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取手通信 (日刊 )・希望の星 

価値の創造

ドストエフスキー伝

2023年02月26日 17時44分30秒 | 社会・文化・政治・経済

E.H.カー (著), 中橋 一夫 (翻訳), 松村 達雄 (翻訳)

小林秀雄の最も重要視した、ドストエフスキーの「伝記」
 
小林秀雄のドストエフスキーの伝記と比較するために購入したが、非常に文献としての価値の高い本であった。しかし、そういう意味で読まなくても、十分楽しめる本である。
ただし、この翻訳書は、日本で最初のものではない。小林秀雄自身は英語で読んでいる。
 
 
 ドストエフスキーの全貌を見渡せる

日本の評者による著作では、土台とうてい無理だったドストエフスキーの全貌を描ききっている。

たとえば小林秀雄のドストエフスキーでは、何か対象を取り上げるたんびに小林自身がしゃしゃり出てくるから、ドストエフスキーを取り巻く状況がいっこうに明らかにならない。
それだけ主観的で情熱的ともいえるが、混乱してる読者にとって大事なのは客観的に状況をクリアにすることである。

そのてんカーさんの評伝は客観的描写につとめており、非常に役に立つ。

ドストエフスキーの手紙、ドストエフスキーの妻の回想録、当時の新聞の記事、関係者のインタビューなどを総動員してドストエフスキーの全体をからめとっている。

見事な仕事であり、これをもってドストエフスキーは的確に葬られたといってよい。

ドストエフスキーの意味は最終的に解明されたのだ。

評論家の作業とは本来こうゆうものであろうと思う。

つまり、作家と作品を最後的にほうむりさること、ワクにはめること、意味をはっきりさせること、ソトボリをうめること。

それができるのは海外の評者にしかいないというのは日本の恥であり、いちばん残念なことである。
とはいえ、もしかしたら日本人の右往左往にも意味はあるのかもしれない。

いってみれば感得したものを歌い上げてるわけだが、歌自体にはそもそも意味はないから
 
 
ドストエフスキー伝 
 
アンリ・トロワイヤ  (著), 村上 香住子 (翻訳)
 

内容(「BOOK」データベースより)

「ゴーゴリの再来」とうたわれた文壇への登場、銃殺寸前の体験と過酷なシベリヤ流刑、劇的な恋愛と結婚、飽くことなき賭博熱。
―文豪の波瀾の生涯と名作誕生の背景を、書簡・回想録等の膨大な資料を駆使し圧倒的迫力で描く会心作。
 
 
ドストエフスキーの生涯については、断片的には知っていたが、こうして通して読んだのは初めて。前半のシベリア流刑まではオーソドックスな伝記スタイルだが、『死の家の記録』発表以降は作品の成立過程や思想をからめながらの展開。著者はドストエフスキーの研究者ではないが、結構深く各論に入っていっているように感じた。
でも小林秀雄みたいな感じではなかったので一安心。要するに読みやすいということ。
ドストエフスキーの人となりについてはハチャメチャで支離滅裂。思った通りのただのギャンブル依存症。なのだが、人間の底が抜けてしまっているか、時には愛おしいとさえ感じた。
そんなふうにアンナ・グリゴーリエヴナも思っていたのではないかな。
ラジオのロシア語講座だったかで、ドストエフスキーはロシアではそんなに人気はない、というようなことを聞いた記憶があるが、一人の人間としてみれば19世紀ロシアの文豪では最も身近な存在に感じられる。その辺をこの評伝はうまく伝えていると思った。
 
 
心酔者のものではない評伝
 
評伝は往々にして心酔者によって書かれるが、ドストエフスキーに関しては、心酔の度が過ぎて著者の偶像を描いてしまうことが多い。
本書は違う。トロワイヤはドストエフスキーを突き放し、ギリシャ正教とスラヴ民族至上主義者になってゆくドストエフスキーを淡々と描いている。ドスト嫌いにも勧められる評伝である。
5.0 out of 5 stars 偉人ですが、性格的についていけません。出来れば、追伸も是非お読みください。
Reviewed in Japan on June 14, 2018
 
