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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

第293話「大阪西九条界隈」(昭和49年~54年)

2008-01-07 | 昔の思い出話
 西九条は此花区のJR環状線の駅のある小さな、しかしいっぱしの歓楽街であった。JRの桜島線が発着するだけでなく、阪神電車西大阪線の基点でもある。西九条駅を降りると、赤や青のネオンが点滅し、それなりの繁華街の雰囲気を漂わせていた。
 此花区とは北が新淀川、南が安治川、西が大阪湾に囲まれた東西に細長い長方形の形をしている。JR桜島線はこの此花区の工場地帯のど真中を東西に横切っている。当時の工場群はほとんど姿を消しているが、桜島線の電車から見える車窓の風景を再現してみると以下のようになるだろうか。
 電車が桜島方向を目指して西九条駅を出るや否や、左手に関西電力春日出発電所の四角い建物と重油タンク群と赤白に塗られた大きい煙突が見える(春日出発電所もタンク群も今は跡形もなくなっている)。それらを周回するような感じで電車が銀色の鉄橋を越えると、右手には周辺の工場で働く人たちの住む木造バラックの社宅が線路に平行して所狭しと並んでいる。家庭の洗濯物やもろもろの生活臭のする社宅街を抜けると、線路の両側に住友化学の工場の建屋が見えてくる。義理にも美しいと言いがたい高いコンクリートの塀と工場の建屋が線路の際一杯に迫っている。赤く錆びの出た配管の束が走っている。パイプのところどころから水蒸気が漏れ出していて、それでも工場はしっかりと生きていることが分かる。工場は広大な敷地を有しているが、小さな木造の中小の建物が密集しており、一昔前の町工場の雰囲気がする。工場の破れた窓ガラスの内側には化学製品を製造する薄汚れた機械装置がちらちらと垣間見える。さらに進むと、左手に明治時代に創設されたという大阪ガス舎密工場が見える。舎密(せいみ)とはオランダ語?らしいが、化学を意味する言葉だと言う。そこには鋳物用のコークス炉があって、副産物であるコールタールから化学品も製造していたのかもしれない。未だコークスを消火するための水蒸気をもくもくと上げており、この工場も健在であった。ほどなく、列車は安治川口駅に到着する。そのまま進めば、住友金属の工場群を抜けて日立造船のある終点桜島駅まで達する。安治川口駅で電車を降りると、駅正面に汽車製造会社、後に川崎重工となった工場がある。この周囲も高いコンクリートの塀に囲まれており、中で何が行われているのか窺い知れない。ただ、スクラップとして積み上げられた蒸気機関車のボイラーの缶体らしいものが見えるので、何を製造している工場であるかの大体の見当はつく(この工場跡地は、現在は大きな郵便局の集配所となっている)。
 この界隈には、当時、西六社(住友化学、住友金属、住友電工、大阪ガス、汽車製造、日立造船)と言う6社の大企業の工場があった。現在は大半の工場が廃業した。その後、安治川口駅と桜島駅との間にUSJ駅と言う新駅が出来て、工場地帯の当時の面影は極めて希薄になった。ユニバーサルスタジオという広大なアメリカ直輸入の娯楽施設が工場群に取って代わったからである。
 阪神電車西大阪線は西九条駅をターミナルとしており、ここから阪神尼崎駅までの区間を各駅停車で走っている。この西九条駅は尼崎市から大阪難波までを直行で連絡する計画で建設されたが、戦後、新線の建設費が高騰して予算が捻出できず、計画がいつの間にか沙汰止みになったそうだ。そのお陰で、阪神電車の西九条駅は難波方面に向かって細長く、何時でもJRの上を越して難波方面に延伸できるように、かなりの高所に作られている。
 西九条駅から一駅目の千鳥橋駅近くにある春日出商店街辺りも、結構、飲み屋の多い街であった。我々も何だかだと言いながら会社帰りにはマージャンをしたり、一杯飲みに行ったりした。しかし、春日出よりも交通の便が良い西九条の方がはるかに頻度は高かった。西九条の飲み屋に居たかわい子チャンが、春日出に新しい店を出したと聞くと、会社の飲み仲間は大挙して行き付けの西九条から春日出の方へ宗旨換えをしたこともあった。自分も右に習ってそのかわい子ちゃんをわざわざ拝みに春日出まで行ったことがある。
 西九条はいわゆる工員の飲み屋街であった。大阪北新地や難波などと比べると格段に安く飲めた。従って、めったなことで大阪の都心に出ることはなかった。ある日の夜のことであった。研究所の同僚と二人で、会社からの帰りに西九条の飲み屋のカウンターに座って、散々上役を酒の肴にして溜飲を下げていたことがあった。
  「うちの上役はバイタリティーがあってエエ人やけど、ちょっと
   完璧主義で困るなぁ!」
  「そうや、字が一字違うだけで、報告書を突っ返されるもんな」
  「それに、いつも締め切りが厳しいんや」
  「この間も、帰り間際の7時過ぎに呼ばれて行ったら、明日の朝
   までに資料作っておけと言われたんや。終わりは夜中の1時に
   なってしもうたがな。帰りの電車がなかったんで、家まで
   タクシーや。ほんまにかなわんわ」
  「そうや。夜は6時過ぎたら別の部屋で仕事して、出来るだけ、
   あの人とは目が合わんようにせんとあかんでぇ」
  「そやけど、何であんなに、いつも時間ぎりぎりになってから、
   めちゃくちゃなこと言うんやろか?」
  「ほんまにいやになるなぁ!」
  「ほんまやなぁ!」
と言った調子で、酔いも手伝って、上役の仕草、口真似、頭髪の薄さなどを肴にわいわいと騒いでいた。すると、突然、隣の見知らぬ紳士が興味を持ったらしく、こちらに声をかけてきた。
  「面白そうな話ですね。ところで、お宅はどちらの
   会社ですか?」
 我々は慌てた。咄嗟に口をついて出た言葉は、自分でも信じられなかったが、次ぎのような言葉であった。
  「川重(かわじゅう)です」
すると、その客も、落ち着き払って、言うではないか?
  「私も川崎重工ですが? あなた方はどちらの所属ですか?」
ますます、深みにはまりそうになった自分は、
  「スイません、アタシ東京の所属で、今朝、出張で大阪へ来た
   ばかりでしてねぇ…」
と見え見えの大阪弁丸出しの東京弁を言って、後は真一文字に口をつぐんだ。
 自分は急にトイレに行きたくなった。トイレに行った帰りにそのまま、勘定払って相棒と二人で店を出た。お互い、顔を見合わせた。
  「ああ、びっくりしたなぁ!」
  「ほんまや、汗がどっと出て来よった!」
 危機一髪であった。世の中には偶然と言うことがたまにはあるのか? 口から出まかせに言った、その会社の人が隣に座っているなんて! 隣の客は面白半分に余裕を持って我々をからかったのか? よく分からないが、こちらよりは、数段、人間の格が上の紳士であった。


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1 コメント

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元此花区在住 (ケンシロウ)
2020-08-22 13:50:53
いやぁ~実になつかしい!今から半世紀前になりますか、このJR櫻島線沿いの大阪ガス社宅に住んでいました。当事は、たまにではありますがSLまで走っていましたね。すごい煙幕で洗濯物を素早く取り入れてました^^土遊びをしようものなら、そこは埋立地ですから、すぐにガラが出てきてうんざりした事など今でもさまざまな想い出が蘇ってきますねぇ。
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