久保(川合)南海子 (著)
認知科学でみる 人間の知性
漫画やアニメの登場人物に感情移入し、二次元の絵や映像に実在を感じる。
はたまた実際に出会い触れることはほとんどないアイドルやアーティストの存在に大きな生きる意味を見出す。
これらの「推す」という行為は、認知科学では「プロジェクション・サイエンス」と呼ばれる最新の概念で説明ができる。
「いま、そこにない」ものに思いを馳せること、そしてそれを他者とも共有できることは人間ならではの「知性」なのだ。
本書では、「推し」をめぐるさまざまな行動を端緒として、「プロジェクション」というこころの働きを紐解く。
【目次】
はじめに
第一章 ♯「推し」で学ぶプロジェクション ―応援―
第二章 プロジェクションを共有するコミュニティの快楽 ―生成―
第三章 「推し」との相互作用が生まれるとき ―育成―
第四章 ヒトの知性とプロジェクション ―未来―
第五章 とびだす心、ひろがる身体 ―拡張―
第六章 プロジェクションが認識世界を豊かにする ―救済―
おわりに
(本文より)
「推し」に救われたという経験は、「推し」が自分に直接なにかしてくれたということではありません。
「推し」によって自分がなにかに気づいたり、自分がなにかできるようになったり、自分をとりまく世界のとらえ方が変わったということなのでしょう。
あらためて考えてみると、このような自分のありようとこころの変化は、本書のテーマである「プロジェクション」がもたらす事象そのものです。
はじめて聞いたという人が多いと思いますが「プロジェクション」とは、こころの働きのひとつで、認知科学から提唱された最新の概念です。
【著者プロフィール】
久保 (川合) 南海子 (くぼ (かわい) なみこ)
一九七四年東京都生まれ。
日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。
博士(心理学)。
日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現在、愛知淑徳大学心理学部教授。
専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』(新曜社)ほか多数。
漫画やアニメの登場人物に感情移入し、二次元の絵や映像に実在を感じる。
はたまた実際に出会い触れることはほとんどないアイドルやアーティストの存在に大きな生きる意味を見出す。
これらの「推す」という行為は、認知科学では「プロジェクション・サイエンス」と呼ばれる最新の概念で説明ができる。
「いま、そこにない」ものに思いを馳せること、そしてそれを他者とも共有できることは人間ならではの「知性」なのだ。
本書では、「推し」をめぐるさまざまな行動を端緒として、「プロジェクション」というこころの働きを紐解く。
【目次】
はじめに
第一章 ♯「推し」で学ぶプロジェクション ―応援―
第二章 プロジェクションを共有するコミュニティの快楽 ―生成―
第三章 「推し」との相互作用が生まれるとき ―育成―
第四章 ヒトの知性とプロジェクション ―未来―
第五章 とびだす心、ひろがる身体 ―拡張―
第六章 プロジェクションが認識世界を豊かにする ―救済―
おわりに
(本文より)
「推し」に救われたという経験は、「推し」が自分に直接なにかしてくれたということではありません。
「推し」によって自分がなにかに気づいたり、自分がなにかできるようになったり、自分をとりまく世界のとらえ方が変わったということなのでしょう。
あらためて考えてみると、このような自分のありようとこころの変化は、本書のテーマである「プロジェクション」がもたらす事象そのものです。
はじめて聞いたという人が多いと思いますが「プロジェクション」とは、こころの働きのひとつで、認知科学から提唱された最新の概念です。
【著者プロフィール】
久保 (川合) 南海子 (くぼ (かわい) なみこ)
一九七四年東京都生まれ。
日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。
博士(心理学)。
日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現在、愛知淑徳大学心理学部教授。
専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』(新曜社)ほか多数。
