カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

『十牛図』から連想したこと

2008年10月03日 | 日記 ・ 雑文
mixiのコミュニティ「カウンセリング広場」内の東洋の知恵トピックに、人間の成長のプロセスを描いている禅のテキスト、『十牛図』を最近UPした。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20359015&comment_count=41&comm_id=2337193

この図をぼんやりと眺めながら、「人はどうして“真の自己”(牛の絵で象徴されている)に対して、手を差し伸べる気にならないのだろうか?」ということが、大きな問題点として浮かび上がってきた。
なぜ、どうして、“ありのままの自分”を否定し、“なりたい自分”や“あるべき自分”を欲するのだろうか? という問題である。

かくいう私も会社員時代にうつ病を患ったとき、無力・無気力でただ毎日が「起きて、食べて、クソして、寝るだけ」に費やされていたとき、「こんな状態が続くのであれば、毎日がつらくて苦しいだけだ。生きている意味がない。死んでしまえばこの苦しみからも解放されるだろう」と自殺願望を抱いたので、この問題は決して他人事ではない。
この極限状態から脱することができたのは、“自己構造もしくは価値体系の崩壊”によってであった。心理学的な立場から見れば、“飛躍した”とも表現できるだろうが、私自身の経験の世界においては、まさに“崩壊した”としか呼べないような凄まじい経験だった。しかもこの出来事は、カウンセリングなどまったく関係なしに、本当に一人で自宅にいたときに起きたのである。

現在の私に確かに言えるのは、「自己概念というものは、それくらい本人にとっては大切なものである。その大切さは“生きること”以上の場合もある」ということだ。「自己を放棄して生き続けるくらいなら、私は死を選択する!」という人間は決して稀ではない。かつての私がそうだったように、年間何万人にも上る自殺者たちが、そのことを証明してくれているように私には思えるのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 孔子と老子とカウンセリング | トップ | 陣内智則 »

コメントを投稿

日記 ・ 雑文」カテゴリの最新記事