標題の通りの人生です。誉め言葉でいえば、波乱万丈かな。換言すると、罪作りの人生です。
 私は、「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」しか読んでおりませんが、どちらも人間の心を揺さぶる人類史上の歴史に残る大作です。ただし、後者は未完の大作で、第4部(完結編)を完成させてから昇天してもらいたかったです。
 性格的には、他の方のご指摘にもあるように、シベリアに流刑されても決してめげない驚異的な個性の持ち主で常人の及ばない精神的、肉体的タフさに恵まれております。最初の結婚はシベリア流刑時代で、年上の未亡人でしたか。
 でもちゃっかり流刑を解かれてペテルブルグに戻ってくると秘書に雇った女子学生と再婚してますな。羨ましい限りです。
 そして、ベストセラーを連発しまくって、生活にゆとりが出てくると、旅行に出かけて、賭け事に熱中し、素寒貧になるんでしたね。
 打開策が、次回作を担保にして出版社から借金しまくるという、今でいうところの「ギャンブル依存症」です。
 それでも歴史に残る名作を次から次に世に送り出すのですから、こりゃもう天才としか言いようがありません。
 奥さん泣かせですね。
 本書は、彼の作品も短くまとめて、読者にその全貌が明らかになるよう、配慮してくれてますので、助かります。
作品は、面白いですが長編、それも並みの長編ではありませんから、読むのに躊躇される方には、うってつけの入門書です。
 トルストイとよく比較されますが、ある意味、ドストエフスキーの方が性格はともかく、変化に富む良作というより奇作の数々でおもしろいかもしれません。
本書を入門書にして是非とも彼の作品にチャレンジしてください。
 ここまで拝読いただきありがとうございます。
追伸 彼の小説からの引用で面白いものがあります。帝政を打倒し、新しい国家を夢想する共産主義者への警鐘です。彼らが革命に成功して樹立する国家は、必ず自らの体制を守るために反対勢力に対し弾圧を行うだろう。
その弾圧は今の国家の比ではない組織的な大弾圧になるだろう。
結局、国民は革命が成就しても決して幸せになれないだろう。
 これ、ぴったしカンカンですね。レーニン、スターリンいずれ劣らぬ圧政を敷き国民を大量虐殺しました。全くの余談ですが、ドストエフスキーの先見の明には頭が下がります。
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ドストエフスキーは愚劣な成功への過信や恋愛や賭博熱を経験した。
一方で、彼にはシベリア流刑などにおける忍耐強さ、文学や祖国ロシアへの変わらぬ情熱、二度目の結婚における家族への深い愛情もあった。極端な高潔と強欲との間で戦い続けた、非常に人間臭い彼にしか書きえなかったもの、成しえなかったことがあった。

自分は彼のとっつきにくい作品群から、同じようにとっつきにくい作家像を勝手に作り上げていたが、本書に多く紹介された書簡やアンナ夫人の日記によって必ずしもそうではないということも分かった。いやらしい人であると同時に、愛すべき人でもあるように思われるのだ。
それを知ることによって、彼の作品を読む際に、物語や登場人物に新たな光があてられるであろうことがうれしい。

700ページ超の大ボリュームに、作家の偉大さも滑稽さも偏りなく詰め込まれており、作品論も慧眼に貫かれている。なおかつ、始めから終わりまで退屈さを感じさせないという良書だった。
 
 
ドストを苦手とする理由が少しわかった

 
最近出版された文庫本などの、ドストエフスキーの解説では、「悲惨な生活にあえぐ民衆を見つめた優しい人」みたいな解説が多い。
けどここで出されるドストエフスキー像は、病弱な妻を見捨て、若い娘に走り、その女に捨てられ、妻のもとに厚顔にも帰ってくる。妻の死後は、26歳年下の社会的な身分の低い女性につけこみ結
婚。彼女を行使しながらも、偉大な作品を生みだしていく…。

有名な本らしいので、ロシア文学愛好家の方にとっては常識的な内容が書いている
かもしれませんが、個人的には驚かされるが多かった。
トルストイもそうですが、
偉大な小説家というのは、身近な人間に迷惑をかける人が多いですね。
こういう作家像をみせられても、作品が偉大なことにはかわり無いわけですが。
作者はフランスのベストセラー歴史作家らしく、非常に読みやすい人物伝でした。英語の検証サイトもいくつかあるので、読んだ知識のフォローもしやすいかと思います。
 
大満足

このページ数を息もつかせず読ませるのは凄い。面白かった!人間の強さとは選択ではなく必要から来るのだなぁ、とドストエフスキーの不屈の人生を眺めながら実感した。壊れるか、というところで壊れない。
最悪の状況を自ら作り、泣いて喚いて喘ぎながらそれでも作品は書き続ける。愛情も憎悪も、得意も失意も妬みも寛容も、他人よりはるかに膨大な人だったらしいのがよく伝わってくる。
人間関係の濃厚な世界でもある。ベリンスキーもツルゲーネフも随分と性格が悪いが、誰もが人間臭く生き生きとしており、どんな人間関係であろうととにかく感情の係わり合いが深い。
ドストエフスキーの代表作を小気味良く紹介してくれるので、「読まずに知るドストエフスキー名作選」的にも使える(かもしれない)。
翻訳も読みやすくてマル。
しかしドストエフスキーが吠えるナショナリストと化した「中東紛争」というのはクリミア戦争だと思うが、「中東戦争」という訳語は適当なのかしらん。
ドストエフスキーは『罪と罰』と『カラマーゾフ』しか読んでおらず、『白痴』を途中放棄し『悪霊』を読もうと思いつつ十年以上経過しているだけのぬるい文学読みなのだが、本書を読んで『悪霊』は絶対に読もうと決意を新たにさせてもらった。
 
