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創作 半面教師

2023年12月23日 16時20分01秒 | 創作欄

時恵は、10日に1回の美容院通いであり、高級酒な化粧品も買い続けていた。

母親に反発し続けていた娘の雅子は常に、シャツとセーター、ジーンズ姿だった。

「あんた、オシャレしなさいよ。それでは、何時までも、彼氏ができないわよ」母親の指摘に対いて、「私は私なのよ」雅子は聞き流すのだ。

長男の健一には、娘と息子がいたのに、母親の時恵は孫に「お年玉」を一度もやったことがなかった。

その孫にお年玉を出したのいは、時恵の妹の尚子だった。

彼女は築地の魚河岸の旅館の女将であり、年末にお歳暮を届けに姉の家へやってきて、姉の孫に1万円のお年玉を渡していた。

5歳の愛と3歳の優には、過ぎたお年玉だった。

「お前さん、そんなに気をつかわないでよ」時恵は妹に言うのだが、妹の尚子は「ほんのお年玉よ」と意に介さない。

夫の武は60歳の時に、虚血性心疾患で亡くなった。

夫の死亡保険が、着物のために徐々に減っていくのを、家族の誰も呆れていたのに咎めなかった。

京都に住む母親の兄に対する金の無心よりましだと家族の誰もが思っていたのだ。

「金の無心」とは金をせびること。

特に長男の健一は、幼いころから格別に母親から溺愛されていて、どこまでも母思いの息子だった。

 

 

 

 


ケア中心の社会につながっていく

2023年12月23日 14時54分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

他者が持つ、自分には理解しきれない性質を「他者性」と呼びます。

友人や同僚はおろか、妻や子どもといった家族であっても、完全には理解できません。

どんなに頑張っても、私は妻や娘にはなれないし、私の理解し得ない他者性が残り続けます。

他者には、想像もつかない他者性があるため、他者と意見を完璧に一致させることは、無理だと言えます。

それでは、物事を決めるには、どうすればよいのしょうか。

精神医療を刷新するアプローチ「オープンダイアローグ」の提唱者の精神療法のトム・アーンキルは、「違いを知る対話」と「決定のための対話」を分けるやり方を教えてくれます。

彼が勤めていた研究所では、方針を決定する時などに、まずテーマについてお互いの思いをざっくばらんに語り合う「違いを知る対話」の時間をかけます。

それを経て、お互いを理解した上で。「では、どうするか?」という「決定のための対話」を行うと、方針がうまく決まりやすいそうです。

「違いを知る対話」で大切なのは、相手の言っていることを、そのまま「理解しよう」としることです。

これは、「許し」や「共感」とは違います。

相手の主張が自分の考えと合わない場合でも、理解して許さなくていいし、共感しなくてもいいのです。

たとえ「訳が分からない」と思ったとしても、相手がなぜそう考え、そう話しているのかを「理解しよう」とすることが、相手とつながる根拠になります。

つまり、ありのままのその人の存在をごと承認するのが「違いを知る対話」なのです。

それを経て「決定のための対話」行えば、決定の質がより良いものになります。

これは、とても面倒ことであります。

けれど他者には、自分が想像し得ない他者性があることをみつめていくと、それと同時に、自分自身にも「己の唯一無二性」ともいえる、他者違う固有の性質があることに気付きます。

こうした対話のプロセスが「共に思いやる」「ケアし合う」関係性の基盤になるのです。

ケア中心の生き方が広がれば、自己責任の論理で誰かを排除するのではな、く、誰もが生きやすい社会に少しずつ近づいていくと思っています。

「ケアは実践ありき」なのです。

具体的な関係を結ぶこと。

そうした楽観主義的な実践が、ケア中心の社会につながっていくと信じています。

神戸県立大学・竹端寛 准教授

 


