だったが、漢字文化を共有するメリットを完全に否定した、利用者に壮大な時間のムダ使いを強要するような辞書であったことは否めない。
 さらに、「中国語と近代日本」(安藤彦太郎著 岩波新書 1988年)などという噴飯ものの本も表れた。安藤は、外国語学習に相応しくない「思想性」「歴史認識」といった政治的概念を強調した。こんな調子である。

「日本は古来から中国文化圏に属していたため、明治以降も古典世界の中国語(=漢文)は重要であった。漢和辞典と中国語辞典が別々にあることに象徴される中国語の「二重構造」である。
 注意すべきことに、この「二重構造」は中国認識に対しても存在した。というのは、たとえば中国に旅行して、気にくわぬことに出会うと、やはりシナは、となるが、感心したものを見ると、それが新しい中国に特有な事象であっても、さすが伝統文化の国だ、といって旧い価値観で解釈してしまうのである。」

 この安藤は、早稲田大学教授(中国経済論)で、文化大革命礼賛者として有名だったが、文革終息後は、自らの言説を自己批判することもなく、中国語学習に名を借りて、「近代日本」を批判し、「日中学院」院長も勤めた。

 加地伸行氏のような碩学から見れば、多分、安藤彦太郎など私学の「藩札教授」に思えたことだろう。だが、安藤や岩波書店が唱えた、中国語と漢文は全く別物なのだという主張は、それなりの成果を上げた。大学入試において、漢文を受験科目として科す大学が次々と減少する一方、大学の選択外国語では、中国語受講者の数が、独仏語などを抑えて圧倒的な多数となった。大学で学ぶ中国語とは、現代中国人との会話を念頭に置いた、発音重視の学習に他ならず、漢文とは一切無関係である。
 
 現在、中国大陸の漢人に「漢文」を読ませても、その意味を理解できる人は少ないと言われる。その理由は、大陸中国が「簡体字」を採用しているからというだけではなく、そもそも中国語(漢語)会話と文字化された中国語(漢語)=漢文は、全く別物だったのだ。漢文で書かれた文書は、多民族、多言語の中国大陸を統治する手段として必要だった。事実、魯迅が白話文を提唱するまでは、中国大陸の知識層は、庶民(老百姓)が理解できない漢文を書いていた。

 漢字文化圏に属する日本人は、漢文を再評価すべきではないか、と思う。
 返り点を打って、漢文を読み下すことができれば、漢字の中国語音声など気にすることなく、読みたい文書を理解することができる。その速度は、他の外国語で読む速度よりずっと早く、容易だろう。その利点をわざわざ否定することはないわけだ。その意味で、この本は今でも大いに役立つはずだ。

 

漢文法基礎  本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)
二畳庵主人,加地 伸行
講談社

 

 


「この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将 根本博の奇跡」を読む

2011年01月13日 19時53分26秒 | 

 昨年、敗戦記念日の週に「台湾に消えた父の秘密」(フジテレビ系列)というドキュメンタリー番組が放送された。私は、たまたまこの番組を見たので、その感想をこのブログ※に書いた。

http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/5f13c0ccf35979998e16fd32a211c143

 この番組は、門田隆将著「この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社 2010年)に基づいて作られた。きょう、ようやくこの本を手にすることができた。

 テレビ番組を見ただけでは、台湾における本省人(台湾人)と外省人(中国国民党関係者)との関係が分からなかった。根本博は蒋介石との恩義で、金門、馬祖の戦役に赴いたのであって、台湾人の運命については、視野の外にあったような印象を受けた。だが、本を読むと、次のようにはっきりと書かれている。

「(金門・馬祖戦役への)日本人の関与とは、それほど国防部にとって、都合が悪かったのである。それは、蒋介石と共に台湾へやって来た人たち、いわゆる”外省人”たちと、もともと台湾に住み、日本の統治時代をすfごした”本省人”たちとの対立・反目を無視しては理解できないだろう。
……二二八事件は、外省人による本省人弾圧の最大の事件である。国民党、すなわち外省人が台湾を統治する根拠とは、共産軍を撃滅し、台湾を中国共産党から”守った”ことにほかならない。その最大の金門戦争の勝利が、もし”日本人の手を借りたもの”だったとしたら、どうだろうか。」(p.242)

 さらに、根本博を台湾に誘った李セイ(鉄扁に生)源が、旧台湾総督府人脈に繋がる台湾人であり、蒋介石の国民党に反対する人物であったことが明らかにされている。李は、「”国民党”を助けるのではなく、”台湾”を助けようとしたのではないか」と著者は推測する。

 確かに、金門・馬祖の戦役で国民党軍が中共軍に敗れていたなら、今の台湾はありえなかった。李登輝氏のような人も中共統治下では皆粛清されていたはずなので、現在の親日的な台湾も存在しなかったはずだ。こう考えると、根本博の存在はもっと注目されるべきだ。彼は、武士道精神、日本精神を持った、最後の日本人だったのかも知れない。 

この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~
門田 隆将
集英社

 

 