 
 
 
 
 

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胡適 政治・学問集

2023年02月26日 17時08分18秒 | 社会・文化・政治・経済

佐藤 公彦 (編集)
 
 
序 言
 一
1、わたしの信ずるもの(一九三一年)   2、文学改良芻議(一九一七年)
 二
3、わたしたちの政治主張(一九二二年)  4、わたしの岐路(一九二二年)
5、人権と約法(一九二九年)
6、わたしたちはいつ憲法を持つことができるのか
――『建国大綱』についての疑問――(一九二九年)
7、わたしたちはどの道を歩むのか(一九三〇年)
 三
8、再び建国と専制を論ず(一九三三年)  9、信心と反省(一九三四年)
10、いわゆる「中国本位の文化建設」を試評する(一九三五年)
11、充分な世界化と全面的西洋化(一九三五年)
12、孔子生誕紀念の後に書す(一九三四年)
13、個人の自由と社会進歩――再び五四運動を語る(一九三五年)
14、ある民族の自殺――あるイギリス人学者の預言について(一九三四年)
14付、アーノルド・J・トインビー
次の戦争――ヨーロッパか、アジアか(一九三四年三月)
15、王世杰・羅隆基への三通の手紙――「日本切腹・中国介錯」論(一九三五年)
16、敬しんで日本国民に告げる(一九三五年)
17、中国における日本の戦争(一九三八年十二月)
18、中国と日本の近代化――文化衝突の比較研究と自由についての考察(一九三九年十二月)
 四
19、自由主義(一九四八年)       20、容忍と自由(一九五九年)
21、歴史から見ると哲学は何であるか(一九二五年)
22、中国哲学発展の筋道(一九二〇年)  23、名教(一九二八年)
24、学問研究の方法(一九五二年)    25、考証学の責任と方法(一九四六年)
26、中国の伝統と将来(一九六〇年)
解  説
英文目次/中文目次

 

内容説明

【序言より】
 本書『胡適 政治・学問論集』は、『胡適文選』に入らなかった初期の重要な文章――例えば「文学改良芻議」や哲学論など――、南京国民党政府の訓政に対する批判(「人権と約法など」)、その後北平に移って「九・一八」満洲事変を経た後、『独立評論』に拠って自由主義的な政治論を書いて有名になった時期の文章(民主と独裁論争、「日本切腹・中国介錯論」など)、国民党の旧文化復興の動きへの批判、日中戦争期に駐米大使としてアメリカの世論、知識人、政府に向けて中国の抗戦の意義を訴えた講演、そして戦後に台湾で講演した学問論、最後期の総括的な中国文化史論、などを中心に集め、訳者が『政治・学問論集』として編んだものである。
 一、「わたしの信ずるもの」は『胡適文選』の「わたし自身の思想を紹介する」に相当するもので、かれの思想と生涯の理解への案内である。
 二、陳独秀が上海で中国共産党結成の方に進むと、『新青年』同人は分岐し、胡適は北京で丁文江ら と『努力週報』を発行して立憲政治を目指して発言し始めたが、その時期以後の文章を集めた。
 三、一九三〇年末に南京国民党政府との確執を避けて北平に移った胡適は、「九・一八」満洲事変の危機に直面し、蔣廷黻らと『独立評論』を発行して言論で中華民国のために役立とうとした。

その時期の政治的時局論の代表的なものを入れた。
 四、大戦後、中国共産党の支配が迫り、それが現実になった時期の「自由主義」論を二篇選んだ。そして最後に、アメリカでの『水経注』研究と台湾時代に語った学問論、中国文化史論を取り上げたが、その前提になる胡適の中国哲学・文化についての考えを示した初期の二篇を加えた。

 

駐米大使 胡適の「真珠湾への道」: その抗日戦争と対米外交 

佐藤公彦 (著)

胡適は『日米開戦に導いた立役者』だったか。

その奮闘と日米開戦の軌跡を解明する。

胡適が『日米開戦』に導いた立役者だという歴史認識は、中国人学者の中にはあるが、日本には共有された歴史認識にはなっていない、それは何故か、それを明らかにしたのが本書である。

