私は、大学の4年間も島野峰子を密かに恋していた。
そのために、峰子と少しでも親しくなれればとの思いで、彼女が所属していた近代文学研究会に所属する。
それでも、峰子とほとんで、親しく言葉を交わすことがなかった。
なぜなら、彼女は常に近代文学研究会に所属する同期性の島田朝子と一緒にいたのだ。
朝子は右半分の頬の一部に青い痣があって、常にマスクでそれを隠していた。
驚くことに、美貌の峰子と顔に痣のある朝子は同性愛の関係にあったのだ。
私は、近代文学研究会の「文学散歩」の折に、峰子が朝子を抱き寄せて、キスをしているのを目撃する。
それは、東京大学の三四郎池の木陰であった。
近代文学研究会のメンバーたちは、次の目的地である湯島天神へ文学界では著名な講師に導びかれて向かったいた。
私は不埒にも、峰子が朝子とが抱き合う姿を望遠レンズで盗み映していた。
湯島神社でも、おみくじを梅の枝に結ぶ峰子の姿を、「絵になるな」とカメラで盗み撮る。
それに、気付いた峰子は「南さん、私のことを2度とカメラで映すのはやめてね!」厳しい声で抗議する。
私は彼女に詫びるとともに、「彼女の心の中に、私が入る余地ないのかもしれない」と落胆する。
それでも私は後日、お詫びの気持ちを込めて、手紙の中に詩作を挿入する。
だが、「詩を読んだけれど、あなたは、堕落しているのね」と峰子は心外にも詩の感想を厳しい口調で指摘したのだ。
私は、生活信条として、モラルバックボーンを志向していたのだ、心外にも思わね峰子の詩作への解釈があるものなのだ。
それを契機に私は、人(女)に心情が伝わない「詩とのわかれ」となる。
人に誤解を与える詩など2度と・・・・
モラルバックボーン とは?