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死ぬのは“復讐”した後で―いじめられっ子への起業のススメ

2022年12月05日 03時24分56秒 | 新聞を読もう
 
重松 豊 (著)
 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

重松/豊
1978年生まれ。有限会社ブルハ代表取締役。2000年、22歳の時に10万円を資金に個人事業、重松運転代行サービスを開業。
中小運送会社を相手にドライバー派遣で道を切り開く。
2003年、25歳で有限会社ブルハを設立。代表取締役に就任し、軽貨物運送事業を開始。
2005年、会社の資本金を600万円に増資し、さいたま市西区に新営業所を設立。2007年、運行管理責任者の資格を取得。
2008年、一般貨物運送事業を開始。同時に利用運送事業の認可を取得してトラック業界に参戦(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
最大の復讐とはなにか?
歴史に残るような、立派は人間になることだ。
そのためには、努力に、努力を重ね、人間力を高めることでもある。
 
 
 
本の帯の歌詞に、興味があり購入しました。
私もブルーハーツがとても大好きで、最近仕事に追われて
聴いていなかったと思い、押し入れからCDを出してきて聴きました。
大人になって、自分を出すということは
とても大変なことで、勇気がいることです。
忘れていた、自分らしさや勇気を
もらったような気持ちになりました。
私も、二人の娘が居ますが、自殺など
考えたくありませんが、最近のニュースを見ると
現実問題学校でのことはわかりません。
娘のためにそっと家の本棚に置いておこう
と思っています。
忘れてた子供の頃の気持ちを
思い出させてくれてありがとう。

とても良い本でした。
 
 
 
過去に友人を自殺で失いました。
その友人がどんな気持ちだったか知るため購入。

本書は、子供の頃にいじめられた経験のある著者が、今では社会的も経済的にも成功するまでの考え方やどう行動したかを記した本です。

誰しも疎外感や劣等感を持ち、時には死にたくなったりその場から逃げ出したくなったりすることもあるかと思いますが、そのつらい気持ちや憎い気持ちが間違った方向に向かうと、他人を傷つけたり世間を騒がせるような事件を起こしたり、自分自身を追い込んで自ら死を選択したりすることになるのでしょう。
著者はそのマイナスのをバネに変え、生きる希望を見出して自分で解決することのできる具体的な方法を実体験に基づき記しています。

かつて自ら死を選んだ友人に、こんな風に生きる方法があるのだということを伝えたいとおもいましたが、残念ながら伝えることはできません。
学校や社会でいじめられている人以外にも、会社でつらい思いをしていたり、人間関係で悩んでいる人にもぜひ手にとってもらいたい一冊です。
本に書いてあるように、著者と同じことをするだけで、生きる希望が湧いてきて自分自身と向き合うことができるようになるはずです。
「復讐」という言葉に惹かれて購入しました。
とても良い本でした。
復讐とはどういうことなのか、どういう復讐の方法があるのか。
著者の体験を通して、「成功するという復讐」「幸せになるという復讐」を教えてくれる本です。
この本はきっと、悩んでいる子供たちの希望になると思います。
 
 

「自伝+起業+成功」にまつわる本という印象。
いじめにもあった著者が起業をして成功するまでの内容が丁寧に書かれています。

この本でいう”復讐”とは夢をかなえる、自分が描いた憧れの自分自身をかなえることで、今まで自分を傷つけてきた人たちをあっと驚かせることです。

著者の
「夢をかなえてほしい」
「自殺がなくなってほしい」
「多くのいじめで悩んでいる人に希望を持ってほしい」
という願いがビシビシ伝わってきました。これだけ著者の熱い思いが伝わる本はなかなかないと思います。

今はいじめが社会的な問題になっています。いじめている人は遊びの一つぐらいで楽しんでいるのかもしれません。正直何を考えているのかもわかりませんし、理解する気にもなりません。理解する必要もないでしょう。

しかし、いじめられている人は自殺を考えてしまうほど悩んでいるのだということをこの本を通して理解してほしいなと思います。

そして、今まさにいじめで思い悩んでいる人は、早くこの本を読んでください。生きる力を手に入れることができて、自分の夢に正直に生きることができるようになると思います。この本にあるように”復讐”を果たす人が一人でも増えることを祈るばかりです。
 
 

本の題名に興味があり、購入しました。
死ぬのは”復讐”した後で、ビジネス書にあるのにこの本はどんな事が書いてあるのだろうと。
読んでく中で、復讐でデスノートがすごく面白くやってみようと思いました。
今まで馬鹿にしてきたやつ、いじめてきたやつに自分が大きくなり復讐をするという発想。
自分も復讐しながら大きくなりたいと思いました。
 
 

高校でいじめられていて、インターネットで見つけて買いました。
イジメにあったことがある人だから、気持ちが伝わってきてとても感動しました。
僕も、夢ノートを書こうと決めました。
大人は、いつも嘘ばかりつくけど、この本は僕に嘘をつきませんでした。
ありがとうございました。
 
 
 
起業のススメと書いてあったので、起業する気の無い私は購入を迷いました。

しかし購入して正解でした。
そういう復讐の仕方があったのかと目から鱗でした。

会社で数人からいじめられ、辞めようか悩んでいた私ですが『デスノート』や『夢ノート』を書いて、もう一度頑張ってみようと思えました。
その人達の悔しがる人生を歩む!!この本を読んで少しだけ強くなれた気がします。

いじめられると相手に対して憎むパワーが凄く大きいので、そのパワーを著者みたいに方向転換できたら幸せな人生が待っているかもしれません。

いじめにあっている子ども達全員に読ませてあげたい一冊です。
自殺する子どもが減ると思います。
将来自分に子どもが産まれたら読ませてあげたいです。
 
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殺人事件死者数ランキング順位(10位まで)

2022年12月04日 21時34分50秒 | 新聞を読もう
【1位】2001年: 新宿歌舞伎町の雑居ビル火災事件(死者44人)→ 犯人は不明【2位】2019年: 京都アニメーション放火事件(死者36人)→ 約10ヶ月入院して退院後に逮捕・起訴(今後決定)【3位】2021年: 大阪ビル心療内科放火事件(死者25人)→ 犯人も一緒に燃えて重篤(死に近い危険な状態)でしたが、2021年12月30日 夕方に死亡【4位】1938年: 津山30人殺し事件(死者24人)→ 犯人は自殺【5位】2016年: 相模原知的障害者施設襲撃事件(死者19人)→ 犯人は2020年に死刑確定【6位】2008年: 大阪個室ビデオ店放火事件(死者16人)→ 犯人は2014年に死刑確定【7位】1990年: 長崎屋尼崎店放火殺人事件(死者15人)→ 犯人は不明【8位】1995年: 地下鉄サリン事件(死者13人)→ 犯人は2004年に死刑確定後、2008年に死刑執行【9位】2015年: 川崎市簡易宿泊所火災事件(死者11人)→ 犯人は不明【10位】2011年: 尼崎事件(死者10人)→ 犯人は2012年に留置場で自殺【11位】2017年: 座間9遺体事件(死者9人)→ 犯人は2021年に死刑確定

近況の死刑執行として

2021年12月21日(火)

日本人死刑囚 3人の死刑執行


2022年7月26日(火)

日本人死刑囚 1人を執行(秋葉原無差別殺傷事件)

これにより「現在106名」の確定死刑囚がいる事になります。

 

 


11月の鈴木さんの絵手紙

2022年11月30日 08時40分38秒 | 新聞を読もう

久しぶりに、午前5時からの早朝散歩に参加した。

その際に1月の鈴木さんの絵手紙をいただく。

スマートフォンを紛失したことを告げると「絵手紙、ネットに載せられないですね」という。

前のパソコンでは、スキャンしていたが、現在のパソコンでスキャンできるのかどうかである。

仕方なくカメラで絵手紙を撮影した。

「ゴルフ仲間に、今は使っていないスマホあるかどうか聞いてみよう」と鈴木さんは言う。

スマホを買い替えると、前のものは捨ててしなうそうだ。

しかし、紛失したスマホの映像は素晴らしかった。

当方のカメラの解像度の比ではない優れもの。

 


『榎本武揚』安部公房の長編小説

2022年11月27日 06時27分32秒 | 新聞を読もう

11月27日午前、CSテレビの「にっぽんの歴史」で『榎本武揚』を詳しく知る。

260年の長きに続いた江戸の世。

その終焉の時を人は幕末と呼ぶ。

では、幕末とはいったいどこで終わったのか?

江戸はどこでピリオドがうたれたのか。

それは大政奉還の時か!江戸城無血開城か?それとも戊辰戦争・会津落城の時か?否。

幕末に終りを告げ、新たな時代の幕開けとなるライバルたちの戦いがあった。

今回は旧幕臣榎本武揚と新政府軍黒田清隆にスポットをあて旧幕府と新政府軍の最終決戦、そしてその後の二人を追ってみましょう。

旧幕府対新政府軍

榎本武揚はなんとかなりのエリート。

語学に優れ、なんと七ヶ国語も話せたとも言われています。

さまざまな国をめぐり機械学から最新化学までありとあらゆることを学び、そして日本の未来に役立てようとした榎本。しかし、当時将軍の徳川慶喜が大政奉還。

さらに薩長が倒幕をかかげ幕府を脅かしてゆきます。

その中の一人が黒田清隆でした。

黒田は西郷隆盛、大久保利通など幕末の志士が多く集まった下鍛冶屋町付近で生まれました。

西郷を兄と慕っていた黒田は旧幕府を追い込んでゆきます。

そしてたどり着いた蝦夷共和国で榎本武揚と黒田清隆は出会います。

画像

世界を知りすぎた榎本武揚と世界を知らなかった黒田清隆が生んだ化学反応

旧幕府最後の砦、蝦夷共和国。

フランス行使ブリュネのおかげで榎本率いる旧幕府軍は新政府軍との戦いに挑みます。

しかし、すでに旧幕府軍の生き残った数はのこりわずか…そのとき榎本はある行動に出ます。

それは榎本が肌身離さずもっていた海律全書です。

前頁オランダ語で書かれた本をなんと新政府軍に送ったのです。

「自分が死んでもこれからの日本のためにこれは必要だ」しかしこれをみた新政府軍は驚きます。

これほどの学識をもった人をここで殺してしまうのは間違っているのでは・・・そこで黒田清隆はござをしき、マグロやするめ、そして酒を用意し榎本武揚との会談に臨みます。

そして榎本武揚は自分を殺し、ほかの者を助けてほしいと黒田にお願いします。

「榎本さんこそこれからの時代に必要な人物。その命私がすくいもんそう」そして榎本は降伏を受け入れ江戸時代にピリオドがうたれたのです。

親戚関係にまで発展したふたり

榎本は黒田のおかげで新政府の一員となります。

そして当時日本が抱えていた外交問題を得意な外国語で日本を救ったのです。

さらに黒田清隆が第2代総理大臣の座に上り詰めたとき支えたのはいくつもの大臣を歴任した榎本でした。

さらに明治32年には榎本の息子と黒田の娘が結婚。

二人の交友は、ついに血縁関係にまで発展したのです。

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『榎本武揚』(えのもとたけあき)は、安部公房の長編小説。

