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カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

足の爪

2009年02月21日 | 日記 ・ 雑文
足の爪を切りながら、ふっと亡き母親のことを思い出した。子どもの頃、母が足の爪を切るのを見たことがある。その姿を鮮明に思い出したのだ。
母の爪は決して綺麗ではなかった。ひどく歪んでいた。ゆえに強烈な印象として残っていたのだろう。

坂村真民の詩に「尊いのは 頭ではなく 手ではなく 足の裏である」という有名な一文があるが、「ひょっとすると、足の爪にもその人の人生が象徴されているのではないか?」と思った。

あの時の母と現在の私は、ちょうど同じくらいの年齢だろう。自分の足の爪をまじまじと見てみた。母のと比べたらずいぶんと整っているような気がした。
「私はまだまだ半人前の人間なのだろうか? 人生における苦労が足りないのだろうか?」と、そんな気になった。
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初雪

2009年01月02日 | 日記 ・ 雑文
年末年始は妻の実家、福島県喜多方市で過ごした。数日前から悪天候が続いていたらしく、実家の周辺は一面雪景色だった。庭、畑、田んぼなど、道路以外が全面うっすらと積もっていた程度だが、東京生まれ東京育ちの息子(4歳)を歓喜・興奮させるにはそれで十分だった。

まずは親子3人で庭に1メートルくらいの高さの雪だるまを制作。が、雪だるまは息子の好みではなかったらしく(?)、早々に頭の部分があっけなく壊されてしまった(苦笑)。
次いで破壊された雪だるまをベースに1.5メートルくらいの長さの滑り台を作り上げた。こちらは気に入ったようで、クルクル回転しながらアクロバチックな滑りを何度も繰り返し披露した。
それに飽きると近くの空き地に連れて行かれた。走り回りながら、真っ白な新雪の上に自分の足跡を付ける行為に夢中の様子だった。時折りダイビングしながら、全身雪まみれになって遊んだ。
帰宅して玄関で長靴を脱がせると中から雪の塊がどっさり。「さぞかし冷たかっただろうなあ」と想像するが、そんなことはまったく意に介さないらしい。

元旦の午後はクルマで近くの温泉施設へ。息子は母親と一緒に女風呂に入ったのでその様子は見ていないが、聞いた話によると、露天風呂の外側に積もっていた雪の上を素っ裸で歩き回ったらしい。それを湯船から見ていたおばちゃんが、「あらあら。寒そうね」とつぶやいていたとのこと。
雪山で夢中に遊んでいた息子だったが、しばらくして「おしっこ~!」と騒ぎ出したので、ほとんど温まることなくトイレに駆け込み、そのまま上がってきたという話だった。

息子にとっては「雪とたくさん遊ぶことができた」のは貴重な体験だったろうし、楽しい正月を過ごすことができたに違いない。例年と異なり、喜多方で年末年始を過ごすことができて本当に良かったと思う。
ただ、大人の私にとっては“雪国の冬”は厳しいものだった。帰路、会津若松駅のホームで電車を待つ間、ビュウビュウと吹きつける吹雪の冷たさは骨身にこたえた。
東京駅に到着し、ホームで中央線を待っていた間も強い風が吹きつけたが、風の温度がまったく違う。雪国の強風は、まるで肌を突き刺すような感触だった。「冬の間、比較的暖かいところで暮らすことができるのって、幸せなことなんだなあ!」と、東京駅で電車を待つ間、しみじみと思ったのだった。
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「10年かかる説」について

2008年12月22日 | 日記 ・ 雑文
私が師事した故・友田不二男先生は、「一人前のカウンセラーになるためには、どんな人でも最低10年はかかる」という主旨の発言をよく口にしていた。
この発言が出てくる根拠の中には、きっと“友田先生自身の経験”も含まれているのだろうが、そんなことなど知らない私は最初にこれを耳にしたとき、「へぇ~、カウンセラーになるのってそんなに大変なんだあ」と思ったものだった。
それからしばらくして、少しずつ“カウンセリングの世界”の奥深さがわかってくると、「そんなもんかなあ。まあ、そうなんだろうなあ」という印象に変わった。
それが最近になり、ようやく「なるほどなあ! 本当に友田先生の言う通りだなあ!」と実感できるようになった。私は私なりにこの発言、すなわち“10年かかる説(仮説)”の意味を理解し、納得できるまでに成長したので、今後は私自身が私自身の言葉で“この説”を世の人々に伝えていこう……という思いに至った。そんな気持ちで今、パソコン画面に向き合っているわけである。

この問題を論じる前に、まずは“言葉の定義や意味づけ”をはっきりさせておいたほうが良いだろう。
「一人前」という言葉を私は「プロフェッショナル」という言葉に置き換えている。つまり「一人前=プロ」という意味だ。ということはすなわち、「一人前=カウンセラーの資格を得ている」という意味ではないことにもなる。
ま、カウンセリングの世界にあまり通じていない人々にとっては、「プロフェッショナル」と「有資格者」との違いがよくわからないだろうと想像するが、事実として両者の間には歴然とした格差が存在するのだから、「違うものは違う」と言うより他ない。
プロフェッショナルとは「カウンセラーとして、クライエントの役に立つことができる人である」という意味だが、有資格者とは「講座に通いながら勉強し、資格試験をパスした人である」という意味になる。
このように表現すれば、両者の違いが少しはイメージできるだろうか?

私自身が歩んできたこれまで道のりを簡単に記すと、「カウンセリングと出会った」のは今から約12年前、平成8年の秋だった。それからの数年間は“カウンセリング一色”とでも表現したいような日々を過ごした気がしている。最も勉強熱心だった時期には、毎週3日間講座に通いながら、毎月1回くらい土日合宿講座に参加していた。
カウンセリングと出会ってから約4年後、「最初のクライエントととのカウンセリング経験」があった。ロールプレイやミニカウンセリングではなく、「本物のクライエントとの実際の臨床場面に臨んだ」のはこの時期だった。
翌年、カウンセリングルームを開業。現在も同じだが、「自宅の一室を面接室として使用し始めた」というだけのことだが。
その翌年、カウンセラーの資格を取得。ということは私の場合、開業したときは無資格だったのである。断っておくが、これは“違法行為”には当たらない。なぜなら、“医師”や“弁護士”などと異なり、日本では“カウンセラー”は国家資格ではないからだ。この点に関しては制度として問題がないわけではないのだろうが、事実としてカール・ロジャーズも友田不二男も「カウンセラーの資格は保有していなかった」、つまり「無資格者だった」ということを付言しておこう。
平成17年、日本カウンセリング・センターにて講座の世話人を担当。このあたりまで来て、ようやく私も(ルームに通ってくれたクライエントとは別に)世間から「カウンセラーとして認められてきた」ということになるだろうか?

