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カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

父親参観日

2008年06月16日 | 日記 ・ 雑文
昨日15日(父の日)は、息子(4歳)が通っている幼稚園の父親参観日だった。入園してからすでに1年数ヵ月が経つので父親参観はこれで二度目だが、「1年間でこんなに成長したのか!」と驚くと同時に、喜びを味わうことができた1日だった。
去年の息子は、まあ良くも悪くも“目立つ存在”だった。近所の公園で先生が「は~い、みなさ~ん! 集合してくださ~い!」と大きな声を掛けても、ひとりだけ滑り台で遊び続けていたのが息子だった。当時は最年少クラスだったし、叱る気にもならなかったので、私はそれを見て苦笑していただけだったが……。
ところが今年は、そういう類の目立つ行為がほとんど見られなかったのである。年下の子どもが入園してきたので“お兄さんの自覚”が芽生えたのだろうか? 普段の日常生活では気づきにくいのだが、去年と比べるとずいぶん大人になった気がした。

“この幼稚園の教育効果”には、素晴らしいものがあると実感している。もっとも、他の幼稚園に入れたことはないので、科学的・実証的な立場からすれば、“この”を付けるべきか否か迷う気持ちもないわけではないが。
一番驚いたのは、入園してから数週間後のことだった。当時はまだ3歳に満たない年令だったが、それにしても“発語が少ない”ことを私も妻も心配していた。
というのも、息子はかなり幼い時期に専門家から「発達障害の疑いがある」と宣告されていたからだ。この疑いは今も完全に晴れたわけではないが、しかし「特殊学級に進学できるレベルではない」ことが、現在までにハッキリしている。厳密に精査した場合にはなんらかの障害があるのかもしれないが、仮にそうだったとしても小学校は普通学級に進むしかないわけだ。
……という背景を持っていた息子が、幼稚園に通い出したとたんに急に“発語が増えた”のである。これには少なからず驚いた。「幼稚園の教育効果って、こんなに大きいものなのか!」と認識を改めたのだった。

父親参観のイベント終了後、一旦帰宅し、夕方から「父親のための勉強会」に参加した。園長先生が「父親の役割や振る舞いが、子どもにとっていかに大切か」を熱心に語ってくれた。その内容について私は一つ一つうなづきながら、最後に先生が発した次の言葉には心底から感銘を受けた。それは、
「今年度はひとつの課題として、“いつも自分が話していることを、どれだけ自分が実際に行為できているか?”という点について、問題意識を持って取り組みたいと思っています」
という内容の発言だった。
要するに「意識レベルと行動レベルとの隔たりの問題」を言ってるわけだが、この問題の意味するところがどれほど重要かについては、言葉を尽くしても表現し切れないように思う。「カウンセリングにおける最大の問題点も、じつはこの点にある!」と断言したいくらいだ。

「カウンセリングが成立するか否か」もしくは「成功するか否か」という問題は、この点がキーポイントになるのではあるまいか? と私は思っている。別言すれば、「自分が得ている知識や理論と、実際の行動とが、どこまで一致できているか?」が、カウンセラーにとっての最大の焦点なのである。――余談になるが、この観点から言えば、立場や理論の違いなど、カウンセリングの成否にとってはあまり関係ないのかもしれない。――と言うと少し極端かもしれないが。
いずれにせよ、「カウンセリングを知っている」だけでは何も意味がない。カウンセラーは「カウンセリング関係を作ることができる人」でなければ、仮に資格を得ていたとしても、真の意味でのカウンセラーとは呼べないだろう。

話を元に戻すが、この園長先生が「意識と行動の問題に取り組む」と述べたことには絶大な意味と価値がある。私はこういう人物に出会うと、自然に頭が下がってしまう。先生として、というよりも“人間として”尊敬せずにはいられない。
息子を預けて1年以上になるが、「こういう人物だったら、大切な我が子を預けても大丈夫だ!」という確信を得たのだった。

息子が通う幼稚園、「吉祥寺こどもの家」のホームページ
http://kodomonoie.seesaa.net/
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家族旅行

2008年05月29日 | 日記 ・ 雑文
5月26日は息子の誕生日だった(4歳になった)。加えて6月1日は私たち夫婦の結婚記念日である。というわけでこの時期、私たち家族は毎年恒例の家族旅行を敢行している。
今年は東京ディズニーシーのホテルミラコスタに1泊した。園内がベランダから一望できるかなり高級(というより高額)な部屋だったが、楽しく過ごすことができたので良かった。
(数年前、某ホテルの高級スイートルームに宿泊した経験があるが、そのときは部屋があまりにも広く豪華すぎて、なんだか落ち着かない気分になった。しみじみと「私という人は、贅沢を楽しめない人なんだなあ」と、半ば寂しい気持ちで思い知らされたことがある。このような表現になるのは、そういう背景があるからだ)。

