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ドストエフスキー伝

2023年02月26日 17時44分30秒 | 社会・文化・政治・経済

E.H.カー (著), 中橋 一夫 (翻訳), 松村 達雄 (翻訳)

 
小林秀雄のドストエフスキーの伝記と比較するために購入したが、非常に文献としての価値の高い本であった。しかし、そういう意味で読まなくても、十分楽しめる本である。
ただし、この翻訳書は、日本で最初のものではない。小林秀雄自身は英語で読んでいる。
 
 

日本の評者による著作では、土台とうてい無理だったドストエフスキーの全貌を描ききっている。

たとえば小林秀雄のドストエフスキーでは、何か対象を取り上げるたんびに小林自身がしゃしゃり出てくるから、ドストエフスキーを取り巻く状況がいっこうに明らかにならない。
それだけ主観的で情熱的ともいえるが、混乱してる読者にとって大事なのは客観的に状況をクリアにすることである。

そのてんカーさんの評伝は客観的描写につとめており、非常に役に立つ。

ドストエフスキーの手紙、ドストエフスキーの妻の回想録、当時の新聞の記事、関係者のインタビューなどを総動員してドストエフスキーの全体をからめとっている。

見事な仕事であり、これをもってドストエフスキーは的確に葬られたといってよい。

ドストエフスキーの意味は最終的に解明されたのだ。

評論家の作業とは本来こうゆうものであろうと思う。

つまり、作家と作品を最後的にほうむりさること、ワクにはめること、意味をはっきりさせること、ソトボリをうめること。

それができるのは海外の評者にしかいないというのは日本の恥であり、いちばん残念なことである。
とはいえ、もしかしたら日本人の右往左往にも意味はあるのかもしれない。

いってみれば感得したものを歌い上げてるわけだが、歌自体にはそもそも意味はないから
 
 
ドストエフスキー伝 
 

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