免田 栄 (著)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
免田/栄
1925年熊本県球磨郡免田町で生まれる
。現在、大牟田市に在住し、死刑廃止のための活動に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
5.0 out of 5 stars たとえ死の影の谷を歩むとも われ災いを恐れるまじ ‥‥旧約聖書「詩編」第23にインスパイアされた 免田栄氏と開高健
Reviewed in Japan on July 28, 2018
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本書は
免田栄氏(1925-)による自伝です。
6章から成り
各章の章題は次の通りです。
1章 海軍航空廠に徴用--戦時下の悲惨な生活から
2章 不当逮捕
3章 死刑囚の烙印を押されて
4章 獄中で死刑制度を考える
5章 刑場に消えた人々
6章 再審の開始
資料 第三次再審開始決定(西辻決定)
このうち第5章においては
章題からも想像がつきますように
「○○年○月○日 ○○君(さん)」
という記述スタイルで
執行されて行って人たちの
思い出が語られています。
1952(昭和27)年4月20日から
1980(昭和55)年12月16日まで
50名以上の人たちと
「直接別れの握手を交わし、見送った」
(本書 P.137)由です。
直接別れの握手を交わしたわけではない人も含めると
「150~160名近く見送っている」
と推定されています(本書 P.138)。
いったん死刑が確定し
拘置所・拘置支所に収監されたものの
再審無罪となって社会復帰された
免田氏でなければ書けない
貴重な・稀有な記録です。
それが本書の副題
「私の見送った死刑囚たち」
に反映されていると言えるでしょう。
さて
免田氏が第1次再審請求をするのは
1952(昭和27)年6月10日ですが
その契機となったのは次の文章です。
「死のかげの谷をあゆむとも
禍害(わざわい)をおそれじ、
なんじ我とともに在(いま)せばなり」
(本書 PP.76-77)
死刑が確定し
絶望の深き淵にあった免田氏の
独房の食器口から
おそらく間違って
ガリ版刷りのパンフレットが
放り込まれます。
大半の文字はかすれてしまい
その短い文句だけがかすかに判読できました。
死刑の執行という「死の影」におびえる自分と
境遇が似ていると感じました。
天啓を得た免田氏は
その文句を繰り返し繰り返し読み
数日間、祈り続けます。
そして「やれることはやってしまおう」と
再審請求へ踏み出した由です。
この文句は
旧約聖書の「詩編」第23にあります。
旧約聖書「詩編」の中で
いちばん有名な文句であり
しばしば引用されます。
いま手元にあります
新共同訳『聖書』(旧約聖書続編つき)
(引照つき)(日本聖書協会 1987)
(旧約 P.854)によりますと
詩編23は「賛歌。ダビデの詩」で
相当する箇所は
「死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける」
と訳されています。
私はキリスト教徒ではないので
旧約「詩編」第23からの引用であることは
調べてからでないと思い出せませんでした。
しかし
以前どこかで読んだ記憶があり
本をひもといたところ思い出しました。
それは作家・開高健(1930-1989)です。
開高はヴェトナム戦争取材のため
U.S.Marine Corps(米国海兵隊)
(ユー・エス・マリーン・コーズ)
(コーズをコープスと発音すると
「御遺体」の意味になってしまいます)
に同行します。
そして何百人もいた部隊が
敵襲によってほぼ全滅したとき
辛うじて生き残った17人の一人でした。
誇張ではなく九死に一生を得ました。
開高は
米国海兵隊の兵士から
「弾丸(たま)よけ」の呪文を教えてもらいます。
それは基本的には
旧約聖書「詩編」第23からの引用なのですが
海兵隊風にアレンジが加わっています。
”Yea Though I Walk
Through The Valley
Of The Shadow of Death
I Will Fear No Evil
For I Am The Evilest
Son Of The Bitch In The Valley”
「そうヨ、たとえわれ
死の影の谷を
歩むとも
われ怖れるまじ
なぜって、われは
谷の最低の
ド畜生野郎だからよ」
--開高健『ああ。二十五年。』(潮出版 1983)(P.224)
開高はこの文句を
手持ちのジッポのライターすべてに彫りこませ
そのジッポを2個も3個もバッグにひそませておき
仮になくしてもすぐに次のを取り出せるように
しておいたそうです。
「いかにもヤンキー風の茶化し半分の
この聖句を手持ちのジッポに
すべて掘り込ませておいた。
サイゴンではしじゅうジッポが蒸発したけれど
おなじのが何コとなく用意してあるので(中略)
まったく気にすることはなかった。
さっさとつぎのをとりだせばよいのである」
--開高健『生物としての静物』(集英社 1984)(P.33)
結果として
開高は生きて帰ったばかりでなく
ヴェトナムでの体験は
『輝ける闇』
『夏の闇』
『花終る闇』(未完)
『珠玉』(絶筆)
などの文学作品に結実しました。
公文書が開示されるまでは
確定的なことは言えませんが
ノーベル文学賞もとりざたされました。
免田氏の本に戻りますと
本書以外にも
『免田栄 獄中記』(社会思想社 1984)
『死刑囚の手記』(イースト・プレス 1994)
『死刑囚の告白』(イースト・プレス 1996)
を上梓されています。
絶版になっていますが私は
Amazonですべて購入しました。
『獄中記』のカバーの折返しには
「免田冤罪事件とは--」
という解説文があります。
私の個人的な見解ですが
マスメディアにおいては
「免田事件」
という呼称が定着していますが
しかし再審で無罪が確定したのだから
「免田事件」
という呼称は必ずしも適切ではありません。
『獄中記』のように
「免田冤罪事件」とするか
「いわゆる免田事件」とするか
原点に戻って
「祈祷師殺害事件」とするか
選択の余地があるように思います。
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