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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

第213話「化学機械の理論と計算」(昭和34年~40年)

2007-07-24 | 昔の思い出話
 学部専門課程に進んで、いよいよ化学機械学すなわち化学工学を勉強することになった。「化学機械の理論と計算」というのは化学機械学教室ではバイブルとでも言うべき教科書の名前である。その化学工学のうち、物理的な単位操作を履修させる目的でこの教科書が作成されていた。執筆者は当時の日本の化学工学の先駆者達であったが、すべてが京都大学化学機械学教室の教授や助教授であった。
 日本の化学工学の草分けは京都大学と東京工業大学であったそうだ。京都大学は日本でも最も由緒のある歴史の古い化学工学の中心の一つであった。化学工学では、京大の対抗馬は東大ではなく、東工大と言うことになっていた。と言っても、京都大学の化学機械学教室は昭和14年か15年頃の創設なので、化学系の学科の中では比較的新しい教室であった。化学工学科の先駆的なモデルは日本にはなく、専ら米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)とされていた。化学の総本山のようなドイツの大学には、そのような学問の展開がなく、化学工学をやる限りドイツ語は不要となった。
 「化学機械の理論と計算」は、内容的に極めて充実していただけでなく、実用的・応用的な計算問題も多数載っていた。その数の多さは、学生をいじめる道具としては、最高のものであった。演習問題として解法を懇切に示した例題の後に、多数の答えのない問題が載せられている。この教科書を用いて、各種の単位操作を同時並行的に勉強するのであるが、どの先生も自分ひとりが先生をやっているような気持ちで無頓着に宿題を出した。
  「この演習問題を次までにやって来なさい。そう難しくないはずです」
と先生は極めて気楽であった。1日に3人の先生から講義を受けると、3人が3人とも宿題を出された。難しくはなくても、一題を解くのに時間がべらぼうにかかるのであった。時には先生は学生いじめの快感に酔っているのではと思われた。単位操作の問題は、課題を微分方程式等の数式で表した後、殆どは数値解法で解く。つまり、トライアンドエラーという力任せの解法であった。まだ電子計算機が無かった時代であったので、計算尺と対数表を駆使して行う手計算が中心であった。従って、一つの問題の答えを出すだけで、一晩かかってしまうこともざらであった。
 例えば、粉体の機械的分離装置の一つである空気サイクロンを設計する問題があったとする。分離されるべき粒径の微粒子のサイクロン内の運動を解析する場合、30秒くらいの滞留時間であれば、その粒子の運動速度やその位置を2秒くらいの刻み幅で計算していく必要がある。粒子の運動そのものは微分方程式などで表せるので問題はないが、実際にその解を求めるのが大変であった。微分方程式はきれいな形をしていない限り、代数的に解を求めることが出来ない。化学工学に出てくるような微分方程式は残念ながら一般解が求められるような形のものはない。複雑な不定形の微分方程式の解を求めるには、試行錯誤の手計算による数値解法で行うのが普通である。具体的に数値的な解を先に仮定して式に解の数字を入れ、等式が成立するまで仮定を繰り返して計算をやり直す。上の例で言えば0秒から30秒の間を2秒刻みで式を解いていく。そのようにして、ある粒径の粒子の軌跡が求められると、続いて径の違う別の粒子について同様の計算を繰り返す。と言うように同じ計算をつぎからつぎへと腕力で繰り返すのであった。
 坊主の修行よりもはるかに忍耐力の要る作業であった。このような宿題が1日にいくつも出されると、徹夜になることも少なからずあった。法学部等の他の学部の連中は、マージャンや山登りに明け暮れているのに、我々は休みの日でも朝から晩まで、計算尺を片手に宿題に追われていたのであった。
 同じ工学部の友人に対しても、「今日は宿題があるから付き合いを失礼する」と言った場合に「?」と思われることも多かった。大体、大学で宿題があること自体、一般の人には信じられないことであった。
 しかし、一度手計算でやってみると、前記のような事例の場合では、以後その装置内の粒子の挙動は手にとるが如く頭の中にイメージとして描くことが可能になる。一単位の計算が終了する度に、グラフの上に粒子の軌跡をプロットしていくと粒子一個ずつの運動が手にとるように見える。今時の学生は手で解かないので、そのイメージを頭の中に描くことはなかなか出来ないかも知れないが、我々は計算尺とグラフと言う原始的な手段を使ったお陰で、理論的な計算式と実際の物理現象との関係が手にとるようにイメージとして描くことができるようになったのであった。
 教養部の時に、機械工学科の藤本武助先生の教科書でベルヌーイの定理を流体力学として勉強したときは、「何やこれは?」と具体的なイメージを描けなかった。しかし、専門課程に来て、「化学機械の理論と計算」で「流動」と言う章で演習問題をやった後は、「位置のポテンシャルが速度のポテンシャルに変化してトータルのポテンシャルは変化しない」と言うようなことが、身体全体で分かったような気がした。又、物理化学も面白くて一応は好きな科目であった。しかし、この中で熱力学の理論を通り一辺の講釈で習っても、「何やこれは?」と思うだけであった。これを化学工学熱力学演習と言う科目で勉強するとやっぱり良く分かるようになった。難解と思われた相平衡も全然問題ではなかった。アクティビティだのフガシティーだの、教養時代の物理化学では目を白黒させたものが、化学工学の科目として勉強し直すと嘘のように目からウロコが落ちて行く。
 又、この「化学機械の理論と計算」には宿題とされない多数の演習問題が残ったが、自分は残りの問題を自発的に自力で全部解いた。これは3年生の夏休みと冬休みに、汗をかきかき、時には徹夜をして、やり通した。この必死の努力は誰も知らない自分だけの秘密である。大学生は受験のときだけが苦しくて、入ってしまえば後は遊んでいる暇人と思われていたが、自分の学生時代、特に工学部の化学機械学科では遊んでいる余裕など、全く無かったのであった。
 元々、抽象的な数学や力学のような直接目に見えぬ理屈に弱かった自分であるが、この時点でやっと皆に追いついたように思った。3年生になってから、自分が教室の宿題や演習を極めて真面目にやったお陰であろうと思っている。また、受験時代の最初の志望の航空学科に入れずに、浪人して最終的に化学機械学を専攻するようになったのは、当方の特質をよくご存知の天に坐します神様の特別の計らいであったようだ。

  

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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心をうたれました (アナグマ)
2010-11-25 01:30:15
後輩にあたる人間です。 伝説の”化学機械の理論と計算”とは如何なるものかと、ネットを彷徨っているところに漂着しました。現在のカリキュラムでは、計算機の発達もあり、プログラミングを通して一通りの現象に触れられていると思っています。 しかし、課題だけをこなすだけでは圧倒的に物量的な鍛えが足りていないこともうすうす感じています。 粘り強い努力をなされた先に確かなものを得られたのですね。 あと三年間のモチベーションをいただけました。”化学機械の理論と計算”を手にとってみます。
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