平和祈念公園 平和の礎
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Okinawa_prefectural_Peace_memorial_Museum-2007-06-27_4.jpg
このところ、テレビではサッカー、野球、テニスなどのスポーツ番組と、芸能、相撲事件ばかり放送している、、、。
このような画一化した報道状況は、国民を「低能化」させる行為であり、報道に携わる者は、それを行わないようにすべきである。
異なる局なのに、全く同じ試合放送なども存在し、「異なる内容放送出来るのに、非常に勿体ないと思うのである」。
何度となく投稿しているが、「金まみれの業界」、腐りきっており、「半分暴走している」と言う事が言える、、、。
こういう状態、総務省で、対応出来ないものか?、、、。
FIFAのサッカー放送は170億円もの金額で放送権を取得したようだ、、、。
スーパープレイヤーがプレイするとは言え、異常とも思える金額だな、、、。
本日(6月23日)は、沖縄慰霊の日だ、、、。
少しは過去にどう言う事が起こったのか、考えても良い日であろう、、、。
歴史を忘れると、その後、どうなるのか?、、、真剣に考える時である。
記事参照
慰霊の日 平和を考える催し
6月23日 4時35分
6月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」です。この「慰霊の日」にあわせて平和について考えようという催し、22日夜、東京・港区の東京タワーで開かれました。
昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、およそ20万人が亡くなりました。旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」には、沖縄県内の各地で平和の祈りが捧げられます。
この「慰霊の日」を沖縄以外の人たちにも知ってもらいたいと、22日夜、東京タワーの展望台で沖縄戦をテーマにした催しが開かれました。この中で、沖縄県出身のフリーアナウンサーの宮城麻里子さんは、身近な場面から戦争をイメージしてほしいと、恋人を戦場に送り出す女性の心境を描いた小説を朗読しました。
また歌手の普天間かおりさんは、歌を通じて平和の大切さを訴えました。沖縄に住んだことがある観客の男性は「沖縄では誰もが知っている大切な日なので、多くの人たちに沖縄戦の実態を知ってもらうべきだ」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100623/t10015285781000.html
首相が沖縄訪問 関係修復へ
6月23日 4時35分
菅総理大臣は23日、就任後初めて沖縄県を訪れ、戦没者追悼式に出席するほか、普天間基地の移設問題をめぐって仲井真知事と会談し、沖縄の負担軽減策も並行的に進める考えを伝え、政府と地元との信頼関係の修復を図る第一歩としたい考えです。
菅総理大臣は、戦後65年の沖縄の「慰霊の日」にあわせて、23日就任後初めて沖縄県を訪問し、まず、太平洋戦争末期の沖縄戦で最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園を訪れて献花を行うことにしています。そして沖縄で犠牲になった24万人余りの氏名が刻まれた石碑「平和の礎」を訪れたあと、沖縄県主催の戦没者追悼式に出席することにしています。
このあと菅総理大臣は、仲井真知事と会談し、アメリカ軍普天間基地の移設問題について、名護市辺野古へ移設するとしたさきの日米合意を踏まえて対応するものの、地元の理解を得ながら沖縄の負担軽減策も並行して進める考えを伝える方針です。
これに関連して菅総理大臣は、22日夜、記者団に対し、「日米合意は、国としての約束だから守っていくのは基本だ。同時に、沖縄の負担軽減も閣議決定で約束しており、わたしも全力をあげたい」と述べました。ただ、仲井真知事は、さきの日米合意は遺憾で、沖縄県内への移設は極めて難しいという認識を重ねて示しており、菅総理大臣としては、今回の訪問で、政府と地元との信頼関係の修復を図る第一歩としたい考えです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100623/t10015285661000.html
関連記事
ホッとニュース 【6月23日03時29分更新】
「沖縄戦、生も死も地獄」 慰霊の日、能美・道下さん振り返る
「死んだほうが幸せだと何度も思った。生きて帰ろうなんて少しも考えなかった」。2 3日の沖縄県の「慰霊の日」を前に、日米双方で20万人以上が犠牲になった65年前の 沖縄戦から生還した旧日本兵に出会った。沖縄での戦闘はおろか、日本の敗戦も知らずに 9月まで戦場をさまよい続けた壮絶な体験談をうかがうと、「地獄の戦場」が眼前に浮か んできた。(村中將起)
この旧日本兵は道下幸助さん(86)=能美市岩内町=。右腕には今も当時の傷跡が生 々しく残る。20歳の時に石川を離れ、群馬県沼田市で編成された軽迫撃砲大隊東部第4 1部隊に入隊。1944(昭和19)年9月、沖縄県に派遣された。