このように振り返ってみると、「一人前のカウンセラーになるためには、どんな人でも最低10年はかかる」という言い方は、かなりの程度妥当ではないか? という気がする。
とはいえ、「10年という目安」が期間として長いか短いかは議論が分かれるところだろう。そこで、「他の専門分野では、一人前の専門家になるまでにどの程度の期間を要するのか?」を、ちょっとだけ見て比較してみよう。
例えば野球選手。プロ野球の選手というのは大半が小・中・高校と“野球漬け”の生活を送りながら、早い人の場合は高校卒業後にプロになる。それまでの期間を「約10年」と言って良さそうだ。
カウンセラーと比較的近い専門家に医師がある。医師の場合は大学・大学院で医学をみっちり学び、その後は研修医として研修を積むことが課せられている。こちらも「一人前の医師になるには約10年かかる」と言って良いだろう。
こうしてみると、「カウンセラーだけが特別に長い養成期間を必要とするわけではない」ことが理解できるだろう。どんな分野にせよ、いわゆる“専門家”というのは、半年や1年で育成できるようなものではないのだ。そんなことは「人間の世界にあり得ない!」と私は主張したい。

カウンセラーという仕事は、ある意味では医師と同じく「人の命を預かる仕事」である。そういう重大な責務を負っていることを考慮に入れると、「最低10年はかかる」という言葉がズシンと胸に響いてくる。
資格の有無に関わらず、私たちカウンセラーは常に研究・探求・学習を継続しながら、自己研鑽を積み重ねてゆくことを忘れてはならないだろう。そしてこのことを「他の誰よりも、私自身が肝に銘じておかなければなるまい!」と思う。
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人間尊重の心理学

2008年11月29日 | 日記 ・ 雑文
カール・ロジャーズの翻訳本に『人間尊重の心理学 わが人生と思想を語る』(畠瀬直子訳 創元社)という出版物があるが、これから書くのはその書評ではない。「人間尊重とは何か?」という、とてつもなく深遠なテーマに挑んでみよう! ……という思いに至ったわけである。

よく知られているように(かどうか、本当はわからないが)、カウンセリングには「人間の成長を目指すカウンセリング」と「問題解決を目指すカウンセリング」との2つが存在し、現時点において「両者は矛盾・対立している立場にある」と言えるだろう。ひょっとすると「両者の立場を統合しようとしている試み」が存在するのかもしれないが、現時点においてそれは成功に至っていない……と私は見ている。
いずれにせよ、現在世の中には“○○療法”とか“××カウンセリング”とか“△△セラピー”など種々様々な心理療法やカウンセリングが存在し、互いにしのぎを削っているわけだが、いずれの立場(もしくは方法)も「人間の成長を目指すカウンセリング」か、そうでなければ「問題解決を目指すカウンセリング」かの、どちらかに必ず属しているわけだ。

最初に断っておくが、私自身は「人間の成長を目指すカウンセリング」を実践し探求し続けているカウンセラーである。したがって私が述べることは、「一つの立場からの一方的な言い分である」と承知しておいてほしい。「別の立場からすれば、様々な反論があるだろう」と予想しているが、両者の議論は結局のところ「水掛け論にしかならないだろう」とも思っているので、ここで議論するつもりはない。

さて、最初にこの小稿における結論を述べておくが、「人間の成長を目指すカウンセリングと問題解決を目指すカウンセリングとは、絶対的に矛盾する。一人の人間(カウンセラー)が、両方の立場のアプローチ法を使いこなすのは不可能である!」となる。
どうして「不可能である!」とまで言い切れるのか? そのことの理解を“人間尊重”というキーワードでもって深めてゆきたいのである。

よく知られているように、ロジャーズは「カウンセリング関係(もしくは場面)が成立するための、カウンセラーの3つの態度条件」を次のように述べている。

1.受容(無条件の肯定的関心)を経験していること。
2.共感的理解(感情移入的理解)を経験しており、それを最低限クライエントに伝えていること。
3.自己一致(純粋性)の状態にあること。カウンセラーは「自己の経験のみ」を語る。つまり、カウンセラーの言動には嘘や偽りがないということ。

と。誤解のないように付言しておくが、「3つの条件をすべて同時に満たしているとき」に、はじめてカウンセリング関係が成立するのである。
よく見かけるのだが、「自己一致」の条件だけを取り上げて、「カウンセラーは言いたいことを言えばいい。感じたことを感じたまま言えばいい。やりたいことをやればいいのだ」と勘違いしている人がいるが、そんな程度のことならカウンセラーでなくても、誰だって行為できるのではないか? いや、日常生活における私たち人間は、(意識的にせよ無意識的にせよ)かなりの程度、そのように行為しているのではあるまいか? そんなものは「カウンセリングとは無関係である」と私は言いたい。
少し脱線したが、要するに上述の3条件は、カウンセラーはクライエントとの面談中においては、「受容を経験しており、かつ共感的理解を経験しており、しかもその経験を伝える言葉に嘘や偽りがまったくない(=口先だけで受容的・共感的な言葉を発しているわけではない)。そのような人物を“カウンセラー”と呼ぶ」という意味になる。
意味を理解したところで、読者の皆さんはどのように思っただろうか? 「私には無理だな」という言葉が浮かんだだろうか? 私の感想を率直に述べるなら、「人間業とはとても思えない。神様仏様レベルだ。(ロジャーズのいう)カウンセラーという存在は」となるのだが……。
もしも、この3条件を満たしている状態でカウンセラーがクライエントの前に存在しているとしたら、それは「人間尊重を現実化している姿である」と言ってよいだろう。あるいは“人間尊重”の代わりに“クライエント中心”とか“来談者中心”とかいう言葉を当てはめても同じだ。それらの言葉が意味・象徴している「何か」は、まったく同じ「何か」であろうから。

これらを理解したところで、「カウンセラーになるのを諦める」もしくは「断念する」のは簡単だ。だが、私はそうしない。「人間尊重の態度をカウンセラーに可能にさせる“何か”とは、いったい何なのだろうか?」と、さらに深く探求していきたいのである。
この問いに対する答えのひとつは、「カウンセラーが積んできたトレーニングと経験(臨床経験を含む)による」となるだろう。言い方を変えれば、「カウンセラーは、クライエントとのカウンセリング関係(もしくは場面)によって、育成されるものである」というわけだ。
そして答えのもうひとつは、「カウンセラーの人間観による」となるだろう。もちろん「カウンセラーの人間観は、クライエントとのカウンセリング経験によって育まれる」という側面もかなりあるので、“人間観”と“経験”とは密接に結びついているのであるが……。

