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生き直す 免田栄という軌跡

2022年04月24日 07時58分04秒 | 社会・文化・政治・経済

 

 高峰武 (著)

1948年12月29日深夜、熊本県人吉市で発生した一家四人殺傷事件(免田事件)で、強盗殺人容疑で逮捕され、1952年1月に死刑が確定。その確定死刑囚から日本初の再審無罪判決を勝ちとった免田栄さん(1925-2020)。
その生涯は、私たちの想像を絶するものがあります。実に、獄中34年、無罪釈放後37年という稀有な時間を生き抜き、「生き直し」ました。獄中から家族や教誨師へあてた1400通の手紙に刻まれた声の束と、「人として認められたい」一念で生きたその姿に胸を打たれます。満を持して集成した画期的な評伝!

著者について
1952年熊本県生まれ。早稲田大学卒。熊本日日新聞社編集局長、論説委員長、論説主幹。
2020年から熊本学園大学特命教授。著書・共著に『ルポ精神医療』(日本評論社)、『検証ハンセン病史』(河出書房新社)、『水俣病を知っていますか』(岩波ブックレット)『熊本地震2016の記憶』『8のテーマで読む水俣病』(以上、弦書房)がある。

5.0 out of 5 stars よう生きた
Reviewed in Japan on January 31, 2022
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19世紀フランスの小説家
アレクサンドル・デュマ・ペールは長編小説
『モンテ・クリスト伯爵』で冤罪を描きました。
主人公エドモン・ダンテスは無実の罪で14年間
監獄に入れられてしまう、という設定です。
免田栄さんは、23歳2カ月で別件逮捕されます。
2日後、強盗殺人容疑(冤罪です)で再逮捕、
いったんは最高裁で死刑が確定しますが
ようやく第六次請求で再審が認められ、改めて
無罪判決が下り、即日、釈放されました。
そのとき、57歳8カ月になっていました。
逮捕から釈放まで、34年6カ月です。小説家の
想像力を20年も上回る獄中生活でした。

それは「その心情は筆舌に尽く難い」と
裁判所すら認めた34年です。
2020年12月5日、免田さんは、老衰のため
亡くなりました。享年95。
釈放から亡くなるまで37年5カ月でした。
書名の『生き直す』は、再審無罪判決後の
37年5カ月を指しています。
晩年の免田さんは「よう生きてきたなあ」と
述懐なさっていたそうです。わずか3年ですが
獄中よりも再審無罪判決後の人生の方が
長いのが、せめてもの慰めであると、本書
読了後にしみじみ感じました。

副題は『免田栄という軌跡』です。
数学の試験で「次のような条件下で動く
点の軌跡を求めよ」という問題があります。
「軌跡」はその人(本書では免田さん)が
生きてきた歴史であり、証であり、実体です。
英語では、ローカス、トラジェクトリー、
トレーシング…などと表現します。
キリスト教信仰をきっかけに再審請求し、
結果として死刑執行の直前から、
「人間としての復活」を果たした「軌跡」は
同時に「奇跡」「奇蹟」でもあったと思います。
英語なら、ミラクルです。

上記のように本書は、伝記的な要素も含んでは
いますが、通常のスタイルの伝記と言うよりは
著者やその同僚たちとの「接点」の積み重ね
と受け取ることもできます。
4部から成り、タイトルは次の通りです。
Ⅰ 心の足跡
Ⅱ 波紋
Ⅲ 還らざる日々
Ⅳ 人間の復活
これらに加えて「はじめに」「おわりに」
「免田事件と免田栄さんの歩み」
「事件略年表」「事件年表」「事件関係地図」
「資料 残った小さなメモ」などが付いて
全体像の理解を深める助けとなります。
写真も印象的です。
カバー写真は広辞苑、広辞林、聖書など
免田さんが獄中で使用した辞典・事典です。
他に何葉もの写真、免田さんがかいた図などを
見ているうちに、具体的なイメージがわいて
くるものと思います。
免田さんは熊本弁で言うところの
「わまかし」という形容が当てはまる人
でもあったようです。その意味は
「物事をやや斜めから見る」という性向のこと
のようですが、詳細は本文を参照いただけますと
幸いです。

