利根輪太郎の競輪人間学 GⅠレースも出目作戦で

2023年11月27日 10時23分52秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅠ    小倉競輪 朝日新聞社杯競輪祭

最終日(⒒月26日)

1レース 2-1-9 9,830円(22番人気)

2レース 3-1-6 7万6,190円(247番人気)

2レースは1レースの上がり目。

3-1は出目作戦でなければ、買えない車券なのだ!

3レース 9-1-7 6,170円(15番人気)

4レース 9-4-1 4,870円(7番人気)

5レース 8-1-5 4,100円(6番人気)

5レースは3レース9-1の下がり目の8-1。

6レース 5-2-4 1万590円(28番人気)

7レース 3-1-7 2万6,160円(93人気)

1着に1番が来る日なので、3番の清水 裕友選手が軸なば、1番の山崎 賢人選手は当然買いである。

<出目の流れ>つまり、その日の車券に絡む<数字の頻度>に、あくまでも着目するのである。

8レース?

出目作戦では、本命1番の<隣の2番から買え>である。

しかも、6レースには、5-2の目が出ている。

つまり、5-2の下がり目の4-2を買えの合図である。

そこで、4-2と裏の2-4の3連単と、2-1、2-7の3連単の車券を買ったのだ。

1番人気1-2(10・9倍)

結果 2-4 6,490円(25番人気) 2-4-1 2万7,460円(98番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 山口 拳矢   11.0 B  
  2 4 伊藤 旭 2車身 11.1    
3 1 新田 祐大 5車身 11.6   S  
  4 5 阿竹 智史 1車身 11.5      
5 3 諸橋 愛 1/4車輪 11.6      
× 6 9 北井 佑季 3車身 11.9      
7 7 浅井 康太 2車身 12.1      
  8 8 取鳥 雄吾 7車身 12.3      
9 6 小原 佑太 3/4車身 12.9

 

 

 

 


映画 「月」

2023年11月27日 10時23分52秒 | 未来予測研究会の掲示板

絶賛公開中! 映画」オフィシャルサイト

https://www.tsuki-cinema.com

解説 実際の障害者殺傷事件を題材に、2017年に発表された辺見庸の小説「月」

本作は、『新聞記者』、『空白』を手掛けてきたスターサンズの故・河村光庸プロデューサーが最も挑戦したかった原作だった。

それを映画化するということは、この社会において、 禁忌 タブー とされる領域の奥深くへと大胆に踏み込むことだった・・・。

石井裕也監督は2016年の相模原障害者施設殺傷事件を映画化したいという思いを抱き続け、辺見庸は小説「月」を上梓(じょうし)した。

長年の辺見ファンという石井監督は「月」の文庫版あとがきを書き、「月」の映画化を模索していた故・河村光庸プロデューサーがその文章を読んで、石井監督に話を持ちかける。かくして石井監督が「覚悟を決めた」と取り組んだのがこの映画である。もとより事件の映画化に物議はあろうし、その描き方に反発する向きもあろう。しかし映画が投げかける問いは根源的で、見る側の覚悟を問うのである。

森の中にある重度障害者施設「三日月園」に職を得た元小説家の洋子(宮沢りえ)は、同僚の陽子(二階堂ふみ)やさとくん(磯村勇斗)らと働きながら施設の現実を知っていく。

洋子は、熱心で親切だったさとくんが次第に〝ムダなものはいらない〟という思想を育んでいくのを知るのだが……。

肢体不自由で口もきけない入所者「きーちゃん」の独白として構成されていた小説を反転し、映画はきーちゃんと同じ生年月日の洋子を主役とした。そしていくつもの声を交錯させる。

洋子は東日本大震災を題材とした小説で受賞したが、その後書けなくなっている。

障害を持った子どもを幼くして亡くし、新たに妊娠が分かっても産むかどうか葛藤する。

小説家志望の陽子は才能のなさを自覚して洋子に嫉妬し、「きれいごとだけ書いている」と毒のある批判を投げつける。洋子の夫昌平(オダギリジョー)はひたすら楽天的だが、人形アニメ作家としては芽が出ない。さとくんにはろう者の恋人がいる。施設の園長は園内の虐待を見ぬふりをする。

映画は、施設での虐待の実態やさとくんの犯行も描写して事件を再現するが、その異様さを訴えるだけではない。

むしろ、事件を「異常事態」「特殊事例」と片付けようとする常識、良識を問うている。

「不都合なことは全部隠蔽(いんぺい)」「なかったことにしたいんですよね」「無傷で手ぶらで、善の側に立とうとするのはずるい」……。セリフの一つ一つは、観客に向かって突き刺さるのである。2時間24分。東京・新宿バルト9、大阪・T・ジョイ梅田ほか。(勝)

ここに注目

洋子と昌平の夫婦や洋子の妊娠が、施設やさとくんと私たちの橋渡しとなる。

距離を置いてきた問題や疑問にいや応なく直面させるのだ。陽子が洋子を批判するストレートな言葉が追い打ちをかける。

さとくんの心が独断に向かう変遷をあえて丹念にたどらないのはなぜか、犯行前のさとくんと洋子が対峙(たいじ)する場面をどう受け取るか。投げつけられる問いに心がきしむ。

高みの見物を決め込んでいた私たちは、欺まんと葛藤の渦に引きずり込まれる。

見たいものだけを見て、触れたいものだけに触れる現代社会への警鐘とアンチテーゼが充満している。(鈴)

技あり

鎌苅洋一撮影監督が頑張って撮った。この題材を映画に仕上げるのは大仕事だ。

「三日月園」だけでも、入所者の個室や園長室、スタッフ控室などを描き分けなければならない。

中でも洋子とさとくんの長い芝居が難物。蛍光灯の青白い光で照らされた薄暗い控室に、洋子がいる。

電灯はあるが暗い廊下をさとくんがやって来る。鍵箱に鍵を戻して向き直り、〝生産性のない入所者〟を社会のために抹消する決心がついたと言うさとくんに、「絶対に駄目」と返す洋子。洋子のアップにサイズの違うアップを重ね、内心の葛藤を描こうとする工夫もい