さて、となると、(人間の成長を目指す立場の)カウンセラーが基本的に保持している人間観とは、いかなるものなのか? ということが大問題になってくる。以下に掲載するのは、それの一端が示されている記述だ。少し長くなるが引用させてもらう。

 『世のいわゆる「非指示的見地」には、四つの「基本的仮説」がある、といってよいでしょう。もちろん、それらは、研究と経験とを蓄積するにつれ、ある仮説はいよいよますます強調されるようになり、反対に、ある仮説は重要視されなくなる、というように変化してきておりますが、その点については後述することとし、ここではまず、そもそもの「四つの基本的仮説」を記述することにしておきましょう。
 まず第一は、「人間は誰でも、生長し発展し適応へと向かう資質を持っている」という考え方です。申すまでもなく、この仮説は、「人間は誰でも、生長し発展し適応へと向かっている」ということではありません。見方によれば、「生長し発展し適応へと向かう資質を持っている」にもかかわらず、実際には、その「資質」を充分に発現できず、あるいは機能させきれずにいる、それが現実の人間の大半である、と言えるのかもしれません。が、現実の人間がどのような姿であるかはともかくとして、あるいは、現にどのような姿であろうとも、そのような「資質を持っている」ことそのことには、すべての人間についてひとしく言えることである、というのがこの第一の仮説なのであります。
 この仮説は、わたくしどもの一般的な考え方や在り方に即して言えば、その意味を、次のような例で端的に示すことができるでしょう。すなわち
(1)医者が患者を治すのではない。患者は、患者自身の中に、病気やけがを治す力を持っているのであり、医者はただ、その力を頼りとして、その力が、できるだけ効果的に機能し作動するように援助することができるだけである。
(2)教師や親には、子供たちを教育したり指導したりしつけたりすることはできない。ただ、子供たちが、いろいろの経験を通して学習し生長し発展してゆくのを援助することができるだけである。
(3)カウンセラーは、クライエントをカウンセリングするのでもなければまた、クライエントは、カウンセラーによってカウンセリングされるのでもない。カウンセラーはただ、その経験が、クライエントにとって生長の経験となり得るような、そのような「場」もしくは「関係」を、用意し、構成し、設定することができるだけである。
 と。もしもこのような言い方が、依然として抽象的すぎるというのであるならば、もっと端的に、次のように言ってもよいでしょう。
(1)どんな名医を連れてきても、生きる力を失った患者を助けることはできない。
(2)親や教師が、たとえどのようによい事を教えようとも、もしも子供の側で、それがそのまま受け取られないならば、子供にとってはなんらよい事にはならない。教育とか指導とかしつけとかいう言葉にまさしく該当する現象は、教育するほうの側に起こっていることではなく、被教育者の側に起こっていることである。
(3)カウンセリングの焦点は、カウンセラーが何をどうしたかではなく、クライエントが、何をどう経験したかにかかっている。
 と。以上のことは、さらに別の言い方をすれば、次のように言ってもよいでしょう。すなわち、「その個人についてもっともよく知ることのできる人間は、まさしくその個人自身である」と。この表現もまた、申すまでもなく、「もっともよく知ることのできる人間」ということと「もっともよく知っている人間」ということを、混同しないように受け取っていただきたいのですが、それはそれとして、もしもこの仮説に立つならば、わたくしどもの行動や考え方は、世間一般のそれらとは、正反対になると言っても言いすぎではないでしょう。なぜならば、もっとも究極的な意味において、
(1)患者のことについてもっともよく知ることができるのが患者自身であるならば、医者は、患者にとってもっとも好ましい在り方を、患者から学んでゆかなければならない。
(2)子供のことについてもっともよく知ることができるのが子供自身であるならば、親や教師は、子供に接する自己自身の在り方を、子供から学んでゆかなければならない。
(3)クライエントについてもっともよく知ることができるのがクライエント自身であるならば、カウンセラーは、クライエントに対する援助の仕方を、クライエントから学んでゆかなければならない。
 からであります。つまり、伝統的・一般的な意味における「専門家は最高の知者である」「成熟者はつねに未成熟者よりも正しく判断し行動する」という、いわゆる権威主義的な考え方を、根底的にゆさぶっている、といってよいでしょう。この仮説は、専門家や成熟者が選択し決定する目標や方法は、つねにもっとも正しくかつ確かであるという考え方とは、真向から対立していると言っても言いすぎではないでしょう。

 ところで、このような第一の仮説にもかかわらず、現実には、「社会的・心理的不適応者」とか、「ノイローゼ患者」とか、あるいは「非行青少年」とか「精神異常者」とかいう言葉で呼ばれる人びとが数限りなくおります。いったいどうして、そのような人びとが生じているのでしょうか?
 申すまでもなく、これは、今日なお、誰一人として確定的な解答を提出することのできない問いであり、したがって当然、これに対しては、文字どおりに種々さまざまな考え方や解答が展開されている状況であります。たとえば、「親の扱い方が悪いから子供が悪くなった」とか、「友だちが悪かったのでウチの子は不良化した」とか、「家庭が貧しいために盗みをするようになった」とか、「こんな世の中ではバカバカしくてマトモに働く気になれない」とか、等々。こういう考え方はすべて、いわゆる「環境」に「原因」を設定しておりますが、「生まれつき知能が低い」とか、「生来内気でひねくれている」とかいうように、いわゆる「遺伝」に「原因」をおく考え方もあります。
 この種の考え方は、申すまでもなく、常識的水準において、「いかにももっともらしく思える」という以上には、ほとんどたしかさを見出すことができず、専門的・科学的には、あくまでも「探究の方向」を示しているにすぎないのですが、この「確定的な解答を提出することのできない問い」に対する仮説として、ロジャーズは、第二の考え方を用意しました。すなわち、「この新しい療法は、より大きな重みを、知性的な面におけるよりも情緒的な要素、すなわち場の感情的な面に置いているのである」と。
 この仮説は、もともとフロイドによって提出された見解で、しかし、それにもかかわらず、フロイドが、「人間の感情に直接働きかけることは不可能である」と主張したのに対して、方法的にそれを可能にしたところにロジャーズの功績がある、と言っている専門家もありますが、それはそれとして、「不適応の原因は感情にある」というこの仮説が意味するところは、次のように要約されるでしょう。
(1)不適応は、個人が、それを知らないことによってもたらされているのではなく、不適応を維持し強化することが、その個人にとってなんらかの情緒的な満足をもたらしていることに由来している。
(2)感情的・情緒的な満足は、説得、説諭、叱責、訓戒というような知性的手段によって解消されるものではなく、「できるかぎり直接に感情や情緒の王国に働きかけ」なければ解消され得ない。なぜならば、感情的・情緒的な満足は、あらゆる知性的な手段・方法を、その満足の範囲内に拘束してしまうから。