旅行記を書くつもりはないので詳細は割愛する。息子は1日目に行ったランドのゴーカート(正式名称はグランドサーキット・レースウェイ)と、2日目に行ったシーの水上ゴーカート(正式名称はアクアトピア)が大のお気に入りで、ゴーカートは計3~4回、水上ゴーカートに至っては計6回も乗った。それからシーの子供用ジェットコースター(正式名称はフランダーのフライングフィッシュコースター)にも3~4回は乗った気がする。親からすれば「乗らされた」わけだが、フラフラになったほどだ。
他のいろいろな乗り物にも乗って楽しんだが、「もう1回! もう1回!」と何度もせがまれたのは、この3つのアトラクションだけだった。どうやら息子は、「気に入ったものを見つけたら、それを徹底的に追求するタイプ」のようだ。日頃から感じていたことでもあるが、良くも悪くも執着心が強い。この傾向に関しては、「きっと、親(私たち)に似たんだろうなあ……」と思っている(苦笑)。
ちなみに毎年の旅行先とホテルは妻が決定している。ここ数年はずっとディズニーリゾートだ。「他のところへ行く気にはならないのだろうか?」とも思うが、なんらかの執着心があるのだろう。きっと。
私の“執着心”に関して言えば、あらためて説明するまでもなく、それは“カウンセリング”に向けられている。私は己の性分として「カウンセリングから離れることができない」のを自覚・承知しているのだ。もちろん、カウンセリング活動において失敗や挫折を経験することだってないわけではない。その度に、「どうして俺はカウンセリングから離れないのだろうか?」と、何度も自問してきた。が、その核心はいまだに不明確なままだ。いや、もっと正確に言えば、“理由付け”とか“理屈付け”だったらいくらでもできるが、核心となると言語化するのは不可能なのだ。とにかく、「カウンセリング活動に関することには“血が騒いでしまう”」としか言いようがない。

話題は一変するが、雨が降っていたので今朝も息子をクルマで幼稚園まで送った。幼稚園の近くに小さなコインパーキングがあるのだが、その場所を通過するとき息子はいつもそこを指差し「きのう、ここに行った!」と言う。毎度のことなので、「そうだね。前にクルマをここに止めたね」と応えたが、実際の昨日はディズニーから帰ってきたので、この場所には来ていない。何ヵ月も前にクルマをこのコインパーキングに止めて幼稚園に息子を迎えに行ったことがあるのだが、彼はそのときの経験が印象に残っているらしく、記憶から離れられないようだ。この道を通ると必ず「きのう、ここに行った!」と、強い口調で言うのだから。
ここに“言語を介したコミュニケーションの難しさ”がある。彼が使う“きのう”という言葉には、“過去”が意味・象徴されているのだ。私はそれを理解しているから話が通じるが、その言葉の“意味・象徴するところ”を理解できずに、「昨日はディズニーランドで遊んだのだから、ここには来てないよ」と応えたらどうなるだろうか? 試してみたい気もするが。

というように、人間というものは、他者とは異なる“自分の経験の世界”を生きていながら、コミュニケーションの手段としては共通言語(日本人だったら日本語)を使用しなければならないという意味において、「人と人とが相互理解を達成するというのは、本質的・本来的に極めて困難なことである」と言わざるを得ない。
クライエントに限らず、あらゆる他者が使用する“言葉”の元には、その人特有のなんらかの“意味・象徴”が存在する。この“意味・象徴するところ”をお互いに掴むことができないとミスコミュニケーションが生じるし、もっとひどい場合にはミスコミュニケーション自体に気がつかない。お互いに相手の話を「わかったつもり」になってしまうわけだ。もっとも、現実の人々の生活場面は「大半がミスコミュニケーションで成立しているのではないか?」と私は疑っているので、そういう意味では特別な問題ではないのかもしれないが……。
そして、だからこそ、“カウンセリング”もしくは“カウンセリング関係”というものに意味と価値とがあるのではなかろうか? と思うのである。……という言い方だと“一般論”になってしまうが、少なくとも“私が現在までに経験しているカウンセリング”には、私にとって特別な意味と価値があるのは確かだ。
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メダカ