翌45年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸した後、激しい攻撃を受けながら沖縄本島中 部の嘉数高地(宜野湾市)で必死に抵抗した。周辺には現在、移設問題に揺れる米軍普天 間基地が立地する。
「迫撃砲が戦車に命中してもびくともしない。爆弾を背負って戦車に体当たりしようと しても、米兵が自動小銃を乱射し、戦友がバタバタ倒れた」
雨のように降り注ぐ銃弾が何度も鉄兜(てつかぶと)に当たり、生きた心地はしなかっ たが、「米軍に立ち向かえば死に、怖くて陣地の中にいれば上官に『殺すぞ』と脅される 。生き残るという選択肢はなかった」。これを極限状態と言うのだろう。
度重なる戦闘で右腕を骨折した道下さんが送られた野戦病院は負傷者であふれ、満足な 治療は望めなかった。軍に動員された「ひめゆり学徒隊」が看護に当たったが、洞窟内は 血にまみれた負傷者のうめき声が響き、「阿(あ)鼻叫喚(びきょうかん)の地獄」だっ たという。
6月23日に沖縄戦は終わり、8月15日に終戦となったが、道下さんは知らず、9月 まで戦い続けた。飢えや負傷による衰弱で道に倒れているところを米軍に助けられた。
「家に帰っても5年間は悪夢にうなされた。腕の傷もうずき、何も手につかんかった」 と道下さん。亡き戦友の霊を慰めるためこれまで10回以上、沖縄に足を運んだが、「供 養してもしきれない」としみじみ語る。
普天間基地の移設問題をめぐる政府の「迷走」をテレビで見ると、戦後65年が過ぎた 今も、沖縄はまだ太平洋戦争から解放されていないと思う。「命ある限り平和の大切さを 後世に訴え続けるのが自分の使命だ」。86歳の「兵士」の戦いはまだ終わらない。
●沖縄戦 太平洋戦争末期の1945年4月、米軍は沖縄本島に上陸。「鉄の暴風」と呼 ばれた激しい艦砲射撃や空襲にさらされた日本軍は5月下旬に首里の司令部を放棄し、本 島南部に撤退した。多くの避難住民が巻き添えになり、「集団自決」や日本軍による住民 虐殺も起きたとされる。組織的な戦闘が終結した6月23日は戦後、「慰霊の日」と定め られ、毎年、戦没者慰霊式が営まれている。
その他のホッとニュース
うまくても安い酒造りへ 能登杜氏組合が意識大転換
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20100623401.htm
元宮古島駐屯兵が語る「今も正気で話せない」沖縄戦の記憶
2010年6月22日
「慰霊碑の名前を見るたびに、一人一人の顔をまざまざと思い出す」。兵士として駐屯していた沖縄・宮古島で終戦を迎えた元県議の吉田實さん(89)=三浦市南下浦町上宮田=の、忘れられない記憶だ。「たった数年間の話だよ。それなのに人生の半分以上に感じる」。大勢の戦友が死に、多数の一般市民が巻き添えになった戦争のことは「今でも正気で話ができない」。23日、凄惨な戦場となった沖縄は、「慰霊の日」を迎える。
吉田さんは、第2次大戦中、陸軍の第28師団山砲兵第28連隊に所属し、宮古島に駐屯した。被服係を務めたほか、炭焼き班長として約20人の部下を率いてマツの木を焼いて炭を作る業務に就いた。
宮古島は米軍が上陸しなかったものの、死は身近な存在だった。
島は飛行場など軍事目標を狙った空襲を受ける。爆撃の目標は次第に市街地へと変わり、猛烈な艦砲射撃も浴びせられ、日本兵や多くの市民が犠牲になった。さらに食糧不足による栄養失調やマラリアにも苦しめられ、大勢亡くなった。
吉田さんの中隊は、19人の仲間が死んだ。食べるものがなくなり、やせ細った吉田さんはマラリアにかかり次第に衰弱する。死を意識したある日、自分の隣の“雑草の寝床”で療養していた同世代の仲間が逝った。むごい死だった。
戦後、吉田さんは生き残った仲間とともに中隊の慰霊碑を建立した。「今でも慰霊碑に刻まれた仲間の名前を見ると泣いてしまう。家に帰ってきても、沖縄の話をし始めると、涙が出る」と目を潤ませる。
吉田さんは三浦市議と県議をそれぞれ3期ずつ務め多忙を極めたが、沖縄本島や宮古島を交互に訪れ、慰霊を欠かさなかった。近年、足腰が弱くなり、車いすで訪れたこともある。
「生きている限り、慰霊に行こうと思う」。今年、終戦から65年を迎えるが、沖縄での記憶は消えることはない。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1006220008/
慰霊の日を前にした平和祈願祭の日は「訓練は行うべきではない!」。
常識はずれとはこのような事だ!。
米国人にとって、9.11の日はどう言う日なのか?、、、。
沖縄でのこの訓練は、米国内の9.11の日にカーニバル、お祭りやっているのと同じ事だ!。
地元住民の感情を逆撫でする行為である。
来年からは辞退せよ!。
全く地元を理解していない海兵隊である。
記事参照
辺野古の海で米軍訓練 名護市内では平和祈願祭
2010年6月22日
【名護】21日午前9時ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖合で米軍の揚陸艦や水陸両用車が訓練を実施しているのが確認された。同日は市内各所で慰霊の日を前にした平和祈願祭が行われており、訓練を目撃した市民団体から批判の声が上がった。
