ドンファン・鈴木

2018年04月26日 15時06分03秒 | 創作欄
2015-06-28 00:27:25 | 創作欄

ドンファン・鈴木は、希に聴く美声の持ち主であった。
「声優になれば、良かったのではないですか」と沼田一郎は初対面で感嘆して尋ねた。
「学生時代に日生劇場でアルバイトをしておったが、役者たちにも勧められた。声優にも役者にも興味はないんだ」
彼は小説家志望で、「三島の文体も谷崎の文体も川端の文体も書ける」と豪語した。
入社して3か月後、大学の先輩の河野次郎と新宿駅構内で偶然出会った。
「お茶飲む時間はある?」と河野が誘う。
「少しなら、大丈夫です」と応じた。
沼田はドンファン・鈴木に頼まれて、厚生省の外郭団体の病院管理部長の連載原稿を受け取りに行くところであった。
「君が病院新聞に関わるとはね」と河野は目を丸くした。
沼田が医療に不信感を抱いていることを河野は知っていたのだ。
「初めは、公益事業新聞社へ入ったのですが、1か月で病院新聞社勤務になったんですよ。社長が両方新聞を経営しているんです」
「そうなのか、それで仕事は君に合いそうなの」河野はコーヒーに角砂糖を3つ入れた。
コーヒーが苦手な沼田は、ソーダー水を飲んだ。
「先輩が看護婦を担当しろと言うのです」
「看護婦か、夜勤が大変らしいね」博識の河野は、二・八闘争を知っていた。
「ストレスが溜まるので、タバコを吸う看護婦も多いそうだね」
河野と沼田はタバコを吸わないし酒も飲まなかった。
「先輩に鈴木さんという小説家志望の人が居まして、三島の文体も谷崎の文体も川端の文体も書ける」と言っています」
「それでは、その鈴木さんは天才ではないか」
「ハッタリだと思いますが・・・」
二人で声を立てて笑ったので、喫茶店内のお客が彼らに視線を注いだ。
河野は「小説を書くなら、ドストエーフスキイくらいのものを書きたい」と言っていたが、その目標の高さがあだとなっていた。
大学時代に評論家志向であった沼田に対しては「沼田君、評論なら小林秀雄を目指せよ」と言ってプレッシャーをかけるのだ。
河野は憲法の全文を暗記していた。
彼の兄は東京大学法学部を出て弁護士をしていたが、「俺の方が頭はいいんだ」と河野は言っていた。
記憶力は抜群で主だった詩人たちの代表的な詩はスラスラと口から出てきた。
「一種の天才」と大学の教官たちも瞠目していた。
だが、記憶力は記憶力に過ぎず、独創性や創造性が欠如していたようであった。
沼田の同僚の鈴木は、女性に対して天才的なナンパ術を発揮した。
ドンファン・鈴木の伝説は我々の仲間内で語り継がれた。
「女は1回きり、1回抱けば終わり」を貫いたのである。
それでトラブルが起きなかったのだから、ドンファンのドンファンたる所以であっただろうか?
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