寅さんの自分さがしの旅日記

人生は気ままに自分らしく生きるための自分探しの旅

熊本地震支援

2016-09-24 06:31:36 | 私事
平成28年5月中旬、熊本県南阿蘇村へ震災の支援に行く。

1日目 岡山-大分 (JR)
2日目 大分-南阿蘇村 (貸切バス)
3日目 南阿蘇村
4日目 南阿蘇村-大分 (貸切バス)
5日目 大分-岡山 (JR)

5年前に行った岩手県大船渡市では主に車の運転と保健師さんのサポートであったが、
今回は避難所の給食当番が仕事である。
一日のうち忙しいのは配膳前と配膳中の短い時間だが、拘束時間は6:00~21:00と長い


避難所の南阿蘇中学校


配膳手順  ひと月ほど前感染症が出たため、衛生面には厳しい。


自衛隊設置の風呂
温泉水らしく被災者やボランティアは無料で入れる。とても気持ちいい


就寝スペース
体育館のバスケットゴール上の観覧スペース。狭くて眠りにくい


土石流により被災したペンション


崩落した阿蘇大橋  左端の橋台から右端の道路に橋があった


南阿蘇村役場から阿蘇山を望む

十数年前の夏休み、家族で熊本・大分を旅した時、阿蘇やカドリードミニオンに行きとても楽しかった
一日でも早く復興し、皆さんのはじけるような笑顔を見たいものである



東日本大震災復興支援

2011-05-21 18:47:34 | 私事
5月初~中旬、東日本大震災の復興支援のため岩手県大船渡市へ行ってきました。

1日目 岡山ー大阪ー伊丹ー花巻ー遠野
2日目~6日目 遠野7:00ー8:20大船渡18:00ー19:00遠野
7日目 遠野ー花巻ー伊丹ー大阪ー岡山

復興支援と言っても、私の仕事は避難所にいる方々の健康相談や血圧測定等をする保健師さん達のサポートで、主には車の運転、連絡調整、あとは雑用でした。

大船渡市では保健所を拠点に2箇所の避難所を回り17:00から市役所で大船渡市・県保健所・他県チーム・医療チーム・心のケアチーム等の合同ミーティングの後、遠野市の宿泊所へ帰るという日々でありました。

    大船渡中心部1

私から避難者に声を掛けることはしませんでしたが、手の空いているときは、話をしている保健師さんの横で、そのやりとりを聴きながら、相槌を打ったりしていました。

被災しているにもかかわらず、みなさん明るく接してくれました。

ある日、大船渡中学校の避難所にいるおばちゃんと話をしている中で、家の前にチリ地震の津波到達点のプレートが道路に埋め込まれている事を知り「隣の家の人が片付けに来ているかもしれないから行ってみる」と言うので、散歩に同行させてもらいました。家まで5~10分と聞いていましたが、下りにも関わらず20分くらいかかりました。行く道中、小学校では1階までが浸かり、体育館にあった毛布等の非常用の物資が駄目になったとか、この家の2階で2人が死んだなどと色々と説明してくれました。
この方は娘と二人、高齢の母親を両側から支え、隣の家の屋上に上がる踊り場まで逃げてやっと難を逃れたそうです。
その後津波が退いた時、高台にある八坂神社まで行ったそうです。

この写真はその八坂神社から撮ったものですが、早く避難した人はここから家や車が流されていくのを為す術もなく、ただ呆然と眺めているしかなかったようです。

神社から上りばかりの道を30分近くかけて、中学校まで帰りました。山歩きになれた私でも暑くて少々きつかったのに、おばちゃんは平然としていて、帰るなり支援物資のTシャツを物色していました。
この明るくてホジィティブなおばちゃんには、私の方が元気をもらいました。

     中心部2

    三陸鉄道線路 この数百メートル先に大船渡駅があった

    家の上に家が

    道路に埋め込まれたチリ地震津波襲来地点プレート

    大船渡地区公民館に張ってあるしらせ乗組員からのエール
乗組員に大船渡出身者がいるそうだ

    仮設住宅

大船渡中学校(体育館)の避難所も5月末までに閉鎖されて、中学校に引き渡されるそうで、運動場には仮設住宅が建ち並んでいる。
しかし、全員が入れる程の戸数は無く、また、入居には優先順位があるようで、入居できない人は他の避難所に移ることになるようだ。

仮設住宅に入居できればプライバシーが保たれ、より健康的・衛生的な人間らしい生活がおくれると思うが、一方、孤独死(阪神大震災では4年で250人弱)等、今までになかったメンタル面での問題が浮上してくる。

すべての仮設住宅に診療所を設置するらしいが、これから後もみんなが元の生活に戻れるまで、継続した支援が行なわれなければならないと思う。






30年ぶり8回目の・・・。

2011-02-11 17:37:50 | 私事
節分の日の夜頃からお腹に膨満感あり、次の日の夜には腹痛と吐き気がして
土曜日の朝、近くのへ行ったら、腹部のレントゲンとCTを撮られ、
結局「腸閉塞か、その疑いがあるので入院した方がよい」と言われた。

3週間ほど前にも似たような症状があって胃腸薬を飲んで、食事に気をつけ
自力で治したものの治癒には10日ほどかかった。
そんなこともあり、ちょっと抵抗してみたもののあきらめて入院した。

入院して3日は絶食で1日中点滴を打たれ、水の1滴も飲めなかった。

土曜の朝に半玉だけうどんを食べてから75時間後やっと水分を取ってよい
とのお許しがでたので、早速点滴のぶら下がったポールをごろごろ引きずり
ながらエレベーターに乗り、売店へ缶コーヒーとポカリを買いに行った。
缶コーヒーを飲んだ後、「ひー」と歓呼した。

それから1日後、やっと食事が出るようになった。といっても味のない五分粥と味の薄い温野菜、
とりのささみを細かく刻んだものなど離乳食のような献立だったが、すごく美味しかった。

しかし、部屋は2人部屋で隣りに寝ているじいさんが時々「おーい」とか
「せんせい」などと叫んだりする事や昼間体を動かさないこともあって
夜はほとんど眠れず、また、寝てばかりいるせいか腰は痛くなり、
ストレスも絶頂に達した次の日、昼から主治医が来て「小腸の
ガスも下に下りていて、だいぶん良い」と言うので恐る恐る退院しても
よいかと聞くと良いと言うので、気の変わらぬうちに女房に電話して迎えに来てもらい退院した。

とは言え、退院して2日経った今もまだ腹の具合はまだまだで消化の良いものを摂っているものの
下痢気味なのである。

また、来週の火曜日には大腸がんの精密検査(内視鏡検査)を受けに行く
ことになっているのだ。

まだまだ完全復調にはほど遠いわたくしではありますが、
ただひとつだけ良かったことは体重が2.4㎏減ったことでした。