寅さんの自分さがしの旅日記

人生は気ままに自分らしく生きるための自分探しの旅

東日本大震災復興支援

2011-05-21 18:47:34 | 私事
5月初~中旬、東日本大震災の復興支援のため岩手県大船渡市へ行ってきました。

1日目 岡山ー大阪ー伊丹ー花巻ー遠野
2日目~6日目 遠野7:00ー8:20大船渡18:00ー19:00遠野
7日目 遠野ー花巻ー伊丹ー大阪ー岡山

復興支援と言っても、私の仕事は避難所にいる方々の健康相談や血圧測定等をする保健師さん達のサポートで、主には車の運転、連絡調整、あとは雑用でした。

大船渡市では保健所を拠点に2箇所の避難所を回り17:00から市役所で大船渡市・県保健所・他県チーム・医療チーム・心のケアチーム等の合同ミーティングの後、遠野市の宿泊所へ帰るという日々でありました。

    大船渡中心部1

私から避難者に声を掛けることはしませんでしたが、手の空いているときは、話をしている保健師さんの横で、そのやりとりを聴きながら、相槌を打ったりしていました。

被災しているにもかかわらず、みなさん明るく接してくれました。

ある日、大船渡中学校の避難所にいるおばちゃんと話をしている中で、家の前にチリ地震の津波到達点のプレートが道路に埋め込まれている事を知り「隣の家の人が片付けに来ているかもしれないから行ってみる」と言うので、散歩に同行させてもらいました。家まで5~10分と聞いていましたが、下りにも関わらず20分くらいかかりました。行く道中、小学校では1階までが浸かり、体育館にあった毛布等の非常用の物資が駄目になったとか、この家の2階で2人が死んだなどと色々と説明してくれました。
この方は娘と二人、高齢の母親を両側から支え、隣の家の屋上に上がる踊り場まで逃げてやっと難を逃れたそうです。
その後津波が退いた時、高台にある八坂神社まで行ったそうです。

この写真はその八坂神社から撮ったものですが、早く避難した人はここから家や車が流されていくのを為す術もなく、ただ呆然と眺めているしかなかったようです。

神社から上りばかりの道を30分近くかけて、中学校まで帰りました。山歩きになれた私でも暑くて少々きつかったのに、おばちゃんは平然としていて、帰るなり支援物資のTシャツを物色していました。
この明るくてホジィティブなおばちゃんには、私の方が元気をもらいました。

     中心部2

    三陸鉄道線路 この数百メートル先に大船渡駅があった

    家の上に家が

    道路に埋め込まれたチリ地震津波襲来地点プレート

    大船渡地区公民館に張ってあるしらせ乗組員からのエール
乗組員に大船渡出身者がいるそうだ

    仮設住宅

大船渡中学校(体育館)の避難所も5月末までに閉鎖されて、中学校に引き渡されるそうで、運動場には仮設住宅が建ち並んでいる。
しかし、全員が入れる程の戸数は無く、また、入居には優先順位があるようで、入居できない人は他の避難所に移ることになるようだ。

仮設住宅に入居できればプライバシーが保たれ、より健康的・衛生的な人間らしい生活がおくれると思うが、一方、孤独死(阪神大震災では4年で250人弱)等、今までになかったメンタル面での問題が浮上してくる。

すべての仮設住宅に診療所を設置するらしいが、これから後もみんなが元の生活に戻れるまで、継続した支援が行なわれなければならないと思う。