「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」を読む

2010年12月18日 22時05分12秒 | 
 大手古書店に寄ったら、たまたま500円以上の本は「本日に限り500円均一」だという。最近の私は、本を買わないことにしている。目が疲れるし、これ以上本を置く場所もないからだ。
 だが、たまたまどぎつい装丁の本が目に付いた。「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」(藤井厳喜著 総和社 2009年)という書物。「アジアの”一等国”」問題から見えてきたNHKの体質には疑問を持っているので、思わず買ってしまった。

 主な内容は…
プロローグ 私たちは今、戦場にいる
第一章 無制限戦争の時代
第二章 NHK番組捏造問題
第三章 米中共同統治と日本
第四章 NHKの体質
別章 アジアの無制限戦争、最前線
 台湾 ウイグル チベット

 いきなり「戦争」の概念を拡散して議論するやり方には感心できない。あなたが知らないうちに「戦争」は始まっているというのは、センセーショナルなアジテーションに過ぎないから。だが、こういう本を好む若者が多いのも事実だろう。太文字やアンダーラインが多用されていて、ネット上の記事をそのまま活字に移した感じだ。
 
 NHKの体質について記述している部分が、特に参考になる。放送免許の関係からNHK上層部は常にときの政治権力に擦り寄る体質を持っている。特に、田中角栄による日中国交回復以降は、「親中国」がNHKの局是となった、昨年4月に放送された「アジアの”一等国”」を見た人は、「親中国」どころではなく、「媚中」「反日」の番組だと感じた人も多かった。この番組を担当した濱崎憲一というディレクターについても詳しく書かれていて、いかに作為的な捏造が組織ぐるみで行われたかを知ることができる。濱崎にとっては、「アジアの”一等国”」が局内で名声、出世をかちとる手段だった。濱崎の出世欲とNHKの局是が奇妙に一致した「成果」が、この番組だったわけだ。こんな連中が「報道の自由」「未来を読み解く鍵は歴史の中にある」とかいうのだから、笑止千万、噴飯ものと言わなければならない。

 藤井厳喜という人の名前は、知人に教えてもらったことがある。経歴を見ると、どうやら「大学社会」の規格をはみ出していて、正規の大学教授のポストは得られなかった人のようだ。同じ政治学専攻でもK大学の卒業生は、そこそこの私立大学教授のポストを得ている。私の知り合いで「国際関係論 日本外交史」専攻の教授(某地方私立大学)になった人がいるが、この人は「恩師」に最後まで付いていく従順な人だった。だが、つまらない教科書ばかり書いていて、この著者のようなオモロイ本は書けなかった。
 
 日本の「大学社会」は、今でも「進歩的文化人」の牙城なのだろうか。否、我が身大事の保身を図る人ばかりなので、「問題」を起こす人を排除するだけなのかも知れない。この著者は、「南京大虐殺はなかった」「シナ人」と発言して、麗澤大学講師のポストを棒に振ったそうだ。
 「論争的」な人生も結構、だがお歳を考えると、疲れるだろうなあ、とも思った。
  
NHK捏造事件と無制限戦争の時代
藤井厳喜,ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ
総和社

 

 


「世界史のなかの満洲帝国と日本」(宮脇淳子著)を読む

2010年12月04日 23時29分34秒 | 

 いま大学で東アジアの国際関係史を聴講しているが、講義のなかで、教授が何度か「満州」について話された。満州という地域は、万里の長城の東側(関東)で満州族の住む領域だった。清朝は、満州族の王朝であったから、満州の地に漢族が入植することなど許していなかった。征服王朝であるが故に、清朝は、モンゴル、チベット、ウイグルなどの「夷荻」とは対等な関係を保持し、人口的には多数の漢族を屈服させていた。そのときの状態が、清朝の最大版図とよばれる広大な国土である。
 だが、清朝を打倒した中華民国は、漢民族が主体の「近代国民国家」を志向した。近代国民国家というのは、もちろん、国際関係では万国公法(国際法)を認め、国内的には欧米流に中央集権、軍隊、官僚機構、教育制度を整えるということだ。「中華」「ひとつの中国」という名のもと、満州、モンゴル、チベット、ウイグルなどは、無条件で中華民国に組み入れられた。
 
 戦後、満州史を研究するのも憚られる時期が長く続いた。「満州国」をでっちあげた日本帝国主義を糾弾するのなら許されるが、満州が漢族の住む華北とは別の地域(国と言ってもよい)であるという認識から研究をスタートすることは、許されなかったということだ。
中華人民共和国政府は、「満州国」を「偽満州国」と公称して、その一切の公文書を封印してしまった。それもこれも、「中共が中国を解放した」「中国はひとつ」という教条を人民に叩き込むためだった。

 最新刊の「世界史のなかの満洲帝国と日本」(宮脇淳子著)は、上述のような歴史的経緯を踏まえて、眼から鱗の歴史観を示してくれる、とても興味深い本だ。
 少し長くなるが、「はじめにーなぜ、いま満洲か」に著者の主張が明確に表出しているので、引用する。