原作は、実際の障害者殺傷事件に着想を得て、2017年に発表された辺見庸の同名小説。

人間存在と社会の在り方にまつわる本質的な問いを突きつけたこの小説の映画化を2022年6月に急逝したスターサンズの故・河村光庸が生前に企画。その河村からオファーを受け、「舟を編む」(13年)や「茜色に焼かれる」(21年)の石井裕也がメガホンをとった。

物語の舞台は、深い森の奥にある重度障害者施設「三日月園」。

ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は書けなくなった元有名作家。

夫の昌平(オダギリジョー)と愛に満ちた慎ましい暮らしを営んでいる。

施設では、作家志望の若い職員の陽子(二階堂ふみ)や、絵の好きな青年さとくん(磯村勇斗)らと親しくなる。

そしてもうひとつの出会いは、光の届かない部屋で、ベッドに横たわったまま動かない〝きーちゃん〟だ。

洋子は施設の仕事にはだんだん慣れてきたものの、この職場は決して楽園ではない。

洋子は他の職員による入所者への心ない暴力や虐待を目の当たりにする。

そんな理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく。「やっと決心がつきました。頑張ります。

この国のためです。意味のないものは僕が片づけます」 。そして、その日がやってくる。


メディアの風景 (毎日新聞2023年11月27日)

理解できない事件の描き方 時に想像力も必要に=武田徹

映画版「月」も原作と同様に、聞こえない声を聞こうとする。

例えば出生前診断で障害児が生まれるおそれを指摘された妊婦の9割以上が中絶を選ぶ。

映画はそうした一種の「タブー」の領域に踏み込もうとする。

そして誰もが存在価値が認めずに殺される側にも殺す側にもなりえる。

現代社会の実相が描かれる。

想像力をフィクションの世界で遊ぶのではなく、取材では到達できない深層の現実の理解に役立つと信じる仮設の提示に用いる。

真は偽をえり分ける精度だけでなく、そうした仮設を示す姿勢の真摯さでジャーナリズムを測る必要も時にはあるのではないか(専修大学教授、評論家)


利根輪太郎の競輪人間学 あくまでも出目作戦

2023年11月27日 10時08分51秒 | 未来予測研究会の掲示板

FⅠ いわき平競輪 EIRINフェス・サンスポ杯

最終日(11月26日)

1レース 7-3-5 2,790円(9番人気)

2レース 7-2-3 8,540円(30番人気)

2レースは1レースの下がり目。

3レース 2-3-1 9,560円(29番人気)

4レース 1-3-7 1万7,360円(71番人気)

4レースは3レースの下がり目

7レース 1-5-4 1万5,730円(46番人気)

8レース 1-4-2 1,110円(3番人気)

8レースは7レースの下がり目

9レース 2-5-7 720円(1番人気)

10レース 2-6-3 3,100円(4番人気)

10レースは9レースの上がり目。

偶然と言えば偶然の出目の流れに!

 


競輪獲得賞金ランキング 2023年 男子

2023年11月27日 09時57分57秒 | その気になる言葉
 

 


「大きな心」から、大いなる友情のドラマが生まれる

2023年11月27日 08時48分01秒 | その気になる言葉

▼自分の可能性を信じられない限り、自分が輝ける仕事はない。

▼自分の夢を諦めて、どうするのか?

強い一念を呼び覚ます「祈り」があるはず、挑戦を諦めてはならない。

▼可能性を疑う心と対峙する時もあった。

そのたびに、師の確信の励ましの言葉に触れた。

▼どんな困難にも負けない<人間としての強さ>を育むことだ。

▼人を包みゆくことだ。

大きな河のような自分になるのだ。

大きな海のような自分になるのだ。

その「大きな心」から、大いなる友情のドラマが生まれるのだ。

▼一人一人と誠実に向き合い、励ましを広げていくのである。


1980年代の日本

2023年11月27日 08時22分17秒 | 社会・文化・政治・経済

日本の元号では、昭和55年から昭和64年/平成元年に当たる。

戦後日本経済は80年代後半におけるバブル経済によって絶頂期を迎える。

世相
日本の自動車生産台数が世界一となった。
ホワイトデーが初めて全国規模で行われた。
モスクワオリンピックが開催されたが、日本をはじめとする西側諸国の約50カ国がボイコットした。
竹の子族が出現した。
この年発売されたゲーム&ウオッチ(任天堂)やルービックキューブ(ツクダオリジナル)、チョロQ(タカラ、後のタカラトミー)といった玩具が流行した。
身代金目的誘拐事件が当時、史上最多となる13件を記録。
誘拐された被害者11人のうち、4人(富山・長野連続女性誘拐殺人事件の被害者2人と、司ちゃん誘拐殺人事件・名古屋女子大生誘拐殺人事件の各被害者)が殺害された。
石津謙介は、8月に相次いで発生したこの年の三大災害(富士山大規模落石事故・静岡駅前地下街爆発事故・新宿西口バス放火事件)を指し、「一富士二鷹三茄子」とかけた造語「一富士、二地下、三バスビ」を生み出した。
また、山藤章二は『週刊朝日』に「悪夢三題 一富士二地下三バス火」と題した風刺画(1980年9月5日号に掲載)を寄稿している。

4月1日
広島市が10番目の政令指定都市に移行。
大塚製薬から「ポカリスエット」が発売される。
4月23日 - 朝日新聞東京本社が東京都千代田区有楽町の旧社屋から東京都中央区築地の新社屋に移転。
4月25日 - 一億円拾得事件。
5月19日 - ハプニング解散:自民党の党内抗争によって内閣不信任案が可決され解散総選挙となるが、その期間中に大平正芳首相が急死。後任は鈴木善幸。
5月28日 - プロ野球で張本勲(ロッテオリオンズ)が史上初の3000本安打を達成する。
7月3日 - イエスの方舟事件。
7月25日 - ルービックキューブが日本で発売。
8月16日 - 静岡駅前地下街爆発事故。死傷者200人以上。
8月19日 - 新宿西口バス放火事件。
10月1日 - 昭和55年国鉄大ダイヤ改正実施。
10月21日 - プロ野球で長嶋茂雄が読売巨人軍監督を辞任。後任には藤田元司就任。
11月4日 - プロ野球で王貞治(読売巨人軍)が現役引退。
11月20日 - 川治プリンスホテル火災。45人の死者を出す戦後3番目の大惨事に。
11月29日 - 川崎市で金属バット両親殺害事件発生。
ゆとり教育が実施される。
東大寺大仏殿の修理工事が完了する。