2008年05月01日 | 日記 ・ 雑文
我が家の家族に3匹のメダカが加わってから数日が経つ。私個人は生き物やペットを飼育することを好む人間ではないが、そのような成り行きになったきっかけは、息子(3歳)が購読している教材の付録にプラスチック製の小さな金魚鉢が付いていたことだった。
「せっかくだから何か飼おう」という話になり、近所のホームセンターに行って最も手軽で安価なメダカを購入したというわけだ。

世話は妻と息子がほとんどやっていて、私はもっぱら観賞しているだけだが、共に暮らす時間が長くなるとどうしても愛着が出てくる。単なるメダカに過ぎないはずが、かわいいと思えてくるのだ。それに、ただじっと観察しているとなんだか童心に返ってしまうようで、気持ちが和むのも事実だ。ひょっとすると“癒しの効果”があるのかもしれない。

一般的に言って、「動植物には癒しの効果がある」とされているが、私には十分うなづける。なぜなら、動植物はその在り方が“ノンディレクティブ(=無為自然)”だからである。
……という論理を数年前に一人のカウンセリング仲間に話したら、目を丸くしながら感動してくれた。「なるほど~」と深い共感的理解を示してくれた。私は冗談ではなく、大真面目にそう思っているが、しかしそこまで感動されるとむしろ「困惑してしまう」という感じになってしまったほどだ。

こういう話、私にとっては「きわめて当たり前のこと」なのだが、世間的には「驚くべき論理」なのだろうか? だとすると、このへんの問題をきっちり研究して理論化し、論文を発表したら、世間の喝采を浴びるどころかひょっとするとノーベル賞がもらえるかもしれない。
……などという妄想をメダカから膨らませてみました。
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カウンセリングと資本主義経済

2008年04月20日 | 日記 ・ 雑文
諸事情があり、『友田不二男研究(仮題)』という出版物の執筆&編集業務に現在私は携わっているのだが、そのせいもあって“お金の問題”という難題について思考をめぐらしている日々が続いている。
どうにもこうにも“頭の中に靄(もや)がかかっている”ような状態なので、この場を借りて自分の思考過程を整理してみようと思う。

キーワードは“友愛”という言葉だ。友田不二男は「カウンセリングが成立する基盤は“友愛”である」という言葉を残してあの世へと旅立っていったが、これはどういう意味なのか? 逆の言い方をすれば「“友愛”が無ければカウンセリングは成立しない」となるが……?
“友愛”を手元の辞書で引いてみたところ、
①友人に対する思いやりの気持ち。②兄弟間の情愛。
と書いてあった。となるとここで言う“友愛”とは、「人と人とが互いに助け合うことを可能にする精神、もしくは思想」と解してよいだろう。友田によれば、「この精神、もしくは思想こそが、カウンセリングの基盤である」となる。

次のキーワードは“資本主義経済”だ。こいつの本質・本性を暴いてゆきたいわけだが、そんなことのできる上等な頭脳を私は持ち合わせていないので、ミヒャエル・エンデ(ドイツの児童文学者・作家。『モモ』、『ネバーエンディング・ストーリー』などの作品が有名)に登場してもらおう。
エンデによれば、

1.世界に起きている諸悪の根源は、現在の“お金のシステム”と“経済システム”との不調和にある。
2.現在の経済システムは、“成長することが強制されている”という点で“癌”と同じ性質を持っている。
3.生活必需品を購入する代金としての“お金”と、株取引などに使われる資本としての“お金”は、じつは性質が異なる“2種類のお金”である。にもかかわらず、“同じお金”が使われているところに問題の根源がある。
4.人類が新たな“お金のシステム”を生み出すことができなければ、やがて人類はこの惑星上に生存できなくなるだろう。(参考資料:『アインシュタイン・ロマン6 エンデの文明砂漠』NHK出版)

となる。地球環境問題に敏感な人ならば、「(我々が手にする)お金によって、地球環境が破壊され続けている」という事実、すなわち「エンデの予言がすでに現実化している」ということは周知の事実であり、もはや議論の余地はないだろう。
どうしてこんな不幸なことが起きるのか? なにゆえ経済は地球環境が危機に瀕しているにもかかわらず、“拡大の一途”をたどるのか? 基本的・本質的には「資本主義経済で流通しているお金は、人々が“奪い合う”お金だからである」と、エンデは洞察していた。そこで次のような言葉を発している。