同市辺野古への基地移設に反対して座り込みを続けるメンバーらによると、午前9時ごろから沖合に揚陸艦などの船舶3隻が確認され、水陸両用車が海上に出てきて訓練を始めた。水陸両用車は沖合での航行訓練を繰り返した後、2台が1組になって一方をえい航したまま上陸訓練を行った。
ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「米軍にとって平和祈願の日なんて関係ないのだろう。普天間飛行場を移設して基地機能を保持するための訓練のようだ」と憤っていた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163904-storytopic-1.html
その他の関連する記事
米「沖縄の気持ち学ぶ」 ファイファー氏 20、22日講演
2010年6月19日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163789-storytopic-1.html
献火する遺族代表=「慰霊の日」前夜祭
http://www.jiji.com/jc/p?id=20100622211412-9514286&n=1
【社告】23日から聞き書き新シリーズ 折り鶴よ 世界へ NPO法人「サダコ・レガシー」代表 佐々木 雅弘さん
2010年06月22日 18:08
=2010/06/22付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/info/announce/syakoku/20100622/20100622_0001.shtml
戦没者20万人追悼し前夜祭 戦後65年、沖縄の遺族ら
2010/06/22 20:56 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010062201001040.html
沖縄慰霊の日:前夜祭に遺族ら400人
毎日新聞 2010年6月22日 21時10分
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100623k0000m040080000c.html
沖縄敗戦65年:あす明大で映画と講演会 /東京
毎日新聞 2010年6月22日 地方版
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100622ddlk13040244000c.html
県内大学生アンケート:基地→「戦争不安」76%
2010年6月22日
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100622rky00m040005000c.html
首相と県知事の動き。
首相、23日に初の沖縄訪問=仲井真知事と会談へ
(2010/06/22-20:06)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010062200836&j1
菅首相:慰霊の日に「負担」説得 知事会談を調整
2010年6月22日
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100622rky00m010007000c.html
普天間:結論先送りも 首相23日沖縄初訪問
毎日新聞 2010年6月22日 20時45分(最終更新 6月22日 21時10分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100623k0000m010068000c.html
その他の関連する記事(事件・訴訟・密約)
裁判権放棄密約 米兵犯罪裁かぬ理不尽正せ
2010年4月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-160842-storytopic-11.html
米軍刑法犯が倍増 5月末現在、県警まとめ
2010年6月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163589-storytopic-111.html
酒酔い2米兵、路線バス盗む 操作誤り…エンスト→逃走
2010年6月21日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163856-storytopic-1.html
普天間の使用認定で判決 地主の訴えに那覇地裁
2010年6月22日 12時16分
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-22_7471/
米軍/米兵関連事件
http://blog.goo.ne.jp/torl_001/c/2e7d64ce49c8a92bcf152c5d7ff7320e
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Okinawa_prefectural_Peace_memorial_Museum-2007-06-27_4.jpg