「日本が大東亜戦争に敗れ、台湾や朝鮮半島や満洲や樺太や南洋諸島などの外地をすべて失って日本列島に引き揚げてから六十五年が過ぎた。日教組が主導した戦後の歴史教育では、日本列島の外に出ていった日本人は、たとえ本人にその自覚がなくても、”全員が悪いことをしたんだ”と教える。しかし、中国人や朝鮮人は全員いい人で正しいことをしたのに、日本人がしたことは全部悪かったなんて、ちょっと考えれば変だとわかりうそうなものではないか。ところが、日教組教育が浸透してしまった今では、若い日本人は、中国や韓国に日本が悪いことばかりしたと本気で思っている、このままだと、年を経るごとにますます嘘の歴史に書き換えられ、史実から遠ざかるばかりであることを憂慮して、本書を書いた。」

「日本人がしたことすべてが悪だったなどという善悪二元論は、歴史の名に値しない。歴史は、個人や国家の行動が、道徳的に正義だったか邪悪だったかを判断する場ではない。現代の国家にとって良かったか悪かったかを判断する場でもない。歴史に道徳的価値判断を介入させてはならない。歴史は法廷ではないのである。」

「中国は、最初の歴史書である司馬遷著『史記』以来、天命によって現王朝が天下を統治する正当の権利を得たことを証明するために『正史』を編纂してきた。だから、中華人民共和国が正統の国家であることを証明するためには、いま現在その国土である満洲に、かつて日本人が建てた満洲帝国があったことを認めるわけにはいかないし、台湾にある中華民国の存在を認めるわけにもいかないのである。

「私の考えを少しだけ言うと、もし日本に非があるとすれば、日本人が大陸の文化や歴史をあまりに知らなかったために対処を誤ったことだと思う。今では戦前よりもさらに中国や朝鮮を知らない日本人ばかりになったので、今後ますます対応の失敗が増えるだろうと思うと空恐ろしい。」(「はじめに」pp3-6)

 尖閣事件を思い出すだけで十分だろう。そう、著者の言うように、われわれは誤った歴史教育を受けてきたのだ…。

世界史のなかの満洲帝国と日本 (WAC BUNKO)
宮脇 淳子
ワック

 

【宮脇淳子】どう見る?混乱深まる尖閣事件以降の中国[桜H22/10/28]


「清末のキリスト教と国際関係」(佐藤公彦著)を読む

2010年12月03日 09時28分06秒 | 

 「清末のキリスト教と国際関係~太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ~」佐藤公彦著 汲古書院 2010年5月)がようやく手元に。近代中国史、とりわけ義和団研究の第一人者である佐藤公彦氏(東京外国語大学教授)が著した最新刊書だ。

 「あとがき」を見て驚いたが、佐藤教授の大学では、東大や一橋以上に厳格な業績評価システムがあって、一定期限内の論文執筆が義務づけられているようだ。部外者が勝手に思うことだが、こういうシステムには当然一長一短があり、専攻分野によっては大変な重荷になるかも知れないと思ってしまう。とりわけ、近現代史というような茫漠たる対象を研究する人には、厳しいだろうなあと思う。

 脱線してしまったが、本書の内容は、次のとおり。

第一章 近代中国におけるキリスト教布教と地域社会~その受容と太平天国~
第二章 1891年の熱河・金丹道反乱~移住社会の民衆宗教とモンゴル王公・カトリック教会~
第三章 1895年の福建・古田教案~斎教・日清戦争の影・ミッショナリー外交の転換~
第四章 1895年の四川・成都教案~→ミッショナリー問題と帝国主義外交~
第五章 ドイツ連邦文書館所蔵の義和団関係資料について
第六章 露清戦争~1900年満州、ロシアの軍事侵攻~
第七章 1901年のロシア人の義和団論~A・B・ルダコフの義和団研究~
第八章 義和団事件とその後の清朝体制の変動
第九章 近代中国のナショナリズムの変容と蒋介石~清末義和団から国民革命へ~
第十章 日本の義和団研究100年

 近代中国におけるキリスト教布教について、私には二つほど思い出がある。30年くらい前、故・増井経夫氏(東洋史学者)の話を聴いたことがある。増井氏は、戦前の北京で西洋人のカトリック神父がブツブツ呟きながら街をさまよい歩く姿を見かける。増井氏の記憶では、それはさらに時を遡る30年以上も前に中国に布教にきた若い神父と同一人物だったかも知れないという。詳細はよく覚えていないのだが、結論としては、中国という国、中国社会にキリスト教はなかなか受け入れない、私の布教もムダだった…という神父の慨嘆を伝えるエピソードだったように思う。もしかすると、このエピソードは、『中国的自由人の系譜』(増井経夫著 日新聞社朝日選書]に書かれているかも知れないが、今は手元にはない。
 それともうひとつ。私は、戦前の中国に26年間滞在し、「人民中国」(1949年~)の誕生によって、中国から追放されたカトリックのスペイン人神父(故人)に中国語を習ったことがある。それももう大昔の話になったが、受講生が3人だけだったので、いろいろ話を伺う機会はあった。よく覚えているのは、その神父(=大学教授)は、「毛沢東には2回会ったことがある」と話してくれたことだ。それがどういう状況だったのかは、当時も確かめる術はなかった。それは間違いなく、イエズス会の内部機密だったのだろう。

 本著者の佐藤教授は、近現代中国に関して、実体験を持つ知識人、宗教者あるいは庶民が次々とこの世を去り、かれらの体験が継承されず、その時代の歴史認識が次第にステレオタイプになっていくことを深く危惧されているようだ。とりわけ、満州の歴史が、単に日本帝国主義の侵略、「満州国」のでっちあげという側面だけ強調され、清朝の祖父の地、すなわち満州は満州人の地であり、漢人の領域ではなかったという自明の事実でさえ、忘れ去られようとしている。