 第三の仮説は、「問題となって表面化し現象化している事柄ではなく、パーソナリティー全体の再体制化が必要である」という考え方であります。たとえば、「夜尿の子供」に対して、その「夜尿」を治そうとするのでもなければまた、その「夜尿」を治させようとするのでもありません。あるいは、盗みをするからといって、その「盗みをすることそのこと」をやめさせようとするのでもなければまた、その「盗み」を問題にしようとするのでもありません。「勉強がきらいである」とか「横着である」からといって、「勉強が好き」になるようにしようともしなければ「働き者」にしようともしませんし、「勉強ぎらい」とか「横着」とかいうことを反省・改善させようともいたしません。
 ロジャーズの表現を借りれば、この「新しい方法は、特殊な問題を解決するのが目的ではなく、個人を助けて生長させ、現在の問題および将来の問題に対して、より良く統合された方法で対抗できるようにするのが目的」なのであります。
 問題の焦点は、「主訴」とか「徴候」とかいう言葉で呼ばれている現象ではなく、そのような現象をもたらしている現在のパーソナリティーそのものであり、ロジャーズに即する意味でのカウンセリングの焦点は、その現在のパーソナリティーを再体制化することなのであります。わかりやすく言えば、もしも「夜尿のある子供」が「夜尿しないようなパーソナリティーの子供」になれば、「夜尿」はおのずからにして消失してしまうでしょうし、もしも「盗みをする子供」が、「盗みなどしないようなパーソナリティーの子供」になれば、「盗み」というような行為は展開されなくなる、という考え方なのであります。
 ついでながら、ここで付記しておきたいことは、「問題の解決」とか「問題を解決する」という一般的な考え方についてであります。先に引用したように、ロジャーズの考え方は、見方によれば、このような考え方とは正反対であるといってよいでしょう。端的に言えば、人生には、問題がないということは絶対にあり得ず、もしも人間が、「問題を解決すること」に焦点を合わせるならば、絶えず同種同質同様の問題に追いまくられてしまうでしょう。
 もっとも本質的な意味において、人間にとって重要なことは、自己のパーソナリティーを不断に再体制化し、かつては非常な努力を払って対処した問題を容易に処理できるようになり、かつては直面することさえできなかったほどの困難な問題に対処してゆくことができるようになる、ということであります。つまり、「問題解決」ということは、より二次的であり、「個人の生長」ということこそ、一次的かつ本質的である、というのがロジャーズの考え方であるといってよいでしょう。

 第四の仮説は、「個人の過去におけるよりも現在の場面を重要視する」という考え方であります。今日、一般的には、個人を理解しようとする場合には、何よりもまず、その個人の過去を明らかにすることが肝要であり、もしもその個人の過去を明らかにすることができるならば、現在の状態・特質・傾向を知ることができる、という考え方をしております。いやいや、単にそのような考え方をしているというだけではなく、それこそ「正しい考え方」であり、「科学的」である、と信じこんでいるようです。もしもそうであるならば、この第四の仮説もまた、一般的・伝統的な考え方もしくは信条とは正反対であるといってよいでしょう。
 個人の過去を問題にし、そこに原因を探るということは、「研究」としては十二分に意味のあることでしょう。しかし、臨床的には、単に重要でないばかりでなく、有害無益でさえもあります。なぜならば、「生きる」ということは、「刻々の現在」におけるできごとであり、「変化し発展する」ということは、「将来」へと向かってのみ遂行され達成されることであるからであります。のみならず、一般的・世間的な意味においての「不適応者」や「異常者」は、明確に意識するしないにかかわらず、心の奥底において、「過去からの脱出」を企図しており、過去に触られることに脅威を感じるからであります。重要なことは、個人を対象物として研究することではなく、「刻々の接触」が、クライエントにとってまさしく「治療的経験」として経験されることなのであります。』(非指示的療法 友田不二男著 P.4~8)

引用が長くなったが、もしもこれらの仮説を保持している人(カウンセラー)が存在するならば、その人は「問題解決を目指すアプローチ法を行なうのは不可能である」ということが了解できるだろうか?
わかりやすい言い方をすれば、人間の成長を目指すアプローチを行なうカウンセラーにとって、「問題は問題ではない」のである。焦点はクライエント自身が、クライエント自身によって問題を乗り越えて(カウンセラーの助力は必要かもしれないが)、「飛躍・成長・発展を遂げられるか否か?」にかかっている。カウンセラーの仕事は「クライエントの成長を援助すること」であり、「問題や障害を解決したり、除去すること」ではない。
さらに言うならば、人間の成長を目指すカウンセラーにとっては、「クライエントが抱えている問題は、クライエントがそれを乗り越え、飛躍・成長・発展を遂げるために必要不可欠な大切なものである」という言い方もできよう。私自身の例で言うなら、「私はうつ病になったおかげで飛躍・成長・発展し、今日までの人生プロセスを歩んでこれた」となる。

「人間の成長というもの」に関するこのような問題提起は、やや宗教っぽいというか、正確には「心理学ではなく、スピリチュアリティーの領域に属する問題」となるだろう。となると、ここでも上述の見解(=人間観)に対する「肯定派」と「否定派」とで、意見が分かれるのだろうが。
私自身は、「人間は魂の成長のために、“この世”と称される過酷な場所に宿命を負って生まれてきた」という考え方を信じている。そして、もしもこのような考え方を信じる人ならば、その人は「人間の成長を目指す立場のカウンセリング」に対して心底から共感的に理解できると同時に、深くうなずけるのではないか? とも思う。
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ボウリング

