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東電OL殺人事件の被害者女性とは

2019年05月30日 08時02分12秒 | 投稿欄

東電OL殺人事件は変な事件だと思っていました。最初の報道と違う、妙な情報が洩れてきていました。

東電OL殺人事件の被害者女性とは

更新日: 2012年06月20日

当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。

未婚のエリート社員

出典東電OL殺人事件 - Wikipedia

被害者女性は、慶應義塾女子高等学校をへて、同大学経済学部を卒業した後、東京電力に初の女性総合職として入社した。未婚のエリート社員であったが、後の捜査で、退勤後は、円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことで、この事件がマスコミによって興味本位に大々的に取り上げられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。

事件時は東電企画部経済調査室副長

出典犯罪の歴史2−東電OL殺人事件

東電本社では企画部調査課に所属し、1993(平成5)年には企画部経済調査室副長に昇進しております。同室は電力事業に対する経済の影響を研究する部署であり、そのなかで、国の財政や税制及びその運用等が電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、月一、二本の報告書を作成していたそうで、そのレポートは高い評価を得ていたと言うことです。

「原発の危険性を指摘」する報告書を作成していた

出典犯罪の歴史2−東電OL殺人事件

レポートの内容は、「原発の危険性を指摘」する報告書もあったようで、工務部副部長だった父親の遺志を受け継いだ内容の報告書などを作成したようです。
父親は、1949年に東大工学部を卒業、東電に勤務し、工務部副部長として将来の役員候補とされていましたが、原発の危険性を指摘したため、降格させれら、被害者女性が慶応大学2年のとき、52歳でガンで死亡したそうです。

職場でのストレスと依存症

出典東電OL殺人事件 - Wikipedia

高学歴のエリート社員で金銭的余裕があるのに、夜は相手を選ばず不特定多数の相手との性行為を繰り返していたことには、自律心を喪失し、何らかの強迫観念に取りつかれ、自暴自棄になった依存症の傾向があるとする見方もある。

拒食症

出典東電OL殺人事件 - Wikipedia

円山町近辺のコンビニエンスストア店員による、コンニャク等の低カロリー具材に大量の汁を注いだおでんを、被害者が頻繁に購入していたとの証言や、「加害者」とされた男性による、被害者女性は「骨と皮だけのような肉体だった」との証言などから、拒食症を罹患していたことも推定されている。

事件の概要

出典東電OL殺人事件 - Wikipedia

1997年(平成9年)3月19日に、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本社に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。後に被告人となるネパール人男性ゴビンダ・プラサド・マイナリは、このアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌日未明にかけてとされる。

複数男性と一緒にいた目撃証言

出典東電OL殺害 被害者、複数男性と一緒にいた目撃証言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

女性は平成9年3月8日午後7時ごろに、JR渋谷駅前で知人男性と待ち合わせ、2人でホテルに入った。同10時16分ごろホテルを出て男性と別れた後も、同10時半ごろから路上で数人に声を掛けた後、30歳前後の男性と連れだって歩く姿が目撃されている。
次に確認されたのは同11時半ごろ。殺害現場となったアパートの階段を、東南アジア系の男性と上っていくのを見た、という証言もある。
9日午前0時ごろ、現場の部屋から男女の声がするのを付近住民が聞いていたが、同0時半過ぎにはもう聞こえなかったという。

裁判史に残る事件

出典東電OL殺人事件 - Wikipedia

1997年(平成9年)5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたマイナリを、殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。マイナリは、捜査段階から一貫して冤罪を主張。当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。

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てつログ より

 1997年の「東電OL殺人事件」から見える、東電とそれにまつわるメディアの闇

 少し古い事件だが、「東電OL殺人事件」というのが今から約20年前の1997年にあった。「被害者が売春をしていた」、といった話題性もあって一時的には大きなニュースになったが、あまり報道もされなくなった。しかしその後、背景を知れば知るほど日本社会の深い闇が見え、恐ろしくなったことを覚えている。

ここでの内容はメディアでは出ないが、ネットでは公然と言われている話である。事実はわからず一つの見解に過ぎないが、東日本大震災により原発事故が起こった(起こした)原発を運営する会社に対する一つの見方として、是非ご覧いただきたい。

 ページ目次

1.東京電力(東電)という企業に対する私見

2.「東電OL殺人事件」とは

3.メディアが伝えない事件にまつわる「不都合な真実」

(1) そもそも「OL」ではない。

(2) ネパール人はえん罪で無実となり、犯人はいまだに捕まっていない。

(3) 被害者の東電社員は、原発の危険性を指摘するレポートを書いていた。また、父親も東電社員で原発の危険性を指摘していた。

(4) 当時の上司が、現在会長の勝俣氏であり、愛人関係にあったという噂もあった

(5) 勝俣氏は事件後に異例のスピード出世をしている

4.マスメディアの報道姿勢の罪

5.福島原発事故が起きても責任が生じない、東電という会社の姿勢と力

6.「東電OL殺人事件」の背景を見て、メディアとの付き合い方を考える

 

1.東京電力(東電)という企業に対する私見

東電持ち株状況

東京電力(東京電力ホールデンィグス)は、従業員38千人を抱える巨大企業である。世界でも有数の巨大電力会社である。
しかし私は、東日本大震災の前から、東電という企業に対してあまりいいイメージはない。というより、日本の病巣を体現して抱えている会社として認識していた。

その決定的なきっかけが「東電OL殺人事件」と言われる事件を通じてである。ただ、東電OL殺人事件の前から、東電に対して、いいイメージはなかった。事件のある前から、「官僚より官僚的」・「絶大な政治力を持つ」と言われていたし、昔よく読んでいたビジネス雑誌で「就職したい企業」で常にトップクラスに入る企業であって、それは私にとってむしろマイナスイメージであった。よほど給与が高いのかという感想と、「インフラ」企業を目指すことは、まったくチャレンジングな選択とは思えず、そういう人が集まっている企業なのかな、と漠然とした反感を持っていた。

 2.「東電OL殺人事件」とは

東電OL殺人事件とは、1997年に起こった事件である。事件の内容は下記の通り。

「東電OL殺人事件」(Wikipediaより)

 現場(当時)

1997年(平成9年)3月19日午後5時過ぎに、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本店に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。後に被告人となるネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)はこのアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌9日未明にかけてとされる。警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたゴビンダを殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。逮捕されたゴビンダは捜査段階から一貫して無実を主張し、一審無罪、控訴審での逆転有罪、上告棄却、再審決定を経て、2012年に無罪が確定した。

「東電OL殺人事件」被害者

被害者女性は、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、東京電力に初の女性総合職として入社したれっきとした社員(未婚)であったが、後の捜査で、退勤後は円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことがマスメディアによって取り上げられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。

上記のような事件で、大きく取り上げられたのは私の記憶にもあった。しかし取り上げられ方は、被害者が美人であり売春をしていたことなどに終始し、「東電」という意味ではあまり大きくクローズアップはされていなかったと記憶している。

しかしその後、あるきっかけからこの事件に再度興味を持つことがあり、本を読んだり調べたりした。そして、そこから出てくる背景と、それに対する東電・マスコミの動きを見て、愕然とした。

3.メディアが伝えない事件にまつわる「不都合な真実」

調べていくと、その背景には単純な男女のいざこざとは思えない事実が出てくる。しかもそれをマスコミが執拗に隠しているとしか思えない。それらの主な物を記述したい。

 

(1) そもそも「OL」ではない。

「東電OL殺人事件」とカギ括弧をつけて紹介するのは、当時そして今もこのようにマスコミで呼ばれているからである。中には、「渋谷OL殺人事件」と、更に遠くなりもはや何の事件かわからないように報道した例もある。

 ここで「OL」とあるが、被害者である渡邉泰子氏は決して「OL」ではない。「OL」という言葉自体が最近はあまり使われなくなってきているので薄れつつあるが、イメージとして「お茶くみ」や「平社員」といったイメージが付く。しかし彼女は、慶応大学経済学部を卒業し、女性では異例の出世を遂げている。事件当時は39歳で、経済調査室の副長という要職に就いている。通産省と東電を結ぶパイプ役であり、女性同期の中で唯一の出世であった。「OL」などと呼ぶ存在ではなく、まさに幹部社員の候補生であった。

しかし、マスコミは執拗に「東電OL殺人事件」として扱った。「OLが売春に走った結果の外国人の犯罪」、というストーリーで騒ぎ立てて、すぐに報道をやめた、というのが報道の流れである。私も含め、その程度の記憶しか無かったのは、マスコミによるところが大きい。
しかし、この事件の背景を知れば知るほど、被害者の女性が「東京電力」の「(幹部)社員」であることが重要であり、そこが真相を突いているとしか思えない。それをマスコミは、執拗に隠したのである。

確かに、彼女が売春に走ったことは事実のようである。社内でも噂になっていたと言うほどであった。ただ、だからといって殺されていい理由にはならないのと、その売春に至ると思われる背景を見ると、そもそも「男女の痴情による殺人」という見方自体がおかしいのではないかという疑念が沸く。それらをすべて覆い隠す手段として、「OL」という言葉が使われたと思われる。

(2) ネパール人はえん罪で無実となり、犯人はいまだに捕まっていない。

 

犯人とされたゴビンダ氏は、本当に不幸であった。確かに、買春はしたようであるが、殺人に関しては逮捕から一貫して否認していた。裁判は注目されたものであり、長期化した。結果を言えば、一審が無罪、それに不服であった検察の請求による二審が無期懲役。そして更にゴビンダ氏が再審請求を起こし、2012年に無罪を勝ち取った。実に15年もかかっている。その間、彼は日本でずっと拘束され、彼の娘は殺人者の娘と言われ、薬の服用まで考えた時期があるという。証拠は非常にずさんであり、検察による証拠改ざんも疑われた。証拠の決め手とされた被害者の衣服に付いていた体液は、完全に別人のものとまで判明したのである。そもそも、現場と言われるボロアパートで殺されたことすら疑われている。それほど証拠能力が乏しかった。

このように完全なえん罪で拘束されたゴビンダ氏に対する無罪判決は、大きく取り上げられ賠償金も払われた。お金が払われればいい問題ではないが、えん罪がきちんと晴らされたことは本当に良かった。記事で見たが、ゴビンダ氏はこんなことがあっても、日本が好き、といってくれる人である。
しかし、真犯人はまったく捕まっていないということとなる。警察・検察はまったく見当違いの捜査と立件をし、事件そのものの真相は完全に闇にいってしまった。