前衛的な作風の多い安部文学の中では異色の歴史小説である。

北海道厚岸に住む元憲兵の旅館の主人から、ある古文書を送られた「私」が、徳川幕府海軍副総裁・榎本武揚の実像を追っていく物語。

榎本暗殺を目論んだ元新撰組隊士の告発文を頼りに、榎本の「裏切り」と「変節」の過程の真相を、五稜郭の戦いの時期の動きから追求しつつ、世間が「勤皇」か「佐幕」かと騒ぐ中、そのどちらでもない立場があることを信じた榎本の姿を独自の視点で描いている。

戦時の忠誠を咎められることを拒否する元大日本帝国陸軍憲兵の心情と、幕末の榎本の「裏切り」の物語を入れ子構造の構成で関連させながら、時代と人間との関係性、「忠誠」「転向」とは何かを問いかけた作品である。

続編的な戯曲版『榎本武揚』も1967年(昭和42年)に創作され、同年9月20日に劇団雲により大手町日経ホールで初演された。

発表経過

1964年(昭和39年)、雑誌『中央公論』1月号から(11月号は休載)翌年1965年(昭和40年)3月号まで14回連載され、同年7月26日に中央公論社より単行本刊行された[3]。なお、単行本は、初出誌版を加筆・改稿した形のものが刊行された[2。

安部公房の「榎本武揚」観

安部公房は榎本武揚について、「もし、節操の欠如だけが、彼の行動原理だったとしたら、なにも五稜郭で共和国宣言をするような、挑発的言動に出なくとも、もっと有利な条件で薩長勢と和解する機会は、それまでにも、いくらもあったはず」だとし、以下のように考察している。

文久二年から、慶応三年までという、幕末動乱期の最後の五年間を、すっかりオランダ留学ですごしてしまった榎本にとって、佐幕か勤皇かなど、もはや本質的な対立とは見えなくなってしまっていたのではあるまいか。

彼の「渡蘭日記」が、セントヘレナに到着の前夜、ナポレオンをしのぶ詩を最後にして中断されていることなども、はなはだ暗示的なことである。

また留学中、デンマーク王国が、プロイセンに一気にじゅうりんされる様を目のあたりに見て、なんの感慨もわかなかっただろうなどとは、想像するほうが困難なくらいだ。

このころ知った赤十字精神を、彼は後に箱館戦争でさっそく実施し、敵味方を煙にまいている。

— 安部公房「幕末・維新の人々」

主題

安部は、榎本武揚があえて箱館戦争に踏みきった動議を小説『榎本武揚』で解明しようとしたとし、それは単なる歴史的興味だけではなく、榎本武揚が後年、久保栄の『五稜郭血書』によって、左翼的見地から裏切り者として激しく攻撃を受けた一方、戦後は、銅像撤去審査委員会から、撤去の必要なしとの扱いを受けたという皮肉な事実への注目をうながしておきたいという意味もあるとし、次のように語っている。

思想と行動との関係を、その具体的な内容に即してとらえようとはせず、もっぱら忠誠は善、転向は悪と割り切ってしまう、明治以来の伝統的美徳だけは、どうやら左右を問わず、いまだに健在のままで生きのびているらしいのである。

忠誠でもなく、裏切りでもない、第三の道というものはありえないのだろうか。— 安部公房「幕末・維新の人々」


映画『クンドゥン』

2022年11月26日 05時54分28秒 | 新聞を読もう

クンドゥン』(原題: Kundun)は、ダライ・ラマ14世の半生を描いた、1997年アメリカ映画マーティン・スコセッシ監督、メリッサ・マシスン脚本。

1998年のアカデミー賞に於いて4部門がノミネートされた。

11月26日、午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

クンドゥン

概要

チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世の、インド亡命に至るまでの前半生を描いた伝記映画で、ダライ・ラマ14世自身がさまざまなアドバイスを提供した。

出演者はダライ・ラマの甥の息子が主役を演じて、母親役もダライ・ラマの実母の親族など、俳優としては素人の亡命チベット人が大多数をしめた。

撮影は当初インド北部が予定されたが叶わず、チベット高原に見た目がよく似たモロッコで行われた。

監督はイタリア系移民の子でカトリックの教育で育ったマーティン・スコセッシ、脚本は自身がチベット仏教に帰依したメリッサ・マシスン(当時は俳優ハリソン・フォードの妻)、音楽のフィリップ・グラスもチベット仏教徒であった。

題名のクンドゥンは彼の尊称 Kundun (チベット文字སྐུ་མདུན་ワイリー方式sku mdun、文字通りには「御前」)に由来する。

これはチベット人がダライ・ラマに敬愛と親愛の情を込めて呼ぶときの尊称で、「尊いもの」または「存在(Presence)」というような意味を持ち、法王法王猊下とも意訳される。

クンドゥンの画像

あらすじ

1937年、僧侶の召使いに変装した高僧がチベット東部アムド(現・中華人民共和国青海省)の田舎にある質素な農家に立ち寄る。

その家のラモ・ドンドゥプという末っ子の幼児は高僧になつき、彼が首にかけている数珠を「これは僕のだ」と言い張る。

今度は本来の服装で家を尋ねた高僧は、誰か著名な高僧の遺品を、よく似た物品と並べてラモ(「守護者」の意)に見せると、ラモはことごとく本物の遺品を言い当てる。高僧たちは感動し、思わず「クンドゥン」と呟く。

どうやらラモは誰か高位の僧化身ラマの転生者として認定されたらしい。だがそのこと自体は、ラモの家族にとって名誉なことではあるが、そんなに珍しいことにも思えなかった。

2年後、迎えに来た僧侶たちに連れられ、ラモ少年と家族はラサへ向かう。

すでに近所の僧院で修行する身のラモの長兄は「お前は立派なお坊さんになるんだよ。怖がることはない。こうやって見つけられた子どもは今までにもたくさんいたし、これからだっている」と言う。

宿営地で頭が剃られるのをいやがって逃げ出したラモは、摂政のレティン・リンポチェのテントに逃げ込む。レティンは彼を「クンドゥン」と呼び、生きとし生けるものすべてを愛するために、またこの世に生まれ変わって来たのだと告げる。

なにやら仰々しい儀式で上座に座らされたラモに、レティンは「観音菩薩の化身、願いを叶えたもう宝珠、第14世ダライ・ラマ」と呼びかける。数珠も様々な遺品も1933年に崩御したダライ・ラマ13世の遺品であり、ラモはその転生として認定されたのだった。

ダライ・ラマになったラモは歴代法王の住居でありチベットの政治宗教の中心であるラサのポタラ宮に住むことになり、遊び相手としてすぐ上の兄と一緒に育てられる。

だが親と離され、高僧たちに囲まれ、暗く重々しいポタラに、幼いダライ・ラマはなかなかなじめない。養育係を務めるポタラ宮の給仕長ポンポは、「夏の離宮の方が気に入るでしょう」と言う。

その夏の離宮、ノルブリンカ宮には両親の家もあり、彼は動物と豊かな自然に囲まれて無邪気にのびのびと育つ。

5年後、1944年第二次世界大戦のことも外国の雑誌やニュース・フィルムで見るくらいの、平和に見えるポタラ宮で、ダライ・ラマは仏教の哲学を学び、様々な修行を受けて利発で好奇心旺盛な少年へと成長している。

ある晩、彼は摂政のレティンと側近の高僧タクバ・リンポチェが密談しているのを聞いてしまう。

タクバはレティンに、摂政の位を辞任して隠遁するように薦めていた。ある日、ダライ・ラマ少年は西洋からの贈り物である望遠鏡で街を見ていて、ポタラ宮内の建物の屋上に足を鎖で繋がれた男がいるのを見る。

閣議でレティンの辞任が報告され、ダライ・ラマはタクバを摂政に任命する。

仏教教義の試験をダライ・ラマが受けているとき、突然銃声がポタラ宮に響く。

僧侶たちは少年の頭から袈裟をかぶせ、慌てて保護する。「あなたのお耳に入れるようなことではありません」と言う高僧たちに、少年ダライ・ラマは「なぜ僕が聞いてはいけないのか」と怒る。

しぶしぶ説明する側近たちによると、レティンが摂政位に復帰しようとして逮捕され、その一派の僧たちが発砲したのだと言う。「僧が銃を持ってるの?」とショックを受けるダライ・ラマ。逮捕されたレティンはポタラ宮内の牢獄に収監されたという。

「ポタラに牢獄があったのか」とさらにショックを受けるダライ・ラマに、宮内長官のパラが「ポタラには昔から牢獄があります」と言いにくそうに伝える。レティンのクーデター未遂について質問するダライ・ラマだが、パラたちは「いろいろ複雑な事情がありまして」としか言ってくれない。

ダライ・ラマはレティンに会いたいというが制止され、「彼は私を見いだしてくれた人だ。私の師だ。良い待遇をするように」としか言えない。

中国のことを訊ねても、「それもいろいろ複雑な事情がありまして」との返事。中国側がチベットを中国の一部だと主張し始めていると言われ、ダライ・ラマは「チベットがチベットだ」と言う。

タクバが「我々と中国は、その点では決して同意しないということで同意して来たのです」と説明する。

チベットと自分の置かれた複雑な政治的立場がなんとなくには分かって来た少年ダライ・ラマは、「これから多くのことを変えなければいけない」と決意する。

パラがダライ・ラマ13世が後継者に残した手紙を読み聞かせる。少年のダライ・ラマは「僕に何が出来るの? ただの子どもなのに」としか言えない。

パラは「あなたはこの手紙を書いた人であり、我々を導くために生まれ変わって来たのです」という。そしてレティン・リンポチェの服毒自殺が報告される。ダライ・ラマの父が亡くなり、鳥葬が行われる

5年後、1949年。数え歳で16歳になったダライ・ラマに、摂政タクバ・リンポチェが中国で中華人民共和国が成立したこと、毛沢東が「チベットが中国の一部であることを認める」などの三つの条件を突きつけて来たことを報告する。

タクバはダライ・ラマに正式に元首として即位することを進言するが、彼は「私はまだ少年だから」と躊躇する。歴代のダライ・ラマは18歳で即位しているから、自分もそれまでは待って欲しい、と。