著者について

佐藤公彦 東京外国語大学名誉教授
 

胡 適(漢音:こ せき、慣用音:こ てき)は、中華民国の哲学者・思想家・外交官。もとの名は嗣穈、字は希彊、後に適と改名した。字は適之。

アメリカの哲学者ジョン・デューイのもとでプラグマティズムを学び、新文化運動の中心を担った。中国哲学・中国文学を広く論じた。北京大学教授のち学長。

国民党を支持したため戦後は米国に亡命したのち、1957年に台湾に移住した。

青年期

1891年、江蘇省松江府川沙庁で生まれ、本籍地の安徽省徽州府績渓県で育った。

14歳のとき、社会進化論の書物『天演論(中国語版)』(T.H.ハクスリー著・厳復訳)を読んで感銘を受け、同書の中の用語「適者生存」にちなんで「適」と名乗るようになった。

1910年(宣統2年)、19歳のとき、アメリカに留学し、コーネル大学で農学を学び、次いでコロンビア大学のジョン・デューイのもとでプラグマティズムの哲学を学んだ。

1917年、コロンビア大学にて、論文「古代中国における論理学的方法の発展」(The Development of the Logical Method in Ancient China, 後に書籍化。中国論理学を扱う)で哲学博士号を取得した。

民国初期
アメリカに滞在中の1917年(民国6年)、陳独秀の依頼で雑誌『新青年』に「文学改良芻議」を寄稿し、難解な文語文を廃して口語文にもとづく白話文学を提唱し、文学革命を理論面で後押しした。

ただし、彼自身にもいくつかの作品があるが、文学的才能には恵まれなかったようで、実践面は魯迅などによって推進された。

同年、北京大学学長だった蔡元培に招かれて帰国、20歳代半ばにして北京大学教授となり、プラグマティズムにもとづく近代的学問研究と社会改革を進めた。この時、受講生だった顧頡剛に影響を与え、のちに疑古派が生まれるきっかけを作った。

1919年(民国8年)、『新青年』が無政府主義・共産主義へと傾いて政治を語るようになると、胡適は李大釗と「問題と主義」論争(中国語版)を起こし、これらの主義を空論として批判した。やがて『新青年』を離れて国故整理に向かい、中国の歴史・伝統思想・文学などを研究した。

1922年(民国11年)、『努力週報』を創刊し、共産主義・無政府主義に対して改良主義・好政府主義(中国語版)を主張した。

1925年(民国14年)前後、禅に関する論考を著し始める。1930年(民国19年)、大英博物館の敦煌文書調査で発見した荷沢神会の遺文をもとに、『神会和尚遺集』を発表した。

抗日戦争期
満州事変が起こると、1932年(民国21年)、『独立評論』を創刊し、日本の満州支配を非難している。胡適は「華北保存的重要」という文章を発表して、現今の中国は日本と戦える状態ではないと指摘し、「戦えば必ず大敗するが、和すればすなわち大乱に至るとは限らない」が故に“停戦謀和”すべしと唱えた。

胡適はさらに、「日本が華北から撤退し停戦に応じるのであれば、中国としては満洲国を承認してもよい」とさえ主張している。

1935年(民国24年)には「日本切腹中国介錯論」として知られる評論を発表。

この中では米ソ両国と衝突する日本はいずれ自壊の道を歩み、中国は数年の辛苦を我慢してそのときを待てば、「切腹」する日本の「介錯人」となるだろうと記した。

その後、蔣介石政権に接近し、1938年(民国27年)駐米大使となってアメリカに渡り、1942年(民国31年)に帰国した。

1939年にはノーベル文学賞候補にノミネートされたが、受賞を逃した。

晩年
1946年、北京大学学長に就任。1949年(民国38年)、共産党が国共内戦に勝利すると、アメリカに亡命した。

1950年代には共産党政権下で「胡適思想批判」が展開された。

1957年(民国46年)から台湾に移り、外交部顧問、中央研究院長(1957-1962年)に就任した。『水経注』や禅宗史の研究に取り組んだ。1949年にはハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議で鈴木大拙と禅研究法に関して討論を行った。1962年、逝去。

