人生にもしもがあるのか、ないのか?
茂樹は、「もしも」を想っていた。
愛した真紀の死。
元交際相手に刺殺された真紀は、イタリアへの留学が予定されてもいたのだ。
真紀はオペラ歌手として、大成していたかもしれない。
そんな真紀と茂樹の関係は続いていただだろうか?
茂樹は、不動産会社の営業から、建設業界の専門紙の営業になっていた。
高度成長期であり、新聞の広告とりは楽でもあった。
営業で、全国各地へ行き現地の美味しい料理や酒も味わう。
同僚である記者たちに情報も流したので、重宝がられたのだ。
当時、女性記者は珍しかったが、新卒の奥田早苗は、茂樹からの情報を頼りにする。
早苗は、作家になることを夢見ていた。
「芥川賞でも、とれるといいね」
「今は、無理だと思うのだけれど・・・」早苗は頬を赤らめてほほ笑む
茂樹はビル内の食堂で早苗と食事をする機会が増えた。
新聞社はビルの地下1階で、同じフロアーに食堂があった。
9階にはホールがあり、講演会やコンサート会場にもなっていた。
茂樹は真紀を想って、二期会のコンサートに足を向けた。
二期会(にきかい)は、1952年に結成された声楽家の任意団体である。2005年9月に「財団法人二期会オペラ振興会」へ包含されて単独団体としては存在しない。
当初は東京藝術大学(東京音楽学校)出身者中心の団体と言う色彩が強かった。
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