「経済生活の理想は友愛です。あえて私は友愛こそ近代経済に内在している掟だと考えます。生産と需要の自由なゲームを適用させれば、“万人の万人に対する戦い”になり、経済に弱い者がいつも割りを食うことになります。経済活動は本質的に社会連帯的なものなのです。(中略)資本の自己増殖を許す金融構造が、友愛の理想を破壊してしまったのだと思います」(『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』NHK出版)

ところで、このエンデの主張は正しいのだろうか? 本当に「お金が増えなくても、人間は豊かな生活が送れる」のだろうか? それを確かめるために、簡単な思考実験を行なってみよう。
今ここに、Aさん、Bさん、Cさんの3名がいると仮定しよう。AさんがBさんにある仕事(もしくは物品購入)を依頼し、代金として千円札を手渡した。次にBさんはCさんにある仕事(もしくは物品購入)を依頼し、代金としてその千円札を手渡した。最後にCさんはAさんにある仕事(もしくは物品購入)を依頼し、代金としてその千円札を手渡したとする。ぐるっと1周して“最初の千円札”が、Aさんの手元に戻ったわけだ。
経済的な尺度で見ると、これで「3千円分の経済活動が行なわれた」ことになる。2周すれば「6千円分の経済活動」だ。これがGNPに換算されると「前年度より6千円分経済成長した」となる。これが経済というものの実態だ。
「アレ? なんか変だぞ?」と感じる人も多いだろう。だって「AさんもBさんもCさんも、千円札は増えていない」のだから。しかし、それぞれが2回分のサービス(もしくは物品)を得て、みんなの生活は豊かになった。そう、じつはこれこそが“経済的豊かさ”の正体なのだ。豊かさとは、“お金が流通すること”によって得られるものであり、“札束が増えること”によって得られるものではない、ということだ。
この考え方を基盤に経済活動を実践しているのが、いわゆる“地域通貨”というやつだ。上掲した『エンデの遺言』の影響もあり、一時期はブームを巻き起こしたが、最近はそのブームも去って縮小傾向にあるらしいが……。

本題に戻るが、エンデの洞察によれば、現在の資本主義経済システムには“欠陥がある”どころではなく、“諸悪の根源である”わけだ。確かに世界中で現に起きているテロや戦争(最近ではチベット問題)、環境破壊、貧困の問題などの根源に“お金の問題がある”ことを認識しないわけにはゆかない。私はその方面の専門家ではないので浅薄な知識しかないが、そう言い切ってしまって差し支えないだろう。
しかし、ここのところでジレンマに陥ってしまう。私もまた世の大半の人と同様に、資本主義経済の中で利潤を得ている一企業の社員であり、そこから支払われた給料でもって自分や家族を養っているのである。という意味で私という人には、「資本主義経済を批判する資格がない」のだ。そのような行為は“言行不一致”になる。偉そうなことを言ってみたところで、「言ってることとやってることが違いますよ」となるわけだ。
もっとも、世の中には“資本主義経済(お金)を捨てて、なんらかの問題に取り組んでいる人物”が存在しないわけではない。実名を出すのは控えるが、私が個人的に尊敬している人の中には、“私財を投げうって”平和運動に身を投じている人がいる。また、大学教授の職を辞して、ボランティアでカウンセリング活動を実践する計画を立てている人物も最近知った。
古くはお釈迦さんが有名だ。人間を救済するために王子の座を捨てて乞食となり、放浪生活を続けたのは誰もが知っているだろう。また、ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサという人も、そういう類の人物の一人だった。
だが、そういう人たちと自分とを同一視するわけにはいかない。尊敬することはできても“真似はできない”のが、現在の自分の偽りない姿である。

友田不二男もまた、上述の偉人たちと質は異なるが、稀有な人物だった。友田は“掌風会”と称する団体を設立し、その活動を通じて「友愛を基盤にした経済システムを構築しようとした」のだ。無論、そのような発想ができたのは、“お金というもの”に対するエンデと同レベルの洞察があったからに他ならない。
掌風会のコンセプトは、“誰も投資しない。誰も儲けない。しかも会員の生活は豊かになる”というものだった。これだけだとなんのことやらさっぱり意味不明だが、その経済システムを説明するのは非常に難しいので割愛させてもらう。
結論だけ述べれば、掌風会によって行なわれた反資本主義的な性格を持つ社会変革運動は結局挫折し、現在は休止状態に置かれている。その挫折(分裂騒動が起こり、裁判沙汰にまで発展した)をもたらしたのは、資本主義経済の原理(=個人の損得勘定)を超えて“友愛”へとシフトできなかった一部の人間たちによってもたらされたのであるが。
晩年の友田は『エンデの遺言』に触発され、「カウンセリングからは一切身を退いて、残りの人生はエコマネーに取り組んでいきたい!」と宣言した。その心中は計り知れないが、友田がその生涯を通じて取り組んだのは、煎じ詰めれば「友愛を基盤にした社会と経済の実現」だったのだろうと私は想像している。“社会”と“経済”とは事実上密着しており、明確な境界線を引くことは不可能だが、便宜上“社会面”に焦点を合わせたときには“カウンセリング活動”になり、“経済面”に焦点を合わせたときには“掌風会”や“エコマネー”になったのだろう。どちらの活動も根源は“友愛”であり、友田はこの両者を「統合しようとした」と私は見ている。

