上野駅から秋田まで約600㌔、約12時間の汽車の旅を二人は楽しむ気分となっていた。
二人は窓側の席に座っていた。
小野田次郎の脇には50代と想われる鳥打帽を被った男が座っていた。
絹子の脇には絣の着物を着た15歳くらいの少女が風呂敷包みを抱えるように座っていた。
少女は大宮駅を過ぎたころからずっと眠っていたが、宇都宮駅を汽車が過ぎた頃に目を覚ますと風呂敷包みから竹の葉で包んだオニギリを出して食べた。
絹子は少女を微笑んで見ていた。
絹子の妹晶子と同世代と想われた。
与謝野晶子に憧れていた母梅が最後に産んだ3女を晶子としたのだ。
長男、長女、次女の名を全てを父が命名していた。
絹子は次女であった。
絹子は美男子として地元秋田で評判でった父親似であり、秋田県高等女学校のころ「秋田小町」と噂される美女であった。
秋田県高等女学校は1928年(昭和3年)制服にセラー服を定めた。
絹子のセラー服姿もモダンで似っていた。
「君は、どんな子だったの?」次郎は絹子を知るために聞いてみた。
「家が江戸時代から続く老舗の呉服屋だったので、着物に興味があったわね」
次郎の母も横手の呉服屋の娘であった。
日本にとって、海外に誇れるものは何だろうか?
次郎は日本の国が悪い方向へと向かっていることを切実に感じていた。
日本をまともな国に導くには、共産主義以外にないと思い込んでいたのだ。
恋に芽生えた二人であったが、二人の会話は暗い話題に傾いていった。
二人は窓側の席に座っていた。
小野田次郎の脇には50代と想われる鳥打帽を被った男が座っていた。
絹子の脇には絣の着物を着た15歳くらいの少女が風呂敷包みを抱えるように座っていた。
少女は大宮駅を過ぎたころからずっと眠っていたが、宇都宮駅を汽車が過ぎた頃に目を覚ますと風呂敷包みから竹の葉で包んだオニギリを出して食べた。
絹子は少女を微笑んで見ていた。
絹子の妹晶子と同世代と想われた。
与謝野晶子に憧れていた母梅が最後に産んだ3女を晶子としたのだ。
長男、長女、次女の名を全てを父が命名していた。
絹子は次女であった。
絹子は美男子として地元秋田で評判でった父親似であり、秋田県高等女学校のころ「秋田小町」と噂される美女であった。
秋田県高等女学校は1928年(昭和3年)制服にセラー服を定めた。
絹子のセラー服姿もモダンで似っていた。
「君は、どんな子だったの?」次郎は絹子を知るために聞いてみた。
「家が江戸時代から続く老舗の呉服屋だったので、着物に興味があったわね」
次郎の母も横手の呉服屋の娘であった。
日本にとって、海外に誇れるものは何だろうか?
次郎は日本の国が悪い方向へと向かっていることを切実に感じていた。
日本をまともな国に導くには、共産主義以外にないと思い込んでいたのだ。
恋に芽生えた二人であったが、二人の会話は暗い話題に傾いていった。
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