山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

烏山城

2017-12-14 17:41:42 | 山城ー野州
那須氏の本城、烏山城は栃木県那須烏山市にあります。

烏山城地図

国道294号線で法務局を過ぎて、北に向かうと烏山城址登山道の案内があります。これを進むと八雲神社があり、ここに駐車して毘沙門山道歩道を登ります。(もっと北に国道を進み、寿亀山神社から登ることもできます。)


毘沙門登山道」



登山道の右手には腰曲輪が見られます。


登山道の中間地点から

北側に下ると

整備された腰曲輪

尾根が近づき

毘沙門砦(仮に)、虎口

毘沙門天像

南下の石垣

那須烏山市街

毘沙門砦の本丸(仮に)

次回、ここから太鼓曲輪に向かいます。

烏山城沿革
応永25年(1418年)、下那須家初代那須資重によって築かれ、永正11年(1514年)の下那須家滅亡まで下那須家の居城、那須氏統一後は、那須氏の居城として使われた。
戦国時代には、佐竹氏により度々攻撃対象とされ、永禄6年(1563年)の大海の戦い、永禄9年(1566年)の治部内山の戦い、永禄10年(1567年)の大崖山の戦い、霧ヶ沢の戦いなど、何度か城下まで攻め込まれているがいずれも退けている。天正18年(1590年)、那須資晴の時、那須氏が改易され織田信長の次男・織田信雄が入城。2カ月間、城主を務めた。
江戸時代には、烏山藩の政庁となり短期間に城主が交代した。成田氏・松下氏・堀氏・板倉氏を経て、天和元年(1681年)、徳川4代将軍徳川家綱の叔父にあたる那須資祗が2万石で旧領に復帰するが、貞享4年(1687年)、子の那須資徳の時、お家騒動で改易。以後、永井氏・稲垣氏を挟み、享保10年(1725年)、大久保常春の入封後は、大久保氏が城主を務め、明治2年(1869年)、版籍奉還と共に廃城となった。明治5年(1872年)には、積雪によって三ノ丸御殿が倒壊、明治6年(1873年)には、失火によって、古本丸、二ノ丸、中城、北城の建物を焼失した。 ウィキペディアより

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。