“トランスパーソナル”を単なる学問の一分野ではなく、「個人(我)を超越して友愛へとたどり着くことを目指す思想であり、社会変革運動である」と定義した場合には、ここには“資本主義経済を超越できる”可能性があるように思える。もしもそうなら、この思想が“人類の危機”を救うことができるかもしれない。
がしかし、現実の“トランスパーソナル”を見聞きする限りにおいては、「楽観はできない」というのが正直な感想だ。もちろんそれは、「悲観している」という意味では決してないが。
結局のところ“この問題”を突き詰めると、「個々人の覚醒を待つしかない」のだろうと思う。それを友田は次のような言葉で示唆している。

「端的に申し上げれば、“誰かがなんとかしてくれるであろう”時代が急ピッチで終末段階に向かいつつある現代において、言わば“生命感覚”を頼りに己れの分をシッカリと見定め、己れの足で立ちかつ歩くことが、何よりも肝要な緊急事となっているのであります」

と。これは夏季ワークショップの案内文からの抜粋だが、あらためて「己の分をわきまえながら、“お金の問題”にも積極的に取り組んでいこう!」という思いを強くしたところである。そして“その思い”でもって、『友田不二男研究(仮題)』にも取り組んでいこうと思う。
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観客か? プレーヤーか?

2008年04月16日 | 日記 ・ 雑文
前回の日記の続きになるのだが、“野球というもの”を肌で感じるには、「テレビ観戦よりスタンド観戦のほうが優れている」という主旨の体験談を私は述べた。さらに言うなら、“野球というもの”の真髄をわかろうとするなら、「スタンド観戦するよりプレーするほうが優れている」ということ、言うまでもないだろう。
“カウンセリング”もまた同様である。“野球”の代わりに“カウンセリング”を入れても、なんら差し支えがないように思う。

インターネットは便利なツールだ。この世界には、ありとあらゆる文字情報が存在する。カウンセリングに関する情報だけを取り上げても、“一生かけても読み切れない”くらいの情報量がすでに存在しているだろう。
しかし、それらの文字情報によって“カウンセリングを知る”という行為は、いわば“テレビ観戦する”のと同じだ。野球のテレビ中継画面からは、球場全体の雰囲気、ボールの風を切る音、クロスプレーの迫力など、臨場感がほとんど伝わってこない。
という意味で、“カウンセリングを知る”ためには、“カウンセリング場面に身を投ずる”ことが必要不可欠である。……というのが私の持論だ。

“身を投ずる”ための現実的な手段・方法としては、「カウンセリング講座、もしくはワークショップに参加する」というのが一般的だろう。しかし、参加したからといって即“プレーヤーになれる”わけではない。というのは、現実的には「カウンセリングというのはどういうものなのか、眺めに来た」という人も、かなりの程度存在するのが実際だからだ。いわば「観客席に身を置いたままグラウンドに下りて来ない人」がいるわけだ。
そういう“身の置き方”に対して、「単純に批判するわけにはいかない」と個人的には思う部分もあるが、友田先生がある場面で、そういう人物に対して「観客席にいるな!」と、一喝していたのが同時に思い出される。

“講座に参加する”ということは、自分の時間を削ったうえで他の参加者と同額の受講料を支払うわけだから、「できればプレーヤーになってほしい!」というのが私の本心だ。カウンセリング場面は“最大限の自由が保障されている”場であるが、同時に「自分の学習を遂行する責任は、参加者自身にある」というのも事実だ。
このことは、ロジャーズが“責任の制限”という用語を使って明確に示しているが、カウンセリング場面では「学習を行なわない自由(=無責任な態度)は制限されている」のである。別言すれば、カウンセリングは「クライエント(参加者)が自分の学習を行なう」場面であり、決して「カウンセラーが教え、クライエント(参加者)が教わる」場面ではない。

