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世界で最も多くのクラスター爆弾を落とされた国、ラオス

2023年08月25日 11時43分25秒 | 社会・文化・政治・経済

ベトナム戦争時、米軍は敵の補給路を断つ目的で、ベトナムの隣国ラオス約2億7000万発のクラスター子爆弾を投下、約8000万発の不発弾が残ったという。

不発弾により1964年~2015年に約2900人が死亡、約2100人が負傷し、被害は今もやまない。

ラオスは世界でもっとも激しい爆撃を受けた国であり、人口一人当たりの落とされた爆弾の量は世界一になります。
ベトナム戦争中、大規模な地上戦が繰り広げられ、同時に激しい空爆が行われました。
50万回以上のアメリカ軍による爆撃が、1964年から1973年の間に実行され、ラオス全土に200万トンを超える爆弾が「シエンクワン県を中心としたラオス北部」と「ホーチミンルートの通る南東部の県」に集中して落とされました。

この9年間には、8分ごとに1度、米軍機1台に積載される爆弾が落とされてきたと言われます。また、1k㎡あたり約20トン、ラオス人1人あたり1トン以上の爆撃がされてきました。

アメリカは南ベトナム政権を支えるため軍事アドバイザーを最初に送り、そして航空支援、次に爆撃、最終的に50万の地上部隊を送りました。

南部への兵士や軍需物資の流れを妨げるため、米軍機は、北ベトナムだけでなく、この「ホーチミン・ルート」の周辺のラオス領内にも爆撃しました。ラオスは、容赦なくベトナム戦争に巻き込まれていったのです。

事実北べトナムへの米軍の爆撃が停止すると、ラオスへの爆撃は多くなっていきました。1972年までにインドシナ半島での米空軍の空爆の70%はラオスをターゲットにしたものであり、そのうち80%はホーチミン・ルートの地域を狙ったものでした。

1965年の1日平均55回の出撃回数だったのが、1968年の後半には、300回にまで増加していました。

1962年のジュネーヴ協定によって保護されていたと思われるラオスの中立性は、罰せられることのない北ベトナムとアメリカ軍による戦争の拡大によって、侵害されていたのです。


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