なお、司法がらみで付け加えておくと、最初の無罪判決を出した大渕(おおぶち)裁判長は広島に転勤となり、その後二度と東京の裁判所に戻ることはなかった。

(3) 被害者の東電社員は、原発の危険性を指摘するレポートを書いていた。また、父親も東電社員で原発の危険性を指摘していた。

   

事故前の福島第一原発

被害者の渡邉泰子氏は、東電社員としての実力もあり、精力的に仕事をこなしていた。彼女の父親も元東電の社員で、工務部副部長まで昇進したが、原発の危険性を指摘してその後に降格させられている。また、彼女が大学生の時にガンで亡くなっている。そうした背景を持つ渡邊泰子氏もまた、原発の危険性に関する報告書を提出していて、原発に対する反対者であったようである。

しかし、その頃は原発は国際競争力の上でも重要な戦略であり、プルサーマル計画含め原子力計画は進む一方だった。プルサーマル計画が閣議決定されるのは事件のあった1997年である。そうした情勢と、渡邊泰子氏自身の信念とに乖離があったのは想像に難くない。また、東電自体は原発推進に動いていたため、そのストレスは大きかったと思われる。事件を追う人の言を借りれば、そうしたストレスとプレッシャーが彼女を売春へと走らせたのではないか、ということである。実際、事件当時には「拒食症」となっていて、痩せ細っていた。相当なプレッシャーに悩んでいたことは間違いない。

(4) 当時の上司が、現在会長の勝俣氏であり、愛人関係にあったという噂もあった

 勝俣恒久 東電会長

 その当時の上司は、1996年に取締役企画部長に就任している勝俣恒久氏である。勝俣氏はご記憶の方もいると思うが、現在の東電会長である。

当時、唯一の女性幹部候補生であり美人で名高い渡邊泰子氏は、社内にも関係を持った人はいたそうで、直属の上司である勝俣氏とも関係があったという噂はあったようである。このあたりはあくまで噂であり、話が一人歩きしがちなのであまり信用できない面もあるが、可能性としては指摘しておきたい。また、その可能性がこの殺人事件そのものの核心である可能性も否定は出来ないと思う。

(5) 勝俣氏は事件後に異例のスピード出世をしている

勝俣氏は、この事件の後の翌年に常務取締役となり、現在の会長にまで至っている。この事実は特に事件とは関係ないと言えるかも知れないが、断言はできない。

あえて、かなりの憶測を含めた見方を紹介したい。

会社の方針と反対の部下に対し、体の関係を持ったこともあり、その関係が表に出ることはよくないか、何か問題となることを話していた場合に、邪魔となった。更にその部下が精神不安定の状態であり売春をしている事を知り、それを利用してその手の組織に殺人を依頼する。

 現場のアパート

 実際、現場の渋谷のあたりはヤクザのなわばりであり、その手のことはやりやすい環境にあった。更に、殺人現場の状況から男女の行為の後の殺人ではないようで、痴情のもつれとは言えないようである。わざと証拠を偽装した可能性も指摘されている。

私は、昔はこの手の話は空想の世界で日本ではないだろう、と思っていたが、物を知れば知るほど、実際にはかなり黒い動きはあることを知った。この事件がそうかどうかはわからないが、その後の状況を見ると、少なくとも、彼女が殺された事が単純な構図とはとても思えない。

 4.マスメディアの報道姿勢の罪

当時のマスメディアの姿勢は、一貫して「娼婦の事件」といった報道であった。あくまで「東電OL殺人事件」とし、被害者の人格を面白おかしく、徹底的におとしめた。「セックスしよう」などという見出しだけが躍り、事件への関心はもっぱら被害者の売春行為に向けられていった。私もそれくらいの印象しかなかった。

マスコミが無自覚に騒いでいたのか、それとも東電とのなんらかの関係があった結果かどうかはわからない。しかしはっきり言えることは、東電は、マスコミ・政治家・財界に非常に大きな力を持っている事は当時、そしても今も変わらない。そうした権力に対し、マスコミがいかに「忖度(そんたく)」するか、現在を見れば簡単に想像できる。事実としてはっきり言えるのは「OL」と呼んでいること自体が嘘であることである。それを見るだけでも、マスコミが何かを隠して、ねじ曲げて報道していることは間違いない。

東電は圧倒的資金量から、マスコミに対し大きな力を持っていたし、今も純然と持っている。そうした権力には徹底的にすり寄る姿勢は、そもそもマスメディアとして存在価値があるのだろうか?というより、国民を欺く有害な機関でしかないのではないか?

5.福島原発事故が起きても責任が生じない、東電という会社の姿勢と力

 福島原発事故の会見

このようにもともと疑いの目を持っていた東電に対して、原発事故の際に勝俣氏がテレビ出ててきたときには驚愕した。まさか会長にまでなっているとは、当時は知らなかったためである。また、「東電OL殺人事件」を通じて、疑念を持ってみていた東電という企業について、今度は原発の観点で見ることとなった。

事故自体は「千年に一度」と言われる地震によるものであり、まったく予測できない規模のものであった。しかし、これもよく見てみると、東電の体質の問題が見えてくる。事故が起こったのは「電源喪失」が原因であり、決定的に欠陥があることを指摘されていたにもかかわらず対策してこなかったのである。まったく同じ規模の津波を受けた東北電力の「女川原発」は無事であった(詳細は、過去記事:➡原発の現状から、電気に関する日本のエネルギー安全保障について考える)。これをもってすべての原発に反対というのはまったく賛成できないが、なぜ東電のこうした姿勢が問われる事がないのか、まったく理解できない。

こうした事実が明らかになってきても、なぜかそれらが追求されることがない。政治力を用いて情報統制まで出来る東電の力と体質に対して、大きな疑念を持っている。これは東電だけでなく、それにまつわるマスコミ・政治家・官僚の仕組みそのものの闇を感じざるを得ない。

 6.「東電OL殺人事件」の背景を見て、メディアとの付き合い方を考える

このように見てくると、「東電OL殺人事件」を単に「売春婦が痴情のもつれで殺された」という単純な話で片付ける方が不自然と思える。この話を見ていたとき、「人は簡単に消されるんだな」と恐ろしくなったし、現実を知った気がした。

ここまでの記述は憶測ではあるし、特殊な事情やいろいろわからないこともあるだろう。しかし、はっきりしているのは「マスメディアの言うことは鵜呑みにしてはいけない」ということであり、「裏で結託しているという疑念を持って見る」ということと思う。しかも当時より質がひどくなっている現状を見ると、むしろ見ない方がいいと思われる。事実を報道するどころか、意図的に隠し、更にねつ造までする報道機関を、報道機関として見ること自体が無意味である。むしろ有害といえる。
ある意図を持って事実をねじ曲げることは、むしろ普通と思うべきだろう。その上で、何が正しいのかを見る目を養うには、それが出来ている人達の言うことに耳を傾けることと思う。私が愛用しているYouTubeの番組の「虎ノ門ニュース」「チャンネル桜」「CGS」など、真剣に世の中を見てくれる人達はいる。それらの人達の意見を聞きながら、それも鵜呑みにせず、社会を見ていきたいと思う。

関連

原発の現状から、電気に関する日本のエネルギー安全保障について考える2018年4月13日技術

「地検特捜部」を考える ~「リニア談合」・森友リーク等に見る疑問~2018年4月23日政治

大津事件(明治24年:1891年)に見る当時の日本2019年2月20日④ 明治期

 優子

2018年 5月 10日

引用

話で聞いていたけど、改めて読むと恐ろしいですね。
真実を報道しない、できない体質が今もまだ続いている事が残念です。

 てつ

2018年 5月 10日

今のマスコミはもっとひどくなっているけどね。

ま、マスメディアは見ずに「虎ノ門ニュース」などの真実の情報を見ましょ。

 

 

 

 


イプセンの手紙 単行本

2019年05月30日 06時36分13秒 | 投稿欄

 

 
 
 
社会の実相を鋭くみつめた劇作家のイプセンは、「人間精神の革命」を志向していた。
「私は最後までペンを執りますし、それを手放すつもりもありません」
そして、「共感する人」とともに「反対する人」にも取り巻かれているからこそ、「統一のとれた考えが、より高い目標、より大きな宿題へと前進することができるのです。これが私の希望と、そして信念です」

内容(「BOOK」データベースより)

リアリストにしてラディカリスト、ニヒリストにして永遠のロマンティスト。

文豪イプセンの素顔をあますところなく伝える244通の手紙が、時を越え、ついに開かれる。

祖国ノルウェーをおわれ、ローマ、ミュンヘンなどをを転々とし不安定な生活を余儀なくされながらも、友人たちに書き送った手紙群を集める。

創作の秘密が語られ、秘められた恋も

 

 


 

 
 
 
 


 
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 

 

 
 
 

 

社会の実相を鋭くみつめた劇作家のイプセンは、「人間精神の革命」を志向していた。
「私は最後までペンを執りますし、それを手放すつもりもありません」
そして、「共感する人」とともに「反対する人」にも取り巻かれているからこそ、「統一のとれた考えが、より高い目標、より大きな宿題へと前進することができるのです。これが私の希望と、そして信念です」


ローザ・パークスの青春対話

2019年05月30日 06時07分31秒 | 投稿欄
 

ローザ・パークス (著), Rosa Parks (原著), 高橋 朋子  (翻訳)

「未来の世界がどうなるかは、私たちが今をどのように生きるかにかかっています」
そして、世界をより良くすつために、「やるべきことはたくさんあります」。

内容(「MARC」データベースより)

新しい世紀があらゆる差別から自由であるために…。アメリカ公民権運動の母が、次代に生きる子どもたちに贈る知恵と勇気、愛と希望のメッセージ。

 
ローザ・パークス自伝
 ローザ パークス (著), Rosa Parks (原著), 高橋 朋子  (翻訳)

内容(「MARC」データベースより)

人間の尊厳のため、それでも私は立ち上がる!  「人権運動の母」が歩む勇気と自由への道。

バスで白人に席を譲ることを拒否した彼女の小さな行動が、アメリカ南部の人種隔離法撤廃を導いた。

「人権運動の母」ローザ・パークスの自伝。サイマル出版会94年刊「黒人の誇り・人間の誇り」改題改訂。


 
 
 


近畿大学生 一気飲みで死亡 一緒にいた12人を書類送検

2019年05月29日 11時32分45秒 | 投稿欄

2019年5月27日 NHK

おととし、近畿大学の20歳の男子学生がサークルの集まりで一気飲みをしたあと意識を失い、その後死亡したことについて、警察は一緒にいた12人が救急車を呼ぶなど適切な措置を取らなかったとして保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検しました。