このような書き方をすると、「“被教育者”ではなく“学習者”に身を転ずるのは、実際問題として、容易なことではないのではないか?」という印象を与えるかもしれない。もちろん、それが「いかに容易ではないか」は、誰よりも私自身が痛感しているという一面はある。
しかし、私自身の講座やワークショップでの経験を振り返ってみると、「思わず身をのり出してしまう」場面がしょっちゅうあった。とくに“自分にとっての関心があるところ”では、どうしてもだまっていられなかった。考える前に“口から言葉が出てしまう”のだ。
つくづく「人間というのは、本来的に“学習したい”動物なんだなあ。“教えてもらいたい”人間なんて、本当は存在しないのだろうなあ」と思う。
という意味では、本質的に私という人は、「もしも効果的なカウンセリング場面を経験したなら、きっと誰もが“学習したくなる”に違いないだろう」という考えを持つ楽観論者である。

新年度がスタートするので、あらためて「学習者であり、探求者であり、求道者である自分をさらに研鑚してゆきたい!」という思いを強くしたのだった。
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プロ野球観戦

2008年04月13日 | 日記 ・ 雑文
チケットを知人から譲り受けたのだが、家族3人で昨日(土曜日)、巨人対ヤクルト戦のナイターを東京ドームで観戦した。以前、NFL(アメフト)のプレシーズンゲームを観に訪れたことがあるので“東京ドーム”は二度目だったが、“プロ野球観戦”は生まれて始めての経験だった(学生時代に地元で一度だけオープン戦を観た記憶はあるが)。

感想を一言で述べると、「テレビで観るのと“生”とでは、ずいぶん違う」となる。ま、当たり前の話ではあるが、Jリーグ(サッカー)をスタンド観戦したときにはこれほどの違いを感じなかったので、やはり「特別な経験だった」と言ってよいだろう。

一番驚いたのは「ピッチャーの投げる球の速さ」だった。座席は外野席に近い一塁側の内野スタンドだったので、投球がほぼ真横から見えた。巨人の先発は高橋尚だったが、テレビで見るのとずいぶん違う。「こんな剛速球、自分だったら絶対に打てないな」と思った(当たり前か?)。テレビで観ていたときは、「こんな球(失礼!)がなんで打てないのだ?」とバッターに対して思っていたのだが……。

一度だけファウルボールがこっちに向かって飛んできたときには、思わず身体をのけぞってしまった。球は10メートル以上も手前に落ちたのに(苦笑)。やはり“生”は迫力が違う。
ラミレス(今年は巨人の4番打者なんですね?)のホームランを喫煙室のモニターで見たのは残念だったが、ヤクルトの外国人選手(名前忘れた)の特大ホームランを“生”で見られたのは大迫力、大興奮だった。

息子(3歳)が一緒なので最後まで観戦するわけにはゆかず、8時過ぎに球場を後にした。試合は完全に“巨人ペース”だったので「勝敗の行方にヤキモキする」こともなく、私たちにとっては好都合なゲーム内容だった。

帰宅したのは9時過ぎ。テレビ(G+)をつけたらヤクルトが大逆転しているではないか!? 妻は巨人ファンなので悔しがっていたが、私はつくづく「巨人ファンでなくてよかったなあ」と、胸をなでおろしたのだった(じつは私、阪神ファンです)。
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ねんきん特別便

2008年03月21日 | 日記 ・ 雑文
先日、社会保険庁から「ねんきん特別便」なる郵便物が私宛に届いた。それによると私の年金が「宙に浮いた5000万件の年金記録」の中に含まれている可能性があるという。
正直「まさか!」と思ったが、そこに記されている記録を見ると、会社員時代に支払っていた厚生年金の記録がすっぽり抜け落ちていた。

憤りを感じつつ、さっそく修正申告するために書類を返送したわけだが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

書類に“正しい記録”を記入する過程でいろいろと調べたのだが、私が勤務していた会社は現在も存在する(所在地は変わっていた)。ところが、“所属していた部署”は別会社(グループ企業)になっていたことが判明した。
私の年金記録(データ)は元の会社に残されているのだろうか? それとも新会社のほうに引き継がれたのだろうか? 私には知る由もないが、のれんわけした際のゴタゴタでデータが消息不明になってしまったのだろう。たぶん。