著作
「zh:Category:胡適作品」も参照
The Development of the Logical Method in Ancient China(副題「先秦名学史」。1917年、コロンビア大学博士論文。1922年、上海の亜東図書館から英語で出版。没後の1983年、上海の学林出版社から『先秦名学史』として中国語で出版[6])
『中国哲学史大綱』(1919年、上海、商務印書館) - 上巻(秦代まで)のみの未完作品。
『嘗試集』(1920年、北京大学出版部、新詩詩集)
『胡適文存 一集』(1921年、北京、北京大学出版部)
『章實齊先生年譜』(1922年、上海、商務印書館)
『胡適文存 二集』(1924年、上海、亞東圖書館)
『差不多先生傳』(1924年)
『白話文学史』(1928年)
『戴東原的哲學』(1927年、上海、亞東圖書館)
『白話文學史 上巻』(1928年、上海、新月書店)
『廬山遊記』(1928年、新月書店)
『人權論集』(1930年、梁実秋・羅隆基(中国語版)と合著、新月書店)
『胡適文存 三集』(1930年、亞東圖書館)
『胡適文選』(1930年、上海、亞東圖書館)
『中國中古思想史長編』(1930年)
『中國中古思想史提要』(1932年、北平、北京大学出版部)
『四十自述』(1933年)
日本語訳版:吉川幸次郎 訳『胡適自伝』創元社、1940(『吉川幸次郎全集16』に再録、筑摩書房、1970)
『胡適論學近著 第一集』(1935年、商務印書館)
『南遊雜憶』(1935年)
『藏暉室札記』(1939年、亞東圖書館)
『胡適的時論』(1948年、六藝書局)
『水經注版本四十種展覽目録』(1948年、北平、北大出版部)
『齊白石年譜』(1949年、上海、商務印書館)
『胡適文存 四集』(1953年、台北、遠東出版)
『丁文江的傳記』(1960年、南港中央研究院)
著作集など
欧陽哲生 編『胡適文集』全12巻、北京大学出版社、1998
耿雲志 主編『胡適遺稿及秘蔵書信』全42巻、黄山書社、1994
井出季和太 訳『胡適の支那哲学論』アジア学叢書、大空社、1998年(初出1927年)
楊祥蔭・内田繁隆 共訳『古代支那思想の新研究』アジア学叢書、大空社、1998年(初出1939年)
李大釗との論争・訳書は『清末民国初政治評論集 中国古典文学大系58』(西順蔵・島田虔次共編、平凡社、1971年)に収録(伊藤昭雄訳)
『胡適文選』全2巻、佐藤公彦訳、平凡社東洋文庫、2021年9月・12月
佐藤公彦 編『胡適 政治・学問論集』汲古書院、2022
関連文献
小野川秀美「清末の思想と進化論」- 『清末政治思想研究 増補版』みすず書房、1969。新版・平凡社東洋文庫 全2巻
清水賢一郎「胡適」- 『近代中国の思索者たち』佐藤慎一編、大修館書店、1998
林毓生『中国の思想的危機-陳獨秀・胡適・魯迅』丸山松幸・陳正醍 訳、研文出版、1989
ジェローム・B・グリーダー『胡適 1891-1962 中国革命の中のリベラリズム』佐藤公彦 訳、藤原書店、2017
佐藤公彦『駐米大使 胡適の「真珠湾への道」: その抗日戦争と対米外交』御茶の水書房、2022

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国商 最後のフィクサー葛西敬之

2023年02月26日 14時29分39秒 | 社会・文化・政治・経済
 
森 功  (著)
 
 
\u003cdiv class=\"a-column a-span8 a-text-center ig-main-image\"> \u003cdiv class=\"img-wrapper maintain-height\">\n \u003cdiv id=\"igInner\" class=\"maintain-height zoomed-out\" style=\"height:200px;\">\n \u003cimg id=\"igImage\">\n \u003cdiv class=\"a-popover-loading-wrapper a-text-center loading-bar\">\n \u003cdiv class=\"a-box a-color-base-background a-popover-loading\">\u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div> \u003cdiv class=\"a-column a-span4 ig-thumbs a-span-last\"> \u003c\/div> \u003c\/div> \u003cscript type=\"text/javascript\">\nP.register(\"ImageGalleryMarkup\");\n\u003c\/script>"}" data-csa-c-id="vn958p-u57r0q-m687dp-g9xiob">
安倍晋三射殺で「パンドラの箱」が開き、
一気に噴出した日本政財界の闇――
その中心にいたのは、この男だった。
JR東海に君臨し続けた
「アンタッチャブルの男」にはじめて迫る。

「本書が解き明かすのは、鉄道をナショナリズムの道具とするため
権謀術数を駆使した一人の経営者の半生だ。
結果としてそれが日本の鉄道にどれほど負の遺産ももたらしたか。
重い問いが読後にずっしりと残った」
ーー原武史(政治学者・放送大学教授)

「国鉄改革を足掛かりに政官財界に人脈を張り巡らせ、官邸やNHKをも操る。
自らの繁栄こそ国益だと信じた男と、その権勢を後ろ盾とした長期政権。
この十年の権力の核心に迫る圧倒的ノンフィクション」
ーー松本創(ノンフィクションライター)

禁断の「革マル取り込み」で
魑魅魍魎の労働組合を屈服させ、
30年以上にわたりJR東海に君臨。
政官界の人事を自在に操り
安倍晋三最大の後見人となった。
国を憂い、国を導くその一方で、
国益をビジネスに結びつける
「国商」と呼ぶべきフィクサーだった。
国鉄解体という戦後最大の難事に
身を捧げた改革の闘士は
「怪物的黒幕」へといかにして変貌したのか!