周りの人達が「推し」について楽しそうに語っている中、どうして自分は好きなこと=「推し」にならないのだろうと思って読んでみました。
まず、プロジェクションという概念(仮説?)が非常に面白く、そこから生まれる行動、共有・遷移・変容への流れもとても興味深かったです。
特に、二次創作と科学理論の醸成の相似については、なるほどと思う一方で検証の有無が大きな違いだなと。
そして、こういうことを考えること自体がプロジェクションであると気がつき、知った理論をそのまま体験するのはなかなか新鮮でした。
そして、プロジェクションという概念を知ることで、社会での様々な事象(事件)の動機にプロジェクションを見いだすことができ、これもプロジェクション、あれもプロジェクションと楽しくなってきました。
筆者はおそらく意識してポジティブな事象を事例として取り上げていますが、私はネガティブな事象の中にプロジェクションによると思われるものを見つけることが多く、これまで理解出来なかった人の心の動きや行動について、納得するものがありました。
そして、自分がプロジェクション能力が低いから「推し」ができないということもわかってしまい、もう推しを作ることは諦めました。
そして、プロジェクションという概念を知ることで、社会での様々な事象(事件)の動機にプロジェクションを見いだすことができ、これもプロジェクション、あれもプロジェクションと楽しくなってきました。
筆者はおそらく意識してポジティブな事象を事例として取り上げていますが、私はネガティブな事象の中にプロジェクションによると思われるものを見つけることが多く、これまで理解出来なかった人の心の動きや行動について、納得するものがありました。
そして、自分がプロジェクション能力が低いから「推し」ができないということもわかってしまい、もう推しを作ることは諦めました。
楽しく読み進めていけます。
心理学の実験は「どういう風に設定するか」という最初の時点で、すでにものすごく面白いと思いますが、冒頭の実験シーンから引き込まれて、一気に読んでしまいました。
上手く言えないですが、著者の人間や人間社会に対するあたたかい視線を感じて、知的好奇心を刺激されつつ、心にじんわり沁みる本でした。
推し活をしている方だけでなく、そうでない方も楽しめる1冊だと思います。
推し活をしている方だけでなく、そうでない方も楽しめる1冊だと思います。
自分はコンテンツ業界にいて裏側から推しに関わる立場だが、一面的な視野の狭さから語られる内容ばかりで参考にはならなかった。
未だ明確な定義のない推しとはなにか、あやふやなまま著者の主観中心の語りが進むので読んでいて常に違和感が拭えない。
仮にも研究者が研究対象であるはずのオタクとしての我を抑えられないのではこちらも困る。
そのため著者が”推し"ているプロジェクション・サイエンス理論の説明のために一部の概念だけを恣意的に持ち出しているようにしか感じない。
そのため著者が”推し"ているプロジェクション・サイエンス理論の説明のために一部の概念だけを恣意的に持ち出しているようにしか感じない。
例えば二次創作について触れた章ではBLを取り上げているが、夢や恋愛要素のない創作は排除されている。
それでは推しという概念を理解したことにはならないだろう。
「科学」というからには深い内容を期待したのだが、不愉快で期待はずれだった。
「科学」というからには深い内容を期待したのだが、不愉快で期待はずれだった。
著者の「悪乗り」の過ぎる趣味の押しつけはやめてほしい。
自分の趣味を正当化するために、各種文献を引っ張ってくるのも痛い。
また、この「推し」現象が操作可能であり、人のマインドコントロールに使われる可能性が高いものであるという危機意識がないのも、いただけない。
後書きの「痛さ」についての自覚のなさも含めて、非常に不愉快な本でした。こんな教員に感化された学生がかわいそうです。
アイドルやスポーツ選手や球団などが好きで熱心に応援する対象が「推し」と定義する。
単に好きというだけでなく、グッズ集めやSNSへの投稿など、自分が能動的に行動してしまう対象こそが「押し」だと著者は説明している。
人の「押し」の姿を見て、頑張る(肩入れする)自分の心や行動も変わる場合がある。
「推し」を推すことは、自分を外の世界とつなぐ働きかけ。
つまり、自分と世界をつながりを意味づけること。