 550ページに及ぶこの労作。「あとがき」には「本書はかなり広い歴史空間と多岐の問題を扱っており、日本史や宗教史などの研究者にも参考になろうが、多くの人に読んでいただくことなどは考えないことにし、極少数の篤学の方に読んでいただいて、少しばかりお役に立てば宜しいのではなかろうか、と思っている」と謙遜の言葉が書かれている。
 篤学でもなんでもない私だが、ぜひこの労作を読破したいと思っている。
 
   ↓↓ 下の書名をクリックすると、amazonによる本書の紹介が表示されます。

清末のキリスト教と国際関係―太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ (汲古叢書 90)
佐藤 公彦
汲古書院

 

 


国際関係論の授業を聴く

2010年11月25日 13時30分32秒 | 
 午前中、大学に聴講にでかける。きょうは「国際関係論」。いつも教授は、授業の最初で時事問題についてコメントする。、先々週、尖閣ビデオ流出事件に関して教授が「海保保安官は最初にマスメディアにビデオを流すよう持ちかけたが、マスメディア側は”一社ではできない”と拒否した」と話したことが、今朝の「CNNにビデオを郵送していた」という報道で裏付けられた。この保安官の行動をできるだけネガティブに描くよう、マスメディアは情報操作しているのではないかと思っていたから、やっぱりという思いだ。
 マスメディアは、自らに不都合なことは覆い隠すので、ここにいたってようやく事実の一端が漏れてきたようだ。

 今朝はもちろん「北朝鮮軍砲撃」事件の話。ヒマな私は、ずいぶんとマスメディア情報に接していたので、それほど耳新しいことはなかったが、学園祭疲れの若者には新鮮な情報源になっているようだ。
 教授がTV出演が多い朝鮮問題専門家について話した部分は、とても面白かった。朝鮮問題を専攻する学者は、確かに次の五人くらいが交互にTVや新聞に登場している。

平岩俊司(関西学院大学)、礒崎敦仁(慶應大学)、伊豆見元(静岡県立大学)、小此木政夫(慶應大学)、重村智計(早稲田大学)

 半島情勢をいつも「分からない」と結論づける学者として伊豆見元、的確な論評をする学者は礒崎敦仁だという内輪話。

 伊豆見元については、重村智計がその著書でボロクソに批判しているので、この二人が同席することはない。重村は「韓国の大学院に進むことも叶わなかった、能力のない研究者」として暗に伊豆見を指し示している。伊豆見は、他の学者からも「はったりだけの世渡り」と酷評されたりしている。小此木政夫は、実績のある重鎮というところか。

(「国際紛争 理論と歴史」J.S.ナイ Jr.)

 さて、肝心の授業は、「国際紛争 理論と歴史」(ジョセフ・ナイ著)に従って進められている。昔、私がこの分野を勉強したときはまともな教科書が川田「国際関係概論」しかなかったが、いまはこんないい教科書があるのかと思う。私はその昔、いまや関西の北朝鮮系の大学に所属する老学者M.K、大政治学者R.Mの子息であった故R.Mの授業を聴いたのだが、どちらもパンフレットのような内容でほとんど記憶に残っていない。でも、今からこの教科書をきちんと読めば、体系的な理解が出来るような気がする。
 
 私が最も期待しているのは、1月に3回に分けて行われる、「李登輝の実践哲学」という授業。これをぜひ聴きたいと思って、聴講を続けている。 
 
 帰り道に通った公園は、先週紅葉の見頃だったが、きょうはかなり落葉していた。 あっという間に1月が来そうだ。 

無私物の範囲~加藤徹「貝と羊の中国人」

2010年10月02日 20時46分20秒 | 

 先日、BSフジ「プライム・ミュース」に加藤徹・明治大学教授(中国文学)が出演し、尖閣事件に関連して、中国人の思考様式を話していた。

 興味深かったのは、次のエピソード。何故、中国が尖閣諸島の領有を主張するのか分かったような気がした。こういう中国人の国民性を知らないと、とんでもない話になるのではないか。そう、「無私物の範囲」というエピソードだ。

「筆者が中国で、中距離列車のセミコンパートメント(四人向かい合わせの座席)に座ったときのこと。窓のところの小さなテーブルの上に、駅の売店で買った雑誌を置いておいた。すると、向かい側の席にすわっていた見知らぬ婦人が、ついと手を伸ばし、その雑誌を手に取り、黙って読み始めた。筆者に「読んでいいですか」と一言たずねることもなく、著者の顔を一瞥すらしなかった。まるで、病院や理髪店の待合室(の雑誌を読むかのような態度だった。彼女は、小一時間ほど雑誌を読んだあと、それを黙って元の位置に戻した。雑誌を戻すときも、筆者の顔をちらりと見ることさえなかった。ただ、さすがに、この雑誌が自分のものではない、という意識はあるらしく、彼女は筆者の雑誌を勝手に持ち去ることはしなかった。」