2008年10月21日 | 日記 ・ 雑文
一昨日の日曜はレジャーデーだったので、家族3人でボウリング場に行った。息子(4歳)が2ヵ月くらい前からボウリングにハマっており、最近は1週間に一度くらいのペースで“ボウリング場通い(?)”が続いている。家での練習にも余念がなく、おもちゃのピンを立ててはボールを転がして倒すという行為を繰り返しているのが最近の息子だ。
妻と息子は荻窪にあるそのボウリング場の会員になり、すっかり馴染み客になってしまった。で、そこの支配人(だと思う。プロボウラーらしい)に、「この歳から始めれば、将来は間違いなくプロになれますよ!」というお墨付きまでいただいてしまったくらいだ(苦笑)。

そんなわけで、私も仕事がないときは息子のボウリングに付き合っているのだが、そのせいで自分の腕が急速に上達しているのがわかった。一昨日は1ゲーム目に「194点」という信じられないほどのスコアを出してしまった。4投目から8投目まで「5連続ストライク」という偉業を達成してしまったのだ。
2ゲーム目は「134点」、3ゲーム目は「137点」だったが、それにしても「腕が上がっている」ことを確信した。というのも、かつての私はどんなに調子が良くてもせいぜい「120点が限界の人」だったからだ。ひどいときには「100点を切ること」だって稀でなく、「120点が出れば大喜びしていた人」だったのだから。

最近つかんだボウリングのコツを記しておきたいのだが、「フォロースルー(投球後の腕の振り)を意識すると、狙った方向に真っ直ぐ球が行く」ということがわかった。あとは「手首を緩めない」のも大切だが、これはまあ基本だろう。
かつては「120点レベルだった人」が、偉そうにこんなことを書けるようになったのは、息子殿のおかげに他ならない。我が息子に感謝・感激である。
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陣内智則

2008年10月09日 | 日記 ・ 雑文
久しぶりに息子(4歳)のことを書いてみよう。我が家の息子は2歳の頃からパソコンに夢中である。食卓に置かれているノートパソコンをまるで“我が物”のように扱って遊んでいる光景は、我が家では決して珍しくない。
パソコン操作に関しては親よりも詳しい面があるくらいで、例えば「Shiftキーを押しながらリンクをクリックすると、別ウインドウで表示される」という機能は、2年ほど前に息子から教わったくらいだ(苦笑)。
一時期はパソコンに付属していたゲーム(ポーカーやビリヤード)にご執心だった彼だが、最近はもっぱらYouTubeの動画にハマっている。

昨晩は夕食後、テレビにかじりついて「巨人×阪神戦」を私は観戦していた(じつは阪神ファンです)。妻はまだ帰宅していなかった。息子はというと、いつものように食卓のパソコンで一人で遊んでいた。
しばらくすると後ろのほうから、ゲラゲラと大笑いする息子の声が聞こえてきた。何を見ているのかと思って覗いてみたら、YouTubeの「陣内智則のコント」だった。陣内は私も好きな芸人の一人で、一時期は「エンタの神様」などもよく観ていたほうだが、それにしても「……(苦笑)」である。
息子がYouTubeで好んで見ている動画は、機関車トーマス→新幹線&電車→ピタゴラ装置→ドミノ倒し→ボウリング&ビリヤード、という変遷をたどってきたが、ここに来てどうやら「お笑いに目覚めてしまった」らしい。

8時頃に妻が帰宅したので、半ば冗談で「息子が将来、“陣内の弟子になりたい!”なんて言い出したらどうする?」という会話を交わした。仮にそのような事態が生じたら、親としては大反対するしかないだろうと思った。
私自身はカウンセラーという収入が不安定な仕事(会社員と比べたら)に従事しているが、「芸人として食っていく」なんて、それとは比べ物にならないくらいにはるかに困難だろう。ゆえに“芸人の道”は選択してほしくないのが親の本音だ。
良し悪しは別にして、「こういうのを“親心”と呼ぶのだろうな」と思ったのだった。
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『十牛図』から連想したこと

2008年10月03日 | 日記 ・ 雑文
mixiのコミュニティ「カウンセリング広場」内の東洋の知恵トピックに、人間の成長のプロセスを描いている禅のテキスト、『十牛図』を最近UPした。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20359015&comment_count=41&comm_id=2337193

この図をぼんやりと眺めながら、「人はどうして“真の自己”(牛の絵で象徴されている)に対して、手を差し伸べる気にならないのだろうか?」ということが、大きな問題点として浮かび上がってきた。
なぜ、どうして、“ありのままの自分”を否定し、“なりたい自分”や“あるべき自分”を欲するのだろうか? という問題である。

かくいう私も会社員時代にうつ病を患ったとき、無力・無気力でただ毎日が「起きて、食べて、クソして、寝るだけ」に費やされていたとき、「こんな状態が続くのであれば、毎日がつらくて苦しいだけだ。生きている意味がない。死んでしまえばこの苦しみからも解放されるだろう」と自殺願望を抱いたので、この問題は決して他人事ではない。
この極限状態から脱することができたのは、“自己構造もしくは価値体系の崩壊”によってであった。心理学的な立場から見れば、“飛躍した”とも表現できるだろうが、私自身の経験の世界においては、まさに“崩壊した”としか呼べないような凄まじい経験だった。しかもこの出来事は、カウンセリングなどまったく関係なしに、本当に一人で自宅にいたときに起きたのである。

現在の私に確かに言えるのは、「自己概念というものは、それくらい本人にとっては大切なものである。その大切さは“生きること”以上の場合もある」ということだ。「自己を放棄して生き続けるくらいなら、私は死を選択する!」という人間は決して稀ではない。かつての私がそうだったように、年間何万人にも上る自殺者たちが、そのことを証明してくれているように私には思えるのである。
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孔子と老子とカウンセリング

2008年09月16日 | 日記 ・ 雑文
私は故・友田不二男先生に師事した関係上、東洋思想的立場から“カウンセリングというもの”を探求し続けてきた人間のひとりであるが、最近のわが国のカウンセリング事情を小耳にはさみ、「日本のカウンセリングを開拓してきた友田不二男や伊東博らが残した業績など、今やすっかり忘れ去られてしまっているのではないか?」という感を抱くようになった。
以下に掲載するのは『孔子と老子とカウンセリング』と題された友田不二男の論文だが、“東洋思想とカウンセリングとの結びつき”について、とても明解な言葉で語られている作品のひとつだと思う。また、この論文が掲載されている書籍が世間にはあまり普及していないマイナーな本だったこともあり、「もう一度スポットライトを当てたい!」という思いも含めてここに転載することにした。