このところ、テレビではサッカー、野球、テニスなどのスポーツ番組と、芸能、相撲事件ばかり放送している、、、。
このような画一化した報道状況は、国民を「低能化」させる行為であり、報道に携わる者は、それを行わないようにすべきである。
異なる局なのに、全く同じ試合放送なども存在し、「異なる内容放送出来るのに、非常に勿体ないと思うのである」。
何度となく投稿しているが、「金まみれの業界」、腐りきっており、「半分暴走している」と言う事が言える、、、。
こういう状態、総務省で、対応出来ないものか?、、、。
FIFAのサッカー放送は170億円もの金額で放送権を取得したようだ、、、。
スーパープレイヤーがプレイするとは言え、異常とも思える金額だな、、、。
本日(6月23日)は、沖縄慰霊の日だ、、、。
少しは過去にどう言う事が起こったのか、考えても良い日であろう、、、。
歴史を忘れると、その後、どうなるのか?、、、真剣に考える時である。
記事参照
慰霊の日 平和を考える催し
6月23日 4時35分
6月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」です。この「慰霊の日」にあわせて平和について考えようという催し、22日夜、東京・港区の東京タワーで開かれました。
昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、およそ20万人が亡くなりました。旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」には、沖縄県内の各地で平和の祈りが捧げられます。
この「慰霊の日」を沖縄以外の人たちにも知ってもらいたいと、22日夜、東京タワーの展望台で沖縄戦をテーマにした催しが開かれました。この中で、沖縄県出身のフリーアナウンサーの宮城麻里子さんは、身近な場面から戦争をイメージしてほしいと、恋人を戦場に送り出す女性の心境を描いた小説を朗読しました。
また歌手の普天間かおりさんは、歌を通じて平和の大切さを訴えました。沖縄に住んだことがある観客の男性は「沖縄では誰もが知っている大切な日なので、多くの人たちに沖縄戦の実態を知ってもらうべきだ」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100623/t10015285781000.html
首相が沖縄訪問 関係修復へ
6月23日 4時35分
菅総理大臣は23日、就任後初めて沖縄県を訪れ、戦没者追悼式に出席するほか、普天間基地の移設問題をめぐって仲井真知事と会談し、沖縄の負担軽減策も並行的に進める考えを伝え、政府と地元との信頼関係の修復を図る第一歩としたい考えです。
菅総理大臣は、戦後65年の沖縄の「慰霊の日」にあわせて、23日就任後初めて沖縄県を訪問し、まず、太平洋戦争末期の沖縄戦で最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園を訪れて献花を行うことにしています。そして沖縄で犠牲になった24万人余りの氏名が刻まれた石碑「平和の礎」を訪れたあと、沖縄県主催の戦没者追悼式に出席することにしています。
このあと菅総理大臣は、仲井真知事と会談し、アメリカ軍普天間基地の移設問題について、名護市辺野古へ移設するとしたさきの日米合意を踏まえて対応するものの、地元の理解を得ながら沖縄の負担軽減策も並行して進める考えを伝える方針です。
これに関連して菅総理大臣は、22日夜、記者団に対し、「日米合意は、国としての約束だから守っていくのは基本だ。同時に、沖縄の負担軽減も閣議決定で約束しており、わたしも全力をあげたい」と述べました。ただ、仲井真知事は、さきの日米合意は遺憾で、沖縄県内への移設は極めて難しいという認識を重ねて示しており、菅総理大臣としては、今回の訪問で、政府と地元との信頼関係の修復を図る第一歩としたい考えです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100623/t10015285661000.html
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ホッとニュース 【6月23日03時29分更新】
「沖縄戦、生も死も地獄」 慰霊の日、能美・道下さん振り返る
「死んだほうが幸せだと何度も思った。生きて帰ろうなんて少しも考えなかった」。2 3日の沖縄県の「慰霊の日」を前に、日米双方で20万人以上が犠牲になった65年前の 沖縄戦から生還した旧日本兵に出会った。沖縄での戦闘はおろか、日本の敗戦も知らずに 9月まで戦場をさまよい続けた壮絶な体験談をうかがうと、「地獄の戦場」が眼前に浮か んできた。(村中將起)
この旧日本兵は道下幸助さん(86)=能美市岩内町=。右腕には今も当時の傷跡が生 々しく残る。20歳の時に石川を離れ、群馬県沼田市で編成された軽迫撃砲大隊東部第4 1部隊に入隊。1944(昭和19)年9月、沖縄県に派遣された。
翌45年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸した後、激しい攻撃を受けながら沖縄本島中 部の嘉数高地(宜野湾市)で必死に抵抗した。周辺には現在、移設問題に揺れる米軍普天 間基地が立地する。