だが人民解放軍がチベットに侵攻を開始、ダライ・ラマは即位して即座にインド国境に近いドゥンカル僧院に避難することになる。

即位と同時に政治犯の恩赦と、各国と国際連合にチベット独立への支持を要請する使者を出すことを命ずるダライ・ラマだが、その使者はインドですら無視され、国連でも取り上げられない。

16歳の元首は、中国との困難な交渉に自ら向き合うことになる。子どもの頃からの世話係だったノルブに、ダライ・ラマは「レティン・リンポチェが本当に正しい転生した子どもを見つけたのか、疑ったことはないか」と訊ねる。ノルブは「私は一切ありません。あなた以外の誰に正しかったか間違いだったか分かるのか」という。

ラサを出発する別れ際に、ノルブはダライ・ラマに携帯式の電灯を贈る。

避難先で、夜、ダライ・ラマはラジオで自分の使節団が中国から十七か条協定と称するものに無理矢理合意させられたことを聞き、胸に痛みを覚えて倒れる。

人民解放軍の使節に面会するダライ・ラマは、ラサに戻るように要請されるが、なにも言わない。

身の安全が保証できないとインドへの亡命を主張する内閣に対し、パラは「インドに行かれたら、ラサにお戻りになれるかどうか保証はできません」と進言する。

その夜、夢のなかで人民解放軍の将軍たちが、毛沢東以前の中国がいかに悲惨で、人々が虐げられ、飢えていたのかを語る。

一人の将軍は、男が赤ん坊の死体を料理しようとしながら「俺が殺したんじゃない。勝手に死んだんだ!」と叫んでいた、と言う。

人民解放軍の使節の要望に応じて、ポタラ宮に戻ったダライ・ラマを、母と長兄(タクツェル・リンポチェ)が訪ねる。

「お母さん、僧院は日が落ちたら女性は立ち入り禁止ですよ」と言って母を人払いしたダライ・ラマに、長兄は人民解放軍の進駐後の体験を話し、驚くべきことを告げる。「中国人は私があなたを説得することを条件に釈放してくれました。

彼らは、もし私があなたを説得できなかった場合、あなたを殺せ、と言った

ダライ・ラマは愕然とし、「彼らは、実の兄が弟を殺せると本気で信じているのか?」とつぶやく。

ダライ・ラマは自ら北京に向かい、毛沢東と交渉することを決意する。側近たちは共産主義に嫌悪を隠さないが、ダライ・ラマは好奇心旺盛に子どもの合唱を聴いたりしている。

毛沢東も彼を歓待し「母も仏教徒でした」と理解を示し、ダライ・ラマも一時は「仏教と社会主義には共通するところもあるから、共存は可能だ」とさえ思う。夢のなかで、タクバ、ノルブ、そして父がそれぞれに「さようなら、クンドゥン」と言って去っていく。

ダライ・ラマは思わず「誰も死んではならない」と叫んで目を覚ます。だがラサに戻る前夜に彼を招いた毛沢東は「ひとつだけあなたに忠告があります。宗教は毒です。

民族を衰えさせる毒なのです。チベットはその毒に冒されているのです」と言い、それを聞いたダライ・ラマは戦慄する。

ダライ・ラマはチベットに戻り、生家を訪ねる。かつて豊かに煙を上げていたかまどには火の気もなく、家中には「中華人民共和国万歳」「毛沢東主席万歳」といった中国語の標語や、毛沢東の写真が飾られている。

「幸せですか」とそこに住む老女に訊ねるダライ・ラマ。

老女は苦しそうに涙をこらえながら「中国共産党と毛主席のご指導の下で私たちは幸せです」と言う。ダライ・ラマはその老女の頬を思わず両手で包み込む。

ラサに戻ると、人民解放軍の食糧などの無理な要求に、チベット政府の首相も辞職するしかなくなる。

人民解放軍はチベット軍を自分たちの指揮下におき、ゲリラの掃討作戦に参加させるとまで言い出す。チベット各地から僧院が破壊され、たいした武器ももたないゲリラが人民解放軍に掃討されているという報告が届く。

さらには、僧侶や尼僧が路上で陵辱され、チベットの子供たちが自分の親を殺すことを強制させられている、と聞き、ダライ・ラマは顔を覆って崩れ落ちる。

夢のなかでノルブリンカ宮の中庭に立ち、周囲を見回すダライ・ラマ。その周囲には遥か彼方まで僧侶たちの血まみれの死体が転がっている。

人民解放軍からはダライ・ラマの誘拐や暗殺を匂わす招待状まで届けられる。それでもダライ・ラマは「私の責任は私の民衆とともにあることだ」と言って、側近の「インドに亡命すべき」という進言を退け続ける。

ダライ・ラマを守るためにノルブリンカ宮の周囲にはチベットの民衆が続々と集結するが、彼らの意見も「かけがえの無いお命です、逃げてください」と「行かないで下さい」にまっぷたつに分れている

。だがノルブリンカ宮を爆撃することを匂わす脅迫めいた書簡が人民解放軍から届けられ、ラサの緊張も最高潮に達し、中国側が全面的な武力行使に打って出る危険も高まる。

ダライ・ラマはチベットの魂を守るためには、自分が亡命する以外にないと決意する。

兵士に変装したダライ・ラマはわずかな側近たちを引き連れて夜中に離宮を脱出する。

辺境地にたどりついたダライ・ラマは、中国から押し付けられた十七か条協定を改めて拒否し、チベット臨時政府の樹立と、チベットの主権の保持を宣言する。

そして、人民解放軍の追跡を逃れながらヒマラヤの険しい雪山をすり抜ける苦しい旅を続け、身も心も衰弱しながらインド国境にたどりつく。

側近から「我々は勝ったのです。自らの足でインドにお入りください」と促されたダライ・ラマは牛の背中から降り、よろよろとインドの国境検問所に歩を進める。

インドの国境警備兵から「敬意をこめてお伺いします。あなたは御仏様でしょうか?」と問われた彼は、「私はただの男、仏に仕える一介の僧侶、善を行い、自己にめざめる努力を続けている者だ」と答える。

インド政府が用意した質素な建物に落ち着いたダライ・ラマは、望遠鏡をとりだしてヒマラヤの雪山を遠望し、はるか彼方のチベットに想いを馳せる。

出演

役名 俳優 日本語吹替
ダライ・ラマ14世(成人) テンジン・トゥタブ・ツァロン 小野塚貴志
ダライ・ラマ14世(12歳) ギュルメ・テトン 亀井芳子
ダライ・ラマ14世(5歳) トゥルク・ジャムヤン・クンガ・テンジン
ダライ・ラマ14世(2歳) テンジン・イェシェ・パチュン  
テンチョ・ギャルポ 種田文子
ツェワン・ミギュル・カンサー 星野充昭

その他[編集]

チベットを自国領土とし、ダライ・ラマ14世の政治活動を認めていない中国が、この映画をチベットで撮影することを許可するはずが無く、ロケはチベット本土では当然不可能であった。このため、当初はヒマラヤ山脈を挟んだインド北部で予定されていたが、インド政府が政治的理由からなかなか許可を出さず、結果的に、撮影は主にモロッコで行われた。壮大なポタラ宮もモロッコに大掛かりなセットを組んで撮影され、外景は3Dデジタル・マット・ペインティングなどを駆使して再現された。詳細な間取りなどについては、ダライ・ラマ14世自身を含む多くの亡命チベット人への取材に基づいている。モロッコを主要なロケ地に選んだのは、マーティン・スコセッシ監督が以前にそこで『最後の誘惑』を撮影していたからでもあり、また地形的にチベット高原に似ていたからである。

作中のセリフはほぼ英語(一部はチベット語)だが、出演者のほとんどが亡命チベット人。ダライ・ラマの青年期を演じたテンジン・トゥタブ・ツァロン(Tenzin Thuthob Tsarong)はダライ・ラマ14世の甥の息子である。インド北部、ダラムサラにおかれたチベット亡命政府の文化機関の全面的な協力を受け、チベットの建築や服装、仏教儀式や民衆文化が緻密に再現されている。

登場人物の主観描写を多用するスコセッシ独特のスタイルがとくに突き詰められた作品でもあり、史実に非常に忠実でありながら、歴史的な背景の説明は最低限に押さえられ、主人公ダライ・ラマの目線でチベットの文化と歴史を体験する構造になっている。また映画のなかで三度出て来るダライ・ラマの夢のシーンのうち二つは、ダライ・ラマ本人の見た夢に基づいている。見る道具としての望遠鏡と、光を出すものであるろうそく、電灯、携帯式のランタンや懐中電灯などが、重要な象徴的小道具として繰り返し用いられる。また後半に入るとダライ・ラマを見送る人物がいつまでもじっと遠景のなかに立っているというモチーフが繰り返される。クライマックスのインドへの亡命をチベット仏教の最重要の儀式であるカーラ・チャクラと並行して見せていくモンタージュのなかには、さらに過去のシーンのバリエーションも組み込まれ、砂曼荼羅の創造と破壊と融合されるに及んで、リアリズムを離れて別れと再会、物事が変化しながらも不変でもある流転と回帰の主題が色濃く浮かび上がる。

マーティン・スコセッシ自身がもっとも愛着のある自作であることを表明しており、またこの映画を完成間近で亡くなった母キャサリン・スコセッシに捧げている。その理由を、スコセッシは「この映画は無条件の愛についての映画であり、そして私にとってもっとも身近に無条件の愛を体現していた人は母だったから」と語っている。ちなみにダライ・ラマ14世自身も後にワシントン・ポスト誌に寄稿した記事の中で「初めてわたしに愛と思いやりを教えてくれた先生は、わたしの母親でした。母親はわたしに最大限の愛を注いでくれました」と語っている。

主な出資者でありアメリカでの配給元であるディズニーには中国から強い圧力があったと言われ、アメリカ国内ではあまり広く公開されなかった。作品の輸入、上映ともに中国では禁止となっている。また、同時期に中国で公開が予定されていたディズニー制作のアニメ映画「ムーラン」は、中国からの嫌がらせにより、8ヶ月も公開を妨害された。このため、中国を舞台にした映画にも係わらず、中国における「ムーラン」の興行は、結果的に失敗となった[4]

メイキングドキュメンタリーとして、1998年に制作された『マーティン・スコセッシとクンドゥンを探して(原題: À la recherche de Kundun avec Martin Scorsese)』という作品がある。(日本未公開)