1981年
2月5日 - 寺尾聰のシングル「ルビーの指環」が発売。
2月15日 - 日本劇場が閉館[書籍 10]。
2月23日 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。
3月2日 - 中国残留孤児が初来日。
3月20日 - 神戸市でポートピア'81が開幕(- 9月15日)。
3月31日 - 1970年代に活躍したアイドルユニットのピンク・レディーが解散(→2010年に正式に再結成する)。
5月16日 - フジテレビでお笑いバラエティ番組「オレたちひょうきん族」放送開始。
8月22日 - 台湾で遠東航空機墜落事故発生。作家向田邦子などが犠牲になる。
9月25日 - フジテレビで開局以来続いたトーク番組「スター千一夜」が放送終了、22年半の歴史に幕。
10月1日 - 東京12チャンネルが「テレビ東京」に社名変更。
10月16日 - 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。
10月19日 - 福井謙一が日本人初のノーベル化学賞を受賞。
大相撲で千代の富士貢が横綱に昇進する。
浅草サンバカーニバルが開幕。
大相撲で大関の貴ノ花利彰・横綱の輪島大士、三重ノ海剛司が現役を引退。
フジテレビで「Dr.スランプ アラレちゃん」というタイトルで「Dr.スランプ」をアニメ化。大ヒットし、テレビアニメ歴代視聴率3位を記録する。
1982年
2月8日 - ホテルニュージャパン火災。
2月9日 - 日本航空350便墜落事故発生。
3月1日 - テレビ東京で初の地方系列局、テレビ大阪が開局。
4月1日 - 500円硬貨発行。
6月23日 - 東北新幹線開業。
7月21日 - 女性デュオあみんの「待つわ」が発売。
7月23日 - 長崎大水害。
8月19日 - 松山ホステス殺害事件。
10月1日 - 最初のコンパクトディスクプレーヤー (CDP-101) とCDソフトをソニーが発売。
10月13日 - NECがパーソナルコンピュータPC-9801を発売。
10月18日 - 三越事件で社長の岡田茂が逮捕。
11月10日 - 中央自動車道が全線開通。
11月15日 - 上越新幹線開業。
11月27日 - 鈴木善幸首相辞任、第1次中曽根内閣が発足。
12月23日 - テレホンカード発売。
タモリ司会の番組「笑っていいとも!」(フジテレビ)と「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)が放送開始。
プロ野球のロッテオリオンズの落合博満が28歳10ヵ月の最年少三冠王を達成する。
漫画界の聖地と呼ばれるトキワ荘が解体。
人工知能コンピュータの開発を目指す国家プロジェクト(財)新世代コンピュータ開発機構 (ICOT) 設立。
1983年
1月9日 - 初代農林水産大臣・中川一郎代議士が自殺する。
2月13日 - ハワイアン・オープンで青木功が日本人初のアメリカPGAツアー優勝を果たす。
3月24日 - 中国自動車道が全線開通。
4月3日 - 「キン肉マン」が日本テレビ系列でアニメ化放送される。キン肉マンのキャラクター人形キン消しブームが起こる。
4月15日 - 東京ディズニーランド開園。
5月26日 - 日本海中部地震。(M7.7)
6月13日 - 戸塚ヨットスクール事件が起こり、校長の戸塚宏や他のコーチらが生徒に対する監禁・傷害致死により逮捕される。
7月15日 - 任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)が発売。
10月3日 - 三宅島大噴火。
10月12日 - ロッキード事件の公判で元首相の田中角栄に実刑判決。
NHK朝の連続テレビ小説「おしん」が最高視聴率62.9%を更新し連続ドラマ視聴率の日本記録をマークする(更新中)。
1984年
1月9日 - 日経平均株価が終値ではじめて1万円を突破。
2月1日 - 日本国有鉄道が貨物列車の大幅削減を伴う昭和59年国鉄ダイヤ改正実施。
2月12日 - 植村直己がアラスカのマッキンリーに登頂達成後、下山途中に消息不明に。後に国民栄誉賞が贈られる。
3月11日 - アニメ映画『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督)劇場公開。
4月6日 - 大正から昭和にかけて時代劇を中心に活躍した俳優の長谷川一夫が死去。後に国民栄誉賞が贈られる。
3月18日 - グリコ・森永事件。
5月20日 - 大相撲で初の外国人関取である高見山大五郎が現役を引退。
9月19日 - 東京・永田町の自民党本部が放火され炎上(自由民主党本部放火襲撃事件)。
9月23日 - 蔵前国技館が31年目にして閉幕。
10月19日 - 西明石駅構内で列車衝突事故(西明石駅列車脱線事故)。
11月1日
新紙幣発行[書籍 43]。「1万円札福澤諭吉」「5千円札新渡戸稲造」「千円札夏目漱石」。
第2次中曽根改造内閣発足。
11月11日 - シンボリルドルフが菊花賞を勝ち、前年のミスターシービーに続き2年連続、日本競馬史上4頭めの三冠馬となる。(無敗の三冠馬は史上初)
11月16日 - 東京都世田谷区の通信ケーブル火災で電話などがマヒ。
11月20日 - 週刊少年ジャンプの漫画「ドラゴンボール」(鳥山明)。
12月7日 - 高級ディスコ麻布十番マハラジャがオープン。社会現象と呼ばれるほどの人気を博した。80年代後半のバブル経済期に高級ディスコブームを巻き起こす元祖となる。
12月20日 - 電電公社民営化法案成立。
オーストラリアからコアラ6頭が贈られて日本に初めて上陸。コアラブームに(これにちなみコアラのマーチが発売された)。
ロサンゼルスオリンピック開催。柔道の山下泰裕が金メダルを獲得。後に山下に国民栄誉賞が贈られる。
日本の平均寿命が男女とも世界一に。
日本学術ネットワークJUNETの運用開始。日本のインターネットの礎となった。
フジテレビで夕方のワイドニュース番組「FNNスーパータイム」放送開始。テレビ各局で「ニュース戦争」が勃発する。
1985年
1月1日 - シェル石油と昭和石油が合併し、商号を昭和シェル石油に変更。
1月9日 - 新生両国国技館が完成する。
1月15日 - 横綱の北の湖敏満が現役を引退。
1月27日 - 暴力団山口組の竹中正久組長・中山勝正若頭が射殺される。(山一抗争)
3月8日 - 芦屋市幼児誘拐事件が発生。
3月16日 - 国際科学技術博覧会(つくば万博)開催。
3月21日 - 日本初のエイズ患者を認定。
4月1日 - 日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社 (NTT) に、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社 (JT) に民営化。
5月17日男女雇用機会均等法が成立。
6月17日 - 柔道の山下泰裕が全日本柔道選手権大会で9連覇を達成し203連勝のまま現役を引退。
6月18日 - 豊田商事事件。豊田商事の永野一男会長が報道陣の目の前で暴漢に殺害される(豊田商事会長刺殺事件)。
8月12日 - 日本航空123便墜落事故発生。歌手の坂本九らを含む乗客520人が死亡。日本の航空機事故では史上最悪の大惨事となった。
8月15日 - 中曽根康弘首相が終戦の日に靖国神社を参拝する。
9月 - NTT、最初のハンディタイプ携帯電話機「ショルダーホン」発売。
9月11日
ロス疑惑の三浦和義容疑者が逮捕[書籍 60]。
女優の夏目雅子が死去[書籍 61]。
9月22日 - G5がプラザ合意声明[書籍 60]。日本ではその後のバブル景気の原因のひとつになる。
9月28日 - TBSで16年間放送されたザ・ドリフターズ出演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」が放送終了。
10月1日 - 花王石鹸株式会社、「花王株式会社」に社名変更。
10月2日 - 関越自動車道が全線開通(前橋IC - 湯沢IC)[書籍 62]。