「新会社に引き継がれた可能性が高いな」とは思ったが、勤務したこともない会社名を記入するわけにはいかないので、元の会社名を記入した。あとは社会保険庁の職員が、新会社に保存されていると思われる私のデータを見つけ出してくれることを祈るだけだ。
もっとも、私の年金手帳に残っている厚生年金番号を書類に記入したので、見つけ出すのはさほど困難ではないだろうと想像しているが……。さて、どうなることやら。
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忘れ物

2008年03月15日 | 日記 ・ 雑文
「ついうっかり忘れ物しちゃった」という経験なら誰でもあると思うが、私もそれが多い部類の人である。高校時代、休日に友人とテニスをする約束をし、自転車でコートに向かう途中で“ラケットを忘れた”ことに気がついて、慌てて引き返した経験があるくらいだ。

先日もやってしまった。その日は我が家のレジャーデーで、家族3人で上野の国立科学博物館に恐竜を観に行くことになっていた。息子(3歳)は最近、電車や建設車両に加えて、道路標識などのマーク一般や恐竜にも興味・関心を持ち始めているのだ。
前日からビデオカメラとデジカメのバッテリーを充電し、準備が整ったところで午前10時に家を出た。妻が銀行に用事があったので、駅に向かう前に立ち寄った。「すぐに済むだろう」と思っていたら、1時間もかかったのは計算外だった。
少し慌て気味に電車に乗り込み、目的地へと出発したのだが、4~5駅過ぎたところで大変なことに気がついた。ビデオカメラとデジカメを入れていた肩掛けバッグが無いのだ。どうやら銀行に忘れてきたらしい。取りに戻るべきかどうか少し迷ったが、このまま目的地を目指すことに決めた。

いったいどうして大事なバッグを忘れてしまったのか? 少し時間を巻き戻してみよう。
ここは銀行である。どういう事情なのかよくわからないが、手続きに予想以上の時間がかかり、来店してからすでに50分近く経っている。私と妻はボックス席になっているソファーに並んで腰掛け、担当者から呼ばれるのを待っていた。
息子が「おしっこ!」と言い出した。妻はその場を離れることができないので、私が手を引いて連れて行くことにした。所持していた肩掛けバッグ(ビデオ&デジカメ在中)を座っていた席に置いて。
トイレの場所を探すのにだいぶ苦労した(2階から地下1階まで行った)こともあって、元の場所に戻るのに5分ほど要しただろうか、息子とふたりで席に戻ると妻の姿もバッグも無かった。周辺を見渡したが、それらしい姿は無い。携帯電話が鳴った。妻からだ。「全部終わったので1階にいる」という。
私たちふたりは1階に下りて合流したのだが、この時点では、私の“肩掛けバッグが無い”ことには誰も気づかなかった。私はてっきり、「妻が一緒に持ってきてくれた」ものと思い込んでいたのだ。

車中での妻の証言によると、「私のバッグの存在など知らない」という。私は確かに妻の隣の席に置いたのだが、ソファーが“ボックス席だった”がゆえに目に入らなかったのだろう。妻が席を立ったあと、ぽつんと残されたバッグを見つけた銀行員がそれを忘れ物だと思い、即座にどこかに保管されてしまったのだ(想像だが)。その後、私と息子が席に戻ってきた……というわけだ。

上野に着いてから電話で確認すると、確かに忘れ物として保管されていた。ひと安心だ。今日は無理なので「明日、取りに行く」と伝え、その日は家族でレジャーを楽しんだ。そして翌日、私が銀行にバッグを取りに行ったのだった。

と、話はここで終わらない。バッグを手にしてひと安心した私は、その足で昼食を食べに近所の定食屋に入った。そして店のカウンター席のテーブルの下に、そのバッグを置いてきてしまったのである(苦笑)。それに気がついたのは、その日の夜9時過ぎだった。すでにその店は閉まっている時間だ。
翌日の午前中に電話で確認し、小雨の中を取りに向かったのだが、最近は“考えごと”が多いせいだろうか? なんともマヌケな行為を繰り返してしまったのであった。
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花粉症デビュー?