【孔子と老子とカウンセリング】

手許に資料がなくて、また、資料を捜す余裕もなくて、まことに曖昧模糊とした記憶を頼りに言うことですが、私が“論語に現われている孔子とカウンセリング”に続いて“老荘思想とカウンセリング”と題する駄弁を弄したのは、昭和35年から36年あたりにかけてのことだったのではないでしょうか?(注:昭和42~43年の誤り。この2つの講演記録は『かりのやど』(山径会 1994年)に再録されている)。当時の私にとっては、それは、ひとつには、カール・R・ロジャーズが創唱し開拓していた方向でのカウンセリングもしくはサイコセラピィが、伝統的・一般的意味でのカウンセリングやサイコセラピィとは著しく趣を異にしていて、端的に言えば“西欧の文化・文明に基礎づけられているというよりはむしろ、かなり強く、かつ深く東洋思想と結びついている”という印象を強くすると同時に、他方、“東洋思想的基盤に立っての検討を必要とする”と思われてのことでした。しかし、ありていに言えば、このような個人的な印象と必要は、なんらの社会的反響を喚起するに至らず、文字通りの“空鉄砲”に終ったと言ってしまってよいでしょう。
同じような成り行きは、その後、昭和43年2月、ロジャーズ全集の第18巻“わが国のクライエント中心療法の研究”が刊行された折りにも、等しく経験されました。と申しますのは、同署の第4部は“ロジャーズと東洋思想”と題されて、“儒教”や“道教”の観点からばかりでなく、“仏教”や“神道”の観点からの論考も加えて編集したのですが、格別の反響を呼んだと思える印象も皆無のまま、現実的には流れ去ってしまいました。そして、日本のカウンセリング界は、サイコセラピィの分野をも含めて、言わば“さまざまな外来種の導入”という方向へと、いよいよ賑々しく展開してきているのであります。

このような状況下に在って私は、“農耕と蕉風俳諧”に多大の時間と労力とを費やすことになりました。と申しますのは、なんと言っても“現実的な事情がそれを許してくれたから”でありますが、理屈をつければ私にとっては、“農耕も蕉風俳諧も老荘(道教)に近づく道”であったのでした。さらに言えば、いわゆる“孔孟(儒教)への道”は、言わば“きわめて日常的”な特質を持っており、現実の生活場面における日々の諸体験がそのまま通じておりますけれど、“老荘(道教)への道”は“きわめて非日常的”であり、“瞑想的・神秘的な密教的修行と体験”を想定させずにはおかないものがあり、現実的な次善の策として“農耕と蕉風俳諧”は何よりの手がかりを与えてくれたのでした。
いささか“蛇足”に類する観もありますが、“孔孟(儒教)の教え”というのは、日常の生活において体験する具体的・現実的な事象や困難に決して背を向けたり尻込みしたりすることなく、真っ向からそれらに直面して己を鍛え育ててゆくことの意味と価値を説いている。――今流に一言で言えば“生涯学習を唱導している”のですけれど、このような生き方・在り方は“愚劣なエネルギーの浪費である”とし、真の意味における“平安と安寧”は“天地自然の摂理と一体化する”――芭蕉の言葉で言えば“造化にしたがひ造化にかへれ”(笈の小文)――によってしか得られないとするのが“老荘(道教)”であります。現実的な人間の営みの中で、“天地自然の摂理”にきわめて密接しているのが農耕であること、申すまでもありませんし、“芭蕉”は周知のように“旅”という非日常的生活過程において、世のいわゆる“蕉風俳諧”を確立していったのでした。

と、ここまで書いたところで私は、朝食の膳に着くことになり、例によって例の如く食事しながら新聞に眼を通していって、スポーツのページまで辿っていったところで私の眼は、一つの囲み記事に吸い寄せられました。そうです、文字通りに“吸い寄せられていった”のでした。意思的に向かっていったのでは決してありませんでした。ほんとうに“自然に”視線がそちらへと移動していって、一読した瞬間にハッキリと、“まったく予想もしていなかった奇縁”を自覚しました。つまり、私が書き進もうと思っていたことが、現にそこに在ったのでした。ご参考までに転載いたしましょう。

「“要するに、インパクトの時だけ力を入れるようにと。小学生でも知っている話だけど、これが難しいんだよね”と原は言う。」

と。“巨人(ジャイアンツ)の原”と言えばもう、解説・説明はおよそ不要でしょうが、言葉のレベルで言えば“小学生でも知っている”打撃のコツが、行動のレベルでは“至難時となる”という原選手の述懐は、決して野球の打撃に関するだけのことではなく、広くあらゆる分野での実践家・臨床家に通ずる問題でありましょう。
そこで、“カウンセラーとしての体験”と結びついて、この述懐的談話が私の脳裏にもたらした連想を文字にいたしましょう。

(イ)知的レベルでの理解がそのまま行動に具現されるのは、ごくごく限られた範囲内でのことである。
(ロ)他方、反復練習とか体験学習とかにも限度があって、その限度は、日常的・通念的な意味での学習や体験によって超えられるものではなく、強いて言葉にすれば“きわめてユニークな神秘的体験もしくは洞察”が必要となるところである。

と。この“きわめてユニークな神秘的体験もしくは洞察”を私は、“訪れ”という言葉で表現してきておりますが、この“訪れ”が基本的・現実的に、伝統的・一般的意味での“科学”――現在のいわゆる“ニュートン物理学的世界観”によって強固に体制化されてしまっている科学――と相容れないこと、自明であります。現にこの“訪れ”は、きわめて簡単に“神がかり”という言葉と結びついて、どれ程“胡散臭い眼差し”を掻き立てたことでしょうか? 少しく知的に“偶然”という言葉で片付けられて、“科学の埒外”に締め出されてきてもおりますし、“名人芸”という言葉で態よく棚上げされてきてもおります。申すまでもなく、科学の領域には、“例外”とか“異例”とかが許されるものではなく、“例外”とか“異例”とか、あるいは“偶然”とかをことごとく包括する新しい説明原理の発見こそが限りなく肝要なのですけれど、このような方向に日本の学界が態度・姿勢を転ずるのには、まだまだ長い時間と痛烈な体験とが必要なのではないでしょうか? ――とすれば、カウンセリングもサイコセラピィも、まだまだ当分は“下請け的零細企業”に甘んじ続けなければならないことになりましょうか?