近畿大学の2年生だった登森勇斗さん(20)は、おととし12月に東大阪市の飲食店で開かれたテニスサークルの集まりで、ビールのほかショットグラス20杯分のウオッカを一気飲みしたあと意識を失い、翌日死亡しました。

警察によりますと、急性アルコール中毒の影響で吐いたものがのどに詰まり窒息死したとみられ、登森さんの両親が去年、一緒にいた学生らを刑事告訴していました。

警察によりますと、集まりに参加していた上級生や介抱のために呼ばれた学生ら合わせて12人が、登森さんが泥酔状態で呼びかけに応じなかったのに、すぐに救急車を呼ぶなどの対応を取っていなかったということです。

警察は適切な救護措置を取らなかったとして、保護責任者遺棄致死の疑いで12人を27日、書類送検しました。警察によりますと、このうち一部は「寝ているだけだと思った」などと話し、そのほかは「登森さんの年齢が分からず、未成年だった場合、サークルや自分たちが処分されると思った」などと話しているということです。

近畿大学は「二度と飲酒事故を起こさないよう検証チームを設置し、再発防止に取り組んでいきます」とコメントしています。

過去にも死亡事例

大学生が部活動やサークルの飲み会で、酒を一気飲みして命を落とす事例はこれまでも相次いでいます。

9年前の平成22年には、佐賀大学のラグビー部の送別会で1年生の男子学生がビールや日本酒を一気飲みするなどしたあと体調が急変して急性アルコール中毒で死亡しました。

平成24年には、慶應大学のテニスサークルの懇親会でも学生1人が死亡しています。

息子を亡くした母親は

東京 杉並区の介護ヘルパー村田陽子さん(55)は、7年前の平成24年、一気飲みが原因で長男の英貴さんを亡くしました。

英貴さんは当時立教大学の1年生で、テニスサークルの春合宿の打ち上げに参加した際、一気飲みに加わりました。

サークルのメンバーが作った報告書でその時の状況を知ったという村田さんは、「先輩が少しだけ酒を飲む中、1年生の英貴は日本酒を3合も飲まされ、2合目には吐いていました」と話しました。

その後、部屋に運ばれた英貴さんは、翌朝、布団の中でのどに物を詰まらせた状態で見つかり、病院に運ばれましたが死亡しました。

村田さんは「英貴はやっと大学に入れて晴れ晴れとしていました。一気飲みで命を落とすのはつらく、なくなってほしい」と話していました。

一気飲みの危険性と死亡事例の背景

飲酒に関するさまざまな問題の解決に取り組んでいる東京 中央区のNPO法人「ASK(アスク)」は、一気飲みの危険性について、学生の遺族などと連携して注意を呼びかけています。

「ASK」によりますと、大学の部活動やサークルの飲み会では、これまでの慣例やその場の雰囲気によって、学生たちの間に一気飲みを避けられない事態が長年、続いているといいます。

中には酔いつぶれた学生を介抱する役割や、運び込む部屋が事前に決められているケースもあるということです。

こうした現状について今成知美代表は、「はやしたてて飲ませるなど『一気飲み』が伝統のようになっている団体もある。そうした雰囲気の中では、学生たちが『嫌だ』と言って逃れることはとても難しい」と指摘します。

そのうえで、「飲み会の主催者は、自分たちの代で危険な飲み方を断ち切る勇気を持ってほしい。飲み会に参加した学生も一気飲みをせざるをえない雰囲気があっても、命を守るため断ったり逃げ出したりしてほしい」と呼びかけています。

アルト・ハイデルベルク―小説

2019年05月27日 13時08分39秒 | 投稿欄
 
ドイツ・ザクセン地方のカールブルク公国の公子、20歳のカール・ハインリヒがハイデルベルク大学に留学した時のことですが、下宿兼居酒屋で働く明るい17歳の娘、ケーティと親しくなります。しかし、3カ月後、伯父・大公の病気が重くなり、跡を継ぐため故郷に呼び戻されてしまいます。

身分違いの悲恋を描いた甘ったるい純愛物という悪口もありますが、こういう青春の書があってもいいのではないでしょうか。

若い時に、ハイデルブルクを訪れたことがあるのですが、ここでカールとケーティが語り合ったのかといささか興奮したことを懐かしく思い出します。

その時、登ったハイデルブルク城は古城の雰囲気を湛えた魅力的な城でした。
本作品には、お付きの教育係とハイデルベルク城に登った時のカールの幸せな気持ちがこのように描写されています。「彼がこれまでこんなに幸福だったことがあったろうか。いや、けっしてけっして。
いろんな印象が、昨日も今日も、彼に向かって押しよせてきた。それにはいかなる雑音も、まざってはいなかった。
すべては調和的に、ただ一つの幸福の諧音となって鳴りひびいているのである。――ケーティ、自由、ハイデルベルク、ネッカー川、城、春、黄金色の未来――ただ一つの歓びの流れ、ただ一つの陶酔となって」。

『アルト・ハイデルベルク』(Alt-Heidelberg) はドイツの作家・ヴィルヘルム・マイヤー=フェルスター(ドイツ語版)による5幕の戯曲である。
フェルスター自身が1898年に発表した小説『カール・ハインリッヒ』(Karl Heinrich) を基にしており、1901年にベルリンで初演された。タイトルは「古き(良き)ハイデルベルク」の意。
ザクセンのカールブルク公国の公子、カール・ハインリッヒがハイデルベルク大学へ遊学して、このネッカー川に面した美しい町の下宿でケーティ (Käthie) と仲良くなり楽しい時を過ごすが、養父の死により大公に就くことになり、彼女と別れて故郷へ呼び戻され、その後再びハイデルベルクを訪問してケーティに再会するまでを描いている 。
同様のテーマを扱った森鴎外の『舞姫』の暗いイメージとは正反対の、涙を誘いながらも比較的に明るい純愛ものである。
日本での初演は1912年に有楽座で文芸協会が行ない、松井須磨子がケーティ役であった。その後滝沢修、山本安英、杉村春子などが1924年、1926年、1934年に築地座、築地小劇場で出演している。
1931年10月に宝塚少女歌劇団(現宝塚歌劇団)月組によって『ユングハイデルベルヒ』という題で上演が行われて、その後何度も宝塚少女歌劇団で上演される作品になった。
1977年8月には日生劇場で『音楽劇 若きハイデルベルク』と題して中村勘九郎と大竹しのぶ主演で上演された。
ドイツのザクセン地方のカールブルク公国(架空の国、実際にあるのはコーブルク公国)の王子、カール・ハインリッヒは、両親が早く亡くなったため、後見となった叔父の大公に育てられてきた。
学齢に達した王子は、晴れて学生生活を過ごすべく家庭教師の哲学博士とともにハイデルベルクにやってきた。
王子の住まいはネッカー川そばのリューダーという下宿屋で、1階は居酒屋兼食堂になっていていつも学生たちで溢れかえっていた。
リューダーの遠縁で、ここで女給として働いていたケーティは、たちまち王子に夢中になった。
そして、4か月がたち、いっしょにパリに連れていってあげるから、とびきり上等のドレスでおめかしして待っているように言われた直後に、王子の国元から使者がやってきて、大公の容態が悪く、直ちに帰国して欲しいとの知らせを伝えた。
王子は1年の予定だった遊学を早々に切り上げて帰国を余儀なくされた。
それから2年後、カール・ハインリッヒはカールブルク大公となった。
2週間後に不本意な結婚を迎える予定の彼のもとに、ハイデルベルクでの短い学生時代「いつか自分が大公になったら給仕長に取り立ててやるぞ」と約束した相手のケラーマンが訪ねてきて、ハイデルベルクの人々の消息を語った。
そこで大公は青春の思い出のハイデルベルクが懐かしくてたまらなくなり、ケラーマンを伴って再びハイデルベルクを訪ねることにした。
しかし、ハイデルベルクの街はすっかり変わってしまっており、学生気質も変わり、リューダーの居酒屋も学生たちが寄り付かなくなっていた。
ケーティもまもなく結婚を控えていたが、彼女だけは大公のことを忘れずに思ってくれていた。
再びハイデルベルクを後にする大公の胸には青春のハイデルベルクの思い出だけが残っていた。

本作は、20世紀前半において最も数多く上演されたドイツの演劇作品の一つである。この作品が、ハイデルベルクの町を世界的に有名にし、日本では明治時代においてドイツ語を学ぶ学生にとっては必読書になった。昭和時代前期になってもそうした雰囲気は残っていた[3]


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

チェーホフの影響

2019年05月26日 06時34分23秒 | 投稿欄

20133 8 (金曜日)

創作欄 

あれほどドストエーフスキを信奉していたのに、徹は23歳の時期からドストエーフスキに息苦しさを感じ始めていた。
自分が目指す方向は別にあるのだと思いはじめていたのだ。きっかけはチェーホフを知ってからだ。
自分の感覚はドストエーフスキよりチェーホフに近いことを認識した。
「かれ(ドストエーフスキ)は、疑いもなく、大きな才能だ。しかし、ときどき感覚に欠けるときがある」とチェーホフは個人的印象を記していた。
わずかそれだけの印象であり深く論評しているわけではないが、チェーホフの印象に注目したことで徹はドストエーフスキに違和感を抱き始めていた。
つまりドストエーフスキの病的な側面である『常人を超えたような』非日常的な作品の人物像を受け入れ難くなったのだ。
「医学の勉強がぼくの文学活動に重大な影響をもっていることは疑いありません。医学の勉強はぼくの観察をいちじるしく広げてくれましたし、さまざまな知識でぼくをゆたかにしてくれました。作家としてのぼくの医学知識がもっている真の価値は医師であるひとだけがわかってくれるでしょう。それらの意識は決定的な影響をもっています」
「自分の知恵だけで何でもわかると思っている連中の仲間に入りたくもありません」
「ぼくが生き、考え、闘い、悩むとしたら、それはみな、ぼくの書くものに反映します」
「小説は回想してこそ書けるのです。ぼくは、過去のことを回想してしか書けないんです」
「現代の文化は偉大な未来のための仕事の端緒なのです。遠い未来において人類が本当の神の心理を認識するために、ドストエーフスキのなかに神を推測したり求めたりしないでも・・・」
「この世は平静であることが必要です。ただ平静な人だけが事物をはっきり見ることができ、公平であることができ、はたらくことができるのです」
思えばドストエーフスキの作品の世界は平静な空間ではないのだ。
つまりドストエーフスキの世界観が、徹を平静な日常生活から遠う避けるように思われた。
徹はチェーホフの言葉をノートに書き留めながら、ドストエーフスキの影響から脱していきたいと念じ初めていた。