さて本書のクライマックスをひとつ挙げるなら
それはトルストイ研究・翻訳家
北御門二郎氏(1913-2004)と免田さんが
新聞社で対談し、かつ同社の風呂で、
いっしょに入浴したときのエピソードです。
同じ球磨川流域地方の出身である北御門氏は
免田さんの背中を流しながら
「本当にやってないんですか?」ときいた
と言います。免田さんの返事は
「やってません」でした。
北御門氏は日中戦争中の1938(昭和13)年、
良心的徴兵忌避をした方です。2・26事件の
2年後に徴兵を拒否することの意味を考えると
たいへんなことです。そういう北御門氏と
免田さんの対談のくだりは、個人と国家という
普遍的な問題を考えさせてくれました。

本書をお勧めするのは次のような方々です。
①捜査官(警察官や検察官)
②裁判官
③マスメディア関係者
…それぞれの理由を以下で述べます。

①…冤罪は免田さんが最後ではありません。
熊本県に限定しても、複数の冤罪事件が起きて
いますし、また現在進行中で、冤罪を疑わせる
事件が報道されることがあります。
「歴史が繰り返す」原因は「自白は証拠の王様」
という意識が残存しているのではないかと危惧
しています。自白ではなく「証拠」に基づいて
捜査すること、証拠は大切に保管すること、
証拠は捜査官にとって不利なものも有利なもの
も開示すること、などが、もしかすると、
おざなりになっているのかもしれません。
本書に引用されているように
「風雪に耐える捜査」が今なお必要です。

②…戦前戦中のからの日本の官僚の傾向かも
しれませんが、引き返す勇気が肝心な場合に
欠けてきたように感じます。
「人が人をさばく」ことの根源的な「こわさ」
を忘れてほしくないと思います。人間ならば
誤謬は誰しも生じる可能性があります。もし
誤謬に気がついたら「引き返す」(再審決定
する)勇気が必要です。免田さんの事件でも
再審決定が取り消されるなど、紆余曲折が
あったことは本書で詳述されています。

③…マスメディア関係者にとって本書は教科書
になると思います。直接関係ある部署を担当し
ていなくとも、ケーススタディーとして本書を
通読すると資質を高めるものと思います。
例えば、免田さんに最初に死刑を言い渡した、
原審の第一審・熊本地裁八代支部の裁判長は
その後、福岡地裁所長を最後に退官し、福岡市
で弁護士となりました。著者が弁護士事務所で
取材したときの記述は、圧巻です。
取材された側はそういう対応しかできなかった
であろうと推察できるものでした。

最後に本書は、司法や報道とは何の関係もない
(私のような)一般の方々にもお勧めです。
それは「生きる」という視点から本書を読むと
いろいろ得るものがあるからです。
余人には経験できない、特異な人生を経験
した免田さんですが、ご本人が回顧している如く
「よう生きてきた」ことは間違いありません。
聖書を読みキリスト教の信仰を持ちつつも、
「教会の雰囲気が嫌い」で、教会には
足を向けなかったエピソードは、免田さんの
「見切り」という強い性格の象徴
ではないかと
思います。本書を読んで免田さんが最も素朴な
意味で「強い性格」の人であるのは間違いない
と感じました。と同時に上述の「わまかし」
あるいは「諧謔」という、性向もあったのかも
しれません。
免田さんの人生は「人に恵まれた人生」であった
と思います。本書をきっかけとして
「生きる」ことについて考えてみる
のも有益だと思いました。

 

一度は容疑を認める自白調書が作成されたものの、まもなく免田さんはアリバイを主張し、容疑を全面否認する。
免田さんはあきらめることなく再審請求を繰り返し、一転して無罪が言い渡された。
獄中で過ごした時間は34年。
「自由社会」の37年の生活を送り、2020年12月5日、95歳で亡くなっている。
死刑執行への恐怖とともに国家や社会の残酷さだ。
凡庸な悪によって蹂躙された人生であった。

 

 

 

 

 

 

 


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