「迫撃砲が戦車に命中してもびくともしない。爆弾を背負って戦車に体当たりしようと しても、米兵が自動小銃を乱射し、戦友がバタバタ倒れた」
雨のように降り注ぐ銃弾が何度も鉄兜(てつかぶと)に当たり、生きた心地はしなかっ たが、「米軍に立ち向かえば死に、怖くて陣地の中にいれば上官に『殺すぞ』と脅される 。生き残るという選択肢はなかった」。これを極限状態と言うのだろう。
度重なる戦闘で右腕を骨折した道下さんが送られた野戦病院は負傷者であふれ、満足な 治療は望めなかった。軍に動員された「ひめゆり学徒隊」が看護に当たったが、洞窟内は 血にまみれた負傷者のうめき声が響き、「阿(あ)鼻叫喚(びきょうかん)の地獄」だっ たという。
6月23日に沖縄戦は終わり、8月15日に終戦となったが、道下さんは知らず、9月 まで戦い続けた。飢えや負傷による衰弱で道に倒れているところを米軍に助けられた。
「家に帰っても5年間は悪夢にうなされた。腕の傷もうずき、何も手につかんかった」 と道下さん。亡き戦友の霊を慰めるためこれまで10回以上、沖縄に足を運んだが、「供 養してもしきれない」としみじみ語る。
普天間基地の移設問題をめぐる政府の「迷走」をテレビで見ると、戦後65年が過ぎた 今も、沖縄はまだ太平洋戦争から解放されていないと思う。「命ある限り平和の大切さを 後世に訴え続けるのが自分の使命だ」。86歳の「兵士」の戦いはまだ終わらない。
●沖縄戦 太平洋戦争末期の1945年4月、米軍は沖縄本島に上陸。「鉄の暴風」と呼 ばれた激しい艦砲射撃や空襲にさらされた日本軍は5月下旬に首里の司令部を放棄し、本 島南部に撤退した。多くの避難住民が巻き添えになり、「集団自決」や日本軍による住民 虐殺も起きたとされる。組織的な戦闘が終結した6月23日は戦後、「慰霊の日」と定め られ、毎年、戦没者慰霊式が営まれている。
その他のホッとニュース
うまくても安い酒造りへ 能登杜氏組合が意識大転換
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20100623401.htm
元宮古島駐屯兵が語る「今も正気で話せない」沖縄戦の記憶
2010年6月22日
「慰霊碑の名前を見るたびに、一人一人の顔をまざまざと思い出す」。兵士として駐屯していた沖縄・宮古島で終戦を迎えた元県議の吉田實さん(89)=三浦市南下浦町上宮田=の、忘れられない記憶だ。「たった数年間の話だよ。それなのに人生の半分以上に感じる」。大勢の戦友が死に、多数の一般市民が巻き添えになった戦争のことは「今でも正気で話ができない」。23日、凄惨な戦場となった沖縄は、「慰霊の日」を迎える。
吉田さんは、第2次大戦中、陸軍の第28師団山砲兵第28連隊に所属し、宮古島に駐屯した。被服係を務めたほか、炭焼き班長として約20人の部下を率いてマツの木を焼いて炭を作る業務に就いた。
宮古島は米軍が上陸しなかったものの、死は身近な存在だった。
島は飛行場など軍事目標を狙った空襲を受ける。爆撃の目標は次第に市街地へと変わり、猛烈な艦砲射撃も浴びせられ、日本兵や多くの市民が犠牲になった。さらに食糧不足による栄養失調やマラリアにも苦しめられ、大勢亡くなった。
吉田さんの中隊は、19人の仲間が死んだ。食べるものがなくなり、やせ細った吉田さんはマラリアにかかり次第に衰弱する。死を意識したある日、自分の隣の“雑草の寝床”で療養していた同世代の仲間が逝った。むごい死だった。
戦後、吉田さんは生き残った仲間とともに中隊の慰霊碑を建立した。「今でも慰霊碑に刻まれた仲間の名前を見ると泣いてしまう。家に帰ってきても、沖縄の話をし始めると、涙が出る」と目を潤ませる。
吉田さんは三浦市議と県議をそれぞれ3期ずつ務め多忙を極めたが、沖縄本島や宮古島を交互に訪れ、慰霊を欠かさなかった。近年、足腰が弱くなり、車いすで訪れたこともある。
「生きている限り、慰霊に行こうと思う」。今年、終戦から65年を迎えるが、沖縄での記憶は消えることはない。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1006220008/
慰霊の日を前にした平和祈願祭の日は「訓練は行うべきではない!」。
常識はずれとはこのような事だ!。
米国人にとって、9.11の日はどう言う日なのか?、、、。
沖縄でのこの訓練は、米国内の9.11の日にカーニバル、お祭りやっているのと同じ事だ!。
地元住民の感情を逆撫でする行為である。
来年からは辞退せよ!。
全く地元を理解していない海兵隊である。
記事参照
辺野古の海で米軍訓練 名護市内では平和祈願祭
2010年6月22日
【名護】21日午前9時ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖合で米軍の揚陸艦や水陸両用車が訓練を実施しているのが確認された。同日は市内各所で慰霊の日を前にした平和祈願祭が行われており、訓練を目撃した市民団体から批判の声が上がった。
