情けない大人ばかりが増えてきた
日本という国、やはり大丈夫でしょうか。
昨今記事や世間で取だたされている大津の中学生の事件。 はっきり言って自殺か他殺かも私にはわかりません。
でも、一番大事なことは、亡くなった生徒の気持ち、命が終焉を迎える瞬間何を考えただろう?何を慮ったのだろうに考えを至るに
哀しさと果てしない虚しさを禁じ得ません。
いじめはなくならない、どこにでもある。 そうだとも思います。
でも、どこかの線でそれらを撲滅させる手立てがあるはずです。
御本人、ご遺族の本意ではないかもしれませんが、この事件をキッカケに国民全てがその問題に真摯且つ厳正な心持で向き合い、是非一気に撲滅へと社会が動くようになってほしいです。
人間個人の評価は他人が後世に於いてするものですが(先のブログ参照)、人間の価値は自分が決めるものだと思う。
決めるというより、生きてきて行ったこと。言ってきたこと、つまり人生での言動が即ちそのまま自身の価値を決めるのだと思います。
わかりやすく1例をとると、
人間は正しく在るべきだという性善説を私はとります。 つまり自分は正しく(公正)に生きていきたいと人は思うものです。
長い人生、過ちはあります。 気付かないこともあります。 しかし、その為に悔いというものがあり過ちを正すというチャンスが与えられます。
不正をする人が居るとします。 何の為に不正をしたか? 個人の利益の為、組織の為、会社や上位にある個人の立場の為、それらをすることによって家族を守る為。。。
実は大きな妄想に囚われています。 何も会社や組織の為に自分を偽らなくても自身や家族は守れるのです。
しかし、視野が狭く囚われていると、そこでの自分が世界の全てと勘違いし不正や犯罪に手を染めていく。
その反面、その行為によって損害・迷惑・絶望を蒙る善意の第三者がいることさえも把握できない状態になる。
長くその十字架を背負って生きていき、死ぬ間際になって自分の人生を回顧した時、果たして良い人生だったと思えるでしょうか。
この瞬間が人間の価値を最終的に確認する時なのです。 その時点で地位があっても、良い家族に囲まれていても、お金があっても、知己が多くても・・・ 過去に不正をし悪意の嘘をつき通していればその人生は失敗なのです。 間違いがあればそれを正す勇気さえあれば人生は取り戻せます。 そしてその正すことは最期の瞬間ではなく、間違いに気付いた時点しかありません。
名を残さなくても良い、目立たなくてもよい。社会に見えた功績を持たなくてもよい。 その人が納得して人生を終え、その子孫達がその人生を迷いなく誇れることこそが個人の大いなる価値というものです。
大津の関係者、市長、市教育委員会の人達、学校長はじめ学校関係者の人達、市警県警の人達、保護者達、加害児童とその保護者、
そして生徒達。
また、今ある全ての教育現場と子供達。
わかりますか? 人間の尊厳と価値の意味を今一度自身の問いかけてみてください。
特に、市教育委員会と当該学校関係者。 世間でとてつもなく情けない存在に映っていること、今真実を露わにすることの重要さに早く気付き正していく勇気をお持ちなさい。