千年の都・京都はなぜ〝赤い〟のか

2019年04月10日 14時32分15秒 | 社会・文化・政治・経済

 共産議員割合が全国一、初の2割突破 自民もライバル視する強さとは

【関西の議論】産経新聞

共産党の古参議員を多く輩出している立命館大の衣笠キャンパス=京都市北区
 自治体議員の中で共産党の議員が占める割合が全国一の京都府。
今春行われた統一地方選後半戦では、共産党が府内の市町村議員選に擁立した公認候補全員が当選し、府内の自治体議員のうち共産議員が占める割合が統一選後で初めて2割を突破した。
京都は昭和25年から53年まで7期にわたって蜷川虎三元知事のもとで革新府政が行われ、もともと共産党の強い地域といわれていた。
今も共産勢力が政権与党の自民党に対する批判勢力を巧みに取り込みながら、府議会や京都市議会で自民党に次ぐ第二党になるなど、独自の存在感をみせている。
蜷川府政の終焉からすでに約40年が経過したのに、いまなお共産党が力を持ち続ける理由は何なのか。
明治維新による首都移転後、東京や中央権力に対する反発心が強まったとされる独特の「京都人気質」も影響しているのだろうか。(池田進一)

京都は「特別な都道府県」

 「有権者が共産党の政策を認め、選んでくれたということだ」

 統一選後半戦の投開票翌日の4月27日、京都市内の共産党府委員会で行われた記者会見で渡辺和俊委員長は誇らしげに語った。

 後半戦に先立ち、4月12日に投開票された統一選前半戦の府議選(定数60)で公認14人が当選し、民主を抜き第二党に躍進。京都市議選(定数67)でも18議席を獲得し、第一党の自民党に3議席差にまで迫った。

 そして後半戦。無投票も含め6市議選、2町議選に立候補した33人の公認候補が全員当選する好調が続いた結果、府内の自治体議員の20・7%が共産議員になったのだ。

 「統一選後に2割を超えたのは京都府でも初めてだ」。党幹部は胸を張る。

 二大政党制の定着による民主党の伸長や、維新の党やみんなの党などの第三極の躍進で一時低迷した時期もあった共産党。しかし、平成25年の参院選京都選挙区(改選数2)では、7人が立候補する乱戦にも助けられ、15年ぶりに議席を獲得。昨年末の衆院選でも比例で19万票を獲得し、勢いをみせている。
党中央委員会によると、全国の都道府県で今回の統一地方選の結果、地方議員の議席占有率が2割を超えたのは京都府だけ。中央委員会の担当者は「やはり特別な都道府県という位置づけだ」と語った。

「進歩革新」大学と蜷川府政

 なぜ、京都では共産党が強いのか。

 党府委員会の渡辺委員長は「(立命館大や京都大など)進歩革新の伝統のある大学が多いからではないか」と分析する。

 立命館大には、昭和8年に思想信条を理由に京大の教員が弾圧された「滝川事件」で京大を追放され、戦後、立命館大学長となった民法学者の末川博氏がいた。党関係者によると、リベラルな末川氏にあこがれ、立命館大に入学したという古参党員も多いといい、党副委員長の市田忠義参院議員や党国対委員長の穀田恵二衆院議員らも立命館大のOBだ。
立命館大は、共産党の青年組織「日本民主青年同盟(民青)」の一大拠点でもある。ある党幹部は「地方から京都に来た学生が党員となり、その後、全国各地に就職し、職場や地域でリーダーになるという流れができた」と語る。

 昭和23年の共産党入党という古参党員、小畑哲雄さん(87)=京都府八幡市=は、戦後すぐの学生時代に原爆被害について訴える原爆展を日本で初めて開くなどしたことが、支持を広げたきっかけになったと振り返る。

 「当時は学生にも力があったし、京都の市民や行政側にも共産党に対するシンパシーが当たり前のようにあった」

 昭和25年に初当選し、7期務めた革新知事、蜷川虎三元府知事の存在を指摘する関係者も多い。「革新府政という響きは今でも有権者に広く受け入れられている」と党幹部は話す。

 蜷川府政に対しては、当時から一定の批判が向けられたのは事実だ。今でも、例えば「都市部のインフラ工事に消極的だった」「公立高校の進学率が低下している」といった声が聞かれる。

 

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