近年の、東シナ海の日中中間線におけるガス田開発をめぐるニュースを見ると、ふと、列車の雑誌の体験を思い出す。こちらが黙っていれば、相手は当然のように、中間にある雑誌に手を伸ばしてくる。それが中国人のなわばり感覚である。」(p.63-65)

 「法匪」の仙石、外交音痴の菅首相には、ぜひ読んでもらいたい本だ。


 

貝と羊の中国人 (新潮新書)
加藤 徹
新潮社

このアイテムの詳細を見る

「中国はひとつ」というウソ~平野聡「大清帝国と中華の混迷」を読む

2010年07月28日 08時53分57秒 | 

 「大清帝国と中華の混迷」(平野聡著 講談社「興亡の世界史17」 2007年)を読む。いわゆる通史の本なので、読者はその叙述の根拠となる史料にいちいち当たってみるわけにはいかない。したがって、著者の専門領域や経歴を確認する必要がある。この著者は、東洋史(文学部)の出身ではなく、東大法学部で「アジア政治外交史」を講ずる政治学者だ。
 
 (平野聡「大清帝国と中華の混迷」)

 この本の特徴は、中国近代史を斬新な切り口で叙述していること。それは、次の目次を見ただけでも分かる。

序章 「東アジア」を疑う
第一章 華夷思想から明帝国へ
第二章 内陸アジアの帝国
第三章 盛世の闇
第四章 さまよえる儒学者と聖なる武力
第五章 円明園の黙示録
第六章 春帆楼への茨の道
終章 未完の清末新政

 著者は、政治学・政治思想史的な視角で、中国近代史を読み解く。類書の多くは、経済史的な実証やイデオロギー的な観点から書かれたことが多かったので、そのユニークさが際だつ。
 
 最も興味深かったのは、「中国はひとつ」というイデオロギーの起源が、この本を読むことでよく分かることだ。
 
(「清の領域主権」 p.299)

 
上記の「清の領域主権」には「乾隆帝の遺産であるチベット、モンゴルを含む版図を、近代国家の枠組みで認識しはじめた」と書かれている。これがまさに「中国はひとつ」というイデオロギーの起源なのだ。
 伝統的東アジア世界は、上の図で示されるような「華夷秩序」で保たれていた。明朝は漢民族の王朝であったので、満州、チベット、モンゴル、ウィグルは夷
狄(いてき)と位置づけられた。続く清王朝は、満州族による征服王朝だったので、狄である地域も王朝の版図に組み入れられた。ここに至って清朝は、中国史上最大の版図を持つ王朝となった。
 清朝を打倒して樹立された「中華民国」(1911~)は、当時の「中国分割」といわれる状況の中で、チベット、モンゴル、ウィグルの放棄を余儀なくされた。だが、清朝が残した史上最大の版図を、中国国民党、中国共産党は今もなお、中国の領土だと主張している。ここに問題がある。この清朝の版図は、伝統的な冊封制度に基づく緩やかな統治によって保たれていた。それは西欧が持ち込んだ「近代国民国家」とは、全く異なる原理の統治システムだった。ところが、中国国民党・共産党は、この事実を無視して
、冊封制度に基づく支配・版図=近代国民国家の支配・版図読み替えてしまった上記の「乾隆帝の遺産であるチベット、モンゴルを含む版図を、近代国家の枠組みで認識しはじめた」とはこのことを指している。

 
1947年、蒋介石の国民政府軍は、「二二八事件」で2万人も台湾人を虐殺した。1949年、国共内戦に勝利した中共直属の中国人民解放軍は、チベットを「武力解放」して、ダライ・ラマ政権を崩壊させた。これらの悲劇はどれも、「ひとつの中国」を標榜する漢民族の政治権力によって引き起こされた。
 今日、新彊ウィグル、チベット、台湾問題を考えるとき、上記のポイントは極めて重要だ。現在の近代国民国家が形成されて以来、新彊ウィグル、チベット、内モンゴル、台湾をひとつに包括した「中国」など一度もなかったという点だ。かつて故・衛藤瀋吉氏(東大名誉教授)は北京で「中国が歴史上ひとつであったことは一度もない」と語って、中国当局の激怒を買ったことがある。それは、歴史の核心をつく言葉であったからに他ならない。

 「中国はひとつ」というイデオロギーが、今や歴史の必然、錦の御旗であるかのようにまかり通っている。それは、何の根拠もないのだということをこの本は教えてくれる。
 

 

 

 

 


「日本・1945年の視点」(三輪公忠著)を読む

2010年07月19日 08時56分13秒 | 

 「日本・1945年の視点」(三輪公忠著 東大UP選書 1986年)を読む。この本は絶版になっているので、ネット通販で古書を購入した。

 (「日本・1945年の視点」三輪公忠著)※ http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB1945%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9-UP%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E4%B8%89%E8%BC%AA-%E5%85%AC%E5%BF%A0/dp/toc/413002051X