(目次より抜粋)
・政策は小料理屋で動く
・靖国神社総代と日本会議中央委員という役割
・国鉄改革三人組それぞれの闘い
・「革マル」松崎明との蜜月時代
・覆された新会社のトップ人事
・鉄パイプ全身殴打事件
・ばら撒かれた「不倫写真」
・頼った警察・検察とのパイプ
・品川駅開業の舞台裏
・名古屋の葛西では満足できない
・安倍総理実現を目指した「四季の会」
・メディアの左傾化を忌み嫌う理由
・傀儡をNHKトップに据えた
・「菅さまのNHK」
・安倍政権に送り込んだ「官邸官僚」たち
・池の平温泉スキー場の「秘密謀議」
・杉田官房副長官誕生の裏事情
・政治問題化したリニア建設計画
・JR東日本とJR東海の覇権争い
・安倍と葛西で決めた「3兆円財政投融資」
・品川本社に財務省のエースが日参
・「最後の夢」リニア計画に垂れ込める暗雲
・JR東海の態度に地元住民が激怒
・「リニア研究会」という名の利権
・安倍晋三への遺言
・大間違いだった分割民営化
・国士か政商か
・覚悟の死

「権力者には宿命的な不安と恐怖が生まれる。
夢のためには権力を手放してはならない……」
(本書「おわりに」より)

著者について

森 功
森 功(もり・いさお)
1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』『ならずもの 井上雅博伝――ヤフーを作った男』『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』など著書多数。
 

東海道新幹線を運営するJR東海名誉会長 葛西敬之氏。

昭和15年、兵庫県明石で生まれる。東大法学部を卒業後、昭和38年日本国有鉄道(国鉄)に入社。入社まもなく経営悪化に危機感を覚えた葛西氏は、国鉄再建を決意し、分割民営化を実施する。

分割民営化後の昭和62年JR東海発足とともに取締役に就任し、新幹線鉄道保有機構の債務負担を適正化しつつ、東海道新幹線の改善・強化投資を続けてきた。

リニア中央新幹線が、東海道新幹線の収入を将来の旅客に還元する社運をかけた投資であることもわかる葛西敬之氏の「私の履歴書」を是非ご覧ください。

安倍元首相を総理にした男、フィクサー・葛西敬之のただならぬコワさ
瀬島龍三から葛西敬之、安倍・菅政権へと受け継がれたもの
 

──葛西さんは第二次安倍政権の時に、経産省出身の今井尚哉さんや警察庁出身の杉田和博さんなど、自分と深いつながりのある人たちを首相の側近に送り込み、「時に葛西は安倍から内閣の主要閣僚や官僚人事の相談を受け、アドバイスしてきた」と書かれています。なぜ安倍さんは人事について葛西さんに相談したのでしょうか。

森功氏(以下、森):安倍さんが葛西さんのことをとても頼りにしていたということです。葛西さんは霞が関の主要な高級官僚たちと太いパイプを持っていました。相談に乗るだけではなくて、特に官邸官僚と呼ばれる人たちに関しては、むしろ葛西さんの方から人選を提案していました。

 もともと葛西さんが安倍さんと知り合ったのは第一次安倍政権の前です。2002年頃に結成された「四季の会」という懇親会があります。葛西さんの東大時代の同級生で、財務相や官房長官などを務めた元衆院議員の与謝野馨さんを総理大臣にすることを目的とした葛西さんと懇意の財界人の集まりです。

ところが、与謝野さんが「私ではなく彼を総理にしてくれ」と若き安倍晋三さんを葛西さんに紹介した。そして四季の会が中心となり、第一次安倍政権は形作られ、第一次安倍政権の秘書官たちが官邸官僚として第二次安倍政権に移行しました。

葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日- 2022年5月25日)は、日本の実業家、会社経営者。東海旅客鉄道(JR東海)社長・会長、学校法人海陽学園理事長[4]などを歴任。兵庫県出身の東京都育ち。

井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。

人物

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。

葛西敬之" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年8月)


1963年、東京大学法学部卒業後に日本国有鉄道へ入社

。静岡鉄道管理局(現・JR東海静岡支社)や仙台鉄道管理局(現・JR東日本仙台支社)で総務部長を務めたのち、経営計画室主幹や職員局次長を歴任。労組対策に力を注いだ。国鉄分割民営化にあたっては、JR東日本の松田昌士やJR西日本の井手正敬とあわせ「国鉄改革3人組」と称された。

1987年の分割民営化後はJR東海に配属され、取締役総合企画本部長に就任。

1990年、同社副社長に昇格。その後28年間に渡り代表取締役を務める。1995年代表取締役社長、2004年代表取締役会長。2014年、JR東海の代表取締役会長から、代表権のある名誉会長へ異動した。

代表権のある会長・社長とともに、トロイカ体制へ移行したと報じられた。2020年6月、30年以上続けてきた取締役を退任し名誉会長となる。2022年5月25日、間質性肺炎のため死去、81歳没。