10月4日 - 東京で56年ぶりに震度5の揺れを観測[書籍 62]。当時戦後において東京は震度5以上の地震を一度も経験しておらず、また地震発生時帰省ラッシュだったため、交通状態が非常に悪かった。
10月7日 - テレビ朝日で久米宏をキャスターに起用した報道番組「ニュースステーション」放送開始。
10月16日 - テレビ朝日「アフタヌーンショー」で放送された中学生のリンチシーンがやらせであることが発覚し、やらせを示唆したディレクターが逮捕され、同番組も打ち切りとなる。
11月2日 - 日本プロ野球の阪神タイガースが日本シリーズで西武ライオンズを破り、球団設立51年目にして初の日本一に輝く[書籍 63]。
11月29日 - 過激派による国電同時多発ゲリラ事件。首都圏、大阪を初め各地で線路のケーブルが切断されダイヤが混乱。600万人に影響が出る[書籍 54][書籍 64]。
12月28日 - 第2次中曽根第2次改造内閣発足[書籍 55][書籍 65]。
ソフトウェアの生産向上を目指す国家プロジェクトΣプロジェクト開始。
1986年
詳細は「1986年の日本」を参照
2月1日 - 中野富士見中学いじめ自殺事件が起こる[書籍 66][書籍 67]。
2月21日 - 当時は世界最長寿とされた泉重千代が120歳で死去(105歳説あり)[書籍 68]。
4月1日 - 男女雇用機会均等法施行[書籍 66][書籍 69]。
4月8日 - 当時のアイドル歌手・岡田有希子が東京都新宿区内のビルで、飛び降り自殺[書籍 66][書籍 70]。その後、ファンの後追い自殺が相次ぎ、国会でも取り上げられるなど社会問題化する[書籍 66][書籍 70]。ちなみに、この年の10〜14歳の自殺者数は戦後以来最多となった。また、自殺者総数でも1997年以前ではこの年が戦後最多だった。
5月27日 - ファミリーコンピュータ用ソフト「ドラゴンクエスト」発売。
6月1日 - 上野動物園のジャイアントパンダ、トントン誕生。
6月5日 - 新潟県佐渡島のトキが2羽に。
7月6日 - 第38回衆議院議員総選挙・第14回参議院議員通常選挙の同時選挙[書籍 71][書籍 72]。
7月22日 - 第3次中曽根内閣発足[書籍 71][書籍 73]。
9月6日 - 社会党、土井たか子が主要政党で日本初の女性党首に[書籍 71][書籍 74]。
10月24日 - テレビ朝日の音楽番組「ミュージックステーション」が放送開始。
11月1日 - 道路交通法改正、自動車の一般道路におけるシートベルトの着用が原則義務化[書籍 75]。
11月15日 - 伊豆大島三原山が大噴火。全島民が避難[書籍 76]。
12月9日 - ビートたけしとたけし軍団によるフライデー襲撃事件が起こる[書籍 77]。
12月28日 - 山陰線余部鉄橋列車転落事故[書籍 66][書籍 78]。
急激な円高によるプラザ合意不況・半導体不況。
週刊少年ジャンプ の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦)が連載開始。
1987年
詳細は「1987年の日本」を参照
3月30日 - 安田火災がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札する[書籍 79][書籍 80]。
3月31日 - 三井物産マニラ支店長誘拐事件の誘拐被害者である若王子信行が解放される[書籍 81]。
4月1日 - 国鉄が分割・民営化、JRグループが発足[書籍 82][書籍 80]。
5月3日 - 朝日新聞社阪神支局襲撃事件(赤報隊事件)[書籍 79][書籍 83]。
5月10日 - 帝銀事件の容疑者とされる平沢貞通が39年間の獄中の末に死去[書籍 84]。
6月13日 - プロ野球選手の衣笠祥雄(広島)がルー・ゲーリッグの持つ連続出場記録2130試合の記録を塗り替える世界連続出場記録を樹立(引退まで2215試合出場)[書籍 79][書籍 85]。後に国民栄誉賞が贈られる。
7月17日 - 戦後を代表する俳優の石原裕次郎が死去。
9月9日 - 東北自動車道が全線開通[書籍 86]。
10月12日 - 利根川進が日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞[書籍 79][書籍 87]。
10月30日 - NEC-HEとハドソンが共同開発したゲーム機「PCエンジン」が発売。
11月6日 - 竹下内閣発足[書籍 82][書籍 88]。
11月8日 - 後楽園球場が50年目にして閉場する。
12月17日 - 千葉県東方沖地震[書籍 89]。
12月31日 - 所属部屋とのトラブルで失踪していた大相撲の横綱双羽黒光司が廃業を発表。
土地や証券の投機が経済全体に波及。いわゆるバブル経済が1991年まで続く。
日経平均株価が終値ではじめて2万円を突破。
大相撲で小錦八十吉が外国人で史上初の大関に昇進する。
フジテレビが地上波テレビ局としては初の24時間放送(終夜放送)を開始。
歌手マイケル・ジャクソンとマドンナが来日公演を行う。
1988年
3月13日
青函トンネル開通。
一本列島:本州と北海道・四国を結ぶJRの鉄道路線も開通し、JRグループ初となる大幅なダイヤ改正を実施。
3月17日 - 東京ドームが完成。
3月18日 - 名古屋妊婦切り裂き殺人事件。
4月10日 - 瀬戸大橋開通。
6月18日 - 新聞の報道によりリクルート事件が発覚。
7月23日 - なだしお事件。
9月14日 - ダイエーはプロ野球球団・南海ホークス(パ・リーグ)を南海電気鉄道から買収することを発表。翌シーズンからチーム名は「福岡ダイエーホークス」に改称。
10月3日 - 日本テレビ系列のアニメ番組「それいけ!アンパンマン」放送開始。
10月19日 - オリエント・リースは阪急ブレーブスを阪急電鉄から買収することを発表。オリエント・リース社は翌1989年4月に会社名を「オリックス」に変更し、チーム名も「オリックス・ブレーブス」となった[書籍 97]。
12月27日 - 竹下改造内閣発足。
昭和天皇の病気が報道され、日本各地で祭行事やイベントの自粛・延期が相次ぐ。
日経平均株価が終値ではじめて3万円を突破。
大相撲で横綱千代の富士貢が53連勝を達成する
テトリスがセガよりアーケードゲーム版として発売される。
1989年
詳細は「1989年の日本」を参照
1月7日 - 昭和天皇が病気のため崩御。翌8日、昭和(1926年 - 1989年)から平成へ改元。
2月9日 - 戦後を代表する漫画「鉄腕アトム」で知られる国民的漫画家・手塚治虫が死去。
3月2日 - 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町で弥生時代の遺跡だと推定される吉野ヶ里遺跡が発掘される。
3月29日 - 女子高生コンクリート詰め殺人事件発覚。
4月1日 - 消費税スタート。
4月21日 - 任天堂の携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」が発売。
4月27日 - 松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助が死去。
6月2日 - リクルート事件で竹下内閣総辞職し、6月3日に宇野内閣発足。
6月24日 - 戦後を代表する女性歌手の美空ひばりが死去。後に女性としては初の国民栄誉賞を受賞する。
7月23日
第15回参議院議員通常選挙[書籍 99]。自民党大敗により宇野宗佑首相辞意表明。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件:東京都八王子市で宮崎勤が幼い姉妹を狙った強制わいせつで現行犯逮捕。
8月10日
第1次海部内閣内閣発足。
宮崎勤が「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」への関与を自供。
9月27日 - 横浜ベイブリッジ開通。
11月4日 - オウム真理教問題を追及していた弁護士・坂本堤とその一家がオウム真理教幹部により殺害される。(→坂本堤弁護士一家殺害事件)
12月29日 - 日経平均株価が史上最高値38,915円を記録。