しかし、強いて希望的に観ずれば、ある意味では“快哉”を叫びたくなるような、しかし正直、胸中深く、“喜んでなぞいられないぞ!”とつぶやかずにはいられない現象が、急ピッチで表面化しております。端的に言えば、エコロジスト(生態学者)たちの思考と行動に端を発して火の手を上げたエントロピストたちの所説や主張は、識者たちの絶大な共感を呼んでいて、言わば“科学それ自体の飛躍的転換もしくは豹変”が期待され、となると必然的に、“科学界のミソッカスもしくはママッ子”的存在であったカウンセリングやサイコセラピィが一気に浮上する可能性が予測されるのであります。もしもこのような成り行きが現実化するのならば、ほんとうに喜ばしい限りでありますが、しかし、仮にそのような成り行きが現実化するとしても、私ども日本人の身になるとそこには、安閑とはしていられない肝要事が付随していることを、ハッキリと認識し自覚しておかなければならないでしょう。

それはほかではありません。私ども日本人の間では“非科学的”ということで学問の領域から締め出されていたアレコレが、――例えば“祟り(怨霊)”というような霊魂的現象や、“瞑想”とか“悟り”というような宗教的・神秘的体験などが、現代の原子物理学から素粒子物理学への発展過程において科学の領域に包含され、言わば“東洋人のお家芸”とも言うべき精神的基盤・拠り所が西欧科学的観点から西欧の人々によって解明され技術化されてゆくかもしれないのであります。もしもそのような成り行きが具現するとすれば、それは端的に“科学の分野における立ち遅れ”につながることを意味すると言ってよいでしょう。それは、貿易とか経済とか言ったレベルの問題ではなく、“民族の魂”にかかわる問題なのであります。

「1970年代に、物理学者としてわたしが抱いていた大きな関心は、今世紀のはじめの30年間に物理学で起きた、そして今なお物質理論の中でいろいろ手が加えられつつある、概念や発想の劇的な変化にあった。その物理学の新しい概念は、われわれ物理学者の世界観に、デカルトやニュートンの機械論的概念から、ホリスティック(全包括的)でエコロジカル(生態学的)な視点へと、大きな変化をもたらしてきた。わたしの見るところ、それは神秘主義の視点ときわめて似通った視点である。」

と。これはフリチョフ・カプラの著書『ターニング・ポイント』(吉福伸逸訳 工作舎 1984年)の序文の書き出しですが、上述したことの真相・実態は、このカプラの言葉に端的に示唆され象徴されていると言ってよいでしょう。しかもこの“示唆され象徴されている”ところにきわめて密接して“カウンセリング(サイコセラピィを含む)の真髄が現象化し現実化している”のであります。

“孔子と老子とカウンセリング”と題しながら、読者によってはあるいは、この表題がピンとこない記述になってしまっているかもしれません。しかし、もしも“一人の日本人である自分”を謙虚に内省するならば、ハッキリと自覚しているいないにかかわらず、実は孔子も老子もともに、厳然として自分自身の中に実在していることに気づくことでしょう。もちろん、“論語”を読んだこともなければ“老子(書)”を読んでもいない人の場合には、“孔子も老子も”という言い方は“孔子的人物も老子的人物も”という言い方になるでしょうけれど、――そしてこの“二つのタイプの人間が内在する”ことに気づいた当初は、機にふれ折につけて葛藤することになるでしょうが、その“葛藤”こそ実は成長への原動力であり、量子論の言葉を借りれば“孔子的人物と老子的人物とが相補的である”ことに気づいてゆく、“それが日本人の場合のカウンセリングの原型である”と言ってしまってもよいのではないでしょうか?
わが国の漢学者たちの主流においては、儒教(孔孟)と道教(もしくは道徳教)とは対立的に位置づけられているようです。例えば、

「儒家が恥辱に対して潔癖な態度を固執するのに対して、老荘は泥を含み、汚辱にまみれた濁水のごとき生き方を理想とする。儒家が淫らならざる居処をえらぶのに対して、老荘は衆人の悪(にく)む所に拠(お)り、儒家が男性的な剛毅を美徳とするのに対して、老荘は女性的な柔弱を讃美し憧憬する。云々」(福永光司 老子 朝日新聞社)

という叙述は、“儒教と道教との対立関係”を感じさせるに十分でありましょう。しかし、“カウンセラーとしての体験”に即して論語や老子(書)を読み返すとき、両者の“対立的関係”は“相補的関係”と認知されることによって、両者ともに一段と生き生きして躍動し始めるのであります。そしてこの“生き生きとした躍動”は両者の関係を超えて“科学と宗教”・“知性的合理性と感情的直覚性”といったようなさまざまな対立概念をも全体的に包括する状況が想い描かれてくるのであります。そしてその、“全体的に包括する状況”をこそ、ただ単に想い描いているのではなく、明確にし鮮明にしてゆかなければならない現代でありましょう。“これからのカウンセリングやサイコセラピィの基盤がそこにある”と、全心身的に見通すからであります。

“有史以来の未曾有の危機”と言われている現代に在って、この“地球規模での危機”を乗り越える先達は“素粒子物理学者とカウンセラーである”と言ったら、余りにも独りよがりでありましょうか? 批判・論評はどうあろうとも、今日、最も痛切に希求されているものは“新しい世界観の確立”でありましょう。そしてその“新しい世界観”は、“東洋古来の思想中に在り”ということも、先覚的識者の見通しているところなのであります。“温故知新”の意味と価値とが、言わば“自然学”的に問われているところなのであります。

「“観測”ではなく“関与”だという考えは、現代物理学ではごく最近公式化されたものだが、それは神秘思想を学ぶものなら誰でも知っている考え方である。神秘的な知識は単に観察するだけではけっして獲得できるものではなく、自己の全存在の徹底的関与によってのみ獲得されるものである。」

と。このカプラの叙述は、どんなに熟読・吟味してもし過ぎることはないでしょう。端的に言えば、“自己の全存在の徹底的関与”の骨髄は私ども東洋人のうちに秘められている、ということでありましょう。

リフキンのいわゆる“初歩的な物質至上主義の時代へと至る、ごく短い旅路”は、早くも、荘子のいわゆる“枕上邯鄲の夢”と化しそうな気配を示しておりますが、孔子のいわゆる“功言令色、鮮矣仁”を、今こそ肺肝に銘して本格的に旅立つ時ではないでしょうか! “小賢しい舌先三寸”をシッカリと見届けて欲しいとも、心から祈念している次第であります。

『孔子と老子とカウンセリング』友田不二男著(カウンセリングへの歩み第7集 田中正一編 豊橋カウンセリングセンター 1987年 より転載)
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家族旅行・海水浴編