ちょうど松田昌士死去から2年後のことであった。これにより国鉄改革3人組の存命者は井手正敬のみとなった。

来歴
東京都立西高等学校卒業[10]。
1963年:東京大学法学部を卒業後[11]、国鉄に入社[11]。
アメリカ・ウィスコンシン大学マディソン校大学院留学[11][12]、1969年:卒業[新聞 1](経済学修士号取得[12])。
1987年:国鉄分割民営化により発足したJR東海の取締役総合企画本部長[2]。
1988年:JR東海常務取締役総合企画本部長[2]。
1990年:JR東海代表取締役副社長[2]。
1995年:JR東海代表取締役社長[2]。
2000年6月:在名古屋フィンランド名誉領事( - 2021年1月)[13]。
2004年:JR東海代表取締役会長[2]。
2006年
国家公安委員( - 2011年)
政府の教育再生会議委員。
2011年
政府の東京電力に関する経営・財務調査委員会委員。
原子力損害賠償支援機構運営委員会委員。
内閣府宇宙政策委員会委員長。
2013年12月:正論大賞受賞[14]。
2014年4月:JR東海代表取締役名誉会長に就任した[2]。旭日大綬章を受章[15]。
2017年1月:一般社団法人ジャパンフォワード推進機構[16]理事[17]。
2018年4月:JR東海取締役名誉会長就任。
2020年6月:JR東海名誉会長就任。
2022年5月25日:間質性肺炎により死去[3]。
その他、東京大学、皇学館大学、名城大学などの客員教授や特別招聘教授を務め、産経新聞の「正論」[12]、読売新聞にコラムを連載するなど様々な分野で活動していた。財界を代表する「親米保守」の論客であった。トヨタ自動車、東海旅客鉄道、中部電力の共同出資による全寮制男子校海陽学園の理事長も務めていた。

発言
新幹線遅延における発言
2000年9月11日およびその翌日にかけての東海豪雨で、JR東海は東海道新幹線の無理な運転続行を強行したため、のぞみ20号(博多発東京行)が22時間21分遅れで終点の東京駅に到着するという、開業以来最悪の遅延を記録した。そのほかにも東京ー米原駅の間で70本近い列車が団子状態でストップし、全面的に不通となった。

最終的に5万人を超える乗客が車内に取り残され、一夜を明かす事態となったことについて、JR東海はもっと早く運転を見合わせするべきだったという批判に晒された。葛西はその数日後に開かれた社長定例会見で、「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言し、会社として大きな批判を浴び、後の会見で「多くの乗客にご迷惑をおかけしました」と謝罪した。

中国への新幹線技術移転に反対する発言
川崎重工業が海外への積極的なビジネスチャンスを求めて、当時の川重大庭浩会長、大橋忠晴社長、のちに同川重社長となる長谷川聰らと組み、中華人民共和国(中国)への新幹線車輌(E2系)技術を提供したのが、井手正敬や葛西と共に「国鉄改革3人組」の一人に挙げられるJR東日本の松田昌士会長だった。

しかし、川重側の契約の杜撰さもあって、中国側に国家ぐるみで新幹線車輌技術を盗まれ米国やアジア諸国への売り込みを許したばかりでなく、契約の拡大解釈ないし詭弁の類いで米国などへ国際特許出願までも許してしまったとされている。

この松田昌士に対して、終始一貫して中国への新幹線技術移転に反対する発言をしていた葛西とは、好対照をなしていたと評されている。

政治観

2010年9月の国家公安委員会の会議において、「極端な『民族主義・排外主義的主張』に基づき、『外国人参政権反対』などと訴える市民運動が各地で展開され、反対勢力とのトラブル事案もみられることから、各都道府県警察で諸対策を実施している」旨が報告された。

葛西はこの種の運動について、「こうしたグループは『国家』の意義・役割を軽視するマスコミに国民の知る権利が抑圧されてきた中で、インターネットを利用して『声なき声』を取り上げた象徴的なものだ」、「暴力的でもなければ『極端な民族主義・排外主義』でもない」、つまり「右翼団体」ではなく右派系市民グループだ、との見解を示した。

また、左翼運動については「左翼についても、これまでのそれぞれのセクトというような形ではなくて、散発的にゲリラ的な者がインターネットを通じて活動するような世の中になる恐れがあり、既にテロリストの組織がそういうふうになっている傾向がある。その意味で、日本は今いろいろな意味で転換期にあると思う」と述べた。

スキャンダル
1991年9月13日、新潮社FOCUSにて大学教授夫人と都内のホテルの一室に入る様子が報道される。
1992年6月12日、講談社FRIDAYで不倫相手とされた女性宅の警備費用をJR東海が負担していることが報じられた。
エピソード
自著によると、国鉄へ入社した動機は、落とした学生証を荻窪駅に受け取りに行った際、同駅の助役から「東大出身なら国鉄での出世が早い」と勧められたことによる。