大一番、よもやの決着=差し違えで朝乃山に軍配

2019年05月26日 05時30分45秒 | 投稿欄

-大相撲夏場所

2019年05月24日 時事通信

朝乃山が初優勝に前進するか、栃ノ心が大関復帰を決めるか。互いに大きな一番はよもやの形で決した。館内がざわつく中で6分余りにわたった協議の末、軍配差し違えで朝乃山が11勝目の勝ち名乗りを受けた。

朝乃山は右を差して一気に出たが、栃ノ心の右すくい投げからの引きに前のめりに倒れた。土俵外に手をつき、「負けたと思った」。栃ノ心は逆転を確信し、右拳をぐっと握った。そこで放駒審判(元関脇玉乃島)が物言い。ビデオ室の映像では判断できず、最終的には土俵下で見ていた審判が、栃ノ心の右かかとが先に出ていたと判定した。

朝乃山(左)に土俵際まで押される栃ノ心=24日、東京・両国国技館

 西の支度部屋に戻った栃ノ心は「勝っていると思った」と大きくため息。大関復帰と思われた白星が手からこぼれ落ち、やり切れなさが詰まった涙をぽろぽろと流した。
 大きな星を拾った朝乃山は、東の支度部屋のテレビで鶴竜が敗れた結びを見届けた。単独トップとなって高まった緊張感をほぐすように大きく息を吐くと「何も考えない。平常心でいくだけ」。運も味方につけ、初賜杯に近づいた


4番大山が決めた!阪神今季2度目の4連勝 

2019年05月25日 10時53分24秒 | 投稿欄

 DeNAに7連勝で今季最多の貯金4

5/25(土) デイリースポーツ
4番大山が決めた!阪神今季2度目の4連勝 DeNAに7連勝で今季最多の貯金4
 7回、今永(右)から勝ち越しとなる適時打を放ち、一塁へ駆ける大山
 「DeNA2-3阪神」(24日、横浜スタジアム)

 これぞ、4番の一打や!!阪神の大山悠輔内野手(24)が、同点の七回に決勝の左翼線適時二塁打を放ち、チームに4連勝を呼び込んだ。今季12度目の逆転勝ちでDeNA戦は7連勝。貯金を今季最多の「4」に増やし、2位・巨人とのゲーム差は0・5に縮まった。無死三塁から上本、糸井が倒れた中、仲間のミスを挽回し、重苦しい空気を振り払
二塁ベース上の大山が、仲間に右拳を向けた。呼応するように西が飛び出し、興奮した北條、江越がグラウンドに転げ落ちる。お祭り騒ぎの三塁ベンチ。ムードは最高潮だ。「切れるな」-。祈りを込めた白球が勝敗を分けた。4番が決めた。チームトップタイとなる5度目の決勝打だ。

 2点差を追いつき、迎えたラッキー7。先頭の近本が右翼線を破り、無死三塁の好機を作った。だが上本、糸井が倒れ2死三塁。大山が静かに打席に入った。「追い込まれて打てる投手じゃない。思い切って行きました」。初球、積極的なフルスイングが奏功した。

 内角低めのカットボールを狙った。迷わず振り抜いた白球が左翼線に飛ぶ。切れるか、切れるな-。ラインの数センチ右で跳ねた。「うれしかった」。四回の左前打を合わせ、相手エース・今永との対戦成績は13打数7安打。打率・538のキラーぶりでKOした。

 「ああいうところで打たないと、チームの信頼は得られない。あの1本を大切にしたい」

 開幕から48試合。矢野監督は不動の4番として起用を続けた。4月中旬のことだ。打率2割台前半に沈む大山に、清水ヘッドコーチが問い掛けた。「方法を変えてみるのも一つじゃないか」。素振りや、試合後の映像を繰り返し見るなど、努力の姿は伝わっていた。求めたのは結果以上に姿、振る舞いだった。

 「4番なら練習量で誰にも突っ込まれるな。誰にも文句を言わせるな」。指揮官の思いを代弁する参謀は、あえて厳しい言葉を投げ掛けた。必要なのは絶対的、揺るぎない存在。成長を示す1本に「あれだけ批判、非難を浴びた選手がね。うれしいよ。今のまま、本当の4番になってほしい」と目尻を下げた。

 リーグトップとなる12度目の逆転勝利。接戦を制した4連勝で、貯金を今季最多の4とした。DeNAにはこれで7連勝。殊勲の4番はチームの総意を代弁した。「あの1点は全員で奪った1点だと思います!!」。チームを語る表情は、どこか誇らしい。まだ、終わらない。4番のバットで連勝街道を突き進む。



牛久シャトー「日本遺産」に2年連続落選

2019年05月22日 10時30分27秒 | 投稿欄

茨城県牛久市にあるシャトーカミヤは、明治時代に日本で初めてワインが作られた場所です。

実業家である神谷傳兵衛が、1903(明治36)年茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場「シャトーカミヤ」。
2008年6月には、旧醸造場施設3棟が国の重要文化財に指定されました。
しかし2011年3月、東日本大震災で被災。

修復工事(災害復旧)のため、その美しい姿を見ることはできなくなっていました。
そして2016年3月31日、やっと工事が終了。

色鮮やかに蘇ったシャトーカミヤをご紹介しましょう。
人気ドラマのロケ地にもなり、多くの人が訪れる牛久市の人気観光地です。

浅草の「神谷バー」も所縁がありますよ。

ドラマ「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」 のロケ地!

ドラマ「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」 のロケ地!

1シャトーカミヤは牛久のおすすめ観光スポット!
2牛久シャトーカミヤはドラマのロケ地!
3牛久シャトーカミヤの歴史の歴史を知ろう1:創業まで
4牛久シャトーカミヤの歴史の歴史を知ろう2:明治から現在まで
5牛久シャトーカミヤの見どころ1:旧神谷酒造醸造場
6牛久シャトーカミヤの見どころ2:神谷傳兵衛記念館
7牛久シャトーカミヤの見どころ3:レストラン キャノン
8牛久シャトーカミヤの見どころ4:ラ・テラス・ドゥ・オエノン
9牛久シャトーカミヤの見どころ5:バーベキューガーデン
10牛久シャトーカミヤの見どころ6:スーベニアショップ
11牛久シャトーカミヤの見どころ7:ワインセラー
12牛久シャトーカミヤのイベント1:牛久シャトー桜まつり
13牛久シャトーカミヤのイベント2:牛久シャトーワイン祭り
14牛久シャトーカミヤのアクセス
15こちらもおすすめ!牛久の観光スポット
16牛久シャトーカミヤへ観光に行こう!

茨城県牛久市にあるシャトーカミヤ。日本初の本格的ワイン醸造場で、日本ワイン発祥地の1つに数えられています。そんなシャトーカミヤは人気ドラマのロケ地になったことで、全国的に知られるようになりました。ここではそのシャトーカミヤの魅力をお伝えします。なお2018年に名称を牛久シャトーに変更しています。

ここは以前、葡萄の栽培から醸造、ビン詰までを一貫生産する醸造場として栄えたところ。その称号であるCHATEAU(シャトー)と創設者の神谷伝兵衛さんの名を取り、シャトーカミヤと名づけられました。

ドラマで使われたレストラン永久保存版5!
 

敷地内には、現在、レストランや資料館として活用される明治36年(1903年)完成の煉瓦造りの本館があり、ここが今回、堀北真希さんや小栗旬さん、生田斗真さんらが通う学校として使われたところ。

この100年前の建物に、毎回大道具さんの手によって校門や校章が取りつけられ、現代の学園および寮に変身してゆく様子は、見ていてとてもおもしろかったそう。「発泡スチロールの道具を本物のように見せる大道具さんは、本当にすごいと思いました。」 そんな話をしてくれたのは、ここ「シャトーカミヤ」の広報を務める日隈進(ひのくますすむ)さん。

ドラマで使われたレストラン永久保存版5!
ドラマではこの本館2Fの茶色の木の扉にセットの校章が取り付けられていました!

「今回は「学校と寮が同じ敷地内」というドラマの設定を受け、監督が「シャトーカミヤ」全体を気に入ってくださったので、シーンに合わせて敷地内のお好きなところで撮影をしていただきました。エンディングでも、大塚愛さんの曲に合わせて、シャトーのシンボル的な本館がバックに映し出されており、毎週見るのが楽しみでした。」 

撮影は、多い時で週2回くらい、全期間では合計30回以上も行われたそう。朝早い時は5時半から、遅いときは夜中の3時過ぎまで行われることもあったそう。7月~9月という夏放送のドラマの宿命でもありますが、昼間の撮影はおのずと炎天下。こちらでの撮影はほとんどが屋外だったため、出演者もスタッフも本当に大変そうだったとのこと。

ドラマで使われたレストラン永久保存版5!
イケメンが集まるシーンでよく出てきた敷地内の像。

実際、たまたまその日に撮影があるとは知らず、伺った私の目にも、その大変さは十二分に見て取れました。折りしもそれは、8月1日。セミが割れるように鳴く、夏真っ盛りの午後です。

その日の撮影は、小栗旬さんが堀北真希さんを抱きしめるシーン。それを通りかかった生田斗真さんが、偶然目撃してしまう場面でした。ほんの1分ほどのシーンでしたが、取り終わった後、日傘をさしかけられた堀北真希さんが、一瞬つらそうに植え込みに寄りかかるようにしていたのが、今も思い出されます。

でもその後、オンエアを見たら、そんな素振りは全く見せず、とてもいいシーンに仕上がっていたので、改めて女優さんってすごいなと思いました。

と同時に、スタッフの大変さにも敬意を払いたい気持ちになりました。というのも、どこからともなく撮影の日を聞きつけ、集まってくるたくさんのギャラリーを、安全に誘導しなければいけないからです。

じっとしていても汗が流れる猛暑。ただでさえイライラするのに、中には、出演者見たさについ入場を止められている区域に入ろうとするギャラリーもいたりするわけです。でも、スタッフはその都度、「ごめんねー。ちょっとだけ待っててもらってもいいかなー?」と、やんやりと静止。大人、子供にかかわらず、誰に対してもとても丁寧な態度で好感が持てました。

ドラマ作りの大変さは、本当にTVでは見えない部分がほとんど。大勢の人の力が結集して出来上がるものなのだということを、目の当たりにした気がします。

 

北海道立オホーツク流氷科学センターの概要

2019年05月22日 06時58分37秒 | 投稿欄

オホーツク流氷科学センター所長 高橋修平

1.設立経緯 北海道の流氷は,南北半球を通じて最も低緯度までやって 来る海氷です.