2008年07月28日 | 日記 ・ 雑文
先週月曜から金曜までの5日間は、「夏季ワークショップ・東京会場の世話人」という仕事があった。今夏の一番の大仕事だったが、なんとか務めを果たしてホッとできたのもつかの間、翌日からは毎年恒例の家族旅行(一泊)が待っていた。
行き先は千葉県の鯛の浦というところ。私は知らなかったのだが、「日蓮聖人の生誕の地」とされている場所だ。近所に海水浴場があるので、私たち家族は旅館に到着すると同時に海水浴場へ直行した。

息子(4歳)は、これが生まれて初めての海水浴だ。数時間、波打ち際で波とたわむれただけだったが、楽しそうだったのでよかった。帰る間際になると「もう1回! もう1回!」と、なかなか海から出ようとしなかった。
私にとっての海水浴は、大学生のとき以来である。生まれも育ちも海の無いところで、海とはほとんどまったく縁がない私だが、息子が喜んでいる姿を見たら「来年もまた来ようかな」という気になった。

翌日は鴨川シーワールドへ。ここは家族全員が初めて訪れるレジャー施設だ。シャチを除いて全部のショーを観ることができ、個人的には満足だったが、息子のほうは「いまいち」の様子だった。
鳩を追いかけまわしたり(苦笑)、子供用のちょっとした遊び場で乗り物に乗っているときは歓喜の表情だったが(苦笑)、それ以外は大人しかった。水槽内の珍しい魚や生き物を観ても強い興味・関心を示すわけではなく、「もう見た!」と言って早く外へ出ようとしていた。
鴨川シーワールドがつまらないわけではないが、息子のそういう様子を見てしまうと「来年もまた来よう!」という気にはならなかった。ま、「息子のツボからは外れていた」のだろうから、仕方がないと思う。
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ウィンブルドン決勝

2008年07月07日 | 日記 ・ 雑文
熱心なテニスファンではないが、ウィンブルドン男子シングルス決勝だけは毎年欠かさずテレビ観戦している。
今年の対戦カードは第1シードのフェデラー(スイス)対、第2シードのナダル(スペイン)だ。過去2年と同じ組み合わせだが、世界ランク1位と2位の対決である。これ以上の好カードはないだろう。
ちなみに過去2年はフェデラーの2勝。この2勝を含めてフェデラーはウィンブルドン5連覇中だ。この試合に勝って6連覇を達成すると、ボルグ(スウェーデン)が保持している5連覇の記録を塗り替えることになる。ひょっとすると、歴史的な偉業が達成される瞬間に立ち会うことになるかもしれないという、特別な決勝戦なのだ!

ところで、5連覇の記録を持っているボルグという名選手を皆さんはご存知だろうか? 私は中学時代からテニスを始め、その後高校、大学とテニス一筋だったのだが、始めたきっかけは「ボルグに憧れたから」だったのである。
ボルグのライバルとして当時、コナーズやマッケンロー(ボルグの6連覇を阻止した選手)がいた。その後もレンドル、エドバーグ、ベッカー、サンプラスなど、歴史にその名を刻んだ名選手は数多く存在する。だが、私の心の中でのナンバーワン・プレイヤーは、当時も現在もボルグである。彼は私にとって「ヒーロー的存在」なのだ。
そのボルグの記録が今夜、フェデラーによって破られるかもしれない。私は複雑な心境だった。「ボルグを超えてほしくない」という思いと、「歴史的な偉業の達成をこの目で見たい!」という思いとが交錯していた。

さて、ゲームに入ろう。
第1セット、第2セットは、6-4、6-4でナダルが連取した。これは予想外の展開だった。結果的にはゲーム全体を通して言えるのだが、今日のフェデラーはイージーミスが多かった。「なんでもないハイボレーをミスする姿」に、私は何度も首を傾げた。ま、それが「相手から受けるプレッシャーというもの」なのだろう。相手ナダルは、守備力ではフェデラー以上であり世界一の実力がある。それがフェデラーに「厳しいコースを狙わなくては!」という意識を生じさせたのだろう。
第3セットの途中で雨が降り出し、ゲーム中断になった。この時点で私は猛烈な睡魔に襲われていたので、続きはDVDレコーダーに録画することにし、眠りについた。

翌朝、目覚めると同時にテレビとDVDをつけた。ここからは録画を見ながらの観戦記録だ。
第3セットはタイブレークにまでもつれ込んだが、フェデラーが取った。これでセットカウント2-1。続く第4セットもタイブレーク。このタイブレークは凄まじい戦いだった。
ゲームはナダルが主導権を握り、「あと2ポイント、自分のサービスをキープすればゲームセットになる」という状況を迎えた。ここでナダルが痛恨のダブルフォルト。勝利を意識したナダルが硬くなっていたのは明らかだった。
命拾いしたフェデラーだったが、ナダルのスーパー・パッシング・ショットによりマッチポイントを握られてしまう。が、次のプレーで今度はフェデラーが、さらにすごいスーパー・パッシング・ショットをお返しした。で結局、フェデラーが大逆転でタイブレークを取り、セットカウント2-2にまで盛り返した。「ここ一番での勝負強さを見せつけたフェデラー」に対し、私は称賛の拍手を惜しみなく送った。さあ、ファイナルセットに突入だ!

ファイナルセットの中盤、私はテレビ画面上部に表示されたテロップに一瞬我が目を疑った。「4:30からは、教育テレビで放送します」と書かれていたのだ。
「なんということだ!? 最後まで観られないのか……!」
すでに述べたが、これは録画である。途中で教育テレビ(3ch)に変更しているわけがない。割愛したが、この試合は途中でもう一度降雨による中断があり、(日本時間で)昨夜10:30頃に始まったゲームは、現時点で翌朝4:30近くになっていた。
私はなんと表現したらよいかわからない気持ちになり、頭の中は「なんてこった…なんてこった…なんてこった…」という言葉を繰り返すしかなかった。こんなとき、どうやって自分を納得させればよいのだろうか?

無情にも4:30きっかりにニュース番組が始まった。その後、ニュース報道で試合結果を知った。ファイナルセットは9-7で、ナダルが勝利したらしい。
ナダルのウィンブルドン初優勝を私は心から祝福している。なぜなら、誰がどう見ても今日のナダルは「チャンピオンにふさわしいプレーをしていた」し、ゲーム内容でも「フェデラーを凌いでいた」からだ。ファイナルセットは少ししか観ていないが、そう断言して差し支えないだろう。
ただ、その瞬間の喜びと感動を全世界のテニスファンと共有し、同時に体験できなかったのが、なんとも残念でならなかった。
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