「勝利への源泉」

2018年04月24日 19時42分47秒 | 社会・文化・政治・経済
宗教・信仰は必要ではい、と言う人もいる。
それは否定できないが、人間を最高に強く賢くし、「心」を豊かに鍛え上げる力があるのは事実。
つまり「生命変革」を可能にする。
人間の根源の力を引き出す力がある。
それを信じることができるかどうかの問題に尽きる。
「勝利への源泉」
人体でいえば「骨格」にあたるのが教学。
哲理を学ぶことだ。
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日本人の頭で考えるのでなく

2018年04月24日 19時29分26秒 | 社会・文化・政治・経済
旅には人間を育て、変える、不思議な力がある。
今年の訪日客は3000万人を超えた。
日本で地方の文化が花開いたのは江戸時代でした。
全国に300近い藩があり、それぞれの城下を中心に個性豊かな伝統技術、いわゆる「匠」や祭り、食文化が育った。
今も地方に行けば行くほどいいものがある。
ところが、住民自身が自分たちの生活文化の価値に気づいていないことが多く、生活の糧になっていません。
いくら「地方は素晴らしい」と言っても精神論だけでは駄目です。
生きるための商いとして位置づけないと。
欧州諸国は「匠」の技を観光に上手に取り入れていますが、日本では各地に伝わる紙すきや陶芸、織物、染め物などの技を旅行者に体験させる仕掛けが少ないんです。
旅慣れた長期滞在型の旅行者が「日本の旅」に求めているのは、さまざまな体験を通して地元の人々と触れ合うことなんです。
長期滞在という視点も薄いですね。
世界では「宿泊施設」としての認知度が低い。
日本に来た旅行客が日本で何を求めているのか。
日本人の頭で考えるのでなく、彼らの立場に立って分析すべきです。
田川博己・日本旅行業協会会長(日本交通公社・社長・会長)
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10円ラーメンを食べに行く

2018年04月24日 18時48分15秒 | 日記・断片
佐々田さんから連絡があり、10円ラーメンを食べに行く。
相田さんが先に車に乗っていた。
「大森さんは?」と聞く。
「体調が悪くそうで」と佐々田さんが説明する。
右足が悪かったのに、左足も悪くなったのだ。
「手術すれば、よくなるそうです」と佐々田は言っていた。
なぜ、ラーメンが10円なのか?
店につくと、列ができていて、我々は14、15、16の整理番号を配布された。
午前10時から11時まで、先着100名。
新商品のラーメンの試食であった。
ところが、我々が席に着いて待っている間、50人ほどの人たちが先にラーメン食べている。
「この整理番は、何時になったら食べるのですか?」と聞きに行く。
「失礼しました。すぐにお持ちします」と定員は慌てる。
店が混乱していて、我々の席は無視される結果になったのだ。
ラーメンがとても美味しかった。
これまで食べた中でも、最高の味と言えただろうか。
鶏ガラ、豚コツが沁みこ込んだ王道の醤油のスープのラーメンの味。
麺は細め。
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シベリア抑留者支援・記録センター世話人

2018年04月24日 08時43分20秒 | 社会・文化・政治・経済
シベリア抑留者支援・記録センター世話人
池田幸一さん97歳 漏水のため 2月10日死去
60万人が体験した抑留は「それぞれが生身で耐えた彼の地、あの歳月のことはとても一つや二つのパターンでまとめきれない」と記した池田幸一さん。
1976年にウズベキスタンを再訪して書いた小説「アングレン虜囚劇団」は深刻な体験が軽いタッチで描かれている。
96歳の昨年も大阪ら上京。
抑留の犠牲者を追悼する民間式典に15年連続で参加、がんを押してあいさつした。

「シベリア抑留」とは 1945.8.23.⇒1956.12.26.
 1945年8月第二次大戦が終わった後で、当時「満州」(中国東北部)、北朝鮮、南樺太(サハリン)にいた日本軍兵士らが、ソ連(現在はロシア)軍捕虜になり、武装解除されました。そして、「東京に帰す」とだまされて、ソ連領に移送され、ソ連・モンゴルの各地の収容所に送られて、過酷な強制労働を強いられました。


 「シベリア抑留」と呼ばれますが、送られた先は、シベリアだけでなく、モンゴルや中央アジア(現在のウズベキスタン、カザフスタン、キルギスなど)から西はヨーロッパのモスクワ近くまで、北は北極圏、東はカムチャッカ半島にまで及びました。収容所は2300以上といわれています。

 送られた軍人らは約60万人、その中には民間人や女性、子供もいました。朝鮮や台湾出身の軍人らもいました。氷点下40度を下まわる寒さと食料不足、厳しすぎる労働(いわゆる「シベリア三重苦」)で、約1割の6万人以上が亡くなりました。捕虜をすみやかに家族の元に帰すとした「ポツダム宣言」にも、捕虜の人道的な取り扱いを定めた「ジュネーブ条約」にも違反した、大規模な拉致事件でした。