紋別市では,北海道大学・低温科学研 究所附属研究施設 (1965~1996 年)が設置されて以来,流氷 レーダーが設置されるなど流氷の研究が継続的に行われてき ました.

また 1986 年からは北方圏国際シンポジウムが毎年行 われ,紋別は流氷研究の中心地になりました.

その背景のもとに,1991 年,流氷や海洋に関する知識をわ かりやすく学ぶ施設として北海道立オホーツク流氷科学セン ターが設立されましたた.

これは世界にただ一つの流 氷をテーマにした科学館です.

2.展示内容

 1)-20℃の厳寒体験室

 2)ドームシアター -日本でも珍しい傾斜型全天ドーム-

 3)海氷成長模型

 4)オホーツク海ジオラマ -流氷はどこからやってくる?-

 5)オホーツク海が凍りやすい理由 -海の2層構造-

 6)海水の凍り方と湖の凍り方の違い -対流が問題-

 7)クリオネ展示 -流氷と一緒にやってくる海の妖精-

 8)ガリンコ号模型 -そのルーツは油田開発にさかのぼる-

 9)温暖化モニュメント -流氷は温暖化のセンサー-

 10)その他展示物等

2.展示内容

1) -20℃の厳寒体験室 館内のマイナス 20℃の厳寒体験室では,冬の間に採取した 流氷が展示され,いつでも実際の流氷の氷に触れることがで きます.

また最近では,「流氷水族館」と称して透明 な氷の中に魚を閉じ込めたものを展示してあり,オホーツク 海に生息する魚を間近に観察することができます.

凍るシャボン玉やタオル凍らせ実験も体験できます.

2) アストロビジョン ー 日本でも珍しい傾斜型全天ドーム ー アストロビジョンは日本でも珍しい傾斜型全天周ドーム であり,ヘリコプターによる 360 度特殊撮影により,流氷 をかすめるような迫力ある飛行映像が楽しめます.

嵐の後,流氷が沖合に現れ,次第に全面的に海が流氷で覆 われる様子がわかります.

ヘリコプターが紋別上空を旋回 するときは自分が空中を舞っているような体験ができます.

北海道立オホーツク流氷科学センター .

魚を氷に閉じ込めた 「流氷水族館」 .-20℃の厳寒体験室内の 流氷とシロクマの剥製.

オホーツク海の流氷. (2003 年 2 月,紋別市オムサロ海岸) .

アストロビジョンの迫力ある映像.

3) 海氷成長模型 常温の部屋の展示では,流氷(海氷)が生まれて成長する までの模型が並び,ボタンを押すとスポットライトが動きな がら,流氷の成長についての説明が音声で流れます, 海水の凍り始めは,氷晶から始まり,グリースアイス,はす 葉氷,氷盤へと成長していく流氷の様子がわかります.

過冷却海水の中で一気に氷晶が発生する実験装置も見ること ができます.

4) オホーツク海ジオラマ ー 流氷はどこからやって来る? ー オホーツク海ジオラマ模型では,北海道にやってくる流氷 はどこから来るかが説明されます.

以前はアムール川 の氷がやってくるという説明もありましたが,今は,アムー ル川ではなく,マガダンやオホーツク市があるオホーツク海 の一番北のシベリアの海岸からということがわかりました.

ここの海岸では季節風の寒い北風によって次々と海氷が発生 しては流され,海が空いてまた凍って流されを繰り返して南 に流れ,サハリン東岸に沿ってやってきます.

この流 氷がのって流れて来る海流は東カラフト海流といいます.

これは2代目所長の青田昌秋が行った流氷ブイの観測から わかりました.

初めアムール川河口に置いたブイは全く流れ ず,サハリン北側沖に置いたブイも流れず,次に,サハリン の東側に置いたブイは一気に流れてサハリンの東側を通って, 北海道や国後島に流れ着いた観測結果からわかったのです.

5) オホーツク海が凍りやすい理由 ー 海の2層構造 ー オホーツク海で海氷が出来やすい理由は,大きくは次の3 つが挙げられます.

1) 冬にはシベリアから非常に寒い季節風が吹いてくる.

2) シベリア,千島列島,北海道,に囲まれた海である. そのために,表面に塩分濃度が薄い層が存在している.

3) 浅い所の塩分が薄く,深い所は濃い2層構造をしている. そのために海面が冷えるときに表層 50mの所だけで対流をす るため,普通の海より凍りやすくなります. これらはパネルや成層水実験模型で示しています.

海氷の成長過程模型 .

海氷成長の説明装置 氷泥(Grease ice) はす葉氷 (Pancake ice) 氷板(氷盤: Floe) 氷丘 (Hummocked ice) 流れ出す流氷 図7.オホーツク海のジオラマ .

オホーツク海の人工衛星画像 (2013/3/13 北見工大提供)

 海水の凍り方と湖の凍り方の違い ー 対流が問題 ー 海水の凍り方をもう少し説明しましょう.

真水の湖の場合は,水面が冷えていくとき真水は4℃で密 度が最大になるため,初め4℃以上では冷えた表面の水は 次々と沈んでいって対流します.

湖の水温が全て4℃になる と対流は止まり,さらに冷えた表面水は水中の4℃の水より 軽いので沈まずにそのまま冷えて,その後は一気に表面が凍 ってしまいます.

ところが海水(塩分 3.5%)の場合は,冷えていくときの最 大密度はなく温度が冷くいほど密度が大きいので,冷えるほ どどんどん対流を続け,海全体が結氷温度(-1.8℃)になっ て初めて結氷します.

そのため海が深いほど凍りにくく,な かなか海は凍りません.

そして凍り出すときは水中からも凍 るのでドロッとしたグリース状の氷になります.

オホーツクの場合,先に説明したように,密度の2層構造 のために,約 50m の層だけが結氷温度になれば凍ることがで き,普通の深い海より凍りやすいのです.

この2層構造ができる理由は,アムール川の淡水が拡がっ たためと,海氷が凍るときに濃い塩分が下に流れ出て氷の塩 分が薄くなりますが,その海氷が融けるときに塩分が薄くな るためとされています.

7) クリオネ展示 ー 流氷と一緒にやってくる海の妖精 ー 流氷とともにやって来るクリオネはハダカカメガイの一属 であり,羽ばたくよう泳ぐ優雅な姿から「流氷の天使」と呼 ばれます.館内展示のクリオネハウス飼育数は日本一であり、 体長 5~30mm の色々な大きさのクリオネを観察できます.

クリオネがエサを食べるときには,頭部からバッカルコ ーンと呼ばれる六本の触手を伸びてきてエサを食べます.そ の餌を抱え込む様子は映像で見ることができ,「怖いっ」と驚 く人も多くあります.

展示のためには,3月に紋別の海岸でクリオネを大量捕獲 し,館内の保冷室の大きな水槽でずっと保存する努力がされ ています.

餌であるミジンウキマイマイは手に入れることが 難しく,飼育には苦労しますが,成長したクリオネは飢餓に 強く、1 年間の絶食にも耐えるそうです.

生きたクリオネの展示 深 さ 成 層 対 流 0℃ 4℃ 水面 温度 水底 温 度 分 布 氷 ① 〔湖〕 ③ ② 結氷温度 ④ 対 流 -1.8℃ 0℃ 水面 温度 水底 氷 〔海〕 結氷温度 対 流 対 流 .

湖の凍り方.4℃まで対流をして, その後は表面だけが冷えて凍る.

海の凍り方.ずっと対流をする.

オホーツクの凍り方.塩分の薄い 約 50m の深さだけが対流をする.

クリオネ.可愛らしい流氷の天 使クリオネ(左)もエサを食べるとき は怖い姿になる(右). -1.8℃ 水面 温度 水底 氷 二層構造 結氷温度 [塩分] 薄い 濃い 〔海〕 対 流 対 流

8) ガリンコ号模型 ー そのルーツは油田開発にさかのぼる ー 館内には歴代のガリンコ号の模型が展示しています.

歴史をさかのぼると,初めは,当時開発中だったサハリ ン油田の掘削プロジェクトに参画しようとした大手企業によ り色々な海氷研究が行われました.

海上油田プラットホーム にかかる海氷の力を測定する目的で紋別海岸沖に流氷観測タ ワーを建て,タワーにかかる圧力を計測したのです.

また海氷上での輸送手段として,ドリルが2つ並んだアル キメディアンスクリュー型輸送車により海氷の海での走行試 験が行われました.

その後,日本企業のサハリン油田への大 規模参画はなくなり,アルキメディアンスクリューは洋上航 海ができるガリンコ号となり,流氷観測タワーはオ ホーツクタワーとして海中展望ができる観光・研究施設とな りました。

9) 温暖化モニュメント ー 流氷は温暖化のセンサー ー 流氷科学センターの前庭には一見何気ない赤と青のポ -ルが並んでいます.

実はこれは「流氷ダンダン」 流氷勢力の変化をきちんと表す科学データなのです.

赤い 棒が毎年の過去 30 年平均気温を表し,現在に近づくほど 高くなっていますが,青い棒が示す毎年の流氷勢力(見え る範囲の海が 100%見える日を 1 として一冬の間積算した 流氷存在日数)は次第に低くなっています.これは温暖化 による流氷の減少を示しています.

冬期平均気温が今より 3℃上ると北海道には流氷が来な くなるという試算もあります.流氷が来なくなると冬の観 光業にも困るし,漁業にも大きな影響があります.

流氷の 氷の下では諸物プランクトンが付着して太陽光を有効に 吸収してアイスアルジとなって繁殖するために,動物プラ ンクトンや魚類が豊富となってオホーツク海は豊かな海 となっています.

その流氷が来なくなると次第に豊かな海 の特徴が失われます.このモニュメントはその流氷減少の 警告なのです. 

油田開発のために氷の圧力を測るために 建設された流氷観測タワー(左)と海中展望室 も備えた現在のオホーツクタワー.

流氷観光船に発展したガリンコⅡ.

流氷勢力変化を表すモニュメント.赤棒 の高さは気温,青棒は流氷勢力を表す.

海氷走行を目的としたアルキメディ アンスクリュー実験機の実物大模型.

流氷勢力 (日)

気温 (℃) 流氷勢力 気温 . 流氷勢力変化(青線)と気温(赤線)の データ.

10) その他展示物等 常設展示として次のような科学展示物も備えています.