社会
全国で校内暴力が発生し、中学校におけるいじめが陰湿化・暴力化する。
山口組三代目組長田岡一雄の死(1981年死去)に伴い組長の後継者争いで山口組四代目と一和会に分裂し山一抗争が起こる。
国内外での赤軍による活動が下火を迎える。
1980年代後半に入ると、少子化が深刻化しはじめる。1984年には1.84だった合計特殊出生率は、1989年には過去最低の1.57まで下落し、出生数も1980年代前半の150万人台から、1989年には124万人に減少している。
国鉄の赤字ローカル線(特定地方交通線)の廃止が進められる(1983年 - 1990年)。これを受けて第三セクター鉄道が全国各地で設立される。
ダイエー・マルエツ・イトーヨーカ堂などの大手のスーパーマーケットやショッピングセンターの普及と土地価額の急上昇がきっかけで、全国各地の商店街にシャッター通りが存在するようになる。
経済
ビジネス向けのパソコンが出現し、オフィスや家庭にワープロが普及。オフィスのOA化が進展した。
ラップトップパソコンが現れ、1989年以降はノートパソコンへ取って代わられる。
全国にコンビニエンスストアが普及する。
円高が進行し、中盤まで低成長時代。後半には超低金利政策によるバブル景気が発生、大都市圏で地価が極端に急上昇し、株価も急上昇する。
円高や貿易摩擦を背景に日本企業の間で北米や東アジアなど海外に生産拠点を移す動きが活発化。
災害
1980年(昭和55年)12月~1981年(昭和56年)3月 - 五六豪雪 死者133名、行方不明者19名。
1982年(昭和57年)7月~8月 - 昭和57年7月豪雨(長崎大水害)と昭和57年台風第10号 死者427名、行方不明者12名。
1983年(昭和58年)
5月26日 - 日本海中部地震 死者104名。
7月 - 昭和58年7月豪雨 死者112名、行方不明者5名。
10月3日 - 三宅島噴火 住宅焼失400棟、人的被害なし。
1983年(昭和58年)12月~1984年(昭和59年)3月 - 五九豪雪 死者131名。
1984年(昭和59年)9月14日 - 長野県西部地震 死者29名。
1986年(昭和61年)11月15日~12月 伊豆大島噴火 住民全員が島外避難、人的被害なし。
科学と技術
文化と芸術
流行
女子大生ブーム。
価値観の世代ギャップを表現した言葉「新人類」が流行語に。
女子中高生の間で少女小説が人気になり、1990年代のライトノベル定着の布石に。
女性漫画家が少年誌・青年誌や成人向け漫画に作品を執筆することが一般化した。
女子中高生の間で変体少女文字(丸文字)の流行が全盛を極める。
前半