 この著者は、1929年生まれ、今年で81歳になる。旧制松本中学、旧制松本高校を経て、上智大学英文科に入り、そこを中退してジョージタウン大学に進学、1955年に卒業している。その後、上智大学で英語の講師を務め、1967年にプリンストン大学でPh.D(歴史学)を取得している。上智大学の内部では、カトリックの神父達のお眼鏡に適った典型的な”エリート”と言えるだろう。戦争の記憶が生々しく残る時代に、かつての軍国少年がカトリックの男子校(上智大学)に通い、さらに米国まで留学したのだから、当時としては稀少な体験をしたことになる。この世代の留学経験は、祖国が敗戦国であるという現実を思い知らされ、同時にアジア人に対する人種差別を体験して、かえって愛国心を持つ人が多かったようだ。この著者もその一人のようで、プリンストン大学では日本史を専攻して、英文で論文を発表している。「松岡洋右~その人と外交」(中公新書 1971年)は、一般的に知られている唯一の著作であるが、松岡洋右を採り上げること自体から、ある種の著者の思いが伝わってくるようだ。

 だが、この人の著作を通じて、触発されたり、感動したりしたことは一度もない。大昔、「地方主義を欠落させた日本近代」という論文を読んだとき、これは実証に基づく論文ではなく、かなり随筆に近い内容だと思ったことがある。この論文が入っている「思想の冒険」という本が「朝日」の読書欄で採り上げられたことがあるが、確かこの論文だけは「論旨が空回りしている」と指摘されていた。
 では何故、そんな著者の本をわざわざ取り寄せたのか。それは、来週、テストがあるというので、日本の戦争をテーマにした本を何冊も集めたからだ。私としては、加藤陽子(東大教授)の著作が最も気に入った。

 ところで、本書の目次は、次のようなものだ。
第1章 1945年の視点
 1 国家と戦争
 2 戦争目的の日本的設定
 3 新渡戸稲造と矢内原忠雄
 4 検閲制度下に自由を感じるとき
 5 追放図書の行方

第2章 戦争と国民国家の形成
第3章 大正の青年と明治神宮の森
第4章  アジア的新秩序の理念と現実
第5章 地域的普遍主義から地球的普遍主義へ
第6章 国家の連続性と戦争協力

 目次を見る限りでは、かなり食指を動かされるのだが、実際に読んでみると、失望また失望という連続だった。要するに、この著者は、まっとうに歴史を勉強をしていないという印象なのだ。日本の大学では英語を学び、米国の大学では日本史を学び、英文で論文を書く。この経験がうまく生かされれば、他の人にはできない学問的業績も残せたかも知れない。しかし、現実はどちらも中途半端という印象だ。国際関係史という当時では目新しい科目を教えていたはずだが、日本史の部分では、先行研究の引用が多く、自説の根拠とするものは、特定の思想家、学者などの「精神史的研究」と称するものに過ぎない。つまり、膨大な歴史資料と格闘するわけでもなく、新渡戸稲造などの論文の都合のよいところをつぎはぎして論文としていることが多い。米国人向けの英文論文ならそれでもOKとなるのだろうが、とても日本国内で通用する内容とは思えない。
 また、中国史の部分については、ほとんど知識がないのではないかと疑わせる部分も多い。具体的には、伝統的中国の冊封制度については、西嶋定生氏の言説をそのまま書き連ねているだけだ。それはいいとしても、「中国」と「清国」をごちゃごちゃに使用するという体たらくで、とても東洋史に造詣が深いなどとは思われない。

 こういう人が「母校出身者」を代表する教授だったという上智大学の学問水準の低さには今さらながら呆れるばかりだ。この人の後継者は、この本の「あとがき」に出てくる高橋久志(当時・防衛研修所)という人だが、この人もまた上智の英語科を出て、三輪を継ぎ「国際関係史」の教授になった。こういう凡庸な師弟関係、そのレベルは推して知るべしだろう。
 三輪公忠という人が、敵国であった米国に対する感情、心の奥に秘めた祖国への愛国心をもっと吐露すれば、少しはまともな歴史学者になれたのかも知れない。でも、そうすればカトリックの世界観への反抗と見なされて、神父達の反発を招き、「母校」の教授にはなれなかったはずだ。宗教系の大学にはよくあることだ。そういえば、往時の三輪教授は、キザなスーツを決めて、キザな発音の英語を話す、見かけ優先の「英語屋」という印象だった。いつだったか、「POTATO」の複数が「POTATOS」か「POTATOES」か分からなくなって、赤面していたこともあったが。

 昔話を思い出しただけで、この本は結局、試験の準備には何の役にも立たなかった…。この古書には、「90-5856 柳川純一」という名前が書き込まれていた。1990年に上智大学に入学した学生だろう。この人は、この本を読んでどう感じたのだろうか。  

 蛇足だが、この三輪公忠は、高齢であるにも関わらず、5月にエッセイ集を刊行した。「ハラキリと男根開示~男とは何か?男性性で読み解く日米の戦争と平和 (歴史から学ぶ)」※という何とも怪しげなタイトルの本で、しかも巨勢逆という奇怪なペンネームを使ってだ。キッチュの匂いが漂う異様な本だ。もしかしたら、この本の中に、これまで語られることのなかった、老カトリック留学生の”過去”が告解(告白)されているのかも知れない。それにしても、誰が買うのかこんな本。

 ※ http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1535-6.html

 (ハラキリと男根開示)

 