脚注


宗教は「より良い人生を送るためのもの」である

2022年11月23日 13時45分54秒 | 新聞を読もう

今、改めて「宗教と社会」に注目が集まっている。

どこまでも眼前の他者のために差異を乗り越える対話を

全ての宗教を不安視するようなメディアやインターネットでの情報発信もあるが、元来、宗教は「より良い人生を送るもの」であり、社会と対立するものではない。

社会から離れ、閉じこもってしまう宗教も存在するが、社会と調和することが宗教の役割でもある。

また、宗教的信念は外在的に操作されるものではなく、内在的に獲得されるものであり、強制性は正しい意味での宗教的信念を生み出さない。

今日の日本社会は、戦前の国家主義、軍国主義の下で宗教に対する抑圧的体制がさなされた。

その反省から、信教の自由の理念を社会に定着させた。

宗教社会学では、日本の新宗教(近代以降に誕生した宗教群)の特徴として現世主義が指摘されている。

それは現実世界を超えたところで救済を求めるのではなく、現実の諸問題を乗り越える側面に意義を見いだした。

例えば、人間関係の悩みがあれば、そこから逃避するのではなく、自己を変革し、人生を強く生き抜く術(すべ)を仲間たちと切磋琢磨しながら、解決していくという姿である。

しかし、特に1970年代以降、現世主義が影を潜め、現実の諸問題から逃避することに重きを置く宗教が台頭してきた。

現世を逃避する志向は、現実世界は「悪」に満ちているという思考と親和性を持つ。

その結果、現実社会との接点(地域や家族)を意図的に遮断する傾向を生んだ。

現実社会に違和感を持ち、人生に苦悩する若者は、宗教的な無知から、そのそうな反社会的ともいえる宗教団体と接点を持ちはじめていったのだ。

宗教には、さまざまな理念や世界観・社会観がある。

信仰はあくまで心の問題であり、内面性は誰も強制的に干渉できない。

では、今、宗教に何が求められているのか?

社会との調和の中で宗教が存在しているという感覚を持つことが重要である。

人間の幸福のために宗教がある。

宗教は「声なき声」に耳を傾ける特質がある。

その際、世俗倫理性と対話の必要性がでる。

理性的であることと宗教的であること矛盾しない。

むしろ、相互を高め合うことが期待されている。

教育は両者を弁証的に向上させていくものだ。

哲学性を欠如させた教育の過程で宗教を軽視する。

教育側も宗教の特徴や役割を深く考えていくことが必要だ。

「宗教」とは究極的な意味に関わる文化現象である。

その究極性は神秘的な感性と言葉で表出される。

「人間のために宗教がある」という視点を持つ限り、神秘性を用いて人々を不安に陥れることはないだろう。

宗教のために人間を利用してはならない。

国家神道(こっかしんとう)は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的概念である。 

皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道(じんじゃしんとう)」(神社を中心とする神道)を指す語である

王政復古を実現した新政府は、1868年(明治元)、祭政一致神祇官再興を布告して神道の国教化を進め、神仏判然令で神社から仏教的要素を除去した。

その後、政府主導の神道国民教化策が不振に終わると、政府は「神社は宗教にあらず」という論理で、神社を「国家の宗祀」と位置づけ、神社神道を他の諸宗教とは異なる公的な扱いとした。ここに国家神道が成立し、教化など宗教的側面にかかわる教派神道と役割が分担されることになった

 

 

 

 


LBJ ケネディの意志を継いだ男

2022年11月23日 09時55分24秒 | 新聞を読もう

11月23日、午前3時45分からCSテレビのザ・シネマで観た。

解説

「スリー・ビルボード」のウッディ・ハレルソンが、第36代米大統領リンドン・ジョンソンを演じた政治ドラマ。

「スタンド・バイ・ミー」「ア・フュー・グッドメン」のロブ・ライナー監督がメガホンをとった。

リンドン・B・ジョンソンは民主党の院内総務として精力的に活動していたが、1960年の大統領予備選挙で、党の大統領候補としてジョン・F・ケネディが選出され、ケネディは米大統領に当選を果たす。

43歳の若きライバル、ケネディの副大統領となることに同意し、その職に就いたジョンソンだったが、副大統領の執務が国政の蚊帳の外に置かれていることに気付いてしまう。

しかし1963年11月22日、ダラスで暗殺されたケネディ大統領に代わり、ジョンソンは大統領に昇格。

ケネディの遺志を尊重し、公民権法を支持するジョンソンは長い間敵対していたロバート・F・ケネディ司法長官や、師弟関係にあったリチャード・ラッセル上院議員と争うことになる。

スタッフ・キャスト

監督>ロブ・ライナー
製作
マシュー・ジョージ
ティム・ホワイト >トレバー・ホワイト ">ロブ・ライナー リズ・グロッツァー
 

リンドン・B・ジョンソンウッディ・ハレルソン

マイケル・スタール=デビッド

ロバート・F・ケネディマイケル・スタール=デビッド

    • リチャード・ジェンキンス

      リチャード・ラッセルリチャード・ジェンキンス


    • ビル・プルマン

      ラルフ・ヤーボロービル・プルマン

リンドン・ジョンソンといえば、ジョン・F・ケネディの暗殺によって副大統領から大統領に繰り上げされた人。その後に悪名高いニクソンが当選するので、そんなひといたっけ?と軽んじられることが非常に多い。


ハンサムなケネディと太った猟犬みたいなニクソン、二人の顔は浮かんでも、ジョンソンの顔は浮かばない。恥ずかしながら自分のことだ。

では、改めてジョンソンはどんな人だったのかと本作を観てみたら、アクが強い田舎者で、現実主義の食えない政治家。

そんな年長者を若きケネディが副大統領に指名したのも、ケネディが党内をまとめるための政治的配慮だったらしい。


アメリカ民主党と近しいロブ・ライナー監督だけに多少美化されてるとは思うが、ジョンソンがいかにセルフイメージと正反対の変貌を遂げたかのドラマには熱くなるし、ウディ・ハレルソンの好演もいい。地味ではあるが、知らなかった歴史

公民権法制定を行ったのは、南部出身のジョンソン大統領という歴史的事実の重み

ロブ・ライナー監督による2017年公開の米国映画。脚本はジョーイ・ハーストーン、撮影がバリー・マーコウイッツ。主演がウディ・ハレルソン(リンドン・B・ジョンソン)。その他、ジェフリー・ドノヴァン(ジョン・F・ケネディ)、マイケル・スタール=デヴィッド(ロバート・ケネディ)等が出演。

なぜ、米国民に人気乏しいジョンソン大統領を、取り挙げたのか最初分からなかった。ただ今だに根強い黒人差別の現状が存在。そういった中で、ケネディ大統領が始めた公民権運動、更にそれを引き継ぎ1964年の公民権法制定にまで持ち込んだ、ジョンソン大統領の活動を再度見直そうということだったかと理解。

期待度が低かったこともあって、興味深く面白く見させてもらった。


ケネディ暗殺時、ジョンソン副大統領の行動は、すぐ後ろの方にいたことさえ知らず、今回初めて知った。 ケネディ死亡時に病院内

ベトナム戦争についても描いてもらえれば・・・

リンドン・ジョンソンについて、ケネディと争った大統領予備選から公民権法成立までを描く物語。

ジョンソン大統領については殆ど知識がなかったので、一種の勉強として鑑賞しました。
南部保守派、議会の重鎮で寝業師、ベトナム戦争を制御出来なかった大統領、ケネディ暗殺の黒幕と噂された大統領。そんな印象しかなかった私にとっては、新しい物の見方を教えてくれた映画となりました。
ロバート・ケネディとの確執と屈辱、その中でもケネディを支えて院内工作を繰り返したこと、大統領として公民権法を成立させたこと。勿論、ジョンソン側からの視点ですので、全てを真に受けるわけにはいかないのでしょう。

しかし、今までの一面的な見方に疑念を持てただけでも、鑑賞した甲斐があったように感じます。

映画としても、完成度の高い作品でした。


ダラスパレードから大統領就任直後までの「現在」と、予備

思いがけない良作

一言「視点を変えると、こうなるのね」。

◎よかかった点◎
・ケネディの暗殺事件当日と、LBJ(以下ジョンソン)の政治家としての日々。
この二つが交互に描かれている割に、わかりやすい。

・ケネディ暗殺事件に関する作品って結構見たけど。
いかにしてジョンソンが大統領になったのか、結構引っ張ってるし。
「公民権運動」等、当時の政治背景の描き方もシンプル。

・政治話なので、各キャラクターのセリフがビシバシ決まってて、会話のテンポもいい。
登場場面は少ないものの、ジョンソンの妻のセリフもナイス。
「男がいっぱいいたのにあなたを選んだのは、求婚したからよ」
「この国は、夢を実現する人を求めている」。

・当時(1963年頃)、「副大統領36人のうち、大統領になれたのは10人」。
そういえば副大統領って

ベトナム戦争がなかったら、ジョンソンは最高の大統領の一人として尊敬されていたかも

アメリカで最高の俳優のひとりだとロブ・ライナー監督が絶賛する

ウディ・ハレルソンのコメントです。
ジョン・トーランド(アメリカのピュリッツァー賞作家)のヒトラー評に似ています。
「戦争が始まる前に暗殺されていれば、ドイツ史上もっとも偉大な人物と言われただろう」
世界中の指導者がどうすることもできなかった世界大恐慌を始めて克服し
街から失業者を一掃し完全雇用を達成。
そして外交では一兵も使うことなく失われた領土を次々取り戻しました。
ドイツ国民が狂喜乱舞したのも当然でしょう。
竹島も北方領土も取り戻せないどこかの国の首相とは大違いです。

ジョンソン大統領

南部の民主党議員がケネディの副大統領になり、暗殺された後に大統領に。

ケネディの政策を引き継ぎ、ベトナム戦争までも続けてしまった。
このジョンソン大統領の考え方がうまくまとめられ、かなり腑に落ちた。

 

誰が公民権法を通したと思う!

LBJ ケネディの意志を継いだ男 2018年

監督 ロブ ライナー

LBJ の映画をみて、この監督(スタンバイミーの監督)はなぜLBJをJFKの影の存在のようにしたのかと思った。

1960年の民主党の党内大統領候補でJFKと争う前には上院多数党院内総務や少数党院内総務をしていて、手腕のある議員だったはずだ。

なぜ臆病者で自信がなく怒鳴り散らすガサツな男としての彼に焦点を当てたのか? 