なめ猫等に代表される不良ブーム
ロリコンブーム。
アングラ演劇と呼ばれた小劇団が市民権を得、小劇場ブームが起こる。
1960年前後に生まれた若者の間から、いわゆるおたく層が発生。
後半

アダルトビデオが登場し、ポルノ映画が衰退する。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件以来、おたくが注目を集めるようになる。
アナログレコードからコンパクトディスクへの過渡期を迎え、音楽シングルの売上が一時期低迷する。
高級ディスコチェーンマハラジャが大ブーム。1989年にはハワイ店を出店。
円高を背景に私立高校では、修学旅行の行き先に海外を選ぶ学校が増加する。
ファッション
オリーブ少女
前半

女性の間でアイドルを意識・模倣したファッションが流行し、聖子ちゃんカット・ロングスカートが流行する。
竹の子族
後半

女性の間で髪型のポニーテール・ストレートヘアが流行
建築

福岡タワー(1989年)
「日本近代建築史」および「1980年代の建築#日本の主要作品」も参照
1989年 光の教会 - 安藤忠雄
1989年 幕張メッセ - 槇文彦
瀬戸大橋 (1988年)
漫画・アニメーション・子供文化
詳細は「日本のテレビアニメ作品一覧 (1980年代)」を参照
藤子不二雄大旋風が吹き荒れ、「ドラえもん」を筆頭に、1960年代にアニメで放映していた「オバケのQ太郎」・「パーマン」・「怪物くん」や新たに「忍者ハットリくん」・「プロゴルファー猿」などが放映される。1988年1月にコンビを解消し、後に藤子・F・不二雄・藤子不二雄Aとして別々に活動する。
前半
LSIを利用した電子ゲームブーム。中でもゲーム&ウオッチが大ヒットとなる。
少年漫画でラブコメディが流行、ラブコメを得意とする『週刊少年サンデー』が「うる星やつら」「タッチ」「ふたり鷹」などの連載で最盛期を迎える。
少年漫画「Dr.スランプ」が大ヒット、作中の「アラレ語」が流行語になる。
後半
バイクブーム。バリバリ伝説などの漫画を期に、ゼロヨンやローリング族が大流行した。
任天堂の「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)が大ブームとなり、テレビゲームが普及した。
「北斗の拳」「ドラゴンボール」「シティーハンター」などが連載され、少年漫画誌『週刊少年ジャンプ』が空前の人気に(ジャンプ黄金期)。
「ドラえもん」を筆頭に「おぼっちゃまくん」・「ダッシュ四駆郎」・「つるピカハゲ丸くん」などが連載され、児童漫画誌『コロコロコミック』が空前の人気に(コロコロの黄金時代)
子供たちの間で高橋名人・聖闘士星矢・霊幻道士・ビックリマン・ミニ四駆がブームを及ぼす。
テレビ・芸能界
1970年代に活躍したアイドルは陰りを迎え、新たなアイドル・お笑い芸人が登場する。

1970年代に活躍したアイドルの山口百恵が俳優の三浦友和と結婚し芸能界を引退し、1970年代に活躍したアイドルのほとんどが陰りを迎える。
アイドルは1980年代に新時代を迎える。松田聖子・河合奈保子・たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)などがデビューし、1980年代の黄金時代を築く。松田聖子を典型としたブリッコ・聖子ちゃんカットが若い女性の間で流行。
漫才ブームが起こる。その中心に新たに登場したBIG3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)・所ジョージ・島田紳助などお笑い第二世代が、1980年代から2000年代のお笑い界をリードする。
フジテレビがテレビ局の在京民放局5局における年間および年度平均視聴率で、ゴールデンタイム、プライムタイム、全日で首位となる三冠王を1982年から連年獲得した(フジテレビ黄金時代)。
前半期(1980年から1983年)

シャネルズ・横浜銀蝿などロックバンドがヒットチャートに名を連ねる活躍を見せる。
「花の82年組」と称される新人アイドル豊作といわれた1982年度。中森明菜・小泉今日子・シブがき隊・早見優・堀ちえみ・石川秀美らアイドルがデビュー。
演歌・ニューミュージックが低迷し始める。
YMOを皮切りにテクノポップブーム。打ち込みを用いた音楽が増加する。
視聴者参加型のクイズ番組の最盛期。
中期(1984年から1986年)

歌謡曲・ニューミュージックからJ-POPへの過渡期へ突入、多様なジャンルに枝分かれする。杉山清貴&オメガトライブ・チェッカーズ・C-C-Bなど、ロックバンドが、のちにJ-POP、J-ROCKと呼ばれる要素を取り入れた楽曲を発表し、チャートを賑わせる(アイドルバンドと称される)。また、渡辺美里・尾崎豊・中村あゆみなどのボーカリストもデビュー。米米クラブ・爆風スランプ・聖飢魔IIなど独自の個性を打ち出したバンドも続々とデビュー。中高生を中心にバンドブームが巻き起こり、関連する音楽雑誌も多く創刊される。
フジテレビの番組「夕やけニャンニャン」内で結成されたグループおニャン子クラブが大ブレイク。また、映画やドラマ出演をきっかけに人気を集めた菊池桃子・斉藤由貴・中山美穂・南野陽子など、アイドル歌手としても活躍を見せる。
とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代が登場する。
テレビが一家に1台だったのが、一家に2台になったきっかけで、NHK紅白歌合戦がそれまでの平均視聴率が70%台だったのが50%台に下降。また、ヒット曲のないベテラン歌手による常連出場や元々テレビ番組に出演しない、“アーティスト”であると自称する人気歌手による不出場がきっかけでもある。
アップダウンクイズ、クイズタイムショックなどが相次いで終了し、視聴者参加型クイズ番組が衰退。後継番組は次第にタレント出演型に置き換わっていく。
後半期(1987年から1989年)