ある著者直筆入り本

2010年06月26日 20時55分00秒 | 

 多分、私以外の人にはどうでもいいことだけれど、「日記」だから書いてしまおう…。
 アマゾンのマーケットプレイスで注文していた本が届いた。衛藤瀋吉※「近代中国政治史研究」(東大出版会 1968年)だ。本の価格は1,100円、送料を含めても1,500円未満だが、学生時代の私にはこの本が高価(1,200円)で買えなかった。こうしてネット上で気楽に購入できるようになったのは嬉しい。
 ※ http://<WBR>ja.wiki<WBR>pedia.o<WBR>rg/wiki<WBR>/%E8%A1<WBR>%9E%E8%<WBR>97%A4%E<WBR>7%80%8B<WBR>%E5%90%<WBR>89



 ところで、この本には著者・衛藤瀋吉の自筆が書かれていた。「嘉治元郎様 著者」(上記写真)である。
 この嘉治元郎という人だが、有名な経済学者で、存命中の方であるようだ。西部邁の恩師でもあるらしい。
http://<WBR>ja.wiki<WBR>pedia.o<WBR>rg/wiki<WBR>/%E5%98<WBR>%89%E6%<WBR>B2%BB%E<WBR>5%85%83<WBR>%E9%83%<WBR>8E

 この本が刊行された当時、衛藤瀋吉と嘉治元郎両氏は、東大教養学部の同僚だった。衛藤瀋吉は政治史・国際関係論、嘉治元郎は経済学の教授だった。
 
 私がこの本を買ったのは、いまさらながら科目聴講生としてこの分野を学んでいるためだ。
 大昔、衛藤瀋吉氏の授業を聴いたこともあるので、著者のイメージははっきりと覚えている。そのため、遺された直筆を見ると、不思議な巡り合わせという感じがする。最近、ネット情報で知ったことだが、衛藤瀋吉氏は、東大紛争時、東大入試中止を首相に進言した一人だという。だとすると、思い出すだけでも、腹立たしい話だが…・。

 それにしても、嘉治元郎氏は、この本を古本屋に売ってしまって、よかったのだろうか。同僚から贈呈された著作を処分してしまったのだから、二人の関係はそれほど親密ではなかったと想像してしまう。
 まあ、私が買ったので、よかったのかな。


「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」(林景明著)を読む

2010年06月12日 20時27分30秒 | 

 「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」(林景明著 三省堂新書 1970年 現在絶版)を読む。

 
(「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」林景明著 三省堂新書 1970年)

 著者・林景明氏は、1929年生まれの台湾人、健在ならば81歳になる台湾の日本語世代だ。ネット上で調べてみても、林氏の最近の消息は見あたらない。台湾独立運動の闘士で、蒋介石の中国国民党独裁時代には、「白色テロ」※の対象とされた人だ。

※  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 1980年代末、李登輝総統が登場して、台湾が民主化されるまでは、台湾には言論の自由がなかった。日本のTV局が、台湾の国会で議員が乱闘しているのを面白おかしく報道しているが、台湾人が自由選挙で自らの代表者を選び、国政を議論するようになったのは、このわずか20年あまりだと考えるとき、受け狙いの映像ばかりを追いかける日本のマスメディアのバカさ加減に暗澹たる思いになる。

 その昔、私自身、この林景明氏の著作を知ってはいたが、読もうとはしなかった。それにはふたつ理由があった。まず、当時、私たちの観念には、二つの中国が存在した。「中華人民共和国」と「中華民国」だ。前者は「社会主義中国」「新中国」であり「毛沢東の中国」で「歴史の進歩」を具現化したかのような存在だった。後者は、「蒋介石の中国」であり「反動の旧中国」でもあった。いまから考えれば、何と単純な二元論。海外旅行も稀で、TVの衛星中継さえなかった時代だから、限られた情報の中で、それぞれの世界観を勝手に構築していた。構築と言うよりも、ある意味では「妄想」と呼ぶべきだったかも知れない。
 もうひとつは、関寛治という人(故人。当時、東京大学教授・国際政治学)から「台湾独立運動は米国CIAの陰謀である」という話を聞いたことがあり、それを半ば信じてしまったことだ。
 この関寛治は「進歩的文化人」のひとりで、中国・北朝鮮を支持してきたが、晩年、「主体思想」の考案者である黄書記が韓国に亡命したとき、ラジオのインタビューで嬉々として「黄書記と私は非常に親しく、私の娘が司法試験に受かったとき、黄氏からお祝いしてもらった仲だ」と語り、そのピントはずれの発言に驚愕した。こんな人の妄言を鵜呑みにしたのかと思うと、腹立たしい思いがした。

 こうした経緯があったので、私は、台湾と台湾人について、真剣に考えることは長らくなかった。そのきっかけとなったのは台湾映画「海角七号」との出会いと、それを見てから台湾に数週間滞在して、自分の目でこれまでの疑問を確かめた。なかでも「二二八紀念館」で蕭錦文(しょう きんぶん)さんとお会いしたのが、私が台湾に開眼する大きなきっかけとなった。
 関寛治の例で分かるように、私の世代は、政治的なイデオロギーでものごとを判断する世代だった。今から思えば、噴飯ものの「日中友好運動」「プロレタリア文革賛美論」がまかり通っていた時代でもあった。そういう時代環境では、「中華民国」に住む台湾人の苦悩に思い至ることはなかったのだ。