・氷晶発生装置: 過冷却の水中で一気に氷晶が発生する様子が 見られます.

派手ではありませんが科学的に重要な実験であり, 紋別でしか見られない日本唯一の公開実験装置です.

・過冷却現象装置: 常温の部屋なのに蛇口から出た氷が急に凍 ります.海中氷の発生に関係があります。

・プレイランド: 流氷クイズや氷の万華鏡、流氷歩行など、遊びな がら流氷を学べる楽しいコーナーです.

・サイエンス ギャラリー: 錯視コーナー,トリックアートなど.

・竜巻発生装置:白い霧の竜巻が発生します.

竜巻の中に入って 観察でき,自然災害について学びます.

・虹色シャボン膜作り装置:ハンドルを回すと大きなシャボン膜が できます.

光の干渉色を学べます. ・観測室:カメラ、インターネットなど様々な視点から、流氷やオホ ーツク海の最新情報を提供します.

・図書コーナー:図鑑・参考書をはじめ科学実験

・工作・自由研究 関連図書,ナショナルジオグラフィックやニュートンのバックナンバ ーもあります.

・ギャラリー:当館主催の「オホーツク四季写真コンテスト」や毎年 変わる企画展の展示がされます.

3.沿革等 〔愛 称〕: GIZA(ギザ):建物が流氷のようにギザギザだからです.

※別な説明として,ガリンコ号乗り場や流氷科学センターを含めた地区 をガリヤ地区(遊びたガリヤ,ダジャレしたガリヤ?が由来とか)と呼 び,その呼び名からの Gariya Ice Zone Area の頭文字 GIZA とした という話もありますが,後付けの説明のようです.

〔沿革〕 1991 年 北海道立オホーツク流氷科学センター設立 初代所長 木下誠一(北海道大学名誉教授)

1993 年 「道の駅オホーツク紋別」として道の駅に登録

2002 年 2代目所長 青田昌秋(北海道大学名誉教授)

2013 年 3代目所長 西山恒夫(元東海大学札幌校学長)

2014 年 4代目所長 高橋修平(北見工業大学名誉教授)

〔建 物〕: 鉄筋コンクリート造 ,地上 3 階建て,地下 1 階 〔延床面積〕: 3,100 ㎡ 〔主要施設〕: -20℃厳寒体験室、全天周映像ホール(ドームシアター) 〔職 員 数〕: 13 名 (2015 年 12 月現在) 図 23.センター横に立つカニの爪のオ ブジェ.昔は海に浮く台座の上にあ り,流氷の中に立っていました. 図 21. 竜巻発生装置 .

氷晶発生装置 . 過冷却現象装置 . 流氷科学センター.建 物がギザギザしているので 愛称は GIZA.


生命の哲学

2019年05月20日 06時49分53秒 | 投稿欄
 
有機体と自由 


 
 

性犯罪刑法見直し訴え

2019年05月18日 06時20分14秒 | 投稿欄

2017年の刑法改正では盛り込まれず。2020年の「見直し」へ期待

実に110年ぶりの改正だった。性暴力の被害者について男性も含まれるようになり、強姦罪の法定刑の下限は3年だったが、5年に変わった。

被害者の告訴がなくても起訴できる非親告罪となり、18歳未満の人に対し、親などの監督・保護する立場の人がわいせつな行為をした場合、暴行や脅迫がなくても処罰されることになった。

だが、名古屋地裁岡崎支部の事件では、父親から性交をさせられた女性が19歳だったことから、「18歳未満」に限定されていた性的虐待の処罰の対象にはならず、法の網目から抜け落ちてしまった。

山本さんは「父親からそういうことをされること自体が、すごい驚きでもあるし、育ててくれている人であって拒めない。抵抗できないほどの状況であったことが認定されなかったということ自体がありえない」と話す。

そしてこの判決について「これまでの判例に引きずられていると思った。完全に支配されていないから抵抗できただろうとなると、同意がなくて被害を受けていても罪とならない」と説明したうえで、被害者のおかれる立場をこう説明した。
「性暴力被害者の半分がPTSDになり3割がうつ病になるという統計がある。長い期間、心身の回復に時間を要するにもかかわらず、法律の条件によって罪としても認められず起訴もされない」

そして、現在の刑法の状況を「非常に社会的な問題ではないかと思う」と訴え、2020年に実施される可能性のある刑法の見直しを強く求めた。

一般市民からも判決に疑問の声、「見直し」要望に3万筆以上の署名

立て続く無罪判決には、被害当事者だけでなく一般市民からの疑問の声もあがっている。

判決を伝える報道が出てから、Twitter上では「放置しておけない問題」「性犯罪を軽視しないでほしい」といった、司法と一般社会との感覚のずれを指摘するツイートが多くみられた。

また「被害者だって殺されるかもしれない状況じゃ大人しくしてるしか選択肢は無いと思う、なのにそれが同意と捉えられるとか。脅迫だと罪になるのにおかしい。ぜひ法改正をしてほしい」といった「暴行・脅迫」要件に対するコメントも相次いだ。

一方で、判決への疑問の声に対し弁護士などの司法関係者から「一部ではなく判決文を見て判断すべきだ」「証拠を見ないと分からない」という冷静な判断を促す意見もあった。

こうした声を受け、4月26日からは同意のない性行為の犯罪化など、刑法の見直しを求めるネット署名も始まった

5月14日午前の時点で、3万筆を超える署名が集まっている。

各地の裁判所で相次いだ性暴力事件での無罪判決を受け、性暴力被害者らでつくる一般社団法人「Spring(スプリング)」(山本潤代表理事)が13日、刑法の見直しなどを求める要望書を山下貴司法相と最高裁の大谷直人長官宛てに提出した。

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日本の女性の14人に一人が異性から無理やりに性交された経験があると答えています。(2014年内閣府調査)。

高校生の性暴力の実態調査(2004年)でも、女子の 5.3~37.2%、男子の 1.5~20.7%が様々な形で性被害を受けたと答えています。

あなたは友人から、隣人から性被害の話を聞いたことはあるでしょうか。

あなたの住む地域にも性暴力被害者はいます。

しかし、性被害者と出会ったことがないと話す人も多くいます。

 「もし、性被害に遭ったことが知られたら私はこの地で生きていけません」という言葉を被害者の方からよく聞きます。

 私自身も、父から受けた13歳からの7年間の被害経験について、公の場で話すことができたのは23年間後のことです。

言えば、「どうしてもっと早く言わなかったのか」「嘘をついているのではないか」「もう忘れなさい」と自分が責められることを恐れていたからです。

それは被害者を責め、加害者に利益を与える言葉です。

 被害者は苦しみのうちに沈黙し、被害者の沈黙は、加害を続行させ更なる性暴力を生み出します。

 被害者を保護しないことは、性暴力を容認する文化に力を貸すことになります。

 私は2010年から顔と名前を出して、講演や活動をしています。よく、どうして実名で活動しているのかと聞かれます。

 どんなに苦しい経験でも、その経験が私の世界を作っています。被害者だから感じられること、考えていること、被害経験があるから見える世界、それを伝えることで多くの人が性暴力の問題を理解し、何かを感じ、動いてくれると実感しています。名前や顔を出せないという方もいます。それもいいのです。

 性暴力を受けた人が、自分の被害を知られたら地域で生きていけないと脅えるのでなく、「あなたの話を信じるよ」「あなたのせいじゃないよ」と伝えられ、被害者を暖かく力強く支えることができる社会を作るのが私たちの希望です。

 そのためには被害者の幸福と利益を中心に考えるヴィクティム・センタード(被害者中心主義)という価値観を日本に根付かせる必要があります。ヴィクティム・センタード(被害者中心主義)は、アメリカで実践されている支援の形であり、被害者の痛みと心、希望に寄り添う事で、状況を改善する効果があります。

 大切なのは被害者の価値観や思いを知り、希望に沿った支援が実施されることです。

 性暴力被害経験者の心情や状況などはまだまだ知られておらず、支援側とずれが発生することはよくあります。 

 被害者の抱えている困難や苦痛、必要な助けを伝え、課題を共有することで、問題が解決されるよう働きかけを行う事が私たちの活動の根幹です。

 被害者が希望に沿った適切な支援を受け、支えられることで、健康さや健全性を取り戻し、問題を明らかにし、性暴力を容認し、見過ごす文化を変え、性暴力のない社会を実現できると考えています。

 そのことは、将来の加害を防止し、全ての人の性的健康・安全が守られる社会をつくることにつながります。

 共に性暴力のない、全ての人の性的安全・健康が守られる社会を作りましょう。

 代表理事/SANE(性暴力被害者支援看護師)

山本 潤さん


 


死亡の小4女児 父親の性的虐待訴える 

2019年05月18日 05時54分47秒 | 投稿欄

 児相は把握するも保護解除

2019年5月14日 J-CASTニュース
千葉・野田市で、小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待され死亡した事件で、「父親に下着を下ろされた」などと、性的虐待の被害を訴えていたことがわかった。

この事件は2019年1月、栗原心愛さんが野田市の自宅で死亡しているのが見つかり、父親の勇一郎被告(41)と母親のなぎさ被告(32)が逮捕・起訴されたもの。

心愛さんは2017年11月、小学校のアンケートに「お父さんに暴力を受けています」と書き、柏児童相談所に一時保護されていたが、その際、児童相談所の職員などに「パパが急にズボンを下ろしてきた。パンツも脱げた」などと、性的虐待の被害を打ち明けていたことがわかった。

児童相談所は、こうした行為を把握しながら、一時保護を解除していて、千葉県などでは、判断が妥当だったかどうか検証を進めている。
性的いたずらも受けていた虐待死・栗原心愛さん・・・気付いていながら父親に戻した児相

2019/5/15 12:14
千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さん(当時10)が今年1月(2019年)に父親の勇一郎被告(41)に虐待を受けて死亡した事件で、心愛さんは性的虐待も受けていた疑いがあることがわかった。2017年11~12月の間、柏児童相談所に一時保護されていた際に、「パパがズボンを下ろしてきた。下着も脱げた」などと訴え、医師の診断で、暴力行為だけでなく性的虐待も受けている疑いがあると判明した。

しかし、児童相談所は父親の求めに応じて、親族の家で暮らすことを条件に一時保護を解除した。父親はその後、「たたかれたというのはうそです」という文書を心愛さんに書かせて児童相談所に提出し、心愛さんは昨年3月(2018年)から再び父親と暮らすことになった。自宅で死亡しているのが見つかったのはその約10カ月後のことだ。