公民権法を通した功績をひきたたせるため? 奥さんの言葉は強烈(LBJは自分で人に愛されるかどうか自身がないと思っている。)

歴代の米国大統領のなかで、JFKはかなり人気があるが、私はLBJが一番好きだ。

それは、彼の内政政策(外交は最悪でベトナム戦争の拡大)、これが長い間、米国社会で根付いたからだ。1)メディケア/メディケイドという国民高齢者健康保険/低所得者医健康療保険を設定、

2)はじめて黒人のサーグットマーシャルを黒最高裁の判事に任命したこと。3)プロフェッショナルの移民にHIBという査証を出したこと。

そして、給料は米国籍のプロフェッショナルの国民と同じに設定にしたこと、などなどだが、これらのことは一切、この映画で触れられていず、映画の最後はJFKが射殺された後の初めてのスピーチで終わっている。でも、このスピーチ(スピーチライターはソーレンソン)で、LBJのこのスピーチで議会だけでなく、JFKの熱狂者の人々に新しい大統領の存在感を与えたと思う。

今も残るアメリカの人種差別

JFKが暗殺された後の大統領、リンドン・ジョンソン。
彼がどんな人だったかということは、今まで全然知らなかった。
もっと言うなら、JFKが成立させたかった公民権法については、まったくの無知。
ただ、これが1963年、今から55、56年前の話。
そんな最近の事なのに 南部と北部って、奴隷制度って、いつの話よ。
その50年後にオバマが大統領になるなんて、だれも想像も出来なかっただろうね。
ただ、法律は成立しても、心の中の差別は、今も消えていないのが現実なのかも。
トランプだけが、人種差別主義者なのではなく、面々と続いてきたアメリカの黒い歴史なんだと思う。

JFKの陰に埋もれてしまいがちなLBJに光を当て...

二本立て一本目。

JFKの陰に埋もれてしまいがちなLBJに光を当て、当時のアメリカを描く。人種差別の撤廃を阻止しようとした勢力があるなんて、今となっては驚くばかりのことも。歴史の勉強になりました。
物語はLBJがなかなかの人物として描かれている。しかしいろいろ調べてみるとやや負の側面も。
映画としては政治的でありながら、そんなに難しくはなく、普通に楽しめる作品です。さすがはロブ・ライナー監督、なのかな。

重厚な演技、巧みな演出に酔う

「スタンド・バイ・ミー」などで知られるロブ・ライナー監督の最新作。

昨年の「ジャッキー」など、ケネディ暗殺の「周辺」を描く映画というのは、たびたび出て来る。
本作はケネディ大統領のもとで副大統領を務め、ケネディの死後、大統領に就任したジョンソンを描いている。

ジョンソンは南部出身のパワフルな政治家。スマートなケネディとは正反対だ。
院内総務という、日本で言う国対のような役職を務め、地味ながら政治力を持っている。
ジョンソンは始め、民主党内で大統領候補としてケネディと戦うが、ケネディに敗れる。ところがケネディはジョンソンを副大統領に指名する。政権外に置いて敵対されるよりも、中に置いて無力化することがケネディの目的だった。
ところがケネディ暗殺で何もかもが一変する。ジョンソンもケネディ陣営も。大統領暗殺という異常事態に、政府中枢がどのように動…続きを読む

 

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利根輪太郎の競輪人間学 レース荒れに荒れる

2022年11月20日 08時55分21秒 | 新聞を読もう

力が拮抗している証左であろうか?

レースが荒れに荒れた

競輪場へ行かずに、自宅のテレビで観戦する。

競輪場へ出向いていたら、金を失うばかりであっただろう。

GⅢ 富山競輪 施設整備等協賛競輪in富山

3日目 11月19日

1レース

1-5  9,240円(31番人気)

1-5-4 5万2,900円(142番人気)

2レース

4-73,010円(12)

4-7-1 1万9,670円(60番人気)

3レース

5-71,530円(4番人気)

4-7-1 1万9,670円(60番人気)

4レース

9-7 1万890円(40番人気)

9-7-4 4万7,940円(151番人気)

5レース

8-3 3,110円(12番人気)

8-3-1 1万5,590円(56番人気)

6レース

7-3 2,620円(11番人気)

7-3-8 1万4,140円(40番人気)

7レース

2-4 910円(3番人気)

2-4-3 7,440円(23番人気)

8レース

3-9 6,060円(18番人気)

3-9-7 4万610円(81番人気)

9レース

2-72,510円(11番人気)

2-7-5 1万820円(40番人気)

10レース

2-9 3,820円(13番人気)

2-9-4 2万630円(65番人気)

11レース

7-3 1,960円(6番人気)

7-3-5 1万3,070円(31番人気)

12レース

5-2 4,850円(16番人気)

5-2-1 2万6,380円(54番人気)

 

 


人権擁護委員制度の位置付け 法務省

2022年11月18日 12時26分44秒 | 新聞を読もう

人権擁護委員制度の今日的意義

制度発足当初に比べ,社会の進展に伴って人権問題が複雑化し,また,新たな人権課題が生起している今日,人権擁護委員制度には次のような,より積極的な意義を認めることができ,人権委員会を中心とする新たな人権擁護制度の中で,人権擁護委員は一層重要な役割を担っていく必要がある。

そのためには,専門性を有する人権擁護委員を確保するための方策をも講じつつ,社会貢献の精神に基づき,熱意を持って人権擁護活動に従事する人権擁護委員を市町村単位で配置するという基本的性格を維持すべきである。

  ○  個人の尊厳に由来する人権は,国や地方公共団体による保障とともに,国民の不断の努力によって保持されるものであり,人権擁護における民間の活動は極めて重要である。人権擁護行政においても,人権擁護委員の参加により,民間人の視点に立ったより柔軟で身近な人権擁護活動の展開が可能となる。また,民間の活動が活発な分野・地域において,連携協力を円滑にする役割も期待される。
  ○  市町村という地域社会の中に配置された委員が,人権啓発,人権相談等に従事することにより,国が全国的・普遍的視野に立って行う人権擁護のための施策を地域社会に広めるとともに,人権救済におけるアンテナ機能を担うことなどにより,地域社会のニーズを把握することが可能となり,これを国の人権擁護のための施策にフィードバックさせることができる。
  ○  人権問題が複雑化し,また,新たな人権課題が生起する中で,特定の人権課題や法律,心理等特定の領域に専門性を有する人権擁護委員が,それぞれの分野で専門性を発揮することにより,人権擁護活動の充実強化が図られる。
 (2 ) 人権擁護委員の果たすべき役割
   人権擁護委員の果たすべき役割については,先の二つの答申において,それぞれ人権啓発及び人権救済との関係で明らかにしたところであるが,以下のとおり整理することができる。
  ○  人権擁護委員は,従来,人権啓発,人権相談及び人権侵害事案の把握を中心に活動してきたが,今後もこれらを基本的な任務として,一層積極的な役割を果たすべきである。
  ○  人権擁護委員が,この基本的任務の下で,その適性や専門性に応じて得意とする分野の活動に重点を置くことを可能とするための方策を講ずる必要がある(4(1)参照)。
  ○  一方,人権救済における調査及び処理に関する人権擁護委員の役割については,従来必ずしも明確でないところがあった。人権救済手続への関与には一定の専門的知識,経験,素養等を必要とすることから,適性を有する人権擁護委員が人権委員会からの個別具体的な要請に応じて行う特別の任務とすべきである。
  ○  人権擁護委員は,その性格に照らし,過料又は罰金で担保された調査権限を行使することはできないものとすべきである。

利根輪太郎の競輪人間学 番手が千切れる

2022年11月17日 08時30分25秒 | 新聞を読もう

取手競輪FⅡ 東京スポーツ杯

7レースは見るべきレースであった。

ラインの7-1-4で決まった。

結果は1番人気で決着、3連単が310円の配当だった。

7-1-4をあえて外して、7-1-3 7-1-2 7-3-1の車券を買う。

3番選手は、中断を6番選手と取り合う展開となる。

こうなると、並んだままの決着に。




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 邊見 光輝   12.1 SB ペース駆け
2 7 岩崎 大和 3/4車身 12.1   辺見マーク
  3 4 黒崎 直行 1車身1/2 12.1     内掬れ堪え
4 2 石川 英昭 3/4車身 12.0     前不発捨て
× 5 3 野崎 将史 3/4車輪 12.1     外浮かされ
6 5 取鳥 敬一 2車身 12.2     野崎共倒れ
7 6 伊藤 翼 大差 15.6     不発捨られ

8レース

展開予想 1-5 2-7 3-4-6

レース評

深瀬が積極果敢に仕掛けて先制攻撃。番手の栗田との一騎打ちに持ち込む。

多彩な決め手がある松本も安東の援護次第では浮上

1-5の3連単を主にするか、4-3の3連単をさえるか迷う。

1番人気 4-3(2.8倍)

オッズに影響を受けて4-3の3連単を主に車券を買い。

1-5の3連単を押さえにする。

3-4-6ラインが先行したので、3-4-6 2-7 1-5の展開となる。

誤算は、2-7 3-4-6 1-5の展開を予想していた。

3-4-6が先行したら、1-5の捲りごろとなる。

だが、1番を追走する5番が千切れてしまったことだ。

さらに、1-5買って、1-4の目を忘れていた。

結果

1-4 1,970円(6番人気)

1-4-3 4,240円(16番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 1 松本 卓也   11.7 S 捲り千切る
2 4 栗田 雄矢 3車身 12.2   深瀬を差す
3 3 深瀬 泰我 3/4車輪 12.3   B 逃げ粘るも
4 2 佐山 俊樹 1/2車身 12.0     何もできず
  5 6 須藤 雄太 1/8車輪 12.1     先制ライン
6 7 飯島 淳 1車身 12.0     佐山俊共倒
7 5 安東 英博 1車身1/2 12.2     松本に離れ

9レース

 展開予想 2-6 5-3 7-1-4

レース評

ライン3車のアドバンテージがある田頭が主導権。番手の法月が差し切る。

上野が上手く駆けると福岡両者や藤原の台頭もある

 

 1番人気 1-7(6.3倍)

1-7 7-1の3連単で勝負する。

押さえは1-5の3連単。

5-3で先行して、マーク3番が千切れる。

5番の後を内側2番と外側7番の競り合いとなる。

結果的に5番が逃げねばり、5-1-7で決着する。

反省点は1-7 7-1を買って、1-5を買いながら5-1を買わなかったことだ。

誤算は、番手が千切れて5番の後ろ二つのラインが競り合いになったことだ。競輪の展開のアヤであった。

 結果

5-1 1,950円(7番人気委)

5-1-7 6,360円(27番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 5 上野 恭哉   12.6 B 後ろが競り
2 1 法月 成祐 1/4車輪 12.4   直線外伸び
3 7 田頭 寛之 1/2車輪 12.5     叩けず外堪
4 2 藤原 亮太 3/4車身 12.6   S 番手に粘り
5 4 安坂 洋一 1/8車輪 12.3     前を追って
  6 6 龍門 慎太郎 2車身 12.5     藤原マーク
7 3 原田 礼 1車身1/2 12.5     アンコ後退

 

 

 