 林景明氏は次のように記す。
 「…”異国の丘”にこめられた日本人の、同胞愛にあふれる熱き涙が、なぜに同じく同胞と呼んでいた台湾人の上にはそそがれないのか、それどころか逆に台湾人の涙をしぼるような冷酷なことをなぜするのだろうか、と考えずにいられず、しかもソ連の日本人拘留は交戦国の捕虜と解されるが、日本政府の台湾人収容はいったいどう解釈すればいいのか。シベリヤ収容所の人たちには、どれほど苦しかろうと、帰るべき祖国がある。しかし私には国がない。あるのは外国の軍隊に占領された、しかも再びは帰れない土地があるだけだ。そして少年の私が一途に信じこんでいた祖国日本は、今現に私を監禁しているのだ。」(同書 p.183)

 蒋介石に占拠された台湾を、著者は「島獄」と呼んだ。さまざまな妨害工作を乗り越えて、日本に留学したものの、台湾独立運動を企てているとの容疑で国民党特務に追われる。「祖国日本は、…私を監禁」というのは、大村収容所に入れられた事実を指す。
 1970年代、著者を支援した日本人は、当時、「右翼」「保守派」と目された人達だった。著者が留学した拓殖大学の国際法の教授は、著者の救援に大きな役割を果たす。「岩波文化人」でも「進歩的文化人」でもない人が、台湾人の人権を守る活動に奔走していたという事実は、もっと語られるべきだろう。私たちの世界を見る眼を曇らせてきたのは、台湾人の思いを黙殺してきたのと同じ「進歩的文化人」だったのだから…。

 それにしても、著者である林景明氏は、その後どうなったのか。李登輝時代まで生き抜き、祖国・台湾に暖かく迎えられたのならば、私は何も言うことはない。私には、林氏と蕭錦文さんがどうしてもダブって見えてくる。

台湾独立建国聯盟日本本部50周年記念会2 柳文郷青年強制送還のNHK番組


 

 


一度も植民地になったことがない日本

2010年05月25日 02時43分54秒 | 

「一度も植民地になったことがない日本」(デュラン・れい子著)を読む。スウェーデン人と結婚し、欧州生活が30年になるという著者のエッセイ集だが、率直に言ってそれほど面白い本ではない。
しかし、この中にある「マスターズ・カントリーって何?」というエッセイに記されているエピソードには、いろいろと考えさせられた。

アムステルダムで版画の個展を開くことになった著者は、画廊で南米のスリナムから来たという掃除婦に会う。

「あなたの掃除が終わるまでには必ず終わらせますから、どうぞ仕事を始めて下さい」
彼女は褐色の顔をほころばせ、快くうなずいてくれた。気が付くと、彼女は画廊のソファに座って、私の作品を見ているではないか。もうやる仕事はないらしい。そして私と目が合うとニッコリして、こう聞いてきた。
「あなたは日本人ですか?あなたのようなアーティストは日本にたくさんいるのですか?」
「ええ、いますけれど」
何故彼女がソンなことを聞くのか気になった。すると彼女は哀しそうな目をして、ポツンとこう言ったのだった。
「スリナムからアムステルダムに来て、この画廊で働くまで、私はアーティストという職業があることを知りませんでした」
アーティストという職業を知らない人がいる!私は驚き、それから、このスリナムの女性に申し訳ない気持ちになって、言葉に詰まってしまった。
考えてみれば、アーティストは非常にリスキーな仕事だ。好きだからとはじめても、食べることが満たされる仕事ではないから、先進国の仕事と言ってしまえば確かにそうかも知れない。食べることが優先される国々では、芸術が職業として公認されていないのはよくわかる。………
…彼女は私にたずねてきた。
私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか?」
マスターズ・カントリー?私は何のことだか分からず、彼女の顔を見るしかなかった。すると、いぶかしげな私の視線に戸惑ったらしい彼女。
「あ、ごめんなさい。”どこですか”ではなくて”どこだったのですか”と聞くべきでしたね」
まず驚いたのは、マスターズ・カントリー(ご主人様の国)という言葉。彼女は日本がヨーロッパかアメリカの植民地になっていて、マスターズ・カントリーを持っていると思っているらしい。ところが、私が不思議そうな顔をしたので、「昔はそうでしたね」と言い直したに違いない。
「日本は一度も植民地になったことがないんですよ」
説明する私に、今度は彼女の方が信じられないという顔をして、直接まじまじと私の顔を見るのだった。   (pp.86-88
)

西欧列強による植民地支配の傷跡は、このように思わぬ形で残っている。白人でキリスト教徒である西欧列強は、世界中を植民地にして、資源や労働力を収奪した。それは、有色人種を下等な人種と見なしてこそ可能な蛮行であったが、幸いにも日本は明治維新を成し遂げ、植民地化を免れた。このことがどれほど価値のあることか、上記のエピソードで改めて実感する。
自国の歴史を他人事のようにあげつらう歴史教師や政治家が今なお多い。彼らは、先人の偉業のおかげで、気楽な戯言を言っていられるのだ。このスリナム女性のエピソードをぜひ一度読んでみるべきだろう。

一度も植民地になったことがない日本 (講談社 α新書)
デュラン れい子
講談社

このアイテムの詳細を見る