傷害ほう助の母親なぎさ被告はあす初公判


千葉県児童家庭課の担当者は、「(解除の)判断は児童相談所でやっていることなので、そこは本当に検証しているところです」と話す。今まで公表していなかった点については、「心愛さんの尊厳という意味でも慎重に取り扱った」と逃げる。

野田市の児童虐待再発防止委員会の委員で、児童虐待に詳しい後藤啓二弁護士は、「性的虐待の疑いがあると知っていたなら、絶対に帰してはいけなかった」「児童相談所は親が怖かったんでしょうね。親とトラブルになりたくない、かなわんなということで帰してしまったんだと思います」と悔やむ。

後藤弁護士はまた、「児童虐待は児童相談所だけで対応できるような甘い問題ではありません。警察、学校、病院が連携して、できるだけ多くの目で子どもを守らなければいけません」と話す。

高知県、大分県、広島県、神奈川県など約20の自治体ではこのような連携が始まっているが、虐待事件のあった東京都や千葉県などは取り組みがまだだという。

松田丈志(競泳元日本代表)「組織の縦割りとか、大人の都合で子どもが殺されているというのは、すごくショックです。虐待をした親は、あらゆる手を使って子どもを返せと児童相談所に言ってくるだろうから、それを突っぱねる専門家がいないと無理ですね」

司会の加藤浩次「今回の件が明らかになって、やっぱり防げたな、という思いが強くなりました」

心愛さんの死で傷害ほう助罪で起訴されている母親のなぎさ被告(32)の初公判は、あす16日に千葉地裁で開かれる。

 


メディアを監視する社会的な必要

2019年05月17日 07時25分36秒 | 投稿欄

『立命館産業社会論集』2008年3月 

*立命館大学産業社会学部准教授
メディアを監視する社会的な必要
─米国 NGOの理念と方法論から学ぶ─
奥村 信幸さん
ニュースが社会から信頼されなくなっている。
取材の手法の強引さ,演出や構成の正確さや節度などがしばしば問題となるばかりか,政治との常軌を逸した接近ぶりも露見している。
しかし報道機関は経営の維持に汲々としており,民主主義社会での「使命」を自覚し,責任をもって果たすという「自助努力」に多くは期待できない状況になっているのが現状である。
まずメディアの何が問題なのかをより多くの一般の市民が具体的に,理解する必要があるのだが,その役割を誰が担えばいいのだろうか。
小論では米国の「卓越したジャーナリズムのためのプロジェクト」というメディア監視
NGOに焦点を当て,彼らの理念と活動を概観して市民がメディアを変革するために働きかけるためのヒントを探る。
特にメディア企業の経営側の事情がニュースの現場にどのような構造的影響を及ぼすのかという分析の重要性と,従来はむしろ専門家に委ねられていたニュースの内容分析と検証を一般大衆にも理解しやすい形で行うことの必要性と方法論について議論する。
はじめに(問題の所在)
メディアは「第4の権力」と言われている。
筆者もニュースやジャーナリズムの基本を教えるにあたり「報道機関の使命は『権力の監視』です」などと発言している。
しかし,そのメディアに対する「監視」については何ら社会的な仕組みがなく,メディアが「表現の自由」や人々の「知る権利」に奉仕する姿勢を誠実に守っているはずだという「信頼感」に支えられてきた。
実はその「信頼感」には根拠がないにもかかわらず,「新聞記者は常識と教養を兼ね備
えていて,『社会の木鐸』としての役割を担う責任を果たす立派な人たちに違いない」とか私たちのよく知らない高価なテレビ放送の機材を使いこなし番組を送り届ける人たちは,その社会的な影響力の大きさと責任を自覚した節度ある取材や制作を行っているはずだ」という「気分」に長らく支えられてきたというのが実情ではないのだろうか。
しかし,そのような漠然とした「信頼感」はもはや地に墜ちてしまった。人々は「表現の自由などの大義名分にあぐらをかいて,メディアは堕落してしまったのではないか」という不信感を募らせている。我が国でも TBS(東京放送)がオウム真理教の幹部に坂本堤弁護士が批判しているインタビューのビデオを見せて結果的に一家の殺害を招いたという,「報道の常識」を大きく逸脱した事件(1989年),松本サリン事件(1994年)や兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故(2005年)などに見られるメディア・スクラムの被害や無辜の人を容疑者扱いしてしまうがごとき報道の洪水の問題,NHK教育テレビの番組が自民党の一部有力議員の意向を「斟酌」して改変されたり(2001年),福田康夫首相と小沢一郎代表の間で話し合われた「大連立」の「陰の仕掛け人」が読売新聞の渡辺恒雄主筆であったり(2007年)という出来事に見られるような,政治とメディア幹部の「行きすぎた接近ぶり」など枚挙にいとまがない1)。
危機的状況に直面しているにもかかわらず,メディアの側が失われた信頼を全力で回復する努力を行っているとは言い難い。
それは長年右肩上がりで推移してきた経営がすでに曲がり角を迎え,経営の維持の方が NHKを含むメディ企業についてはむしろ喫緊の課題となってしまい,収益を度外視して一定の期間を社会的信用を取り戻すことに充てるというようなことは考えられないことになってしまった。
新聞は「再販価格維持制度」に守られた宅配制度による経営スタイルがすでに破綻しかけているといっても過言ではない2)。
また民放キー局は全局が東証1部に株式を上場しており,株主対策のために至るところで「数値目標」を要求され,結局は放送を評価するにあたり現在では唯一の「客観的」基準である視聴率3)を上げることが至上命題になり,これはニュースの分野も例外ではない。
このような状況下で我々はメディアで伝えられているニュースの内容が真実なのかどうか確かめることができないし,ニュースが偏っているなら,どこが偏っているのかを発見する手がかりすら満足に得られない。
メディアの不誠実や失敗が明らかになるのは,週刊誌などが絡んだメディア同士の「足の引っ張り合い」による暴露合戦や,ネットの掲示板で流布されるような,どこまでが本当かわからない「悪口」が辛うじて目に入るからであるという非常に心許ない状況だと言わざるを得ない。しかし,せめて我々がメディアの現状を正確に理解し,健全な社会的役割を回復するにはどうしたらいいのかという「働きかけ」を行える機会を確保しなければ,失われたメディアの社会的機能は回復しないし,ひいてはその根拠となっている民主主
義も危機的状況に陥ってしまう。
それでは,そもそもメディアに関する情報収集やその分析,提言は誰が行えばいいのだろうか。
専門家,特にメディアでコンテンツの制作業務を一定期間経験した人材が不可欠である。昨今「メディア・リテラシー」という用語が流行しており,「市民がメディアを読み解く」ということの重要さが喧伝されているが,筆者はそれだけでは不十分であると考えている。メディアの置かれている社会的位置づけや経営基盤を踏まえ,ニュースを含むコンテンツ制作にどのような影響を及ぼしているのかという構造的な分析はもとより,実際の制作現場で発生する締切時間のプレッシャーや大量のスタッフが共同作業を行う環境で起こる摩擦がどのようなインパクトをもたらすのかという現実的な理解を進めなければ,メディアに対し効果的な改善を要求するのは不可能だからである。
しかし,我が国ではメディア企業といえども終身雇用制の伝統は根強く残っていて人材の流動性は低く,メディアを客観的に分析する役割は,主に新聞社で実績を積んだベテラン記者が大学教授などに転身して担うのが大部分であり,その絶対数は充分とはいえないのが現状である。


史上初、ブラックホールの撮影に成功

2019年05月15日 16時28分11秒 | 投稿欄

地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る

2019年4月10日 |研究成果 国立天文台

イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。

イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。(Credit: EHT Collaboration) オリジナルサイズ(643KB)

イベント・ホライズン・テレスコープは、地球上の8つの電波望遠鏡を結合させた国際協力プロジェクトであり、ブラックホールの画像を撮影することを目標としています。2019年4月10日、研究チームは世界6か所で同時に行われた記者会見において、巨大ブラックホールとその影の存在を初めて画像で直接証明することに成功したことを発表しました。

この成果は、アメリカの天文学専門誌『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』特集号に6本の論文として掲載されました。今回撮影されたのは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87の中心に位置する巨大ブラックホールです[1]。このブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍にも及びます[2]

イベント・ホライズン・テレスコープは、世界中の電波望遠鏡をつなぎ合わせて、圧倒的な感度と解像度を持つ地球サイズの仮想的な望遠鏡を作り上げるプロジェクトです[3]。イベント・ホライズン・テレスコープは長年にわたる国際協力の結果であり、アインシュタインの一般相対性理論で予言された宇宙のもっとも極限的な天体を探る新しい手段を研究者たちに提供します。なお今年は、一般相対性理論が歴史的な実験によって初めて実証されてから100年の節目の年に当たります[4]

「私たちは、ついにブラックホールの姿を初めてとらえました。200人以上の研究者がチーム一丸となって成し遂げた偉大な科学的業績といえるでしょう」と、イベント・ホライズン・テレスコープの代表を務めるシェパード・ドールマン氏(ハーバード・スミソニアン天体物理学センター)は語っています。

ブラックホールは、莫大な質量を持つにもかかわらず非常にコンパクトな、宇宙でも特異な天体です。ブラックホールがあることで、その周辺の時空間がゆがみ、周囲の物質は激しく加熱されます。

「もしブラックホールのまわりに輝くガスのような明るいものがあれば、ブラックホールは『影』のように暗く見えるはずです。これはアインシュタインの一般相対性理論から導き出せることですが、私たちはこれまでそれを直接見たことはありませんでした。」と、オランダ・ラドバウド大学のハイノー・ファルケ氏はコメントしています。「ブラックホールの重力によって光が曲げられたり捕まえられたりすることで、ブラックホールシャドウが生まれます。それを調べれば、ブラックホールという魅力的な天体の性質についていろいろなことがわかりますし、ブラックホールの質量を測定することもできます。」

(上)ブラックホールの周囲の光の軌跡の模式図。光がある距離以上にブラックホールに近づくと、光はブラックホールの重力にとらえられ、ブラックホールを周回しながらやがてブラックホールに吸い込まれてしまいます。その距離よりも遠い位置を通過する光は、進行方向が曲げられるため、本来は地球に届かない光も地球に届くようになります。(下)地球に向かってくる光の経路を斜めから見た図。内側のある一定範囲では光がやってこないことがわかります。これが、ブラックホールシャドウです。(上)ブラックホールの周囲の光の軌跡の模式図。光がある距離以上にブラックホールに近づくと、光はブラックホールの重力にとらえられ、ブラックホールを周回しながらやがてブラックホールに吸い込まれてしまいます。その距離よりも遠い位置を通過する光は、進行方向が曲げられるため、本来は地球に届かない光も地球に届くようになります。(下)地球に向かってくる光の経路を斜めから見た図。内側のある一定範囲では光がやってこないことがわかります。これが、ブラックホールシャドウです。(Credit: Nicolle R. Fuller/NSF)オリジナルサイズ(1.6MB)