仏教思想の大切な特徴の一つが平等観 

2022年11月14日 11時30分28秒 | 新聞を読もう

仏教が誕生したインド社会は、カースト =ヴァルナ制度による厳しい差別社会であった。

人々の生活は、カースト=ヴァルナによっ て厳しく分断され、人間の尊厳も奪われていった。

そうした現実の中で仏教は、いのちとは 何か、人間とは何かを明らかにしていった。

いのちのつながりとその不可分性を大切にし縁 起思想を明らかにしていった。

差別は人と人を切り離していく。

いのちはつながりの中で存在するが、差別はそのことを 奪っていこうとする。

差別は人と人を分断し孤立させていこうとする。

人間とは何か、人間のいのちとは何か、私のいのちは他者のいのちとどのようにつながり、 無限のいのちとどのようにつながっていくのかといったことが大切な課題としてあったよう に思う。

それは、自己と他者、主体と客体、個人と社会の関係などの課題でもあると思う。

の尊厳と無我 人間は自立的・主体的存在であるとともに、他者とのかかわり、社会や環境とのかかわり の中で生きる存在である。

 自己と他者、個人と社会は絶えずさまざまな緊張関係を生み出し、対立し葛藤しながら展 開していく。仏教は主に自己の側から他者や社会とのかかわりを見ていった。

自己の側の煩 悩やエゴイズム(利己主義)を主に課題としていった。

そして「我執」から解放された「無我」 の中に救い・解放を見ていった。

仏教の生命観

仏教の生命観と人権思想

仏教はいかに人権に関わるか

山岡政紀 書評集

〔書評〕『新版 日蓮仏法と池田大作の思想』 松岡幹夫著/第三文明社刊/2018年7月3日 発行/定価1400円/ISBN 978-4-476-06236-6 C0010

創価学会を「哲学」として見る視点

創価学会インタナショナル会長池田大作氏(以下、池田会長)は、1960年に創価学会第三代会長に就任して以来、60年近くにもわたり創価学会の活動を指導してきた。

その間、おびただしいほど多くの言説を著し、『池田大作全集』は既に150巻にも及んでいる。

ライフワークと定めた小説『新・人間革命』も去る2018年9月8日に全30巻の連載がようやく完結を見たところである。

池田会長は仏法者として日蓮の御書(遺文)や法華経など仏法哲学に関する講義を多く著述しているほか、歴史家トインビーをはじめとする世界の識者との対談、ハーバード大学をはじめとする世界諸大学での講演、平和・文化・教育をテーマに世界に発信する提言などが世界に多大な影響を及ぼしてきた。

そのいずれにおいても、仏法の生命哲学を普遍的な言葉に置き換えて現代の哲理に昇華して語っている。こうした池田会長の言説に触れたことを契機として池田会長との出会いを熱望し、実際に会見を果たした人々のなかには周恩来、ゴルバチョフ、マンデラといった世界各国の指導者も名を連ねている。

しかしながら日本国内においてはこうした池田会長の言説に対してまともな評価がほとんど行われていない。

ゴルバチョフ氏は2007年に来日した際、「日本人は池田会長を過小評価している。それは間違っているのではないか」、「池田会長とは対談集も発刊し、世界で読まれています。皆さんは、その対談集を読まれたのですか」と発言している。

その場にいた財界人たちはこの言葉に驚いたというが、実際に会って意気投合し、対談集まで出しているゴルバチョフ氏から見れば、なぜ日本人は池田会長の思想を知ろうとしないのか、対談を読もうともしないのかと驚いたことだろう。

かつて外交官としてゴルバチョフ氏と池田会長の出会いの場に関わり、それ以来、池田会長のファンになったと公言して憚らない作家・佐藤優氏は、講演のなかで「日本の社会には創価学会タブーがある。

創価学会の悪口であればどんなめちゃくちゃなことでも書けるが、創価学会の平和への貢献や池田会長の功績を書くとすぐに叩かれる」(佐藤優(2018)より、要旨)と述べている。

さらに日本の宗教学において、伝統的な仏教宗派に対してはその教理の「内側の」視点に基づく宗教哲学的な論考が見られるものの、明治期以降に成立したいわゆる新宗教に対しては教団の形成や社会との関わり等について「外側の」視点から分析した宗教社会学的な論考が大半である。

創価学会もまたそれらの新宗教の一つと見なされているうえに、排他性を持った教団との認識に基づく批判的な分析が多くを占め、創価学会の哲学の本質を「内側から」理解しようとする論考はいまだに希少というのが実情である。

池田文献への学術的アプローチ

前置きが長くなったが、こうした実情への問題意識が執筆の動機づけとなっていることは、本書『新版 日蓮仏法と池田大作の思想』を評するうえで不可欠な文脈なのである。

中国では北京大学を筆頭に20を超える諸大学で池田大作研究所が設立されるなど「内側」視点の池田思想研究が拡がりを見せており、その潮流は欧米にも拡大しつつある。

その一方で日本では池田会長の言説を学問的に整理し、分析し、その言説が持つ仏教哲学としての意義を正面から論じた研究が依然として少ない。

今後、日本における池田思想研究が興隆しゆくための先鞭となることを意図して書き起こされたのが本書である。

本書の著者松岡幹夫氏はかつて日蓮正宗大石寺宗門に僧籍を置くも、いわゆる第二次宗門問題の際に宗門を批判して離脱した人である。

宗門離脱に際しては大石寺の僧侶に顔面を殴られたとの逸話もある。怒号を浴び、暴力を振るわれてまで自らの信念を貫いて長年所属した宗門を離脱したというのだから腹が据わっている。

それこそは、いっさいの妥協を排して日蓮仏法の本義に忠実に生きようとした誠実な信仰の発露であったことを同氏はこれまでも度々述懐している。

氏はその後、本格的な学問の手法を修めるべく、東京大学大学院に進んで博士号を取得し、現在は大学教授として教鞭を執り、今日に到る。

本書には池田思想に対して学問的にアプローチするための研究手法が採られている。

その特徴の第一は池田会長の言説に忠実に基づいて考察している点である。

おびただしい池田会長の言説のテクストを収集・整理し、そこから解釈や一般化を行っている。

この点は文芸研究や歴史研究に求められる文献重視と共通の手法である。

第二の特徴は、そうして収集した池田会長の言説を表面的に捉えるのではなく、その理念の元となっている日蓮仏法の法理に淵源をたどって考察している点である。

つまり、池田会長が仏法の哲理を一般的な言葉へ普遍化した言説を、日蓮仏法の言葉へと再解釈しているのである。

このことがまさに本書の特徴である池田思想の「内側の」視点に迫る哲学的アプローチの中核にほかならない。

池田会長の言説は時代に即応した展開をしてはいるものの、その本質は約60年間全くぶれることなく一貫している。

それは池田会長が日蓮仏法の法理に一貫して忠実であり、その基軸がぶれないからであろう。

ゆえに池田会長の言説を日蓮仏法へと再解釈する作業は、池田会長の真意を確認するうえで重要な作業となる。

池田思想における「すべてを生かす」とは

 本書は、序章「創価学会研究の現状と課題」、第一章「池田思想の五つの特徴」、第二章「池田思想に対する偏見を正す」、第三章「仏教哲学と池田思想」、第四章「現代仏法と池田思想」、第五章「人間主義の宗教」の全6章から成る。

 第一章では池田思想の五つの特徴が記されている。これは池田会長が日蓮仏法を社会哲学としてどのように展開しているかをその言説をもとに整理したもので、①生命の復権、②自由自在の主体性、③すべてを生かす、④変化の信仰、⑤智慧に生きる、以上の五項目である。それぞれを端的に要約すると以下のようになる。

①生命の復権。

西洋近代の理性信仰に代わって、理性だけでなく、感情、直観、欲望等も含む全体的生命に尊厳を見出そうとする。

②自由自在の主体性。理性よりも根本的な生命次元の主体性の回復により、何ものにも囚われない自由自在の生き方を勧奨する。

③すべてを生かす。

根源的な主体性に基づくことにより、生死、善悪、苦楽など、二律背反的に現れる現象のすべてを無駄なく生かしていく。

④変化の信仰。人間が自身の宿命を真正面から受け止め、それを転換しゆく「人間革命」の可能性を信じ、そこに人間生命の尊厳観を見出す。

⑤智慧に生きる。個人の幸福と社会の繁栄が両立することを目的として、そのためには現実に即したあらゆる智慧を柔軟に生かしていくべきであるとする。

 このうち、③「すべてを生かす」が特に繰り返し言及され、本書全編を通じてのキーワードとなっているので、ここを重点的に紹介したい。「すべてを生かす」は総合的概念で、この小節では池田会長が多面的に展開した池田会長の言説11件が典拠と共に引用されている。それらをさらに整理すると次の4項目に整理できる。各項1件ずつ引用を再掲する。

①人生のあらゆる経験を幸福境涯の確立のために生かす。

「仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、希望の未来へと進める」(全集30-423)。

過去・現在のあらゆる苦難を未来の幸福のために生かしていく道を示している。

②すべての人を掛け替えのない人として尊重し、生かす。「あらゆる人を活かしていくのが、仏法」(全集97-369)。

人種、国籍、性別、社会的地位、宗教等、あらゆる外的側面を除去した生活者としての民衆をすべて尊極と捉え、生かす。

教育の根本精神にも通じる。

③あらゆる思想を生かす。

「歴史上の、あらゆる偉人の英知も(中略)現代に活かし、実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる」(全集137-260)。

東西の万般の思想、哲学、宗教を活用しながら、社会の繁栄のために活かす。

④仏法の八万法蔵をすべて生かす。

「仏法では『序分・正宗分・流通分』、また『要・略・広』等と説きます。そのなかに、一切の知識、一切の善論を包含し、時に応じ、状況に応じて、最も価値的に表現するわけです。

大海のごとく、『すべてを生かす』のが仏法です」(聖教96.4.25)。

あらゆる一切経が法華経を説くための準備や法華経を広めていくための補助としての役割があって生かされるとする。

①~③は日蓮仏法の法理を普遍的な言葉で展開したものである。

そして、④が日蓮仏法における「三分科経(序・正・流通)」(注1)をかみ砕いて示したものである。日蓮の遺文「観心本尊抄」には、より本質的な「五重三段」(注2)の法理が展開されている。

詳細は略するが、要は根本の成仏の法である文底下種の法を中核に据えれば文上の法華経本門寿量品も生かされ、さらには法華経本門だけでなく迹門も生かされ、つまるところ法華経だけでなく爾前経や涅槃経も生かされ、八万法蔵の一切経すべてが生かされるという法理である。

そして、これを現代的に普遍化して展開したのが③と位置づけられる。なお、①は「煩悩即菩提」(注3)、②は「十界互具」(注4)の現代的表現である。

仏法そのものが全体包括主義的な思想であり、現象面の差異を乗り越えて本源的な法理への合一を目指す志向性が一貫しているため、どの部分を取っても「すべてを生かす」という全体包括的な一つの概念で表現することができる。

池田思想における「すべてを生かす」は、③に「東西の万般の思想、哲学、宗教を活用しながら」と記したように、他の宗教との対話姿勢も含まれている。本書にも池田会長の下記の言説が引用されている。

「仏教徒である前に、人間である。イスラム教徒である前に、人間である。キリスト教徒である前に、人間である。対話を通して、人間性という共通の大地に目を向け、友情が生まれれば、そこから互いの長所も見えてくる。学び合おうとする心も生まれるのだ」(名言100選120)

「仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教徒であれ、どの宗教も「生命の尊厳」を説いています。その共通の基盤の上に立って、人類の平和のために対話し、協調していくことは、宗教の当然の使命です」(全集141-400)

このことは本書では創価思想の排他性のイメージに対する反駁として特に強調されている。

創価学会・日蓮仏法は排他的か?