同市辺野古への基地移設に反対して座り込みを続けるメンバーらによると、午前9時ごろから沖合に揚陸艦などの船舶3隻が確認され、水陸両用車が海上に出てきて訓練を始めた。水陸両用車は沖合での航行訓練を繰り返した後、2台が1組になって一方をえい航したまま上陸訓練を行った。
ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「米軍にとって平和祈願の日なんて関係ないのだろう。普天間飛行場を移設して基地機能を保持するための訓練のようだ」と憤っていた。
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2010年06月22日 18:08
=2010/06/22付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/info/announce/syakoku/20100622/20100622_0001.shtml
戦没者20万人追悼し前夜祭 戦後65年、沖縄の遺族ら
2010/06/22 20:56 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010062201001040.html
沖縄慰霊の日:前夜祭に遺族ら400人
毎日新聞 2010年6月22日 21時10分
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100623k0000m040080000c.html
沖縄敗戦65年:あす明大で映画と講演会 /東京
毎日新聞 2010年6月22日 地方版
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100622ddlk13040244000c.html
県内大学生アンケート:基地→「戦争不安」76%
2010年6月22日
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100622rky00m040005000c.html
首相と県知事の動き。
首相、23日に初の沖縄訪問=仲井真知事と会談へ
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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010062200836&j1
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http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100622rky00m010007000c.html
普天間:結論先送りも 首相23日沖縄初訪問
毎日新聞 2010年6月22日 20時45分(最終更新 6月22日 21時10分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100623k0000m010068000c.html
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2010年6月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163589-storytopic-111.html
酒酔い2米兵、路線バス盗む 操作誤り…エンスト→逃走
2010年6月21日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163856-storytopic-1.html
普天間の使用認定で判決 地主の訴えに那覇地裁
2010年6月22日 12時16分
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-22_7471/
米軍/米兵関連事件
http://blog.goo.ne.jp/torl_001/c/2e7d64ce49c8a92bcf152c5d7ff7320e
記事参照
菅首相、沖縄初訪問…基地負担に謝罪と感謝
沖縄県は23日、戦没者を悼む「慰霊の日」を迎えた。
沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の丘の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開催された。
就任後初めて沖縄入りした菅首相も出席し、沖縄の米軍基地負担への謝罪と感謝の意を表明した上で、負担軽減などに取り組む決意を示した。
首相は23日午後、那覇市で仲井真弘多知事と会談し、5月末の日米共同声明に基づき、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設を進める方針を改めて示すとともに、沖縄の負担軽減に努める考えを伝え、理解を得たい考えだ。
今年は沖縄戦での組織的な戦闘終結から65年、現在の日米安全保障条約発効から50年の節目となる。