2008年03月06日 | 日記 ・ 雑文
耳鼻科に行って診断されたわけではないので正確ではないが、どうやら「花粉によるアレルギー症状が発症した」ようだ。

具合が悪くなったのは、2日(日)の朝からだった。目が覚めるとのどが痛かった。たぶん扁桃腺が腫れていたのだろう。それに鼻水が止まらない。熱はなかったが、身体全体がだるかった。間違いなく「風邪をひいた」と思った。
翌日になっても症状はいっこうに変わらなかった。夜はセンターの講座があったので、だるい身体を引きずるようにして目白の会場に向かった。講座が始まる前の雑談で、参加者の一人が私とまったく同じ症状を訴えていた。それを聞いた別の参加者が「花粉症かもしれないよ」と言っていた。私の脳裏に「ひょっとしたら僕も……」という思いが浮かんだ。
さらにその翌日のこと。症状はやはり変わらない。夕方、近所の耳鼻科から妻と息子が帰ってきた(息子はこの時期、鼻詰まりがひどいので、定期的に耳鼻科に通っている)。そして、「パパのも花粉症かもしれないよ」と妻が言った。
自分たちの前の患者さんが、私と同様の症状(のどの痛み、鼻水、だるさ)を訴えていたところ、「医者から花粉症だと診断されていた」という話だ。これを聞いて私の中にあった“花粉症の疑い”は、ますます強くなっていった。

その日の夜、テレビで“鼻うがいの薬”のCMを見た。「さっそく試してみよう!」と思ったので、お風呂でやってみた。無論、専用の薬は所持していないので、ぬるま湯を使用したわけだが。鼻の奥が「ツン!」とする痛みで多少キツかったが、「ひょっとすると症状が改善するかもしれない!」という、希望にすがるような思いでやってみた。
湯船につかりながら、身体症状に“変化が生じるか否か”に注意を払った。しばらく(1~2分間くらい)すると、あのつらい症状がみるみるうちに消えていった。やはりそうだったのだ。私の鼻腔粘膜に付着した花粉粒子に対して、身体全体がアレルギー反応を示していたのだ! ……と確信した。
昨夜テレビを見ていたら、私が発症した前日、つまり1日(土)は、「花粉が飛散していた量がここ数日間で最も多かった」という事実も判明した。状況証拠も揃ったわけだ。

このようなプロセスを経て、私は花粉症患者に“なった”のである。これを書いている現在も完全快復してはいない。相変わらず鼻がグズグズしている。それに「今後外出する祭には、マスクが必需品になるなあ……」と思うと、なんとも気が滅入ってしまうのである。
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新聞記事

2008年02月26日 | 日記 ・ 雑文
以前ここに『母の死』と題する手記を掲載したが、驚いたことに、2月20日の読売新聞・社会面に“母のこと”が紹介されていた。『いのちに寄り添って』と題されたコラム欄(“在宅での終末期医療の現場をリポートする”というテーマのシリーズだと思う)で、とくに“スピリチュアルケア”に焦点を合わせた記事として取り上げられていたのだ。
大きめの写真に私の母と、その母に寄り添っている父がバッチリ写っていた。全国紙で両親の姿を見るというのは、なんとも奇妙な気分だ。
そういえば、テレビカメラも“母が最期を迎えた部屋”に何度か入っていたのを思い出した。詳しく聞いてないのでわからないが、NHK教育テレビの何かの番組で放映されるらしい。

新聞で実名が報道されていたのだから構わないと思うが、私が手記の中で“主治医”と呼んでいたのは、甲府市内で開業している「ふじ内科クリニック」の院長、内藤いづみ先生のことだ。私はまったく無知だったのだが、内藤いづみ先生というのはこの業界では“カリスマ的存在”なのだそうだ。妻のママ友(東京都在住。甲府の人ではない)がその名前を知っていたほどだから驚く。
テレビや新聞の取材が来たのは、もちろんこの内藤いづみ先生が“有名人だったから”で、私の両親が“有名人だったからではない”のは言うまでもない。

新聞記事を読んでもうひとつ驚いたのは、井上ウィマラ先生(高野山大学スピリチュアルケア学科准教授)が月1回のペースで我が家を訪れていたという事実だった。そのことを私はまったく聞かされていなかったのである。
私は数年前から日本トランスパーソナル学会(諸富祥彦先生が会長)の学会員だったので、同学会の常任理事でもある井上ウィマラ先生の名はよく知っていたのだ。ただ、正直に言えば、学会誌に掲載された同先生の論文を熱心に読んだ経験は一度もなく、せいぜい“輪廻転生をめぐっての対談記事”に興味と関心を覚えた程度だった。

井上先生は私にとっての“有名人”だったので、新聞記事を読んだとき、「せめてお顔だけでも拝見したかったなあ……」というミーハーな心が生じたが、後の祭りである。絶好の機会を逃してしまったことが本当に悔やまれた。
ガックリした気分に浸りながら、ふと気がついた。「ああ、その人の在り様というか、態度・姿勢・構えの問題なんだろうな」と。「だから好機が訪れてこなかったんだな」と、妙に得心したのだった。
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