創価学会が日本社会で批判される理由は排他的、攻撃的、独善的とのイメージにある。

それは戸田第二代会長時代(1951~58)から池田第三代会長時代初期(1960~1970頃)までの間に強力な布教拡大が遂行された過程で他宗教の信者を大量に改宗させたことで他教団からの批判を招いたことや、一部の会員に強引で感情的な折伏があったことも本書で事実と指摘されている(p.94)。

しかし今日、聖教新聞を開いても他宗教を批判するような言辞はいっさい見られず、それどころか、平和、人権、環境などの社会的テーマを扱った啓発的な記事では、学会内外の専門家や有識者、あるいは他団体関係者のコメントを掲載するなど、社会貢献、社会との融和を目指す編集方針が明確となっている。今日の聖教新聞を見る限り、閉鎖的で排他的な印象は全くない。

ただ、このように現象や印象の次元で論じるのでは皮相的である。

本書は、そもそも日蓮仏法は排他的宗教なのかどうか、また日蓮仏法を語る池田会長の言説は排他的色彩を帯びていたのか、といった本質的な議論を文献学的、かつ哲学的に論じており、そのことが本書全編を貫く主題ともなっている。

これについて著者松岡氏は「日蓮仏法の折伏は決して排他主義ではない。

じつはその反対であり、排他性と戦うことが折伏なのである」(p.91)と述べている。鎌倉時代当時、浄土宗の僧・法然は『選択集』で法華経について「捨閉閣抛」(捨てよ、閉じよ、閣け、抛て)と誹謗した。

真言宗においては平安時代の開祖・空海が残した『十住心論』等で法華経を「戯論」と断じたことに依拠して法華経を排撃していた。

日蓮はこれらの諸宗による法華誹謗から法華経を護るための護法の戦いとしてその誤りを指摘し、『立正安国論』を著して幕府に上呈した。

つまり、日蓮の折伏とは護法の戦いだったのだという。

たしかに日蓮遺文における浄土宗や真言宗に対する折伏は法華誹謗の罪を糾弾するものであって、それら諸宗が依拠する観無量寿経や大日経そのものを否定してはない。

むしろ「すべてを生かす」の④で述べているように、それらは法華経の真実を部分的に補佐するものとして日蓮遺文の随所で肯定的に引用されている。

法華経は一切衆生の絶対平等と永遠の生命を説ききった経典であり、そこにはあらゆる人々の生命の尊厳を根本から見つめ、生かしきっていこうとする究極の人間主義が説かれている。

ゆえに日蓮は法華誹謗が厭世思想や差別思想など、何らかの形で生命の尊厳に対する毀損を含むものと捉え、人間主義を守るために諸宗の法華誹謗と闘ったのである。

世界の宗教紛争に見られる排他主義は、ナチス・ドイツのホロコーストに象徴的に示されるように他宗教の教徒を迫害の対象にするなど、人間性と生命の尊厳を毀損し、人間主義の対極にある人間疎外と言えよう。

いっぽう日蓮仏法における折伏は慈悲の行為であることを、本書では戸田第二代会長の言葉を引用して述べている。

「折伏は人類の幸福のためであり、衆生済度の問題であるから、仏の境涯と一致するのである。

されば折伏をなす者は慈悲の境涯にあることを忘れてはいけない。

けっして宗門論争でもなく、宗門の拡張のためでもない。

御本仏大聖人の慈悲の行を行ずるのであり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを忘れてはならない」(戸田全集3-99)

そうしてみると、創価学会員も隣人を幸福にしたい一心で折伏を行じているのであり、相手が他宗の信者であることを尊重したとしても、現に今苦悩に直面しているであれば、自らの信仰の幸福境涯と確信をもってその人と共に幸福を築きたいと願い、その思いを語ることは排他主義とは言えまい。

ここで、牧口常三郎氏が『人生地理学』で提唱した「人道的競争」が想起される。

本書でも加藤弘之氏の説を引いて、人道的競争は利他的精神の拡がりを意味するとして、その意義を主張している(p.244)。

つまり、一人の人を誰が真っ先に幸福にできるのか、各宗派が良い意味で競えばよい。

そのように個人救済のレベルでは健全な人道的競争を行いつつ、同時に教団としては平和や人権問題のために融和し協調することは矛盾なく両立できるはずである。

ただし先述のように、本人の意思に反して強引に入信させようとしたり、あるいは他宗教を信仰しているというだけで人格攻撃したり、現在は幸福であるのに不幸になると脅迫したりするのは人間主義とは言えず、日蓮仏法の本義に反する。

それは、自分は正しい法を知る者として高みに立ち、相手を無知と断じることから来る人格否定であって、ある種の差別思想となるからである。

もし、そのような折伏がかつての創価学会で行われていたのだとしたら、その歴史は創価学会が自らの取り組みと他宗教との誠実で真摯な対話を通じて乗り越えていかなければいけない。

それ以上に本書が主張する論点は、池田会長自身は会長就任以降、日蓮仏法の精神のままに人間主義の指導方針を貫いていて全くぶれていないことである。

『新・人間革命』には人間主義の折伏のあり方をすべての会員にいかに浸透させていくかについて苦慮する池田会長の姿も描かれている。

「学会が大きくなるにつれて、指導が徹底されていないため、布教の際などに、極端なものの言い方をして社会の誤解を招くというケースが見受けられます。

一家のなかであっても息子や娘を指導しきれないことが多いのに、毎月、何万世帯という会員が新たに誕生しているのですから、やむをえない場合もあるとは思います。

しかし、私としては、みんなが理路整然と、道理に則って、納得のいく、折伏や指導ができるようにしたいと念願しています」(『新・人間革命』第7巻「文化の華」の章p.18)

今日においてそのような前時代的な折伏を行う創価学会員がほとんどいなくなったのは、池田会長の指導がそれだけ行き届き、教団として成熟してきたことを意味する。

今後、そうした過去の残像に起因する排他性の古い偏見を意識しすぎることなく、創価学会が平和のため、社会のために積極的に他団体、他教団とも交流していくことが期待される。

そう考えれば考えるほど、創価学会員の活動実態に現れる現象を「外側から」分析することよりも、池田会長が目指す理想、その日蓮仏法上の意味を「内側から」捉えることのほうがより重要であることが認識されるのではないだろうか。

その視点をもってはじめて創価学会の未来像も展望できるし、世界で受容される理由もまた見えてくるからである。

その道標を示した本書を高く評価するとともに、第二、第三の同種の論説が続くことを今後も期待したい。

 

1)三分科経

経典を三つの科段に分ける考え方。①「序分」=序説としてその経典が説かれる由来や因縁を明かす部分、②「正宗分」=その経典の中心となる本質的な教説の部分、③「流通分」=その経典の功徳を説き、後世においてその経典を受持し広めていくよう弟子に勧めた部分。

2)五重三段

『観心本尊抄』に示される五重三段とは、①釈尊の一切経、②法華経全体、③法華経迹門(前半)、④法華経本門(後半)、⑤文底下種仏法、のどのレベルにおいても序・正・流通の三分科経に立て分けられることを示したもの。正宗分の重要性を示す意味もあるが、序分・流通分もまた正宗分を補佐する役割から包摂される。つまり、法華経以外のすべての経典も生かされるとする考え方である。ただし、序分・流通分が正宗分を排除・否定してしまっては自己否定となる。諸宗派の法華誹謗はこれに当たるとして誤りを指摘したのが日蓮の折伏であって、日蓮は決して序分・流通分に当たる経典それ自体を否定したのではなかった。

3)煩悩即菩提

煩悩に覆われ、苦悩にさいなまれた凡夫の身のままで、内心の仏界を覚知し、菩提(=仏の覚り)の智慧を発揮して苦悩の執着から解放され、自在の境地を得られるとする法理。法華経迹門において地獄界の衆生である提婆達多が成仏の記別を得ることが煩悩即菩提を表現している。創価学会では煩悩即菩提の法理を通して、現実の苦悩と格闘する勇気や智慧のなかに真の幸福境涯があるとしている。

4)十界互具

十界とは十種の生命境涯を表したもの。①地獄界・②餓鬼界・③畜生界・④修羅界・⑤人界・⑥天界・⑦声聞界・⑧縁覚界・⑨菩薩界・⑩仏界。法華経迹門に至るまでこれらはそれぞれに隔絶された生命境涯として固定的に描かれていたが、法華経によって十界のどの衆生もそれぞれまた己心に十界の生命境涯を備えており、固定的ではないことが示された。このことを「十界互具」という。そのことのなかに、地獄から菩薩までのすべての衆生の生命に仏界の生命が備わっていることが含まれている。創価学会ではこれを民族、人種、社会的地位、職業、性別などの外面的要素をすべて超えて、あらゆる一切衆生が平等に尊厳的価値を有する存在であることを示す人間主義の法理として示している。

 

 

 

 

 


2022年競輪獲得賞金ランキング(男子)

2022年11月09日 19時36分06秒 | 新聞を読もう

※2022年11月7日更新

順位 選手名 獲得賞金
1 脇本雄太 178,208,300円
2 松浦悠士 145,606,700円
3 古性優作 133,757,300円
4 佐藤慎太郎 103,208,200円
5 守澤太志 90,871,900円
6 郡司浩平 89,677,600円
7 平原康多 84,006,000円
8 新田祐大 76,125,000円
9 清水裕友 73,479,500円
10 山田庸平 61,689,200円
11 成田和也 57,814,200円
12 吉田拓矢 53,405,800円
13 深谷知広 49,956,000円
14 荒井崇博 47,048,600円
15 小松崎大地 46,971,000円
16 園田匠 45,100,400円
17 太田竜馬 43,690,600円
18 眞杉匠 42,052,000円
19 浅井康太 40,299,600円
20 吉澤純平 39,958,400円
21 諸橋愛 39,635,000円
22 原田研太朗 39,068,000円
23 内藤秀久 38,248,300円
24 北津留翼 36,127,800円
25 和田健太郎 35,934,800円
26 三谷竜生 35,593,400円
27 稲川翔 35,474,000円
28 坂井洋 35,470,200円
29 神山拓弥 35,377,800円
30 柏野智典 34,504,100円
31 東口善朋 33,128,400円
32 岩本俊介 32,858,000円
33 和田真久留 32,843,000円
34 新山響平 32,657,000円
35 小倉竜二 32,600,500円
36 和田圭 32,240,700円
37 井上昌己 31,639,600円
38 山田久徳 31,577,500円
39 宿口陽一 31,436,800円
40 渡邉雄太 31,067,000円
41 武藤龍生 30,594,200円
42 大槻寛徳 30,552,200円
43 鈴木裕 30,348,300円
44 桑原大志 28,950,900円
45 中本匠栄 28,730,700円
46 飯野祐太 28,717,600円
47 吉田有希 28,442,500円
48 犬伏湧也 28,355,000円
49 山口拳矢 28,091,200円
50 坂口晃輔 26,755,000円

利根輪太郎の競輪人間学 まさかの落車!

