般若心経は難しすぎる
これを何とか理解したい
心経は言う
見えるものに実在なく
すべてが空であるという
これが分れば
世界のすべてが理解できる
人生のすべてが理解できる
長年の疑問が氷解する
だがいくら考えても分らない
色即是空 空即是色
色不異空 空不異色
分ったようで分らない
般若心経の世界が真実なら
そしてすべてが空というなら
真実もまた空であり
般若心経自体もまた空とはならぬか
クレタ人はうそつきだと言ったクレタ人
そのクレタ人の言うことが信じられるか
般若心経も同じでないか
真実であり嘘ではない
観自在菩薩は真実不嘘と仰るが
嘘と思っていない
何も疑っていない
ただ真実を理解したいだけだ
だが分らない
考えても考えても分らない
常ならぬ変化の世界に生きて
変ることのない真実を求めることって
自己矛盾でないか
すべてが空であると心経が断ずれば
心経自体が空でないとなぜ言えるか
堂々巡りの乏しい思考で考える
修行もへったくれもない人間が
未熟な脳ミソを振り絞って考える
だが分らぬものは分らない
このようにして
一日また一日と無明を生きて一生を終えるとき
最期の言葉は
やっぱり分らなかったと白状するか
そんな先が見え見えだけど
それはそれで宜しいのではないか
水と空気とエネルギーで生きている人間である限り
人が色(しき)なる肉体をもつ存在である限り
色即是空を是と断ずれば我が肉体を空と断ずるに同じ
それは生きることすら空であると言うに等しい
般若心経の世界
いくら考えても分らない
どうやら解のない方程式のようなものだから
一番弟子の舎利子ですら説教を受けている身だから
凡夫はありのままを白状しよう
やっぱり無も空も分らんと
だが生きてまだ余命がある身なれば
とりあえずはそれで宜しいのではないかとしておこう
だがここで一段レベルを上げてみよう
生きて余命がある身という考え方自体がおかしいと思え
色身が既に空であることを悟れ
空である色身は元々生じもせず滅しもしていない
色身は元々生じていない
だから生きているはずがない
だから死にもしない
だから生きている身を意識する限り永久に分るはずがない
生も死も超越した無の世界
それが心経の世界
生身の身をもつ限り悟ることあたわざる世界
ゼロが何であるか
無限大が何であるか
それすら分らぬ身が生きて
心経を理解しようとすること自体がおこがましい
だからやっぱり
とりあえずはそれで宜しいとしておくしかない