おニャン子クラブ解散後、メンバーであった工藤静香がソロ・シンガーとしてブレイクした。
光GENJIと彼らが履いていたローラースケートが流行し、社会現象となる。
アイドルの人気に陰りが見え始め、トレンディードラマが登場する。浅野ゆう子・浅野温子によるW浅野や陣内孝則、柳葉敏郎、三上博史などが活躍し、1990年代前半の黄金時代の先駆けとなる。
舘ひろし・柴田恭兵・仲村トオルによるあぶない刑事ブーム到来。
THE BLUE HEARTS・BOØWY・ユニコーン・JUN SKY WALKER(S)などライブを中心に活躍していたバンドが人気を集める。プリンセス・プリンセスなどの女性バンドもブームになる。
人気歌番組ザ・ベストテンが終了し、他の歌番組にも陰りが見え始める。
スポーツ
プロ野球は弱小チームだった西武ライオンズが広岡達朗監督の手腕によって再生、80年代で5度の日本一に輝く西武黄金時代を迎える。
大相撲は千代の富士時代。
プロレスはアントニオ猪木を中心に新日本プロレスが全盛期を迎え、ジャイアント馬場は徐々に第一線を引くようになる。馬場・猪木の後輩格である鶴藤長天(ジャンボ鶴田・藤波辰巳・長州力・天龍源一郎)が1980年代のプロレスを支える。
日本サッカーは、サッカー日本代表がFIFAワールドカップ・予選やオリンピック予選での敗退が続く一方で日本サッカーリーグの人気が若干持ち直した。1980年代後半にはプロリーグ発足への動きやFIFAワールドカップ招致活動が始まった。
前半
プロ野球は王貞治・野村克也・大杉勝男・江夏豊など1960・70年代に活躍した大物選手の引退が相次ぐ。
高校野球では早実の荒木大輔、「やまびこ打線」と呼ばれた池田高校、PL学園の清原和博・桑田真澄によるKKコンビが話題を呼んだ。
プロレスではタイガーマスクが活躍する。
柔道では、山下泰裕・斉藤仁の時代を得る。
後半
プロ野球では桑田が巨人、清原が西武に入団するなど世代交代が一段と加速。
柔道では小川直也・古賀稔彦が登場する。
プロレスでは前田日明を中心としたUWFの旗揚げで総合格闘技が誕生するきっかけとなる。女子プロレスではクラッシュギャルズ・極悪同盟が活躍。

 


1970年代を振り返る

2023年11月27日 08時03分57秒 | 社会・文化・政治・経済
1970年代はどういう時代だったのか?
1960 年代後半の理想主義がつぶされた。
日本の知識人は安保闘争という国民規模の運動を経験した。
闘争は安保条約改正を阻止できなかった挫折感。
だが、大統領アイゼンハワーの訪日を阻止し岸内閣を退陣させた。
そして、1970年代へ。
 
「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国と4国際機関が参加し、183日間中に総入場者数6422万人が訪れた「日本万国博覧会 EXPO'70」、通称“大阪万博”が開催された1970年。
全日本アマチュア・フォーク・シンガーズが歌う「戦争を知らない子供たち」がヒットし、安保条約の自動延長決定。
よど号ハイジャック事件が発生し、市ヶ谷の自衛隊での作家・三島由紀夫の割腹自決とともに列島に衝撃を与えました。
他方、マイカーの普及率が上昇する一方で、水俣病に真っ向から向き合った石牟礼道子の『苦海浄土』が衝撃を与え、杉並区で発生した光化学スモッグにより40数人の高校生が倒れる事件が発生するなど、経済成長と効率優先の陰で深刻化した公害問題が様々な負のかたちで顕在化した、今に続く環境問題の節目ともいえる年ともなりました。

 「団塊ジュニア」世代が誕生した、戦後2回目のベビーブームの始まりとなった1971年。
深刻化・顕在化する公害問題を受けて環境庁が発足し、昭和天皇と香淳皇后が広島市の原爆慰霊碑に初参拝し原爆養護ホームを慰問するなど、戦後復興の暗部にも光があてられ始めます。
多摩ニュータウンへの第1次入居が開始され、大学卒男子の平均初任給が4万8000円となり、カップヌードルが新発売され、マクドナルドの日本1号店が銀座にオープンし、ボウリングブームが起こり、Tシャツ、ジーパン、ホット・パンツが流行しました。
テレビでは、「仮面ライダー」「天才バカボン」「ルパン三世」などの人気シリーズや、今も続く「新婚さんいらっしゃい!」などの長寿番組がスタートし、NHK総合テレビで全放送がカラー化しテレビ番組が急増した一方で、日本の映画産業を支えた大映が倒産しました。

 沖縄返還が果たされた1972年。
グアム島のジャングルから救出された横井庄一元軍曹の帰国第一声「恥ずかしながら帰って参りました」が流行語となり、連合赤軍があさま山荘事件を起こし、自民党の総裁選挙で「日本列島改造論」を発表した田中角栄がその後首相に就任しました。
日中国交正常化が実現され、記念として中国政府より寄贈されたパンダのカンカンとランランによってパンダブームが巻き起こりました。一方、札幌オリンピックでは70m級ジャンプでメダル独占の快挙を成し遂げ、“日の丸飛行隊”と賞賛されました。
また、奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色の壁画が発見され、その後に続く古代史・考古学・シルクロードなどのブームのさきがけともなりました。

 第一次オイルショックによるガソリンや紙製品不足により、スーパーマーケットへの買いだめ客殺到などパニックが起こった1973年。
卸売・消費者物価がともに急上昇し、高度成長政策の破綻が明確となり省エネが叫ばれる一方で、70歳以上の老人医療無料化が実施されるようになりました。
また、渋谷駅のコインロッカーで嬰児の遺体が発見され、以後各駅で続発し社会問題化したのもこの年です。
オセロゲームの流行、ゴルフブームの到来、ドリフターズの加藤茶氏が連発する「ちょっとだけよ」が流行語となり、深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」がヒットし、小松左京のSF小説『日本沈没』や山崎豊子の社会派小説『華麗なる一族』、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなりました。
そして、江崎玲於奈氏がノーベル物理学賞を受賞しました。

 総理府統計局により「日本の人口1億1000万人突破」の推計が発表された1974年。
1971年から続く戦後2回目のベビーブームの最後の年となり、大学卒男子の平均初任給が8万3000円まで上昇しました。
しかし、経済実質成長率が戦後初のマイナス成長を記録し、消費者物価上昇とあいまってスタグフレーションが問題化する一方で、地価上昇率は高くなっていきました。丸の内の三菱重エビルでの過激派による無差別爆破テロが発生し、前首相佐藤栄作のノーベル平和賞を受賞し、アメリカ大統領としてフォードが初来日し、ノンフィクション作家の立花隆氏の「田中角栄研究」の発表により田中金権への批判が広まり田中内閣総辞職へとつながっていきます。巨人のV10を阻止した中日のセ・リーグ優勝とともに、長嶋茂雄氏が現役を引退。超能力ブームや宝塚ブームが巻き起こり、「セブン-イレブン」日本1号店がオープンし、人気キャラクターの「ハローキティ」が誕生しました。

