創作欄 取手の人々

2019年06月10日 18時36分45秒 | 創作欄

昨年4月以降、新しい方向へ踏み出そうと大田修は想っていた。
だが、不本意な条件で仕事を継続することとなった。
相手は大田にとって恩義ある人であった。
「人間の道として忘恩の人間にだけはなるまい」と決意してこれまで生きてきた。
当然、育てもらった親に対する恩もある。
大田は借金を重ねて、度々親の援助を受けてきた。
兄の勇治は「親父、おふくろさんも修に甘い。何時までも修は頼り切るだろう。金は老後のために取っておけよ。修の借金の尻拭いはよしたらどうか」と諌めた。
「お前は私立の歯科大学を出た。それなりに金をかけた。修は高卒でそれほど金をかけなかったから、300万円、500万円の借金は仕方ない」不動産業の父親は修をかばう。
「修の借金は競輪や競馬だろう。ドブに金を捨てるようなもんだ。親父もそろそろ修を突き放せよ。あいつはそうしないと一人前の人間になれない」
勇治はそろそろ開業を考えていたので、開業資金の一部を当てにしていた。
「親父、どせなら生きた金を使うべきだ」と自分の思惑に誘導する。
父の豪は茨城県取手市の農家の3男に生まれたが、農業高校を卒業すると東京に働きに出た。
だが、昭和40年代になって、取手市も大きく変わっていく。
多くの田圃や畑が公団住宅や市営住宅、民間住宅に変わっていく。
豪の実家の農地も宅地造成に組み込まれ、長男は土地成金になっていた。
豪は東京の町工場の工員に見切りをつけ不動産業に転身した。
豪は地縁などを生かして不動産業で成功を修めた。


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