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春が来た

「パール・バック:大地」と、或る日本女性の生き方

2011年02月15日 | 小説
1945年、満州から引き揚げの混乱の中で兄は死亡、母親のお腹の中にいたのが「私」。 それから弟と妹が生まれたが、父親は家を売り払って愛人と家出、母親は日雇いをしながら三人の子を育て上げる。 そんな逆境の中で母の読んでいた本が 「パール・S・バック」の「大地」。 「私」とは、日本中に学ぶことの意味を問いかけた山田洋二監督の映画 「学校」で、西田敏行演じる主人公のモデルで、元夜間中学の教師 松崎運之助氏。 この話は先日のNHK深夜番組で聴いた。 

実は僕が倒産直後に読み返した何冊かの本の1冊がこの「大地」。 初めてこの本を読んだのは中学生の頃、戦死した父の蔵書の中に1部から3部までの3冊が残されており、一気に読み終えたのを覚えている。 「大地」は清朝末期から中華民国成立までの時代を背景に、父子三代わたる王一族の変遷をたどる家族物語で、アメリカの女性作家 パール・サイデンストリッカー・バック(1982~1973)が1931年に発表した長編小説。 出版と同時にベストセラーとなり,翌年ピュ-リッツア賞を受賞、さらにその続編3部作を含め、1938年ノーベル文学賞を受賞する。

王家の初代で貧農の農夫「王龍」(ワンルン)は、妻として地主の奴隷「阿藍」(オーラン)を娶る。 彼女は寡黙であったが勤勉で忍耐強い。 出産近くなると一人で部屋に篭もり、陣痛が始まると天井から垂れ下がったロープにしがみ付きながら子を産み落とし、あと始末をしてから生まれた子を抱いて出てくる。 松崎氏の母は疲れて帰った床の中、黙々と生きる阿藍のたくましさに自分をダブらせながら、この本を読んでいたのかもしれない。

パールバックは生後3ヶ月で宣教師の両親と中国に渡り、17歳でアメリカの大学に入学するまで中国で育った。 大学卒業後は再び中国に戻り、農業経済学者のジョン・R・バックと結婚、宣教師をしながら南京大学で英文学の講師を務める。 彼女が小説を書き始めたのには理由がある、一人娘のキャロル(1920~1992)が尿毒症による知的障害者で、米国の特殊施設に入れるため多額の費用が必要だったため。

1950年娘の生い立ちを書いたノンフィクション 「母よ嘆くなかれ」の発表は、勇気ある告白書として世界中に驚きと感動を与え、同じような障害児の娘を持つケネディー大統領の母 ローズや、ドゴール大統領夫人なども涙し、励ましの言葉を贈った。 松崎氏の母は「大地」の他に マーガレットミッチェルの「風とともに去りぬ」などを愛読していたが、なぜか日本の小説は読まず、たまに行く映画もけっして洋画しか観なかったという。 「自らの意思で強く生きる外国女性に憧れたのでしょう」 と氏は言うが、戦後メディアを通じて大量に押し寄せた欧米の新鮮な異文化、それに強く感化を受けた我々の年代と共通するものが、母親の生き方に大きな影響を与えたように思えてならない。














 


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