「する時間」より「いる時間」

2023年12月23日 09時51分41秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

仕事などの労働における時間の使い方は、「○○する」という作業を中心にした「する時間」です。

一方でケアでは「いる時間」つまり存在を共にして時間に価値があるんです。

一見すると無駄に思える時間も、そこにいることが、「あなたと共に考え合う」という姿勢につながります。

ケアし合う関係は、お互いを必要とする関係性であり、こうした相互依存的な関係性こそが、ケアの醍醐味だと思います。

「相互依存の世界」の意義は、その対極にある「自己利益の世界」を考えると分かりやすいです。

自己利益を追求するだけという弱肉強食の論理では「次に追い落されるのは自分かもしれない」という不安と恐怖が生まれます。

そこには、競争に負けるのは自分の責任という強迫的な自己責任の論理があります。

それとは違い、妻や子どもと一緒にいる相互依存的な関係性は、自分中心主義では成り立ちません。

子の体調、やりたいことを優先しつつ、親自身の考えと折り合いをつける日々は、親の自己利益のみでは完結できません。

子どもを中心に回る生活は、親にとっては利他的というか、没我的な関係であります。

私の場合、自己利益の世界を超えることで、「責任」に関する感覚の転換がありました。

「自己利益」には懲罰的な響きがあります。

自分でしたことなのだから、自分で責任を取らなければならない、という義務の論理です。

一方、子どもの養育は、親にとって義務でもありますが、同時に喜びでもあります。

懲罰的な自己責任とは違った、より肯定的な責任を引く受ける感覚があるのです。

政治学者のヤシャ・モンクは、育児や困窮状態の親類の世話についても、それも一つの社会的貢献であると述べ、肯定的責任像を提起しています。

私も、家事や育児の責任を引き受ける中で、自分には父親として生きる意味や価値があるのだと、自分の存在を丸ごと肯定的に感じられるようになりました。

娘へのケアは、私を力づけてくてることもあったのです。

ケアし合う関係は、ケアを試みる側の人間的な成熟にも、大きな役割を果たします。

かつて、仕事の成果や他人との比較でしか自分を評価できなかった私自身が、娘へのケアを通して、生きる姿勢が大きく変わっていたのです。

こうした変化は、親子だけに限りません。

私自身の学生との関わり方の変わりました。

以前は、リポートの提出期限を守れない人を「ダメな学生」と思い込んでいました。

けれど、今は「言語化できない苦しいことがあるのかも」と、考えるようになりました。

自己責任の論理で見れば、「期限を守れないと、社会では通用しないよ」と、責めたくなります。

しかし、本当は社会が許さないのではなく、「私があなたを許せない」と言いたかったのかもしれません。

弱肉強食の論理の中で、これまで「ちゃんとやってきた」自分の成功体験に引き当てると、一人一人の事情に思いをはせた関わりが、できにくくなります。

だからこそ、変わらないといけないのは「指導する側」だと思います。

ケアし合う関係性をつくるために、子どもでなく親が、生徒ではなく教師が、部下でなく上司が、変わることが求められているのです。

神戸県立大学・竹端寛 准教授

 


「強くなることだ」「負けてはいけない」

2023年12月23日 09時22分41秒 | その気になる言葉

▼成長とは自分自身との戦いである。

▼日々、自らを厳しく戒め、挑戦し続けていく人こそが、真の勝利者となるのだ。

▼偉大な仕事をなす人には、人一倍、大きな苦悩があり苦労がある。

▼ゆえに必要なのは、逆境をも財産に変えていける不屈の魂である。

そして、何があろうとも、自ら決めた使命の場で<本物>を徹底して追及しゆく揺るぎなき信念である。

▼「強くなることだ」「負けてはいけない」と温かくも力強く励まされる。

▼時には心が折れそうな時もあった。

だが、多くの人の励ましが背中を強く押してくれた。

同志のおかげて前進することができた。

「同志」の意味は”同じ考えを持つ人” 「同志」の意味は、“同じ志を持つ人”のことです。わかりやすく言えば、、同じ考えや理想、主張や派閥、夢や願望などが同じで、志を同じくする人のことをさす。

▼自分を信頼し、信頼できる仲間と「ケアし合う関係」を広げれば、豊かな社会につながる。


「日記」をつけることの価値

2023年12月23日 08時18分05秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

忙しいデジタル時代。

絶えず膨大な情報と接し、他者とつながり続ける日々。

だが、今日、「日記」をつけることの価値が改めて注目を浴びている。

日記のなかで、ありのままの思いを書き出すことは、頭と心を整理し、気付きを生むものだ。

メンタルヘルスの観点からも有効であるそうだ。

日記は自身の足跡を確かに刻むものだ。

誰に見せるためでもない日記には、何を書いてもいい。

何げない日常の一コマに始まり、人生の記念日とまる思い出まで。

喜び、葛藤、反省、感謝・・・。

目まぐるしく過ぎていく日常だからこそ、ふと身の回りを見つめ直す時間を持ちたい。

自らと向き合うために始めた日記はそのまま「自身の信念と即生活」の歩みともなる。

後から振り返れが、昨日より今日、今日より明日の成長を刻む歴史の一ページとして光るだろう。

 


団地という<人間共和の幸福の城>

2023年12月23日 08時18分05秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼友情とは、感謝の心をもち、その気持ちを相手に伝え、報いようとしているなかで深まっていくものだ。

▼<目の前の同志がどうすれば奮い立つか>人生の師匠は、そのことに命を削る激闘を続けた―その師匠を範して、弟子たちは前進していくのである。

▼「師匠にお会いすることはなかったけれど、いつも先生の言葉を胸に生きてきました」

「先生の書籍と<対話>しながら、職場・地域社会で頑張っていきたい」との青年の熱い心意気である。

▼周囲を支え、頼りとなって団地という<人間共和の幸福の城>は、日本の高度成長期に次々に建設された。

当時の<憧れの住まい>も、今は住民の高齢化や建物の老朽化などの課題が山積されている。

▼団地に希望と活力を―あいさつと笑顔の心の交流で<生命の共和>へ向けて、団地・地域貢献活動へ積極的に取り組む。

目のまえの一人を大切に訪問・激励を推進する。

励まし合い、助け合う連帯を。