 戦争が終わった後の1945年8月23日に当時のソ連の指導者スターリンが出した秘密命令によって、移送・抑留が始まり、各地の炭坑や鉱山、建設現場、工場、農場などで、第二次大戦で失われたソ連側の労働力を補うために、使役されました。一番過酷だったのは、鉄道建設のための森林伐採や敷設作業で、極寒の森の中で多くの犠牲が出ました。

 大半の捕虜・抑留者は3~4年で帰国できましたが、一番長い人は1956年までの11年間もソ連で抑留され、戦争犯罪者やソ連の国内法違反者として裁かれ、囚人として牢獄で暮らした人もいました。1956年10月に「日ソ共同宣言」が調印されて、同年12月に最後のソ連からの引揚船「興安丸」が舞鶴港に帰ってきました。

 亡くなった人たちは、戦闘で倒れたわけでなく、食料・医薬品不足のため栄養失調と病気で、静かに亡くなっていった人がほとんどでした。50万人を越えるほぼ全員の資料がロシア側に残されており、亡くなった方の埋葬地も特定されていますが、現在までに収集され、帰国できた遺骨はまだ半分にも達していません。

 収容所の中では、当初の日本の軍隊組織が解体され、民主化を求める運動も起きます。日本人同士の対立で、激しい抗争もありました。また、帰国後も大半の元抑留者は「共産主義者」ではないかと警戒され、「シベリア帰り」と呼ばれて、就職差別を受けたり、地域でも疎外されました。
そうした事情から、元抑留者の多くが、その体験を家族にも話すことがなく、つらい記憶として胸に秘めて戦後を送ってきました。敗戦時に海外にいた軍人らは約310万人で、その中の5人に1人がソ連に送られました。家族や親せきに抑留体験者がおられた方々が多いのではないでしょうか。戦後の歴史の中であまり知られていない、教えられていない事件であり、悲劇でした。
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風のメルヘン

2018年04月24日 02時54分52秒 | 創作欄
浪江は再び新宿のハロワークで新たな職を探した。
そして新宿駅南口から徒歩約5分の農協会館5階の小さな農業協同組合の職員となった。
その組合は大きな農業組合の下部組織であり、女性2人、男性3人の規模である。
理事長は大きな農協組合の理事長を兼務していたが、ほとんど姿を見せず参事の荒井銀蔵が実質上のトップであった。
そのビルには労働組合関係の団体の事務局などもあった。
農協会館ビルの裏側にホテルがあり、その先の道は小田急線の南新宿駅に通じていた。
坂道の手前にJR病院があった。
小規模の職場を求めていた浪江にとって働きやすい環境であった。
先輩職員の小峰広子は経理担当で40代後半の年齢で独身。
荒井参事が70代、部下の山村慎二が60代、もう一人の職員の寺田勝雄は40代。
浪江は何ら気きを遣うことなく働いていた。
一人旅を思い付いたのも職を得て、半年後のことでまず仙台へ行く。
松本に生れ育った浪江にとって城は身近なスポットであった。
歴史で知る戦国大名・伊達政宗が治めた宮城県仙台に何時か行ってみたいと思っていた。
国の史跡である青葉城には本丸などはなかったが、伊達政宗の銅像が設置され、本丸からの眺めは最高だった。
1泊2日の旅で朝市にも行ってみた。
そして杜の都仙台のシンボルとしてとして親しまれ、アユが棲む清流広瀬川へ。
ヒット曲となった『青葉城恋唄』(歌/ さとう宗幸)にも唄われた広瀬川。
奥羽山脈の関山峠付近に源があり、中流域では仙台市都心部の西縁から南縁を経て東流するが、都心部が広がる河岸段丘の段丘面と川面との間には数十mの高低差の段丘崖となる。
広瀬川を橋の上から眺めていた浪江は仙台に住んでみたいという気持ちになった。
また、浪江の祖父の兄が学んだという旧第二高等学校へも行ってみた。
恋に敗れて自死したそうで、情熱家であったのだろう。
歴史ある木造の校舎も残されていた。
さらに、北仙台まで行ってみた。
丘からの広がる眺めに何か郷愁感じ、恋への思いも募っていた。
具体的に恋する人がいるわけではなかったが、一人旅で誰かとの思わぬ出会いを求めていただろう。
子供みたいな あなたを見てると 私は小さな 海になる
遠い過去から 私たち愛してたような 気がするの
都会の風は 気まぐれで今にも別れが 来そうだけど花が散っては 咲くようにこのつぎの人生も 会いましょう
浪江は大好きな歌「風のメルヘン」を口ずさむ。
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