55年体制、かつての日本の政党や政治家は、企業や団体、労働組合の利益代表のような状態になっていた。
(1955年に日本民主党と自由党の「保守合同」により自由民主党(自民党)が結成され、分裂していた革新勢力の日本社会党も再統一された)
そして、支援する側も利権などもが、見返りを期待し、要求してくる実態があった。
「これでは、本当に国民のための政治はできない」
政治の善し悪しは、政治家だけで決まるものではない。
政治家を支援し、投票する人々の意識、要望が、政治家を動かし、政治を決定づける大きな要因となっていくものである。
ゆえに、政治の本当の改革は、民衆の良識と意識の向上を抜きにしてはありえない。
宗教も、政治も、民衆の幸福の実現という根本目的は同じである。
当時の日本の政治家には、何よりも、まず指導理念が欠落していた。
たとえば、世界の平和を口にしても、イデオロギーや民族の違いをどう乗り越えるかという哲学をもつ、政治家はいなかった。
人類は、運命共同体であり、民族や国家、あるいはイデオロギーなどの違いを超えて、地球民族として結ばれるべきである。
そこで、イデオロギーや他国の意向に、左右されるのではなく、民衆の幸福と平和の実現を第一義として、中道の立場から政治をリードしていく政治が期待されていた。
さらに、日本の政治改革のためには、腐敗と敢然と戦う清潔な政治家・政党が望まれていたのである。
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