1970年代後半を振り返る

 歌手の子門真人氏が歌う「およげ!たいやきくん」が誕生し、大ヒットした1975年。
自動車生産台数は694万台、粗鋼生産高1億231万トンとソ連アメリカに次いで世界第3位となり、30人以上の事業所の給与平均月額は13万円となります。しかし、1973年の第一次オイルショックの影響から、企業倒産が相次いだ年ともなりました。沖縄国際海洋博覧会に際し戦没者慰霊にひめゆりの塔で献花した皇太子同妃殿下(現・上皇上皇后両陛下)に火炎びんを投げ付けられるテロが発生。エリザベス女王夫妻が初来日された一方、昭和天皇と香淳皇后がアメリカ合衆国を初めて公式訪問されました。世界的な大きな動きとして、ベトナム戦争が終結した年でもあります。

 政界と財界に始まり列島をゆるがしたロッキード事件によって、田中角栄元首相が逮捕された1976年。戦後生まれが総人口の半数を超え、鹿児島市で日本初の五つ子が誕生。モントリオールオリンピックで活躍した日本選手団が、体操・レスリング・柔道・女子バレーボールで計9個の金メダルを獲得しました。アイドルグループ・キャンディーズの歌う「春一番」がヒットし、ロッキード事件に関し衆議院予算委員会に証人喚問された小佐野賢治国際興業社主の「記憶にございません」が流行語となり、芥川賞を受賞した村上龍氏『限りなく透明に近いブルー』がベストセラーとなり、『週刊少年ジャンプ』で漫画家・秋本治氏の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が開始され、1等1000万円のジャンボ宝くじが発売されました。

 日米漁業協定(200カイリ漁業水域の初の協定)が調印された1977年。
野党の連合政権構想が活発化した同年は、企業倒産件数が1万8471件、負債総額は2兆9780億円となりました。
また、日航機の日本赤軍によるハイジャックが列島を震撼させました。
他方、プロ野球では読売巨人軍の王貞治選手がホームラン通算756本の世界最高記録を樹立し、国民栄誉賞第1号受賞。
映画「ロッキー」が大流行、スックのカラオケが大ブームとなり、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や山口百恵の「秋桜」などのヒット曲が誕生します。
日本初の静止気象衛星「ひまわり」が打上げられ、テレビでは「アメリカ横断ウルトラクイズ」が話題となりました。

 新東京国際空港(現:成田国際空港)が開港された1978年。
安保体制の強化が進む一方で、有事立法が取り沙汰されるようになりました。
また、マグニチュード7の伊豆大島近海地震、マグニチュード7.5の宮城県沖地震が発生し、各地で観測史上最高気温となる猛暑を記録。
タンク卜ップが流行し、ディスコブームが到来し、すかいら-く・ロイヤルホスト・デニーズなどのファミリーレストランが盛況し始め、“竹の子族”を生んだ「ブティック竹の子」が原宿に開店しました。
人気音楽番組「ザ・ベストテン」の放送が開始され、キャンディーズの5万5000人を集めた解散コンサートでの「普通の女の子に戻りたい」が流行語となり、冒険家の植村直己が犬ぞり単独行で北極点到達の偉業を果たしました。

 イラン革命に伴う石油価格の急騰による第二次オイルショックが起こった1979年。
アメリカの景気が頭打ちの影響も受け経済摩擦について協議が行われた一方、中国への政府開発援助(ODA)が始まりました。
テレビでは「3年B組金八先生」「西部警察」「ドラえもん」「機動戦士ガンダム」などがヒットし、映画では「戦国自衛隊」「地獄の黙示録」「銀河鉄道999」「宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」「ルパン三世 カリオストロの城」などがヒットしました。
また、「口裂け女」都市伝説が全国に広まり、インベーダーゲームが大ブームとなったのもこの年です。

 いかがでしたでしょうか。夢中になった出来事、すでになつかしいフレーズ、今では大切になっている思い出などありましたでしょうか。
こうして流行のトピックスとともに駆け足で振り返ってみると、1970年代とは、戦後の経済成長がひとつの頂点を極め、次なるステージへと入っていった年代であったように思えます。
生産性や合理化優先の陰に追いやられた環境や格差の問題、消費や資源の限界から立ち現れた社会のひがみやゆがみなど、進歩と繁栄を多様な視点と方法で捉え直さざるをえないほどの今に続く問題点が噴出し、顕在化された時代であったように見えてきます。

 

 


創作 裏の顔

2023年11月27日 00時03分28秒 | 創作欄

「私が、日曜日、何をしていか。あなたには、分からないでしょうね」土田愛はコーヒーカップをスプーンでかき混ぜなが呟いた。

コーヒーは、 何故か粘着性のある濃い液体のように私の目には映じていた。

彼女は私の目を凝視したことがなかった。

私は、愛のその空すような視線が気にかかっていた。

実は、愛は2歳年上の姉喜子とともに母親の影響から、カルト宗教2世の立場で、街頭に立ったり、家庭訪問を続けていた。

実は、私も別の宗教団体の2世信者であったのだ。

言葉が巧みな私は、青年幹部の一人として活動していた。

組織内での男女の交際は禁じられていたが、街頭で愛から声をかけらた私は、直観から「この人は、まだ、男を知らないな」と想うのだ。

愛は、初めてのお茶の水の音楽喫茶店では何故か、自分の立場を明確にしなかった。

つまり、20歳の表の顔で聞き役に徹していた。

「野暮な話を止そう」と私は気持ちを決めた。

「酒でも、飲み行きませんか?」ダメ元と思いながら聞いてみた。

「ええ、ぜひ」愛の微笑みに改めて私は魅かれた。

靖国通りに近いレンガ造りのレトロな居酒屋は、学生時代から知っていたが、入ったのはその日が初めてだった。

「いい、雰囲気だわ」愛は店を気に入ってようだった。

愛も日本酒を好んで飲み、焼き鳥を食べた。

映画好きの私は、映画を話題とした。

「私、映画を観る暇があまりなくて・・・」愛は節目がちであった。

「それは、残念ですね。今度、映画を一緒に見ませんか。嵐が丘ですが」

「嵐が丘ですか?あなたが、誘うならいいわ」

愛の住まいは本郷だったので送って行った。

映画 嵐が丘(1939年) 

ハリウッド黄金期の巨匠ウィリアム・ワイラーが、エミリー・ブロンテの名作小説を映画化した文芸ドラマ。