首相は追悼式で、沖縄の基地負担について、「全国民を代表しておわび申し上げる。他方、この負担がアジア太平洋地域の平和と安定につながってきたことに率直にお礼の気持ちを表させていただきたい」と述べた。その上で、「負担軽減と(基地の)危険性除去に一層真剣に取り組むことを約束する」と強調した。
首相はその後、記者団に、普天間移設について、「(代替施設の工法などに関する)8月の専門家の検討が終了したから、すぐ着工となるわけではない。十分地元(の意向)も尊重していきたい」と語った。
一方、知事は平和宣言で、「基地の負担軽減、普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、国民全体が等しく取り組むべき課題」と指摘した。さらに「50年前の今日、日米安全保障条約・日米地位協定が発効した。大きな節目の年を契機に、県民の目に見える形で負担が軽減されることを願う」と訴えた。
追悼式には、首相、知事のほか、衆参両院議長、遺族ら約5500人が出席。正午から全員が1分間黙とうし、戦没者の冥福を祈った。また、普天間飛行場近くに住む高校生が、基地のない暮らしを求める詩の朗読を行った。
沖縄戦の犠牲者、県外で亡くなった沖縄県出身者らの名前を刻んだ同公園の「平和の礎(いしじ)」の刻銘碑には今年、新たに80人の名が加えられ、総数は24万931人となった。
(2010年6月23日14時10分 読売新聞)
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http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100623-OYT1T00643.htm
沖縄慰霊の日:17歳、詩に託す平和
65年前の太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる沖縄慰霊の日の23日、沖縄県内各地で慰霊式や追悼式があった。
糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」前では、沖縄戦で負傷兵の看護などに動員され、多くが犠牲になったひめゆり学徒隊の慰霊祭が営まれた。元学徒や同窓生、遺族ら約500人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。【井本義親】
糸満市摩文仁の平和祈念公園であった沖縄県主催の全戦没者追悼式には、菅直人首相や遺族ら約5500人が参列した。
菅首相は「沖縄には米軍基地が集中し大きな負担をお願いしている。全国民を代表しておわびする。負担がアジア太平洋地域の平和と安定につながってきたことについて率直にお礼の気持ちも表させていただく」と謝罪と感謝の意を述べた。そのうえで「米軍基地にかかわる負担軽減に真剣に取り組んでいく」と強調した。米軍普天間飛行場移設には直接には言及しなかった。
◇「普天間」で生まれ育って感じた思い
「基地が日常」を変えたい--。宜野湾市の県立普天間高校3年、名嘉司央里(なかしおり)さん(17)は追悼式で自作の詩「変えてゆく」を朗読した。一人一人が意識を変えれば「基地の島」を変えていけると訴えた。
米軍普天間飛行場に隣接する同市愛知で生まれ育った。幼いころは、ヘリコプターや輸送機が上空を飛び交うのは「当たり前」の日常と思っていた。
しかし、平和学習で沖縄戦や、不発弾の爆発など今も残る戦争の傷跡を学び、意識が変わり始めた。04年8月には近くの沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。戦争につながる基地が家や学校のすぐ近くにある「違和感」が強くなった。
詩を書き上げたのは、先月25日ごろ。鳩山由紀夫首相(当時)は「最低でも県外」とした自らの発言を棚に上げ、普天間の移設先を名護市辺野古で米政府と合意しようとしていた。「変えてゆくのは難しい」現実にもどかしさを感じる一方で、「私たちの世代から変えていかないと何も変えられないし、平和は願うだけでは来ない」と思い、題名を「変えてゆく」に決めた。
初めて平和の礎(いしじ)を訪れたのは小学1年の時。「なぜこんなにたくさんの人が亡くならなければならなかったのか」。驚きと悲しみがこみ上げた。礎には出征した祖母のいとこの名前が刻まれている。平和への誓いを込めて、詩をこう結んだ。「『一度あった事は二度とない』に変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう その想(おも)いはきっと届いているはずだから」【斎藤良太】
変えてゆく 沖縄県立普天間高校3年 名嘉司央里
今日もまたはじまる/いつもの日常/当たり前に食事をして/当たり前に好きなことを学んで/当たり前に安心して眠りにつく/そんな普通の一日
今日もまたはじまる/いつもの日常/当たり前に基地があって/当たり前にヘリが飛んでいて/当たり前に爆弾実験が行われている/そんな普通の一日
一見「平和」に思えるこの小さな島/そこにいつの間にか当たり前ではない/当たり前であってはならないものが/入り込んでしまっていた
普通なら受け入れられない現実を/当たり前に受け入れてしまっていた
これで本当にいいのだろうか
平凡な幸せを感じながら/ただただ「平和」を望む今/簡単にこの違和感を/無視していいのだろうか