2022年11月06日 20時41分42秒 | 新聞を読もう

 GⅢ 防府競輪 周防国府杯争奪戦

12レース決勝戦(11月6日)

並び予想 5-3-4 1-8-7 2-9 6(単騎) 

レース評

抜群の安定感を誇る郡司には佐藤−永沢の両仕事人が続き再び強固な布陣。闘志溢れる地元清水の一撃や、吉田−神山も注意。

 

1番人気 5-3(4.2倍)

1-5 5-1のほか5-3 5-2 5-9 1-2を買う。

3連単車券はあえて買うのをやめた。

だが、5番の郡司 浩平選手と3番の佐藤 慎太郎 選手が共に落車!

特に、2番の吉田 拓矢選手の先行には、がっかりした。

無謀に先行して、車券に絡むわけがはない。

捲ると思うと期待したのだが・・・。

競輪ファンにとって、競輪選手が常に<車券に絡む>ことを、何よりも期待しているのだ。

結果

1-8 1,690円(5番人気)

1-8-6 1万7,440円(49番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 清水 裕友   9.5 B  
2 8 桑原 大志 1車身 9.5    
  3 6 東口 善朋 1車身 9.5      
4 9 神山 拓弥 2車身 9.8      
5 2 吉田 拓矢 5車身 10.5      
× 3 佐藤 慎太郎          
  4 永澤 剛          
5 郡司 浩平       S  
  7 園田 匠      

「心こそだ大切」

2022年11月05日 10時30分42秒 | 新聞を読もう

▽自由・不自由といっても、心の問題に尽きる。
ゆえに「心こそだ大切」

▽受け身になると全てが苦悩になってしまう。
要するに生命力の問題なのだ。
<あれか、これか>と限定するのではなく<あれもできる、これもできる、それもできる>と前向きに前進する。

▽人生は迷うか、確信(覚醒)するかである。

▽ローマクラブの創始者のペッチェイは、人類の危機を打開するカギは「人間革命」だと提唱した。

<生命には無窮(むきゅう)の価値創造の力がある。
その力を自信満々と呼び起こすのが、人間のルネサンスである。
青年の人間革命こそ、世界を変えるのだ。

ローマクラブ(Club of Rome)は、スイスヴィンタートゥールに本部を置く民間のシンクタンク。1972年発表の第1回報告書「成長の限界」は世界的に注目された。

概要

「私たちが団結できる共通の敵を探す中で、公害、地球温暖化の脅威、水不足、飢饉などが当てはまるのではないかと考えた。これらの現象は、全体として、また相互作用として、共通の脅威であり、皆が一丸となって立ち向かわなければならないものである。
しかし、これらの危険を敵とすると、すでに読者に警告したように、症状を原因と勘違いしてしまうという罠に陥ってしまう。
これらの危険はすべて、自然のプロセスへの人間の介入によって引き起こされたものであり、それを克服することができるのは、態度や行動を変えることによってのみである。真の敵は人類それ自身である。」— 第一次世界革命、1991年

発足

イタリアオリベッティ社の副会長であったアウレリオ・ペッチェイ(Aurelio Peccei)は、世界の人口が幾何級数的に増加するのに対して、食糧・資源は増やせるにしても直線的でしかなく、近い将来に地球社会が破綻することは明らかであり、世界的な運動を起こすべきだと考えていた。

それに対して、スコットランド人科学者で政府の政策アドバイザーでもあったアレキサンダー・キング英語版が賛同し、資源人口軍備拡張経済環境破壊などの全地球的な「人類の根源的大問題(The Problematique)」に対処するために設立した。世界各国の元国家元首の政治家、外交官、産業人、自然・社会科学者、各種分野の学識経験者などが集まり、1968年4月に立ち上げのための会合をローマで開いたことからこの名称になった。1969年にアウレリオ・ペッチェイを初代の会長に選出した。

1970年3月に正式発足し、フルメンバー(正会員)は発足当時より増えたが、今でも世界で100人となっている。

創設者

アウレリオ・ペッチェイ:フィアット、オリベッティでビジネスマンとして働いてきた彼が、ローマクラブ創設者であった。

その卓抜した将来を見通す力、人類の運命への使命感は、若い時代にムッソリーニのファシスト政権を倒そうとして地下組織で活動していた時から一貫している。第一級の思想家であった。今では常識となっている「成長の限界」を予言し、世の中の人々にわかってもらうには数値シミュレーションが必要だとして、それを託せる学者、ジェイ・フォレスターMIT教授を探し当てる。そして、メドウス夫妻(デニス・メドウズドネラ・メドウズ英語版)ら、若い助手と大学院生が2年弱でモデルを作り上げ、シミュレーションにより危機的な将来を見せ、世に問うところまで持ち込んだ実行能力の高さは、現代には他に比べる人がいない。

彼は、自国主義に陥っていく60-70年代の世界各国の政治を見て、人類の環境が維持できなくなると警告している。

今日のトランプ大統領のアメリカ・ファースト、欧州の極右勢力などのポピュリジウムの台頭など、大衆が動かされてしまう風潮を見通している。


生活困窮する若者 10代の孤立

2022年10月27日 11時43分38秒 | 新聞を読もう

D×Pとは?

10代の孤立

わたしたちが取り組む社会課題は、「10代の孤立」です。

「10代の孤立」は、不登校・中退・家庭内不和・経済的困難・いじめ・虐待・進路未定・無業などによって、いくつかの安心できる場や所属先を失ったときに起こります。

全世帯の進学率に比べると、定時制高校・通信制高校に進学する子どもの割合が高くなっています。

経済的に苦しい状況にある10代が、定時制高校や通信制高校に多く在籍しています。
引用:内閣府 平成30年度子供の貧困の状況及び子供の貧困対策の実施状況

定時制高校や通信制高校には、不登校経験のあるなどさまざまな背景によって生きづらさを抱えている10代も在籍しています。

進路未決定で卒業すると所属先を失い、より人とつながりづらい状況になります。
引用:令和2年度学校基本調査(令和2年3月卒業者)

経済的に困難なほど誰かとつながりづらい

内閣府の平成29年版子供・若者白書では、「暮らし向きがよくない」と回答する人ほど、居場所だと思う場所の数が少なくなるという結果が出ています。
それぞれの10代の境遇はさまざまです。
経済的に困難な状況にある人、家庭や学校が安心できる場ではない人、発達障害/学習障害を持っている人など、多様な事情が重なり合っています。
それらの事情によって、孤立しやすい状況が生まれています。

セーフティネットから
抜け落ちやすい10代。
家庭の経済状況は、教育や文化的経験の機会に影響します。居場所だと思える場やコミュニティに出会うきっかけが少ない状況になります。

くわえて、過去の経験によるつながりづらさもあります。

いじめや人間関係のトラブル、家庭での暴力や虐待・無関心など、さまざまな背景からの心理的ハードルです。

これらが重なると、さらに孤立が深まります。

大人のように見える10代。

しかし、未成年であることで本人が自力でとれる選択肢は狭まります。

彼らが頼れる人とのつながりをなくし孤立した状況になると、社会にあるさまざまなセーフティネットへ辿り着くことも難しくなります。

また、危険な大人とつながり事件に巻き込まれてしまうなど、深刻な状況に陥ってしまうこともあります。

学校での取り組みを行なうなかで、スタッフと顔見知りになっていた高校生Aさん。

ある日、顔色の悪いAさんを心配したスタッフが声をかけると、生活に困っていることがわかりました。

学校の先生やソーシャルワーカーとも連携してサポートすることになりました。

生活費を稼がないといけなくなって、最近バイトの掛け持ちをし始めて。アルバイト先は人出が足りないみたいで、今日もこれからバイトやねん。忙しくて全然眠れてない…。


若者がいきる
セーフティネットをつくる。

D×Pは、既存のセーフティネットでは拾い上げられなかった10代と出会い社会につなげていく役割を果たします。
生きづらさを抱えた10代が、この社会で生きて・活きることができる新しいセーフティネットをつくっていきたいと思っています。
「学校」と「インターネット」の2つをフィールドにして生きづらさを抱えた若者と出会います。

若者と関わるときに

“大切にしている姿勢”

10代が抱えている困りごとを聞くときや、10代自身が自分の持っている能力や魅力を発揮するとき、まずはひとりひとりの10代が自己表現ができる環境をつくることが必要だと考えています。
あらゆる可能性を見つめ潰さずに、ひとりひとりと対話するためにわたしたちはこの姿勢を大切にして10代と関わっています。

否定せず関わる

どんな考えや価値観、在り方も否定せずに、なぜそう思うのかと背景に思いを馳せながら関わることです。関わりのなかで生まれる自分の気持ちも否定せず、相手も自分も大切にする姿勢です。

ひとりひとりと向き合い、学ぶ

肩書や性別、年齢に関係のないひとりひとりの考えや特性に目を向け、学ぼうとする姿勢です。たとえば、「LGBTの人」「やんちゃな生徒」のようにひとまとまりにせず関わります。

仕事体験ツアー

働く具体的な
イメージを持てる。

ひとりひとりの希望や状態に合わせた職場見学や仕事体験です。

自分の生き方についての考えや仕事に対する理解を深め、自身が納得のできる進路を選んでゆけることを目的としています。

クレッシェンドや居場所事業で、生徒の希望を聞き、その生徒にあった仕事体験ツアーを実施しています。