複数のデータ較正や画像化手法を用いることによって、明るいリングの中に暗い部分が写し出されました。これこそが、ブラックホールシャドウです。イベント・ホライズン・テレスコープで繰り返し観測を行っても、このシャドウの存在は揺らぎませんでした。

「ブラックホールシャドウを写し出せたと確信した後、私たちはシミュレーション結果とこの画像を比較しました。シミュレーションには、ブラックホールのまわりのゆがんだ時空や超高温になったガス、磁場などさまざまな効果を取り入れています。観測で得られた画像は、理論的予測と驚くほどよく一致していました。これによって、ブラックホール質量推定や私たちが写し出した画像そのものの意味についても、確信を持つことができました。」と、東アジア天文台長であるポール・ホー氏は語っています[5]

イベント・ホライズン・テレスコープを実現するためには、既存の8つの望遠鏡をアップグレードして結合する必要があり、これ自体が挑戦でした。望遠鏡はハワイやメキシコの火山、アリゾナやスペイン・シエラネバダ山脈の山々、チリのアタカマ砂漠、そして南極に設置されています。それぞれ観測条件は良い場所ですが、人間にとっては厳しい環境です。

イベント・ホライズン・テレスコープは、超長基線電波干渉計(Very Long Baseline Interferometry: VLBI)という仕組みを用いています。世界中に散らばる望遠鏡を同期させ、地球の自転を利用することで、地球サイズの望遠鏡を構成します。今回イベント・ホライズン・テレスコープが観測したのは、波長1.3mmの電波でした。VLBIにより、イベント・ホライズン・テレスコープは解像度20マイクロ秒角という極めて高い解像度を実現できました。これは、人間の視力300万に相当し、月面に置いたゴルフボールが見えるほどです。

今回観測に使用された望遠鏡は、APEX(チリ)、アルマ望遠鏡(チリ)、IRAM30m望遠鏡(スペイン)、ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡(米国ハワイ)、アルフォンソ・セラノ大型ミリ波望遠鏡(メキシコ)、サブミリ波干渉計(米国ハワイ)、サブミリ波望遠鏡(米国アリゾナ)、南極点望遠鏡(南極)です[6][7]。得られた生データの合計は数ペタバイトにもなり、これらはドイツのマックスプランク電波天文学研究所とアメリカのマサチューセッツ工科大学ヘイスタック観測所に設置された専用のスーパーコンピュータで処理されました。

2017年4月に行われたイベント・ホライズン・テレスコープの観測に参加した望遠鏡の配置。

2017年4月に行われたイベント・ホライズン・テレスコープの観測に参加した望遠鏡の配置。(Credit: NRAO/AUI/NSF) オリジナルサイズ(2.3MB)

イベント・ホライズン・テレスコープの建設と今日発表された観測成果は、何十年にもわたる観測的・技術的・理論的取り組みの賜物です。さらに、世界中から集まった研究者たちの緊密な連携の結果でもあります。イベント・ホライズン・テレスコープを実現するために13のパートナー機関が力を合わせ、既存の観測装置を活用するとともにさまざまな機関からの支援も受けて活動してきました。主要な資金援助は、アメリカ国立科学財団と欧州連合の欧州研究会議、そして東アジア地域の資金配分機関からのものです。

日本の研究者も、さまざまな面でこの研究に貢献しました。まず、日本と台湾・韓国、北米、欧州が共同で運用するアルマ望遠鏡は、観測に参加した望遠鏡の中でもっとも感度が高く、イベント・ホライズン・テレスコープ全体の感度の向上に大きな貢献をしました。また、アルマ望遠鏡をイベント・ホライズン・テレスコープの一員とするために、山頂のアンテナ群から山麓施設にデータを伝送する装置は国立天文台が開発しました。

アルマ望遠鏡ディレクターのショーン・ドウアティ氏は「アルマ望遠鏡は、ミリ波を観測できる望遠鏡としては世界最大であり、今回のプロジェクトで非常に重要な位置を占めています。アルマ望遠鏡の感度が高いことで、他の望遠鏡のデータと結合させる際の高い精度を保証することができ、今回の素晴らしい成果につながったのです。」とコメントしています。

さらに、日本はアジアのパートナーと共に東アジア天文台を設立しており、東アジア天文台がハワイのジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡の運用を担っています。

「日本の研究者は、ソフトウェアや研究においても貢献をしています。私たちは、『スパース・モデリング』と呼ばれる新しい手法をデータ処理に取り入れました。これにより、限られたデータから信頼性の高い画像を得ることができました。最終的には、4つの独立した内部チームが3つの手法でデータの画像化を行い、いずれもブラックホールシャドウが現れることを確認しました。」と、イベント・ホライズン・テレスコープ日本チームの代表である本間希樹 国立天文台教授・水沢VLBI観測所長は語ります。研究チームの一員で、2019年3月まで国立天文台に在籍し現在はマサチューセッツ工科大学ヘイスタック観測所に移った森山小太郎研究員は「さらに私たちは、具体的な方法を変えながらおよそ5万通りもの画像化を行い、得られたブラックホールシャドウの画像の特徴が本当に信頼できるものであるかを入念に確かめました。」と語っています。

同じく研究チームの一員である田崎文得 国立天文台水沢VLBI観測所特任研究員は、「日本独自の手法でデータを解析し、ブラックホールシャドウの画像化に成功した時は、本当に興奮しました。さらに画像化の成功を世界中の仲間と共有できたことは、これまでで最も幸せな瞬間の一つです。」とその喜びを語っています。

また、台湾中央研究院天文及天文物理研究所の小山翔子 博士研究員は「画像化の前段階でも、独立に開発された3つの手法で解析を行い、解析結果が十分に一致することを検証しました。こうした途中経過にスポットライトが当たることはあまりありませんが、研究の一ステップごとにチームメンバーが緻密な努力を積み重ねてきたことが、今回の成果につながったのだと思います。」と語っています。

ドールマン氏は、「私たちは、一世代前ならまったく不可能であったことを成し遂げたのです。技術的なブレイクスルー、世界中の最高の望遠鏡たちをつなぐこと、革新的なデータ処理アルゴリズムなど、すべてがあわさって初めてブラックホールと事象の地平面に対するまったく新しい窓を開くことができたのです。」と結論しています。

脚注

[1] ブラックホールは、光さえも抜け出すことができない完全に真っ暗な天体です。ブラックホールシャドウは、そのブラックホールにもっとも近くまで視覚的に迫れる理論的な限界といえます。ブラックホールの表面は「事象の地平面(Event Horizon)」と呼ばれ、シャドウより2.5倍小さいサイズになります。M87の中心にある巨大ブラックホールの場合、事象の地平面の大きさはおよそ400億kmになります。

[2] 巨大ブラックホールは、その名に反して非常にコンパクトな天体です。そのため、これまで直接観測することは不可能でした。ブラックホールのサイズはその質量に比例し、ブラックホールの質量が大きいほどシャドウも大きくなります。M87の中心にある巨大ブラックホールは非常に大質量でありながら宇宙全体から見れば地球に近い場所にあるため、地球からの見かけの大きさが最も大きなブラックホールになります。このため、イベント・ホライズン・テレスコープの絶好の観測対象でした。

[3] イベント・ホライズン・テレスコープを構成する各望遠鏡は、物理的に直接つながっているわけではありませんが、非常に精密な原子時計によってデータが正確に同期されています。今回の観測は2017年4月に行われ、波長1.3mmの電波が観測されました。イベント・ホライズン・テレスコープの各望遠鏡は1日350テラバイトという膨大なデータを生み出し、ヘリウムガスが充填された高性能なハードディスクに蓄積されました。これらのデータは、マックスプランク電波天文学研究所とマサチューセッツ工科大学ヘイスタック観測所にある専用の高性能スーパーコンピュータ(相関器)に運ばれ、処理されました。処理されたデータをもとに、研究者たちは苦心して自分たちで作ったソフトウェアを使って画像化を行いました。

[4] 今からちょうど100年前の1919年、アフリカ沿岸のプリンシペ島とブラジルのソブラルで、皆既日食観測が行われました。この観測は、アインシュタインの一般相対性理論で予言される、太陽の重力による星の光の曲がりをとらえることを目的としていました。この時の観測と呼応するように、イベント・ホライズン・テレスコープの観測では研究者たちが世界各地の電波観測施設に散って観測を行い、重力に対する私たちの理解をふたたび検証しました。

[5] 東アジア天文台(East Asian Observatory: EAO)は、イベント・ホライズン・テレスコープのパートナー機関であり、中国、日本、韓国、台湾、ベトナム、タイ、マレーシア、インド、インドネシアの協力で運用されています。

[6] イベント・ホライズン・テレスコープでは、今後フランスのIRAM NOEMA観測所、グリーンランド望遠鏡、キットピーク望遠鏡の参加により、感度がさらに向上する予定です。

[7] アルマ望遠鏡は、欧州南天天文台、アメリカ国立科学財団、日本の自然科学研究機構が、カナダ国立研究機関、台湾科学技術省、中央研究院天文及天文物理学研究所、韓国天文宇宙科学研究院とチリ共和国の協力で運用しています。APEXは欧州南天天文台が運用しています。IRAM 30m望遠鏡は、ドイツ・マックスプランク協会とフランス国立科学研究センター、スペイン国立地理研究所が共同で運用しています。ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡は東アジア天文台が運用しています。アルフォンソ・セラノ大型ミリ波望遠鏡はメキシコINAOEとマサチューセッツ大学が運用しています。サブミリ波干渉計は、スミソニアン天文台と台湾中央研究院天文及天文物理学研究所が共同で運用しています。サブミリ波望遠鏡は、アリゾナ電波天文台が運用しています。南極点望遠鏡はシカゴ大学が運用しており、イベント・ホライズン・テレスコープのための装置はアリゾナ大学から提供されました。
M87は北天にあるため南極点望遠鏡から観測することはできませんが、データを較正するための参照天体の観測に参加しました。

この研究成果は、以下の6本の論文として、米国の天文学専門誌『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』特別号に2019年4月10日付で掲載されました。