黒いたくさんの礎/刻まれるたくさんの名前/そこで思い知る/戦争が残した傷跡の大きさ深さ/何も幸せなど生まれなかった/何も手に入れたものなど無かった/すべて失ったものばかりだった
忘れてはならない/この島であった悲しい記憶/目を背けてはならない/悲しい負の遺産/それを負から正に変えてゆく/それがこの遺産を背負い生きてゆく/私達にできること
変えてゆくのは難しい/しかし一人一人が心から/負である「戦争」を忌み嫌い/正である「平和」を深く愛する/そんな世界になれば/きっと正の連鎖がはじまるはずだ
六月二十三日 慰霊の日/あの黒いたくさんの礎には/たくさんの人々が訪れる/そして その一つ一つの名前に触れ/涙を浮かべながら語りかける
「今年も会いに来たよ」と/手を合わせ目を瞑(つぶ)り祈りを捧(ささ)げる/その訪れた人々に/「平和」を願わないものはいない
「一度あった事は二度ある」/そんな言葉を聞いたことがある/しかし こんな悲惨な出来事は/もう繰り返してはならない/だから……/「一度あった事は二度とない」に/変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう
その想(おも)いはきっと届いているはずだから
• 沖縄慰霊の日:首相、「全国民を代表しおわび」 痛み今も
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毎日新聞 2010年6月23日 23時24分(最終更新 6月23日 23時34分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100624k0000m040102000c.html
同義記事
展望開けぬ普天間問題 “沖縄不在”に強い反発
'10/6/23
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201006230330.html
沖縄65年目の「慰霊の日」 鎮魂の祈り、恒久平和誓う
2010/6/23 10:28
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819695E0E0E2E1968DE0E1E2E4E0E2E3E29F9FE2E2E2E2
菅首相、沖縄の戦没者を悼む「慰霊の日」に基地負担の謝罪と感謝の意を表す
2010年6月23日 17:21更新
http://jp.ibtimes.com/articles/6798/20100623/56691.htm
、、、(1)の続き。
関連記事
首相、沖縄知事に「辺野古」移設理解求める
菅首相は23日、那覇市のホテルで沖縄県の仲井真弘多知事と会談した。
首相は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を同県名護市辺野古へ移設するとした5月末の日米共同声明を踏まえ、沖縄の基地負担の軽減に全力を尽くす考えを伝えたが、知事は辺野古への移設は困難だとの認識を改めて示した。ただ、今後も意見交換を継続することでは一致した。
会談で、首相は普天間移設問題について、「日米共同声明を基本として進めていく」と述べ、辺野古への移設を進めていく方針を改めて伝えた。そのうえで、「沖縄の負担軽減にしっかり取り組みたい。(問題の)背景をもっと勉強したい」と語り、理解を求めた。
これに対し、知事は「極めて遺憾だ。辺野古に戻るのは極めて厳しい。急転直下、辺野古移設が決まった背景の説明を受けないと、(移設へ向けた協議も)スタートできない」と答えた。 会談後、知事は、記者団に「沖縄県民が納得いく解決策を政府が出さないと(前に)進まない」と語った。
首相と仲井真知事の会談は、今月15日以来2回目。今回の会談は知事側が要請し、昼食を取りながら約1時間20分間、非公開で行われた。前原沖縄相らも同席した。
(2010年6月23日20時18分 読売新聞)
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http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100623-OYT1T00945.htm
普天間移設:負担軽減、具体論なく 菅首相、関係修復優先
毎日新聞 2010年6月23日 21時06分(最終更新 6月23日 21時30分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100624k0000m010065000c.html
仕切り直しも難航必至=首相「勉強する」、知事は不信感-普天間
(2010/06/23-21:54)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010062301063
菅首相と会談した沖縄・仲井真知事「8カ月前の選挙公約と180度変えた。理解難しい」
(06/24 00:26 沖縄テレビ)
[ high / low ]
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00179605.html