著書
『人生に座標軸を持て-自分の価値は自分で決める』(1999年4月30日 ウェッジ)ISBN 4900594296
『未完の「国鉄改革」-巨大組織の崩壊と再生』(2001年2月8日 東洋経済新報社)ISBN 4492061223
『国鉄改革の真実 - 「宮廷革命」と「啓蒙運動」』(2007年7月1日 中央公論新社)ISBN 4120038491
『明日のリーダーのために』(2010年4月20日 文春新書)ISBN 4166607480
『飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ 』(2017年3月29日 ワック)ISBN 4898314546

 

 
  国商扱いはどうかな

国鉄民営化の三羽カラスの一人で、もっともキャラが立っていた葛西さん。政治と労働組合、国鉄内部の抗争をさばいて民営化した胆力を尊敬します。その後希望に反して?JR東海の社長、会長に。ここまでの半生はあまたの本があります。後半はJR東海の首脳という立場を生かして、政財界で保守、右翼活動に邁進した経緯を叙述します。
ただ、SG,パソナ、オリックスと同等の政商ではなく、国商というタイトルになってのでしょうが、もともとの信念を貫いた手弁当(金はJR東海関連だとしても)の様相があるので、政治とくっついてJR東海が甘い汁というス筋書きではないと思います。著者はリニア新幹線にも否定的なトーンです。確かに葛西さんがつくったJR東海は融通がきかない「嫌な会社」だと思います。ただ、東海道新幹線が構想されたときも「これから自動車と航空の時代」という反対論がマスコミ中心に強かった。もし、東海道新幹線でなかったら、日本はどうなっていたか。こういう点は批判したいですが、葛西さんが生きた時代を知るうえで、有益な本です。
 
 
 予備知識が必要
 
取材と調査を片寄ることなく事実を元に、限られた有力者の為の国有財産分取り切売りという分割民営化の本質、権力の狡猾、労働運動の堕落が書かれていると思います。ただ、労働運動や政財界一般の最低限知識が無ければダメです。残念なのは校正、細井宗一は国労委員長ではない、旧同盟が支持していたのは旧民社党。著書の信用性失墜ですよ。
 
 
リニア新幹線の問題点
 
リニア新幹線のデメリットに関しては十分に検討が必要だと思います。
電力の供給について、リニア新幹線のために古い原発を再稼働し、大地震が起きる可能性はかなり高い確率となるのではないでしょうか。
また国際情勢からサイバー攻撃といったものが活発化してくるとき、リニア新幹線とその周辺は狙われる可能性がありそうです。
コロナ禍のため利用者はどういう乗客になるのか。外国人であるとすれば、事故があればその補償は莫大なものになるのかもしれません。

世界情勢が大きく変化したことを考えて、立ち止まって検討をしてみる必要がないでしょうか。

(追加分)
ミサイルがあちこちから飛んでくるとしたら、迎撃は無理なのではないかとも思います。
リニア新幹線の工事が終わったところを退避施設建設に使うといいのではないでしょうか。
富士山麓周辺に自衛隊施設があるようですし。
ただし、地震なり噴火なりがあるとすれば、退避施設からの避難訓練といったことも必要でしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
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2月の鈴木さんの絵手紙

2023年02月26日 13時11分29秒 | 日記・断片

午前5時に家を出て、早朝散歩へ。

スーパーのBig-A前で西田さんと会う。

何時ものように、電灯の下で温度を計測してから、手帳に記入する。

「何度ですか?」

「零度」

今年の最低温度はマイナス7度だそうだ。

衛星が見えると空を見上げた。

月と星、飛行機にも西田さんは関心があり、歩きながら空を見上げている。

鈴木さんは体操を終えて、ベンチに座り缶コーヒーを飲んでいる。

耳にはラジオを聴くイヤホーン。

当方も以前は、ラジオを聴きながら散歩をしていたが、ラジオが故障してから、ラジオとは無縁となる。

スマホを紛失してから、音楽を聴くこともなくなった。

「昨日書いたんだ。時間がかかった」といいながら鈴木さんがポーチバック2月の絵手紙を取り出し、手渡す。

「河津桜、とてもいいね」と西田さんは感嘆した。

「撤退したガソリンスタンドの脇に咲いていたので河津桜を摘まんで、持ち帰って絵にした」

近所では河津桜は稀であり、観に行きたい気持ちとなる。

何時のように、猫のタマとチビク黒が我々を出迎える。

「帰りには、スーパーのBig-Aへは寄らない、色々と買いすぎてね」と鈴木井さんが自転車を置いているBig-Aへ戻る。

西田さんは、石油を買いに自転車で向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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