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〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション

2021年01月24日 13時44分24秒 | 事件・事故

〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション

岡田美智男著

ひとりでは何もできないロボットとともに、コミュニケーションについて考えてみた――。人とロボットの持ちつ持たれつの関係とは? 自分ではゴミを拾えない〈ゴミ箱ロボット〉。

人の目を気にしながらたどたどしく話す〈トーキング・アリー〉、一緒に手をつないで歩くだけの〈マコのて〉……。 〈弱いロボット〉の研究で知られる著者が、自己、他者、関係について、行きつ戻りつしながら思索した軌跡。

著者について

岡田 美智男
一九六〇年福島県生まれ。一九八七年、東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了。工学博士。NTT基礎研究所情報科学研究部、国際電気通信基礎技術研究所などを経て、二〇〇六年より豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授。専門は、コミュニケーションの認知科学、社会的ロボティクス、ヒューマン・ロボットインタラクション、生態心理学など。主な著書に『弱いロボット』(医学書院)、『ロボットの悲しみ コミュニケーションをめぐる人とロボットの生態学』(共編著、新曜社)など。〈弱いロボット〉の提唱により、平成二十九年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門)などを受賞。
 
▽「こうあらねばあらない」という画一的な正解はない。
自分自身の生命をありのままの姿で生きていくことだ。
縁する人たちと調和の社会生活を織り成していく生き方が求められている。
▽「弱さ」が結果的に「強さ」になる、という視点。
人の体を外から見ると自己完結しているように見えるが、本当は不完結なのだ。
不完結だからこそ、コミュニケーションを取って補完し合う。
また、「弱さ」を他の人にみせようとせず、強がってしまう傾向がある。
▽人が「弱さ」を少し開示してくれると<私と同じだ>と思えて距離が縮まり、共感が生まれる。
反対に、互いに強がってばかりいては、なかなか協力関係が生まれないと思う。
社会を見ても、弱さは隠されることがほとんどだ。
▽「弱さ」から「強い関係性」を生む。
はじめから全部備わっているのではなく、ほんのちょっと隙間や余地があることが、周囲が手を加えるきっかけとなる。
不完全であったり、弱さがあったりするからこそ、そうした面を介して人とつながり、一緒に価値をつくり出していけるのだと思う。
自分の弱いところを繕わずに伝えることができれば、次の展開がどのどん見えてくるものと感じている。
そうしたことができるのは、相手を信頼しているからこそだ。
そして、相手もまた弱さをさらけ出してくれることで、信頼関係はさらに強くなるだろう。
▽不完全さという意味での「弱さ」を互いに共有することで、距離が縮まり、強いつながりが生まれる
▽「依存先の分散としての自立」という概念を提唱する東京大学の熊谷晋一郎准教授
自立とは「誰の手を借りずに、一人で行えること」ではない。
「依存先を増やし、分散させておくことである」と指摘している。
▽レジリエンス(困難を乗り越える力)を「個人の能力や資質」と見るのではなく、「頼れる依存先を豊かにしていくこと」と見る考え方だ。
不完全さの共有の中で、「個人の力」の足し算を超えた、組織としての強さが生まれてくるのだと思う。

書名にある「弱いロボット」とは「他者の手助けを引きだしながら、結果として目的を達成してしまう……関係論的なロボット(p.210)」であり、つまり「ひとりでできるもん!」ではなく「ひとりでできないもん!」と人に助けてもらうロボットである。
 本書は、そのような「人とのコミュニケーションにすこしなりとも苦労を重ねているロボットたちと一緒に(pp.250-251)」、副題にある「わたし・身体・コミュニケーション」について考えていく書。「二十年近く考えてきたこと」を「試行錯誤の顛末をそのまま(p.251)」に書いたとある。
 十分に理解できない個所もあるけれど面白い。
 例えば、我々は自分の顔を(鏡とかを使わなければ)ほぼ見ることができないという当然のことに気づかされたり、我々は「確固とした自分」というものがあるとか、言葉を発するということは私のみによる行為だと考えがちだが、本書を読むとそう一筋縄ではいかぬのだなと思ったり。
 「わたしたちの言葉はいつも誰かに向けられており、『宛名』をともなう(p.109)」「他者との相互行為にはいつも賭けをともなう(p.138)」「個々の発話が担っている機能や意味が明確なほど、どういうわけか硬い会話になってしまう(p.158)」等、引用も含めコミュニケーションを考える手掛かりに富んでいる。昨今、会議がZoomなどを介したものに切り替わっているが、その時に感じる微妙な違和感のようなものの正体も、本書を手掛かりに考えることができそうである。
 
 
ロボットのメカ的な内容よりもコミュニケーションの実現方法といった内容が、人間同士の接し方にもつながっていて面白かったです。
 
 
ただ一緒に並んで歩く「マコのて」、発話に反応するだけの「む~」、自分ではゴミを拾えなくて周りの人に手伝ってもらう「ゴミ箱ロボット」。次々と妙なロボットを作り続ける著者が、研究から市販のお掃除ロボットも含めた、ロボット開発側の視点や知見から、人間らしさやコミュニケーションとは何かを考察する。

お掃除ロボットが周囲の壁にぶつかり人の手を借りながら作業を進めていき、私たちがその姿になぜか健気さを感じるように、人間は単独で存在する「閉じたシステム」ではなく、周囲との関わりのなかから在り方を見い出す「オープンなシステム」であるということが、繰り返し強調される。人との関わりのなかでしか存在できないロボットたちの開発やロボットに対する人々の反応を通して導かれる、「弱さを隠さず、ためらうことなく開示しておくこと」、「とりあえずやってみて、周りの反応を見て次の動きを決める」ことが本来の人間らしい在り方だという見解には、人との関わり方について改めて考えさせられる。また、お互いを参照しながら自らの動きを決定するコンピュータープログラム「目玉ジャクシ」の例から、それぞれが自然とコミュニティのなかでニッチを獲得して棲み分けが進んでいく例からは、個性や自己というものが社会における関係性あってのものだと思い知らされる。

書籍としては、全体としてしっかり構成されているというより、個々の事例に対する考察の積み重ねをまとめて一冊にした形となっている。そのため重複や散漫になる部分も少なくはないが、結果的に人間が何であるかに対する主張は明確に打ち出されている。一風変わった研究をはじめた著者自身の動機が「何となく」だったということも、本書のテーマとのつながりもあって面白い。
 
 
 
 
 

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