カキぴー

春が来た

アルコール・ストーブと電気コンロ

2010年02月14日 | 食・レシピ

ラヴィックは自分の部屋に帰って、包みを解いた。もう何年も使わなかったアルコール・ストーヴをさがして、見つけ出した。またほかの場所を探して、固形アルコールの包みと小さな鍋を見つけた。彼はその燃料を二個とって、鍋の下に入れ、それに火をつけた。小さな青い炎がちらちら揺れた。

バターを一塊り鍋の中に投げ込み、卵を二つ割って、かき混ぜた。それから、新しい歯切れのよい白パンを切り、新聞紙を二、三枚重ねて下敷きにして、鍋をテーブルの上に置き、ブリーをあけ、ヴーヴレーの壜を一本とってきて、食事を始めた。

こういうことは、もう長いことしなかった。明日は固形アルコールの包みを、もっと買ってこようと思った。アルコール・ストーブは、楽に収容所に持ち込むことができる。折りたたみになっているからだ。 ラヴィックはゆっくり食べた。ボン・レヴェックも味わってみた。 ジャンノーの言うとうり、上等の食事だ。

これは元ドイツ人作家、エリッヒ・マリア・レマルクの 「凱旋門」の一場面。 パリへ亡命中のドイツ人外科医ラヴィックは、かってベルリンの有名な病院の、40歳を超えた名外科部長。 名を隠して手伝う友人の病院で、交通事故にあった少年ジャンノーの片足を切断する。 保険金を受け取った少年は、母親と念願だった牛乳店を開き、ある日世話になったラヴィックを訪ねる。 そのときの手土産が、 店で扱うパン、バター、チーズ、卵、の包み。 ラヴィックは、少年が帰った後アパートの部屋で、久しぶりに一人だけの夕食を、ゆっくり味わう。

フランスでは、パンとチーズとワインがあれば、立派な食事になる。 さらにラヴィックの食卓には卵とバターが加わる。 そしてここの主役は、ヴーヴレの白ワインではなく、アルコール・ストーブ。 時は第二次世界大戦勃発前、恐怖と絶望の中にあって、つかの間の豊かな食事。 この後ラヴィックは、避難民と一緒に警察のトラックに乗せられ、パリを去る。 あんまり暗くて凱旋門さえ見えない。

スイッチを入れると、ニクロム線が赤くなる電気コンロ。 これでスルメを焼き、一升瓶からの酒を、茶碗で飲んだり、 七輪で焼いた秋刀魚を、白ワインのサンセールで食した頃を、懐かしく思い出す。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